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時の檻  作者: 島山 平
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第六章

                       1


 ある進展のきっかけとなった出来事は、十二日の木曜日、その放課後に起こった。

 ここでの「進展」とは、チカちゃんが亡くなった事件と、シノブが嫌がらせを受けていたことの両方に関してだった。それらが関係していたことに気づいたのは、少し経ってからだったが。

 生徒会の作業を終え、廊下を歩きながらチカちゃんの遺体が捨てられたことについて考えていた。彼女を轢いた「1953」のナンバー、それに関わる者を見つけるのが最も手っ取り早い。だが、それが最も遠い存在に感じていた。

 教室へ近づき、部屋の中の明かりが消えていることを確認していた頃だった。教室の後ろ側にある扉を開け、何も意識せずに教室へ入る。誰もいないと思っていた。

 だが、実際には一人の女子生徒がいた。

 それは小澤というクラスメイトで、それほど仲がいいわけではないし、その逆でもない。クラスの中でも、比較的大人しい部類の女子だった。その小澤さんが、屈んだ状態で机の引き出しを覗いていた。それだけならば問題ない。日常の風景である。

 だが、私の目が見開いたのは、その席が誰のものか気づいた時だった。

「あ・・」

 小澤さんは私以上に驚いているようで、酷く取り乱した顔をしている。彼女の右手がノートや教科書を掴んでいるが、おそらくはシノブの持ち物だろう。

「何してんの・・?」

「いや、あの・・」

 小澤さんは右腕をサッとお尻の後ろへ隠した。彼女の頭の中が猛スピードで回転している様子が目に浮かぶ。

「それ、どうする気なの?」

 小澤さんの狼狽を観察しながら、カバンに入れてある携帯電話を探す。相手に悟られないように、「何も気にしてないよ」という様子を装いながら。

「これ、わたしのだよ・・」

「なんで隠すの?」

 携帯電話を見つけ、小澤さんに一歩近づきながら取り出す。彼女の体がビクッと反応するのを楽しみながら、携帯電話の画面を点ける。待ち受け画面にあるカメラのボタンを押し、画面が切り替わると同時に顔の前に持ち上げた。

 「カシャッ」という音を発し、携帯電話は役目を終えた。小澤さんの青ざめた顔も写っただろうか。

「誰に言われたの?」

 どうせ三宅に脅されたのだろう、それを確信しながら尋ねる。

「いや、違うの・・。わたしは・・」

「大丈夫、誰にも言わないから。写真は撮ったけど」

 小澤さんに微笑みかけるが、彼女が安心する様子はなかった。

「それ、返した方がいいと思うよ」

 小澤さんが隠したものをアゴで指す。彼女のスカートが透明であれば、目で確認することもできただろう。

 小澤さんは素早くそれらを机に突っ込み、シノブの机の上に置いてあった彼女のカバンを手に取る。そのまま、逃げるように駆け出した。

「あのさ、三宅さんでしょう?」

 小澤さんの背中に声を掛け、彼女が振り返るのを待つ。質問の意味は伝わっただろうか。彼女に命令したのが三宅だとすれば、私の言おうとしていることもわかるはずだ。彼女は振り返らない代わりに、一度だけハッキリと頷いた。

 それを見ただけで、私には十分だった。

「バイバイ」

 私が声を掛けると同時に小澤さんが駆け出す。教室から勢いよく出ていく彼女を一瞥しながら、シノブの席に近づいた。


 十三日の金曜日、不吉なこの日に本当の進展があった。

 登校し、クラスメイトの様子を伺う。小澤さんの姿はない。シノブはまだ登校していないようだが、それは普段からだ。三宅は教室の後ろにいて、三人のクラスメイトとともに盛り上がっていた。

 昨日の放課後、この教室で目撃した驚くべき光景。一人になった教室で携帯電話を確認すると、小澤さんがシノブの席の側に立ち、何かを隠している様子がバッチリ写っていた。その表情は見事に青ざめていて、こっちが申し訳なくなるほどだった。

