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時の檻  作者: 島山 平
3/9

第三章

                        1


 事態が大きく動いた。

 十七日の火曜日になった朝、僕たちが集団登校をしている間の出来事だったと思う。それを知ったのは、学校に登校した後のこと。

 僕たちは集団登校をして、その中にはシンジもいた。昨日、教室で助けてもらい、シンジとは仲直りができた。酷い冗談を言ったことは謝ったし、シンジの方からも、「意地になってごめん」って言われた。これで、普段通りの生活ができると思う。

 それでも、僕たちが学校へ到着すると、建物の中は慌ただしかった。先生たちの声がよく聞こえるし、僕たちは教室で待機させられた。教室の中には半分以上のクラスメイトがいるけど、楽しそうな話題はない。話している子たちは不安そうに、適当なことを口にしている。

 そのうち、体育の先生が教室に入ってきて、僕たちは会話をすることすら許されなくなった。どうして担任の先生ではなく体育の先生なのか、それを考えた結果、担任の先生は忙しいのだとわかった。

 つまり、僕たちのクラスの、チカちゃんが関係しているのだ。だからそれは、チカちゃんを轢いた「1953」の車が見つかったということに違いない。

 体育の先生が教室に入ってきてから約五分後、学校の放送が流れてきた。その内容を簡単にまとめると、「いまから全校集会を行います」というもの。それだけの内容を、おじいちゃんの声をした先生が長々と放送してくれた。

 僕たちはゾロゾロと移動を始め、全員で体育館へ向かう。その頃には、登校が遅かった他の子も教室に到着していたのだ。

 普段と同じように体育館に座らされ、集合までの時間を測定されているのかもしれない。いつも、先生たちから注意を受けるのだ。ようやく話が始まるという頃になって、担任の先生が体育館の端にいることに気づいた。先生の姿を眺めていたけど、普段と変わった様子はない。

 「チカちゃんを轢いた車が見つかった」その発表を首を長くして待っていた。それでも、校長先生の口から伝えられた内容は僕の予想とは違っていた。長い話を要約すると、こうなる。「チカちゃんは交通事故で亡くなった。その事故を起こした人物は見つかって、いまは警察に逮捕されている」というもの。

 僕の予想は車が見つかるというところまでで、まさか犯人が逮捕されているとは考えていなかった。

 ナミの話では、チカちゃんを轢いた車のナンバーは「1953」。さらに、その運転手はそのうち捕まる、というもの。この状況は全て、ナミの言った通りになっている。いまとなってはそこまで驚かないけど、犯人が逮捕されたところには驚いた。

 このタイミングで全校集会が行なわれたのだから、運転手を逮捕したという連絡が入ってきたのは、ついさっきなのだと思う。もっと早く、たとえば夜中のうちとかであれば、僕たちが普段と同じように登校することもなかったように思えるからだ。

 校長先生の話が終わると、「交通事故に気をつけるように」というおなじみの連絡があった。チカちゃんのことがあったから当然だとも思うけど、僕の頭の中はそんなことに注意している場合ではなかった。

 ここまで、ナミの言う通りの状況が起こっている。彼女は未来でこの状況を見てきたのだから当然だとする。それでも、ナミの予言は他にも残っているのだ。

 「多田くんが殺される」というもの。

 これが本当だとすれば、僕はどうすべきだろうか。

 クラス毎に教室へ向かわされている途中、僕は周囲をチラッと覗いていた。見える範囲に多田くんはいないけど、彼と話した方がいいような気がする。きっと、多田くんが殺されてしまうのは、彼が事件の捜査をしているからだ。でも、チカちゃんを轢いた犯人は捕まっている。それなら、多田くんは誰に殺されてしまうのだろう。

 教室へ入りながら、僕はナミの正体を掴みたくてたまらなかった。


 多田くんとじっくりと話をする機会は、意外と早く訪れた。

 お昼休み、僕はシンジと二人で過ごしていた。教室の中にはクラスメイトがたくさんいるけど、僕たちの周りにはほとんどいなかった。

 チカちゃんが見つかって、死んでしまっていた。事故を起こした犯人は捕まっているから、これ以上の事件は起きない。シンジは普通の子だから、そう信じている。チカちゃんを失った悲しみはあるだろうけど、これ以上の心配をしている様子はない。

