エピローグ
「ナミは、どうしてそんなことをしたの?」
ショウタの頬には乾いた線が浮いている。私だって、顔を洗っていなければ同じ線が残っていたはずだ。
「須藤っていう、悪いヤツをやっつけてくれたの」
「多田くんを殺してしまったのはどうして?」
「うん・・」
ショウタが悲しんでいるのは、シノブが死んでしまったことと、彼女が殺人を犯していたことの両方だろうか。
現在は十九日の午後八時半。自宅の二階にある私の部屋に集まっている。
公園でシノブがあんなことになったのは午後四時半頃。その後、公園に居合わせた刑事に連れられ、警察署で説明をすることになった。倉庫が燃えた原因は聞かされていない。おそらくはシノブの仕業だろうと推測していて、それは刑事にも伝えてある。
刑事がショウタに接触したのは、多田少年が亡くなったことに関係していると思ったからのようだ。その理由は理解できていないが、シノブが関係していることだけは確かだ。
「シノブと・・、「ナミ」と会ったのはいつ頃?」
シノブは、ショウタの前では「ナミ」と名乗っていたらしい。その理由も不明だが、彼女の本名は信夫七海。「ナミ」と名乗っても問題はないだろう。
「一週間前とか。ちゃんとはわかんない」
ショウタは、姉である私のことをシノブに話さなかったようだ。また、シノブも私の友人であることをショウタには言わなかった。ショウタからすれば、自分の姉の友人と親しくなっていたとは思わなかっただろう。
「ナミとはどんな話をしたの?」
「未来からきたって言われたんだ・・。それで、色んなことを教えてくれた」
ショウタはクッションの上で体育座りの格好から動かず、自分の膝を見つめたまま言った。その後、彼の口から聞かされた話は、私の度肝を抜くのに十分なものだった。私が伝えた内容を元に、シノブはショウタに作り話を聞かせていたようだ。
だが、シノブに感心してしまうところは、それらの中に嘘が混ざっていないことだ。ロックは死んでしまい、ロックを虐めた犯人は捕まった。それと同一人物である、チカちゃんを轢いた犯人は逮捕された。多田少年が殺され、シノブ自身もいなくなった。
多田少年を殺した犯人も死んでしまう、という内容の言葉があったそうだ。そこにも嘘はない。多田少年を殺した犯人は私だが、ショウタは、多田少年を殺したのがシノブだと思い込んでいる。シノブが亡くなった以上、ショウタに嘘をついたことにはならないだろう。
唯一、ロックが死んでしまう原因が怪我によるもの、というところだけは間違っているか。シノブは、ロックが虐められている現場を見ていない。怪我をした体を見て、近いうちに死んでしまうと想像したのだろう。どんな理由であれ、ロックが死んでしまった事実に変わりはない。
順序もバラバラだし、要領も得ていない説明だった。それでも、ショウタの口からそれらを聞けた私は幸せ者だろう。
本当に、信じられない気持ちに包まれている。
シノブは、最初から須藤を殺す計画を立てていた。また、多田少年を殺すこともその計画のうちだったのだろう。それを実行したのが私であるのも同様だ。須藤が待っているとウソをつき、私を雑草広場へ向かわせた。そこで、私が多田少年を間違えて殺すことまで計算していたのか。
シノブが多田少年を殺すことにした理由、それについて考えてみた。
おそらく、多田少年がショウタをいじめていたからだろう。シノブ自身も三宅たちから被害を受けていた。ショウタのことを他人事と思えなかったのだと想像している。
「多田くんがあんたをいじめてたのってさ」
話し掛けると、俯いていたショウタの顔が上がる。上目遣いで私を見ている状態だ。
「あんたに嫉妬したんじゃないかな」
「嫉妬って?」
「あんたがチカちゃんから好かれていたから、とか」
そう言うと、ショウタは僅かに驚いたように目が開いた。自分が誰かから好かれているとは思っていなかったのだろうか。小学生男子らしい、恋愛に無頓着な様子が伺える。
「わかんないよ、そんなの」
困った様子で、言い逃れをするかのような口調だった。
「わからないけど、それくらいしか理由が思いつかないじゃない」
ショウタと多田少年の関係はわからないが、幼い嫉妬が原因のように思えた。私が多田少年と話した時、彼はショウタに対して敵愾心のようなものを持っている様子だったからだ。その理由が勉強や運動の嫉妬なのか、チカちゃんという少女が関係しているのかはわからない。それでも、私は自分の中で納得しておくことにした。
シノブが全ての計画を立てた時の様子を想像しながら、ショウタの話の中で気になる二つの点について尋ねることにした。
「雑草広場でさ。あんたが小屋へ入ろうとした時、ナミは広場の入り口にいたって?」
先程、ショウタはそう言ったのだ。広場の入り口にいるナミを見たと思ったら、小屋の中にナミがいたのだと。
「うん。だから絶対に瞬間移動したんだと思った。未来にいって、戻ってきたんだって」
シノブは未来からきた人などではなく、私と同じ普通の女子高生だ。ショウタもそれを知ったはずだが、彼にはその時の状況を論理的に説明できないのだろう。小学生なのだから、それも仕方ないか。
「ナミが小屋の中にいたし、未来からきた人じゃない。これは理解してる?」
私が勉強を教えるように言うと、悲しんでいるショウタの目にも反抗の色が浮かんだ。「わかってるよ」という不満が聞こえてくるようだ。
「だったら、それを説明する方法は一つ」
「どんなの?」
そっぽを向いたまま、それでいて気になるような仕草でショウタが言う。