 小澤さんが、自分の意志であんなことをするとは思えない。そこには黒幕がいるはずで、それが三宅だということも確認済み。それならば、さっさとハッキリさせた方がいいだろう。

 立ち上がり、教室の後ろへ向かう。三宅たちに近づき、その中央にいる彼女を見つめる。

 三宅が煩わしそうな視線を送ってきて、私はアゴで廊下を示す。「ちょっとツラかせよ」というテロップが流れたかもしれない。彼女の反応を待たずに歩き出し、廊下へ出る。

 少し経ってから、三宅の「ちょっと」という言葉が聞こえ、彼女が歩き出すのを感じていた。

「何の用?」

 教室から離れ、廊下の隅に近づいたところで声を掛けられた。

「小澤さんに何やらせてんのよ」

 三宅は僅かに驚いた表情を見せたが、すぐに余裕のある笑顔に戻る。

「何言ってんのかわかんないんだけど」

「これ」

 手に持っていた携帯電話を持ち上げ、用意しておいた画面を見せる。そこには、昨日の放課後に撮影した小澤さんが写っていた。

「小澤がどうしたって?」

「これをやらせたの、あんたでしょ?」

「知らないわよ。ってか、小澤が何してるとこよ、これ」

 三宅はあくまで知らんぷりを突き通すようで、それならばこちらにも方法がある。

「こっちはどうしよっか」

 携帯電話の画面を操作し、三宅に向かって再び突き出す。そこには、三宅たちがシノブの持ち物を捨てている様子が写っている。

 画面を見た途端に三宅の表情が曇り、僅かな焦りの色が伺える。それもすぐに消え、ふてくされたような舌打ちが聞こえた。

「あんた、調子にノるのも程々にしとけよ・・」

 三宅はサッと背を向け、迷いのない足取りで教室へ向かっていった。

 それに若干面食らいながらも、今後、小澤さんに被害が出ないことを祈った。それと同時に、三宅からの復讐に備えなければならないことも自覚する。女子の復讐は限度を知らないのだ。

 昼休みに入っても、それまでは普段と変わりない生活だった。三宅からの復讐もなく、小澤さんは休みのようだった。教室の中は平和な日常が過ぎており、乱れているのは私だけかもしれない。

「ナミ」

 小さな声が聞こえ、その声の発信源を探す。

「ナミ」

 教室の入り口付近にシノブの姿を確認し、彼女に呼ばれていたことを理解する。不思議に思いながら席を立ち、シノブの側まで歩く。彼女の様子が普段と違うことに気づき、僅かに緊張している自分がいた。

「大丈夫・・?」

 廊下の壁際まで連れられ、シノブの心配そうな顔が目に入った。

「大丈夫だけど、なにが?」

 シノブは私を見たまま少し悩み、口元を隠しながら小声で教えてくれた。

「三年生の須藤さん、知ってる?」

 「知らない」という意思を込めて首を傾げる。

「三宅さんの彼氏なんだけど、ナミのこと気にしているみたい」

「気にしているってなに?」

 喜ぶのと嫌なもの、その両方が頭に浮かんでいた。

「狙ってる、って言えばいいかも」

 そう言ったシノブの目には心配するようなものが浮かんでいて、ようやく私にも理解できた。

「三宅さんがチクったわけね」

 私は、三宅の写っている画像を持っている。それを使って彼女の悪事を抑えようとしているのだが、三宅にはそれが不満なのだろう。年上の彼氏を使って、私に復讐しようとしているところまでは想像できた。非常に幼い感情が読み取れ、思わず苦笑いがこぼれる。

「たぶんね。ナミ、気をつけた方がいいよ。一人になっちゃダメ」

 シノブが心配してくれるのはありがたいが、私はそこまで深刻には捉えていなかった。今日は金曜日であり、明日からは学校が休みになる。そのうち、三宅の不満も薄れていくように感じたからだ。