 それでも、僕は多田くんの様子が気になって仕方がなかった。さっきからチラチラ眺めているんだけど、取り巻きの二人と話をしているだけ。特に普段と違う様子はなかった。

 シンジは「トイレにいく」と言って立ち上がり、一人で教室を出ていってしまった。取り残された僕には居場所がなく、仕方なく教室の掲示板を見ている振りをしていた。

 そんな時だった。

 誰かの足音が聞こえると思っていたら、左肩を強く叩かれた。僕が慌てて顔を上げると、そこには多田くんが一人で立っていて、僕を睨むように見下ろしている。

「なに?」

「前に言ってただろ」

「なんの話?」

「車のナンバーだよ」

 多田くんは僕の隣で立ちどまったまま、抑え気味の声で話している。それにつられて僕の声のボリュームも小さくしたから、周りからは目立っていないと思う。

「1953だってさ」

 多田くんは声のボリュームを変えずに言った。彼に変化はないけど、僕の動揺は激しかった。一瞬だけ、僕の目が見開いてしまったと思う。

 それを見逃さなかったのか、多田くんが僕の肩に手を伸ばし、シャツを思いっきり掴んだ。

「知ってたんだな・・!」

 さっきまでとは全く違う、敵意をむき出しにした多田くんがいた。

「いや、だから・・」

「どうして知ってたんだ! どうして何も言わなかった!」

 目の前で怒鳴られ、恐怖で体が動かない。頭の上からセメントをかけられたみたいに、体は僕の意思を受け入れようとはしてくれなかった。

「お前、丸岡に何をしたんだ」

 一段と低い声で言われ、思わず目を逸らしてしまった。

 それがいけなかった。

 多田くんの左手が僕の首元に伸びて、そのまま胸ぐらを掴まれた。

「絶対に許さねぇ・・」

 血走った目をした多田くんが、僕にキスできそうな距離にいる。生暖かい息が顔にかかるくらい僕に接近していた。

「放課後、雑草広場にこい・・。絶対だぞ!」

 そう言い残して多田くんは僕から離れ、少し経ってから教室にシンジが入ってきた。シンジの顔は相変わらず悲しそうで、本来なら僕もそうなるはずだった。

 それでも、いまの僕には恐怖の方が大きかった。


                       2


「どうしよう、行かなくちゃダメかな・・」

 集団下校を終えて、公園にいたナミに相談してみた。ちなみに、集団下校は今日で終わるらしい。午後四時を回ったくらいなのに、ナミはすでに公園にいた。これまでだってそうだけど、未来の高校生はちゃんと勉強をしているのか不思議だった。

「ショウタくんはどうしたいの? 逃げ出したい?」

 ナミはブランコに揺れながら、僕に微笑むように言った。

「だって、何されるかわかんないし。刑事さんに捕まえられるかもしれないんだよ・・?」

 僕の言葉に、ナミは笑って返事をする。

「ショウタくんは何もしていないんだから、逮捕される理由がないじゃない」

「でも、多田くんは僕のこと疑ってる。何か関係しているんじゃないかって」

「無関係でしょう? 大丈夫じゃない」

 ナミは当たり前という顔で言って、何だか僕もそうじゃないかと思えてきた。チカちゃんの事件のことはナミから聞いただけ。誰かから話を聞いただけで逮捕されるなんて、どのニュースでも聞いたことはなかった。

「それでも、行くのヤだなぁ・・」

「一緒に行ってあげようか?」

 ナミの言葉が耳に飛び込んできて、思わず飛び上がるように顔を上げてしまった。僕の顔には、きっと喜びの色が浮いているはずで、ナミは可笑しそうに笑った。

「一緒に行って欲しい?」

 ナミがからかうように言い、僕は黙って頷いた。ナミが冗談を言ったのかもしれないという不安が生まれ、怖くて顔を上げられなかった。

「いいよ、行こう」

 今度はゆっくりと顔を上げ、ナミの表情を伺う。嘘なんてついていない笑顔で、ナミは揺れるブランコに座っている。

 雑草広場まで一緒に行ってもらえることが嬉しくて、肩の荷が下りたという感覚を味わった。大人は、毎日こんな思いをしているのかもしれない。

「すぐに向かった方がいいんじゃない?」

 ナミがそう言うのはもっともで、集団下校を終えてから、すでに十分以上が経っていた。ここから雑草広場まで自転車で二十分は掛かるし、多田くんはもうすでに待っているかもしれない。彼を待たせるのは気にしないけど、それによってイヤな結果になるのは勘弁だ。

 僕はそう思って、自転車を取りにいくために立ち上がった。

「ナミは? どうやって行くの?」

 ナミが自転車に乗っているシーンを見たことがない。だって、ナミは未来からきたのだ。こっちに自転車なんて置いているはずがないと思う。

「わたしは直接行けるから大丈夫よ」

 「直接行く」というのは、ワープみたいなことだろうか。ナミが突然消えてしまう瞬間に立ち会ったし、彼女なら可能な気がした。

「それじゃあ、雑草広場に集合ね!」

 ナミの笑顔を見ながら駆け出し、公園の目の前にある自宅へ向かう。まだ少し怖いけど、ナミが一緒なら大丈夫ではないかと思えた。

 不思議な安心感に包まれながら、僕は公園の階段を駆け下りた。


 雑草広場の側へ近づくと、入り口の辺りに自転車が停められているのに気づいた。覚えはなかったけど、多田くんのものと想像できる。学校のテストよりも簡単な問題だ。

 僕は自転車のスピードを緩めながら、広場の中を覗いていた。広場の周囲はフェンスで囲まれているはずだけど、いまは草や樹に隠れて見えない。所々に現れる隙間から中の様子を伺っても、緑色の景色が見えるだけだった。