「広場の入り口にいたのは、ナミじゃないの」
ショウタが驚いたようにハッと顔を上げ、私を見て気まずそうに目を逸らした。
「それは誰?」
「自分で考えなさい」
ショウタが残念そうに俯き、それを見て僅かに申し訳なく感じる。
ショウタが広場の入り口で見たのは、他でもなく隠れていた私なのだ。遠く離れたショウタからは、私とシノブを見分けることができなかったのだろう。髪の長さも近く、体格も似ている。遠い距離では、見間違えるのも理解できる。残念なのは、私がシノブほど美人ではないということ。
そのシノブは、倉庫の火事によって亡くなった。倉庫へ飛び込んだロックも同様だ。
あの犬が何故、倉庫へ飛び込んだのか。私なりに、一つだけ仮説を立てている。ショウタから聞いたのだが、ロックの飼い主のおばあさんは、ロックを家に入れようとはしなかったそうだ。その理由を考えた結果、ロックは火が好きなのではないかという結論に至った。キッチンのガスコンロに飛び掛かるロックの姿を容易に想像できる。燃え盛る倉庫へ飛び込んだのも、私がそう考えた根拠の一つだった。
もう一つの疑問を解消するためショウタに尋ねる。
「発見された多田くんの首に、絞められた痕があったって本当?」
警察でそう聞いたのだ。だが、私にはそれが腑に落ちない。
私は多田少年の頭を誤って殴ってしまったが、それ以上に危害を加えた覚えがない。それなのに何故、発見された彼の首にはロープの痕が残っていたのか。
「あったよ。可哀想だけど、僕も見た・・」
誰にやられた痕なのか。最も容易に考えられるのはシノブだ。
私が多田少年を殴って殺してしまった後、あの小屋に入ったのはシノブとショウタだけ。シノブが先に入り、ショウタを待ち伏せしていたのだろう。おそらく、ショウタが小屋の裏側で様子を伺っている間に、シノブは移動したはずだ。
その後、ショウタが小屋の中へ声を掛ける。それまでに、多田少年の首を絞めたのだ。無抵抗の少年の首を絞めるだけなら、短時間で可能だろう。その理由は、確実に命を奪うためかもしれない。私は深くまで考えないよう注意していた。
「ねぇ」
ショウタが顔を上げ、嘆願するような目で私を見つめる。
「ナミがあんなことをした理由、知ってるんでしょ?」
ショウタが「あんなこと」と表現するのには理由がある。公園の倉庫が全焼し、消火された後にシノブが発見された。そこにはロックもいたが、それ自体は大した問題ではない。
消火された倉庫の中から、私が多田少年を撲殺した金属棒が発見された。また、シノブのカバンと思われるものの中から、直径数センチほどのロープの残骸とナイフも発見されたのだ。そのロープはおそらく、多田少年の首を締めたロープだ。
シノブが何故それを持っていたのか。
考えられる理由は一つ。自分が犯人であると主張するためだ。私が使用した金属棒を奪って逃げたのも、そちらの事件も自分がやったと思い込ませるためだ。凶器を二つも持っていれば、証拠としては十分に感じられる。
須藤の遺体に関しては、私が警察に伝えた。いつまでも隠し通す気はなかった。それに、もうすぐ全て明らかにするつもりだ。
だが、その前にやり残したことがある。
「もしかして、僕のため?」
ショウタの言いたいことがわからなかった。
「多田くんから僕を守るために、多田くんをやっつけてくれたのかな」
いまにも消えてしまいそうな声で言い、ショウタの目に涙が浮かぶ。枯れきったと思えるほど泣いていたのに、まだ泣き足りないようだ。
「違う、そうじゃない」
私がハッキリと言うと、ショウタは不思議そうに顔を上げた。「どうしてそこまで言いきれるの?」というショウタの言葉が脳裏に響いた。
「ナミは、自分のためにやっただけ。あんたには関係ないわ」
ショウタは理解できないという顔で視線を落とした。
厳しい嘘かもしれないが、ショウタの今後に影響を与えたくなかった。一連の事件には、偶然巻き込まれたと思い込んで欲しい。
「ナミは死んじゃったけど、刑事さんに捕まっちゃうの?」
「もう何もない。考えなくていい」
シノブは死んだ。
全ての罪を背負って、体ごと消滅した。
それでも、彼女の意志は私の中に残ったままだ。
シノブ一人だけを犯罪者になどできない。
「ショウタ」
声を掛けると、両目を擦りながらショウタが私を見る。
「お父さんたちはね・・」
急に話題が飛び、ショウタの顔に混乱の色が浮かぶ。
「毎日、帰りが遅いでしょう?」
黙ったまま頷き、ショウタは私の説明を待っているようだ。
両親が二人とも不倫をしているなど、ショウタは知らない。幼い彼にはわからないかもしれないし、知らない方がいいと思う。私たちの家、南一家は崩壊していることを知らない。毎日帰りが遅いのは、両親の仕事が忙しいからだと信じているのだ。
「あれはね・・」
言ってしまいたい。仕事なんかじゃないのだと。
明日になれば、私もこの家にはいられなくなる。いつ帰ってくるかもわからない。ショウタには、私が消える前に全てを話してあげたい。
それでも・・。
「毎日疲れているんだから、あんたが支えてあげなさいよ」
言えない。
ショウタは不思議そうに私を見つめたまま動かない。何を言われているのか理解できていないのだろう。それも仕方ない。
シノブはショウタを助けるためにウソをついた。私を助けるためにウソをついた。
それならば・・。
私も、ショウタを助けるためにウソをつこう。未来あるショウタを壊さないために。
壊れた未来へ行くのは、私だけで十分だ。
その未来で、シノブがやってくるのを待つ。