「須藤さんって人、けっこう危ない人みたいだからさ」

 シノブの助言はありがたく受けとめておき、楽観的に構えていた。それが間違いだったと気づく時がくるなど、考えもしなかった。


                       2


 放課後になり、ようやく一週間が終わろうとしていた。

 生徒会の仕事を早めに切り上げ、一人で自宅へ向かうことにした。前日は体調が悪いと言って休んだため、私を引きとめようとする者はいなかった。その優しさに感謝しながら、嘘をついている罪悪感と戦う。仕事をサボるのが得意な人間は、こういった罪悪感を感じる器官の調子が悪いのかもしれない。

 校舎を出るところで、廊下の奥から誰かが歩いてくるのに気づいた。それが男子生徒であることは一目見てわかったものの、顔を見ても誰かわからない。同級生ですら、男子の顔は把握できていないのだ。

 私は下駄箱へ差し掛かるところだったため、それ以上は気にしなかった。靴を履き替え、夏の日差しが射し込んでいるガラスの扉へ近づいた。障害物もなくそれを通過し、熱気で満たされた空気を押しのけて進む。

 駐輪場までは、歩いて二分ほどの距離。

 昼休みにシノブから言われていた内容を思い出し、何気なく周囲を観察する。所々人影は見えるものの、私に興味を示している者はいない。普段と変わりない、のん気な高校生活である。

 駐輪場へ入る直前。

 突然、背後からザッザッという足音が聞こえてきた。僅かに緊張しながら振り返ると、すぐ真後ろに男子生徒が近づいていた。慌てて顔を確認すると、先程下駄箱付近で見た男子のようだ。綺麗な顔をしているが、安心して近寄りたいとは思えない雰囲気を醸し出している。

 「何ですか?」という一言を発する間もなく、腕を掴まれて引っ張られる。そのまま、駐輪場付近に設置されているトイレへ連れて行かれる。

「ちょっと・・!」

 必死に腕を振り払い、掴まれていた部分を押さえる。いまでもまだ掴まれていた時の感覚が残っている。青アザになったらどうするんだ、そんな文句を言う前に男の腕が伸びてきた。

「こい」

 男の口から出たのはその一言だけで、私の体は建物の中へ連れ込まれた。身の危険は十分に感じているのだが、大声を出して抵抗することができない。学校の敷地内で、面倒な騒ぎを起こしたくないという思いが働いたのかもしれない。

 汚いトイレの中へ連れ込まれ、男が進んだのは女子トイレ側だった。そのまま突き飛ばされ、個室の一つに押し込まれる。

「なんなんですか!」

「携帯、出せ」

 男は無表情で言うが、その奥にはほくそ笑むような醜さが潜んでいた。トイレの汚さ以上に、その男の様子を不快に感じる。

 それでも、これが誰の意図したものなのかは理解できた。

「大声出しますよ?」

「出せるもんならな」

 男はそう言って、私の胸ぐらを掴んで首元を締めつける。恐怖と苦しさに耐えながら、この男の名前を思い出そうとしていた。シノブとの会話で、彼女は何と言っていたか。

 確か・・。

「須藤・・さん、ですよね?」

 息が苦しく、絞り出すような声になった。目の前にある男の顔が僅かに驚いたように変化し、首の締めつけが緩む。

「知ってんのか」

 須藤は面白がるように言い、「わりぃな」という言葉が耳に入った。

「あいつから頼まれてんだわ。携帯、出してくんね?」

 とりあえずは危害を加えられる心配がなくなり、ホッとしている自分がいる。それでも、おめおめと携帯電話を渡す気にはなれなかった。

「三宅さんのしたこと、知ってるんですか?」

 首を擦りながら尋ねると、呆れたように須藤が言う。

「俺には関係ねぇしな。あいつの機嫌を取れるんなら、他はどうでもいい」

 男のくせに、三宅の下僕にでも成り下がっているのか。そんな不満が頭に浮かび、心の中でまき散らす。

「さっさと携帯を出してくんねぇと、こっちも面倒なんだよな」

「二人とも、後でどうなるかわかっているんですか?」

「あぁ。だからあんたの行動次第では、こっちもそれなりのことをだな」

 話しながら笑い出し、須藤が私に近づく。伸ばした右手で髪をわしづかみにされ、空いた左手でスカートの上から腰を触られる。そこにイヤらしさはなく、単に携帯電話を探しているのだと伝わってきた。女子は携帯電話をスカートのポケットには入れない。男の須藤には、そんな想像もできないのだろう。