 入り口が目の前に迫り、青色のマウンテンバイクを確認する。でも、それ以外の自転車はない。ナミはまだ到着していないのか、それともワープしているのか。

 多田くんの自転車の隣に僕のものを停め、今回も鍵は掛けなかった。いざという時に、サッと逃げ出すためだ。入り口から中へ入り、右手の奥にある小屋を眺める。きっと、多田くんはあの中にいる。僕を呼んでおいて、歓迎しようって気はないのか。

 それも当たり前かと思い、歩き出そうとする。

 その時。

「ショウタくん」

 背後から小さな声が聞こえ、僕は慌てて振り返った。

 そこにはナミがいて、入り口から顔だけを覗かせている状態だった。女の人の声が聞こえていたけど、それがナミのものだと思うと安心した。

「いつの間に? いま?」

 駆け足で戻り、ナミの側で立ちどまる。

「多田くんはどこ?」

「たぶん、あの小屋」

 僕が指差した方を見て、ナミは真剣な顔で頷いた。ナミのいる未来では、この広場が雑草だらけではないと言っていた。あのボロボロの小屋も、もしかすると取り壊されていたりするのだろうか。

「一緒に行ってくれる?」

 僕が尋ねると、ナミはゆっくりと首を横に振った。「否定」の意味だと思うけど、ナミの言葉を待っていた。

「さすがに、わたしが小屋へ近づくのは危ないんじゃないかな」

「小屋の中で酷いことされたらどうしよう・・」

「わたしはここにいるから、何かあったら大声を出して。すぐに助けにいくわ」

「刑事さんがいたら?」

 僕は泣きそうになって、何とかしてナミについてきてもらう方法はないかと必死に考えた。

「ショウタくんには逮捕されるような理由がない。さっきも言ったでしょう?」

 ナミは優しく微笑み、僕の頭に右手を乗せた。

「怖かったら、小屋へ入る前に様子を見てみたら? 中から音が聞こえないか、とかさ」

 小屋を見ると、壁に窓があるようには思えない。見えているのは二面だけだから、裏面にはあるかもしれない。ナミの言うように、外から聞き耳を立てようと決めた。静かに近づけば、中にいる多田くんからはバレないような気がする。

「それじゃあ、いってくるね・・」

 いまにも逃げ出しそうだったけど、近くにはナミがいる。かっこ悪いところを見られるわけにはいかず、心を決めて歩き始めた。

 ここでチカちゃんが発見されたのは、先週の木曜日。刑事さんたちの捜査は終わっているみたいだから、僕がここにいた証拠は残っても問題ないと思う。

 静かに歩き、二十メートルくらい先にある小屋へ向かう。

 少しずつ小屋の様子がよく見えるようになる。見れば見るほどボロボロだ。僕から見えるのは、扉のある一面と、僕から見て右にある側面。反対側の側面と裏面は、角度的に見えていない。そのどちらかに窓があって、中を覗けることを期待していた。

 いよいよ小屋へ到着するというところで僕は振り返った。広場の入り口にいるはずのナミを確認するためだ。

 そこにはちゃんとナミがいて、僕に向かって手を振っている。遠いから表情は見えないけど、きっと僕を心配して優しい顔をしていると思う。

 前を向き、足音を立てないように注意しながら小屋の裏側へ向かう。小屋の周囲には雑草が少なく、整備されていない地面が見えている。その砂の上を踏みながら、一歩ずつ慎重に進む。足音はほとんどしない。小屋の中にいる多田くんにも聞こえていないと思うと、少しだけ気が楽になった。

 僕から見て右に進み、小屋の裏側へ回る。小屋の裏側の壁には窓があることに気づき、ホッと胸を撫で下ろす気分だった。

 窓は僕の顔よりも少し高い位置にあって、見上げる形になった。どうしようかと悩んでいると、壁際にバケツが一つ放置されているのに気づいた。中を覗くと空だったけど、汚れが酷かった。土の塊みたいなものがこびりついているし、虫が数匹うごめいていた。

 裏返して乗ってやろうと思い、そうっと手を伸ばす。

 汚れが気になったけど、雑に扱ったら音がするような気がする。これから起こることの恐怖とバケツの汚さ、それらが胸に張りついて、思わず吐き気がしそうになった。

 それでも慎重にバケツをひっくり返し、窓の真下に配置する。左右を確認してから足を上げ、バケツの上にゆっくりと体重を掛けていった。元は青かったはずのバケツがギシッという悲鳴を上げたけど、それ以上の叫びはなさそうだった。

 バケツの上に両足を着け、窓の手すりに顔を近づける。窓にはすりガラスがはめられていて、中の様子はハッキリとは見えない。何となく、窓や手すりに触らないよう注意した。指紋をつけたらマズいのではないか、そんな気持ちがあった。

 しばらくじっと見ていたけど、中にいる多田くんの姿は確認できなかった。何かが動いてくれれば、人がいることを確認できたのだけど。

 仕方なく諦め、バケツから下りる。

 動き出す決心がつかず、その場でジッと固まっていた。小屋へ入らなくちゃダメだろうかと悩んでいると、中から音が聞こえたような気がした。僕の心臓は一瞬で縮み上がり、前身に鳥肌が広がる。

 しばらく待っていても、それ以上の音は聞こえなかった。

 いまの音は何だったのだろう。中にいる多田くんが動いた音なのかと思ったけど、僕の耳には「ガタン」ではなく「バタン」に聞こえた。何かが床に倒れた音かもしれない。いまは何の音も聞こえず、僕は小屋の裏面を見つめていた。

 それでも、意を決して小屋へ入ることに決めた。ナミの優しい言葉が、頭の中に浮かんだからだ。

 歩いてきたのと同じ道、僕から見て左向きに小屋を回ることにした。一秒でも早く、遠くにいるナミの姿を視界に入れたかったからだ。小屋の側面へ出ると、広場の入り口にいるナミが見えた。さっきと同じで高校の制服を着たまま、入り口の門から顔だけを出している。

 ナミから勇気をもらったような気がして、僕は小屋の正面に回った。雑草の少ない地面を進み、目の前に小屋の扉を捉える。この中に、多田くんがいるはずだ。大きくため息を吐いて、自分の決意を強く握りしめる。それを落とさないように、もう一度だけ、ナミの姿を確認しようと思った。

 顔を時計周りに回転させ、広場の入り口付近を確認する。

 でも、そこにナミの姿はなかった。

 たまたまトイレにでも行っているのかもしれないけど、こんな大切な時にいなくなってしまうなんて。僕はガッカリした気持ちを取り払えず、でも、そのおかげで覚悟ができた。右手を上げ、ボロボロの扉をノックする。

「多田くん、きたよ」

 中からの返事を待っていたけど、多田くんはおろか、誰の声も聞こえない。もしかすると、僕を驚かせるために多田くんは隠れているのかもしれない。そう思うと悔しくて、勇気を出して扉の取手を掴んでやった。どこにでもあるような、回転して引っ張るだけの取手。

 それでも、引っ張っても扉は開かなかった。何度も力を加えても、何かに引っ掛かったようにガチャガチャ音がするだけ。鍵が掛かっているような感覚で、それは中にいる多田くんの仕業に思えた。

「多田くん! 開けてよ!」

 中からの返事はない。

「何してるのさ! ふざけてるなら帰るよ!」

 僕が大声でそう言うと、ようやく、小屋の中から音が聞こえた。何かが移動するような、人の足音のようにも感じられた。僕が一歩下がって身構えていると、ギシギシという音とともに扉に動きがあった。

 すぐにガチャリという音がして、目の前の扉がゆっくりと開き始める。

「多田くん、なん・・」

 隙間から中を覗いていた僕の目に、ありえない人物が映った。僕が言葉を失い、その場に固まっていると、その人物のフフッという笑い声。

「驚いた?」

 ナミだった。

 僕は慌てて顔を右に向け、入り口付近を目で追う。そこには、誰の姿もなかった。

「なんで・・?」

「ここにいるのかって?」

 ナミは笑っていて、楽しそうに口元を隠している。ナミの服装は高校の制服で、それはさっきまでと変わらない。長い髪の毛はナミの笑いとともに揺れているし、スラッとした脚も地面まで伸びている。

「だって、さっきまで・・」

 僕が右手で広場の入り口を指し、「あそこにいたじゃないか」という意思を送る。いまは誰もいない入り口を見て、ナミは満足そうに笑う。

「わたし、一瞬で移動できるのよ。知ってるでしょう?」

「でも・・。えぇ・・?」

 上手く言葉にできず、この驚きをどうすればいいのかわからなかった。それでも、いまの状況を考え、小屋の中の様子が気になった。

「多田くんは?」

 僕の問いに黙って頷き、ナミが一歩下がった。

「自分の目で確認してみて」

 恐る恐る足を踏み出し、小屋の中の様子を伺う。電気は点いておらず、狭い入り口に顔を差し込む。

 小屋の中は六畳くらいの広さで、それは僕の部屋と同じようなものだった。すぐ近くにはナミが立っていて、多田くんがいるとすれば奥だと思った。だから僕はその辺りに目を凝らしていたけど、何も動きはない。

 少しずつ目が慣れてきて、小屋の中に体ごと入る。

 暗くてよく見えないけど、奥には何かの道具が置かれているように思えた。それと同時に、床に置かれている何かが目に入った。最初はわからなかったけど、暗闇に慣れた僕の目が、その正体を脳に伝えた。

「うわ!」

 体が宙に浮き、後ろにいたナミにぶつかる。

 床に倒れているのは多田くんなのだ。うつ伏せで、ピクリとも動かずに倒れている。

「多田くん!」

 僕はその場で呼び掛け、彼が起き上がるのを待った。それでも、何の反応もないまま三秒が経過した。

「ナミ! 多田くんはどうしたのさ!」

「死んじゃったよ」

 言葉が出なかったのは、僕のせいじゃない。

「なに言ってるの・・?」

「多田くんは、死んじゃったのよ」

 顔だけで振り返り、ナミを見上げる。

 そこには普段と変わらない、一人の女性が立っていた。それなのに、ナミの口から出た言葉が、僕の脳には届かなかった。この辺りの重力が強すぎて、届く前に落ちてしまったみたいだ。