「どこだ? カバンか?」

 須藤が私の髪から手を離し、近くに落ちているカバンの側へ屈む。

「ホントにやめてもらえませんか?」

 怒りが恐怖を上回り、危害を加えられるという心配が一瞬だけ吹き飛んだ。須藤の手を叩き、落ちているカバンに手を伸ばす。

 それと同時だった。

 胸ぐらをもの凄い力で掴まれ、体ごと壁に押し当てられる。背中と後頭部を打ちつけ、言葉にならない音が喉から飛び出した。

「あんまり調子ノんなって。黙って携帯を出しゃあいいんだよ」

 ドスの利いた声、とでもいうのだろうか。心臓を直接わしづかみにされたように、腹の底から嫌な感じが沸き上がってくる。とんでもない失敗をしてしまった時の、全身に広がる絶望感を思い出した。

 諦めて携帯電話を差し出すしかないかと考えた時、しびれを切らしたように須藤が舌打ちをした。その目からは感情が失われ、力づくで首を絞められる。

 マズい・・、本気にさせてしまった。

 視界が悪くなりながら後悔していると、乱暴に体を横に突き飛ばされた。それ以上は襲われない。その代わりに、須藤は私のカバンを漁っていた。溢れ出る咳に身を委ね、正常に開かない目でその様子を伺っていた。

 やがて周防は携帯電話を見つけ、画面を操作し始めた。携帯電話には暗証番号のロックを掛けてある。須藤にその番号がわかるはずもなく、何度か試した後に諦めたようだ。私を強く睨み、すぐに携帯電話をひっくり返した。そのまま乱暴に力を込め、中に入っているチップを取り出しているようだ。確かに、それをされたら全てのデータがなくなってしまう。

 それを防ぐこともできず、咳をしながら涙で歪んだ視界を覗く。

 須藤は仕事を終えたようで、私の携帯電話を便器の中へ投げ捨てた。ショックと怒りで動けずにいると、屈んでいる須藤の右手が伸びてくる。喉を押さえながら後退し、必死に逃れようとする。それも無駄な抵抗に終わり、二分後には上半身を裸にされていた。下半身には、かろうじて下着を身に着けている。

 須藤は満足そうに私を見下ろし、携帯電話を目の前に構えた。その直後にカシャリという音が聞こえ、私の姿を撮影したのだと理解できた。これでは、完全に立場が逆になってしまった。

 須藤は「またな」とだけ言って立ち去り、トイレの中には半裸の私一人が残された。入り口の扉がバタンという音を立てて閉まるのを聞き、大きなため息が漏れた。体中から汗が吹き出し、自分がどれだけ怯えていたのか自覚させられる。これまで必死に強がっていた分なのか、無意識に涙がこぼれ始める。

 嗚咽しながら落ちているシャツを拾う。汚れを気にしつつも、急いで着るしかない。必死に下着の紐に腕を通す。震える手でシャツのボタンをとめるのにも苦労した。

 落ちているカバンを持ち上げるが、底に付着した汚れを取り払うこともできない。震える脚に鞭を打ち、必死に個室の外へ向かう。洗面所の鏡で身分の顔を見て、表面上は怪我がないことを確認した。水を出して手を洗っていると、思い出したように涙がぶり返し、鏡から目を逸らさずにはいられなかった。

 何故、私がこんな目に遭わなければならないのか。やり方は賢くなかったかもしれないが、やろうとしていることは間違っていない。それは確信している。

 それでも、世界は、学校は、正しいことが軸になっているわけではないのだ。それも、十分にわかっていたはずなのに。


                        3


 十六日の月曜日、学校へ登校することに決めた。

 心配していることもあるし、恐怖も感じている。それでも、ここで逃げることはできないのだ。土曜の夜、相談に乗ってくれたシノブから勇気をもらっていた。

 須藤から襲われた金曜の夜は、誰にも言うことができなかった。自宅で怯えるようにシャワーを浴び、早い時間に布団へ潜り込んだ。その中で思い出すのは、須藤の迷いのない悪意と、それに歯が立たなかった自分の弱さ。弱い正義では、何も変えられないことを認めざるを得なかった。