「死んじゃったって・・」

「触ってごらん」

 ナミが歩き出し、僕の横を通り過ぎる。彼女の柔らかい香りがしたけど、全く落ち着かない。多田くんの隣に屈んだナミは、僕を見て手招きをしていた。

「ヤだよ・・」

「多田くん、死んじゃってるね」

「ヤだって!」

 いまにも逃げ出しそうだったけど、それすらもできなかった。本当に、この小屋の重力は異常なのかもしれない。両足が、ピクリとも地面から離れないのだ。

「もう助からないと思う」

 ナミは悲しそうに呟き、両手を顔の前で合わせた。お祈りみたいな、お墓に向かってするような仕草で、僕はどうしても受け入れられなかった。

「そうか・・。救急車、救急車だ!」

 近くに電話はあるだろうか。こんな誰もいないようなところに、公衆電話があるとも思えない。財布は持ってきただろうか。何番に電話を掛ければいいのだったか。

 頭の中は忙しく動き回るのに、足はピクリとも動かない。多田くんに引っ張られるのと、小屋から逃げ出そうとする力。その両方が釣り合って、結局はこの場から動けずにいた。

「多田くん、頭を殴られているみたいね」

 ナミはそう言いながら立ち上がり、僕に近づいてきた。キレイな動きで僕の左腕を取り、彼女の力で僕は動き出す。まるで、磁石に引っ張られるみたいに。多田くんの側で立ちどまり、倒れている彼を見下ろす。

 顔は奥の壁を向いていて、表情は見えない。それでも、きっと苦しそうな顔をしているはずで、見えなくてよかったと思ってしまった。

「触ってごらん」

 ナミは僕の手を掴みながら屈み、強制的に多田くんに触れさせられた。とてもそんなことはしたくないし、恐ろしいけど、断る力も残っていなかった。

 倒れている多田くんの体はまだ温かく、生きているようにも思えた。それでも、近くで見ると確かに頭から血が流れていて、ピクリとも動きはない。動き出す予定もなさそうだった。

「どうして、こんな・・」

「わたしも着いたばかりだから」

「着いた?」

 ナミの言葉がわからず、外国語を聞いているみたいだった。

「未来から、ここへきたの」

 それ以上の説明はなく、ナミは多田くんに向かって頭を下げていた。まるで、謝罪をしているみたいだった。


                      3


 小屋の中で多田くんを見つけた後、まだ僕を驚かす出来事が起きた。

 ナミが姿を消し、気づいた時には広場の入り口にいたのだ。その時の様子は、いつまでも忘れられないと思う。

 倒れている多田くんに触れても、彼が生きているのかわからなかった。頭から血を流しているし、よく観察してみれば、彼の首には何かで締められたような線があった。

「これ、どうしたんだろう・・」

「首を締められた痕かしらね」

 ナミは顔を近づけて確認しているけど、さすがに触ろうとはしなかった。それは僕だって同じだ。

「誰がこんな・・。逃げた方がいいかな・・」

 ナミは考え事をするようにアゴに手を当て、そのまま動かなくなった。

「ねぇ、ナミ・・」

「警察に連絡した方がいいよね」

「え? そんなことしたら・・」

 お腹の下の方がムズムズして、トイレに行きたいような変な感じがする。「警察」という単語が、僕の調子を悪くしているのは明らかだ。

 それでも、僕には気になることがあった。

「どうしてここにいるの?」

 正直、いまにも泣き出しそうだった。

 目の前で多田くんは倒れているし、逃げ出したいのにそれもできない。多田くんを助けなくちゃという気持ちもあるけど、怖くて誰とも会いたくない。何もできず、何もしたくなかった。暗い海の真ん中に取り残されたような、不安しか存在しない空間だった。

「ナミが着いた時から、多田くんはここにいたの?」

 恥ずかしいけど、涙がこぼれてしまった。一度泣き出すと、それをとめることはできなかった。嗚咽が酷くなって、喋ることもできなくなる。

「わかった、救急車に連絡しましょう」

 ナミが立ち上がって、僕の左腕を優しく掴んだ。視界が悪くて、ナミの表情は見えない。それでも、腕から伝わってくるナミの優しさが、唯一の癒しだった。

 僕の返事を待たずにナミが歩き出し、それに引っ張られる形で小屋の外へ出た。

「ちゃんと歩ける? 一人で行けるね?」

 ナミに腕を離され、驚きと不安で立ちどまる。ナミと別れるなんて考えられない。

「ナミは・・、そばにいてよ・・」

「一人で行かなくちゃダメよ。わたし、ちょっと用があるから」

 僕が目を擦っていると、ナミに背中を押された。「アッ」と声が漏れ、前方に三歩進んで踏みとどまる。不安のまま、ナミの手を握りたくて振り返った。

 涙で覆われた視界の中でナミを探す。

 いない。

 どこにもナミの姿がない。

「ナミ?」

 返事もない。

 その場で立ち尽くし、この世の終わりを味わうようだった。

 全身に広がる絶望感。

 下半身に襲いかかる悪寒。怖い。逃げ出したい。

「うわぁぁあああああ!」

 僕は大声を出し、広場の入り口へ向かって歩き出した。本当は駆け出したかったけど、泣くのに必死で呼吸ができない。前も見えないし、走ることもできない。もしかすると、おしっこを漏らしているかもしれない。多田くんを助けたいのに、何もできない。

 入り口へ向かっていると、その先に誰かがいるのに気づいた。制服を着た女性だと思う。「思う」というのは、僕の視界が悪いからだ。

 涙を拭って、また溢れる分を拭う。

 その隙間に見えたのはナミだった。制服を着て、さっきまですぐ近くにいたナミが、広場の入り口にいる。もう、わけがわからない。それでも、ナミが近くにいることがわかって安心していた。

 ナミの側まで、目を擦りながら歩く。いますぐに手を握りたかったけど、相変わらず走れない。

 広場の入り口に到着したのは、小屋を出てから一分近く経った頃だった。

「ナミ・・?」

 広場の外へ出ながら、どこかにいるはずのナミを探す。左手の茂みに、立っているナミを見つけた。

「どうして・・」

 喋ろうとすると嗚咽が溢れて、結局は言葉にできない。それでも、ナミの側まで歩き、彼女の体にしがみつく。ナミは何も言わず、僕の頭を抱きしめてくれた。目の前には彼女の胸があって、必死におでこを押しつける。ナミがどこへもいかないように、絶対に離したくない思いだった。

 ナミの心臓が激しく鼓動するのを感じ、彼女も動揺しているのだとわかった。先程まで小屋にいた時は、ナミは大人みたいに冷静だった。それでも、倒れている多田くんを発見して、彼女も怖かったのだ。それがわかって、僕は少しだけ安心した。

「帰ろう」

 頭上からナミの柔らかい声が聞こえて、彼女の胸の中で頷く。

 その後、三十分以上の時間を掛けて、ナミと二人でいつもの公園へ向かった。


                       4


「どうして、小屋を出たところでいなくなったの?」

 僕たちはいつもの公園にいて、隣り合ってブランコに座っている。

 ここまでくる途中に、公衆電話を使ってナミが救急車に連絡をした。僕のことは言わなかったみたいだし、名乗りもしなかったそうだ。簡単にまとめて、偶然、雑草広場の小屋で倒れている多田くんを見つけたってことにしたらしい。

「あの時は・・、ゴメン。怖かったの・・」

 ナミは申し訳なさそうに頷き、こっちを見ようとはしなかった。

「多田くんが倒れていて?」

「うん。平気な振りをしていたけど、やっぱり怖かったの。だから、一秒でも早く逃げ出したくて」

「未来に行って、広場の入り口に戻ってきたの?」

 ナミは黙ったまま頷き、僕はそのシーンを思い浮かべた。

 逃げ出すために未来へワープして、それでも僕を放っておけないから広場の入り口へ戻ってきた。そういうことだろうか。怖かったのなら戻ってこなければよかったのに。そう思ったけど、ナミの行動は僕のためのものだから口にはできなかった。

「多田くんは・・、どうしてあんなことになったの?」

 小屋の中で倒れていた多田くんは、頭から血を流し、首を締められていた。あれは、明らかに誰かに襲われた様子だった。

 それでも、僕には気になるポイントがいくつかあった。

「小屋の鍵、掛かっていたよね?」

 ナミは相変わらず黙ったまま、ゆっくりと頷いた。

 僕が小屋の入り口を開けようとした時、扉は開かなかった。きっと、鍵が掛かっていたのだと思う。公園へ戻ってすぐ、それについてナミに尋ねた。その返事は「わたしが開けたの」だから、それは確かだと思う。

「鍵を掛けたのは、ナミじゃないんでしょう?」

「うん」

「ナミが小屋の中へ入った時、すでに掛かっていたの?」

「そうだったはず」

 ナミはその時の様子を思い浮かべたのか、気味が悪そうに顔をしかめた。

「その時、多田くんはあの状態だった・・?」

 黙って頷き、ナミは大きく息を吐いた。

「よく叫ばなかったね」

 本当に、それが不思議だった。僕だったら、あんなものを見つけた瞬間に大声で叫んでしまうと思う。それに、ナミは少しの間、小屋の中で多田くんと二人で過ごしていたはずだ。動かなくなっていたとはいえ、とても心が落ち着いていられるとは思えなかった。