 その翌日の土曜日、思いきってシノブに相談することにした。信頼できるのは彼女だけであり、話を聞いてもらうだけでも救われる気がしたのだ。シノブは電話の向こうで泣いているのか、嗚咽が聞こえてきた。その時の私は、表面上は冷静で、シノブとの会話を成立させるのに支障はなかった。それでも、彼女が自分のために涙を流してくれるのはありがたかった。

 誰に何をされたのか伝え、どうすべきか話し合った。

 一つは、全てを公表し、三宅と須藤を罰するということ。それでも、うまくいかない可能性だってある。私の記憶以外、どこにも証拠はないのだから。それに、須藤に撮られた写真も気になる。全裸ではないのが救いだが、誰かに見られていいとはとても思えないものだ。

 他にも、やられたことをそのままやり返すというのも考えた。それでも、自分たちにそれを実行できるかと問われれば、とてもじゃないが不可能だ。腕力も行動力も、私には悪のセンスがないのだ。

 その他の可能性は、浮上する度に撃墜された。撃墜したのは私なのだが。結局、シノブに慰められただけで電話を終えた。それでも、電話をする前と比べたら、気分には雲泥の差がある。心にのしかかる重圧が、月面にいるかのように軽くなっていた。

 電話を切る時、シノブの口から出た「なんとかするから」という言葉。それに頼る気はないが、何かしらの助けを願って、月曜の朝を迎えることにした。

 また、一つだけ望む方向へ進展したことがある。

 シノブから、日本車の車種をまとめてあるサイトを教えてもらった。犯人の所有する車が外車であれば、素人の私に見分けることができないと判断したのだろう。シノブの指示で、日本車に限定して調べることにした。日曜日の朝からパソコンとにらみ合い、目撃したシルバーの車を探すことにした。それでも、ほとんどの車はシルバーの塗装を選択できるようで、簡単には見分けられなかった。

 だが、いくつかの候補の中で、私が「これかも」と思えるものを見つけた。その車は「レクサス」という車種で、車体がイメージに近いように感じた。そこで、とりあえずは私の目撃した車を「銀色のレクサス」と認識することにした。日曜日の午前中、一瞬だけ進展した喜びを味わうことができた。

 月曜日、登校してみると、教室の中は先週と変わりがなかった。ほとんどの生徒はのん気にテストに関する話をしているし、三宅は他の女子生徒と会話をしている。彼女の自信過剰な笑顔も普段と変わりがない。

 だが、全てが先週と同じであるはずがない。須藤によって撮影された私の写真は、三宅の元にも届いているだろう。それを見て二人でほくそ笑み、私の貧相な体をバカにしているかもしれない。

 許せない。

 本当に復讐してやろうかという気が、炭酸水の気泡のように浮かんでくる。それを破裂させることなく、衝撃を与えないように受け流す。じっくりと時間を掛け、巨大な気泡を形成していく。いつか、その破裂の衝撃でやつらを粉々にしてしまえるように。

 朝のホームルームまでの時間をやり過ごしていると、教室の後ろから男が入ってくるのに気づいた。私の席は窓際の一番後ろにあるため、右目の視界の端にその人物が映っていた。

 私が不愉快になったのは必然だ。

 その男が、須藤だったからである。

 おそらく、三宅と示し合わせていたのだろう。私の前に姿を現すことで、間接的に精神的ダメージを与えようという計算のはずだ。その効果は抜群で、私の脳裏には金曜日の光景が蘇っている。

 須藤は調子のいい声で何かを呟き、三宅が歓迎している。彼女の周りにいる女子生徒は須藤を見て、憧れの芸能人と出会ったかのような目をしている。三宅の年上の恋人、その存在に見とれているのだろうか。彼の愚かな人間性を知らず、外見に見事に騙されている形だ。彼女たちは愚かだが、社会性は抜群なのかもしれない。