「あれ?」

 小屋の中の映像が頭に浮かび、ふと気になる点があった。

「多田くんの首を締めたロープ、あったっけ」

「どうかな。そんなに細かいところまで観察できなかったから」

 ナミの言う通りだなと思い、覚えていなくても仕方ないと諦めた。

「でも、あんな小屋だから。ロープがあってもおかしくないわね」

「見つかったら、犯人の指紋とかで見分けがつきそうだね」

 ナミからの返事はなかったけど、警察なら何とかしてくれるように思えた。それよりも、僕は小屋の鍵が掛かっていたことが不思議だ。

「本当に、ナミは鍵を掛けていないの?」

 ナミはブランコに座りながら僕を見て、訴えかけるように深く頷いた。「掛けていない」と強く言われた気がして、それ以上は追求できなかった。

「それじゃあ、犯人はどうやってあの小屋から出たの?」

「さぁ・・。後ろの窓じゃないわよね」

「うん、僕が外から覗いた時、窓には鍵が掛かっていたよ」

 バケツに乗ったシーンを思い出し、目の前に迫ったすりガラスが脳裏に浮かぶ。

「それに、窓の手前には棚がたくさん並んでいたから・・。外に出た犯人には、あれを元通りに並べることなんてできないわね」

「ナミが鍵を掛けてあげればいいと思ったけど、棚も戻さなくちゃいけないのか・・。無理だね」

 そんな話をしながら、頭の片隅には倒れていた多田くんの様子がへばりついて離れなかった。

 いまごろ、病院に運ばれているのだろうか。それとも、すでに死んでしまっていて、警察が捜査を始めている頃なのか。雑草広場のあの小屋には、僕とナミの指紋が残っているはずだ。そこから、僕たちが疑われる可能性もある。

 そんなことを考えると、こうやってブランコに乗っている自分たちが、とんでもなく非常識に思えた。

「ショウタくんが小屋の裏側へ回った時、誰か怪しい人とか見なかったの?」

 ナミに見つめられながら、僕は首を横に二往復させる。

「いなかった。誰一人見なかったもん」

 と言いながら、頭の中で豆電球が点灯した。

「音がした!」

「え?」

 ナミが一度だけビクッと反応して、大きく開いた目で僕を見る。それに吸い込まれそうになりながら、あの時の様子を必死に思い出した。

「えっとね、バケツに乗っていて、窓から中を覗いた時だった。何か、バタンって音がした気がするんだよね・・」

「どんな音?」

 ナミの不思議そうな顔を見て、自分の記憶が重要であることを思い知る。

「確か、バタンって・・。何かが倒れる音か、ぶつかる音か」

「多田くんが倒れた音かしら」

「う〜ん。なんか違うなぁ。それよりは小さい音だった」

 耳の奥に残る音に近づいたけど、どこにでもあるような生活音との区別がつかない。家の中でも聞くような、文字通り「バタン」という音だけが頭に響いていた。

「なんだろう・・。無関係とは思えないわね」

 ナミは頭を働かせるように目をつぶっていて、その横顔はキレイだった。まつ毛がピクッと動いたり、唇がアヒルみたいに突き出したりしている。

「犯人が出ていった音?」

 僕が呟くと、ナミは納得できないという顔で僕を見る。

「たぶん、それはないと思う。遠くからだったけど、わたしは小屋を見ていたの。ショウタくん以外、小屋の周囲に人はいなかったわ」

「えぇ・・」

 僕が小屋の裏側から中を覗こうとして、その後に正面の扉へ向かった。その途中で広場の入り口を見た時、ナミが立っていたのを覚えている。確かに、ナミのいたところからは小屋の入り口がハッキリと見えるはず。そのナミが言うのだから、間違いないように思えた。

「それじゃあ、なんだったんだろう・・」

「とにかく、誰かが多田くんを襲って消えた。それも不思議だけど、まだわからないことがあるわ」

「どんなこと?」

 これ以上の不思議がどこにあるのか、僕には理解できなかった。

「多田くんがあそこにいることを知っているのは、ショウタくんとわたしだけのはずでしょう?」

 思わず大きく息を吸いながら、心の中で「おぉ〜!」と叫ぶ。

 ナミの言う通りなのだ。僕は多田くんに呼び出されたし、ナミはその僕から聞いた。それ以外に、多田くんがあそこにいることを知っている人はいないように思える。

「あ、多田くんが誰かに言っていたんじゃない?」

 クラスメイトの取り巻き二人が頭に浮かび、そいつらのことを言ったつもりだ。

「うん。それはありうるけど・・。小学生だものね」

 ナミはあまり納得できていない様子で、それは僕も同じだ。性格の悪いあの二人でも、多田くんを襲うとは思えない。自分たちの武器になる多田くんを失ったら、彼らにとっても一大事だと思うから。