 須藤が女子生徒三人に近づき、他のクラスメイトも興味深そうに四人を観察している。須藤が三年生であることを知っているのか、誰も話し掛けようとはしていない。教室の後ろにいる四人だけが、別の空間軸に生きる者たちのように異質に輝いている。その輝きに魅力は感じなかったが。

 シノブには、須藤から受けた被害のことを話してある。そのシノブは教室の前方にいて、煩わしそうに四人を睨みつけている。その中に憎しみの感情を感じ、彼女が大胆な行動を起こさないことを願っていた。

 四人の会話が耳に届く。

 中身のない、下敷きにこびりついたホコリのような掛け合い。きっと、漂白剤によって内容が落ちてしまったのだろう。漂白剤を使ったのはもちろん、四人の頭の中が薄汚れていたからだと思われる。

 それでも、耳に入ってくる須藤の言葉が、私の前頭葉を刺激した。「マーニさんのレクサス」という呪文のような一言。それに対する三宅の返事は「いい加減見せてよ」というゴミくずみたいなハ短調。

 私の頭の中に浮かんだのは、数日前に見たロックを虐めていた二人組、彼らが乗っていた車だった。それに感化されるように、田んぼ道で目撃した少女を連れ去る銀色のレクサスが舞台に登場する。ロックを虐めていたのは二人組で、そのうちの一人はうちの高校の男子生徒。私に非人道的な危害を加えたのは、うちの高校の男子生徒である須藤。

 それらが、根拠のない鎖で結ばれる。決して千切れることのない、ステンレス鋼で作られているかのような結びつき。

 右耳に神経を集中し、四人の会話を満遍なく拾う。そのほとんどが不愉快なものでも、耳を塞ぐことはできなかった。

 「見せてやるよ」という、須藤の自慢げな一言。

 「はやくはやくぅ」という、三宅の返事。発情期の猫のような不協和音が響く。

 「うわぁ! ヤッバァ!」これも、三宅の猫なで声。

 決意する。

 おそらくは、携帯電話の画像を見せているのだろう。それを見て、女子生徒三人が誉め称えている。気色悪いが、ここが重要なポイントであるに違いない。

 立ち上がる。

 国王の独断政権に反乱を起こすように、味方のいない戦いを始めなければならない。いや、味方は一人だけいるのか。シノブを見ながら歩き出し、気色悪い四人組へ近づいた。

「あの」

 私が近づいていることに気づいていたのだろう、須藤がバカにするような笑顔を向けてきている。

「その写真、私にも見せてくれませんか?」

 一瞬だけ、空間に沈黙が登場する。

 それを吹き飛ばすかのような、三宅の粘っこい発声練習。

「いいんじゃない? 見せてあげなよ」

 須藤を見ながら、卑下するような口調で私に言う。それを見て須藤も笑い、控えめな様子を装って携帯電話の画面を向けてきた。

 そこに映っていたのは、銀色の車体を斜め後ろから撮影した一枚だった。人間は写っておらず、一台のレクサスが存在しているだけ。だが、私にはそれだけで十分だった。車の後ろのナンバーが写っていたからだ。「1953」というナンバーが。

「ありがとうございました。かっこいいですね」

 必死に笑顔を作り、携帯電話から顔を離す。深々と頭を下げ、四人が集まっている席から逃げるように歩き出す。まるで公衆便所につれ込まれた時のような不快感が薄れてゆき、心には次第に太陽の光が射し込んでくる。

 これで、全てが繋がった。

 憎むべき相手、復讐すべき相手、罰すべき相手。「マーニさん」という、悪の権化はどこに存在しているのだろうか。

 私が自分の席に着くと同時に、離れた席に座っていたシノブが立ち上がった。おそらく、私に説明を求めるのだろう。何のために、自分に危害を加えた者と接触したのかを。彼女の席までは、私たちの会話は届いていなかった可能性が高い。

「何を話してたの?」

 疑問と不安の混ざり合った表情で、シノブが私を見下ろしている。彼女の顔を見上げながら、私はタンポポのように軽やかな心で返事をする。

「あいつらだ。チカちゃんを殺したのは」

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