「多田くんが誰かに狙われていたとか?」

「そんなこと聞いたことある?」

 ナミに尋ねられ、僕は首を振って否定する。

 どちらかといえば、多田くんは人気者だった。僕にとってはメンドクサイ相手だったけど、クラスの中心人物だ。恨まれていることはないと思う。

 そんなことを考えながら、一人だけ、気になる人物を思いついてしまった。

「シンジかも・・」

「シンジくんって、お友達の?」

「うん」

 頷いて返事をしたけど、僕の勘違いであって欲しかった。

 最近、シンジは僕を助けるために多田くんと衝突した。もしかすると、あれがきっかけで二人はケンカをしていたのかもしれない。僕を呼び出した多田くんを、シンジがやっつけてくれたのだろうか。

「シンジくんは、多田くんがあそこにやってくることを知っていたのかな」

「どうだろう・・。多田くんに呼び出された時、シンジはトイレに行っていたはずだから」

 でも、どこかで誰かから聞いた可能性はある。多田くんに酷い目を遭わせるために、僕にも内緒でシンジが行動した。その流れを簡単にイメージできてしまった。

「その場合でも不思議なのは、わざわざあのタイミングで実行したということ」

 僕がナミを見ていると、僕の気持ちを察したのか、説明を続けてくれた。

「多田くんはあの広場できみを待ち伏せしていた。シンジくんが彼を襲うなら、わたしたちが到着する前に実行すればいいでしょう? 少なくとも、わたしたちがいる間に実行するメリットがない」

 ナミの話に納得しながら、「メリット」という言葉が大人っぽく感じていた。これから、僕も使っていこうと密かに決意した。

「ただ、他にも気になることはあるわ」

「まだあるの?」

 というのは僕の本心だった。自分では思いつかないことを、ナミの口からどんどん聞かされていく。年齢の差はあるけど、それにしても頭の出来には大きな差があると思う。

「わたしたちが広場に到着した時、多田くんは生きていたのかってこと」

 言葉にされてもピントこないから、ナミをじっと見て説明を待つ。

「ショウタくんが小屋へ近づいて、窓から中を覗こうとして。わたしが未来を経由して、小屋の中へ移動した。それはわかるよね?」

 優しく説明されて理解できたけど、恥ずかしい気持ちはどこにも消えない。

「その間に、小屋へ近づいた人はいないと思うの。わたしたち以外」

「うん」

「でも、その時すでに、多田くんはあんな目に遭っていた可能性はあるでしょう?」

「僕たちが到着した時、すでに小屋の中で倒れていたってこと?」

 それは考えていなかったから、驚きが態度に出てしまったと思う。

「だって、多田くんの声も聞いていないでしょう?」

「そうだけど・・」

「だったら、わたしたちが到着する前に犯人は多田くんを襲って、逃げてしまっていたのかも。それでも、どうやってあの状況を作ったのかはわからないけどね」

 ナミは苦笑いみたいな顔で、困っているように感じた。犯人の行動は何もわからないし、不思議なことで溢れている。

 小屋の中で多田くんが倒れていた状況、あれは、密室ってやつじゃないかと思う。「密室殺人」そんなドラマみたいな言葉が頭に浮かび、僕は背筋がゾッとした。

「もしかするとさ」

「まだあるの?」

 つい大きな声になってしまったけど、半分は呆れるような気持ちだった。

「そんな大したことじゃないわ」

 ナミはフフッと笑いながら言って、言葉を続けた。

「多田くん、自殺したのかなって」

「自殺・・?」

 そんなこと考えたこともないし、恐ろしくて想像できなかった。

「密室じゃない、あの小屋は。だったら、真っ先に考えるべきは自殺(それ)よね?」

「多田くんが自殺なんて・・」

 僕を呼び出しておいて、そんなことをするはずがないと思う。多田くんはチカちゃんを轢いた犯人を憎んでいたし、その人が見つかって喜んだはずだ。彼が自殺する理由なんてないように思える。

「まぁ、わからないんだけどね」

 ナミは深いため息をついて、空を見上げた。

 僕もそれにつられ、顔を上げる。そろそろ夕方だけど、まだ明るい空が広がっている。僕たちの不安なんてちっぽけに感じてしまうくらい、どこまでも続いている青空だった。

「これから、どうすればいいかな・・」

「多田くんのことは、黙っていればいいわ。きっと、ショウタくんに影響はないはず」

 ナミはそう言うけど、僕は同意できなかった。だって、教室で僕と多田くんが言い争っているところを見られているし、その多田くんが襲われたら、僕が無関係とは考えてくれないと思う。ナミにもそれくらいわかると思うけど、安心させるための言葉を掛けてくれただけなのだろうか。

 ナミが未来へ戻るのも、こっちへやってくるのも、一瞬でできるってことが証明された。それは信じるしかないけど、小屋の中で多田くんを発見した時のナミの気持ちがわからない。叫び出さなかったのが不思議で、心に魚の小骨みたいな不安が引っ掛かっていた。


                       5


 自宅でその連絡を受けた時、僕は自分の部屋で漫画を読んでいた。昔に買ったもので、これまでに何度読み返したかわからない。次のページにどんなシーンがあるのか理解しながら読んでいると、誰かが階段をバタバタと上がってくる音が聞こえた。この時間に家にいるのは姉ちゃんだけだから、そのうち僕の部屋の扉がノックされると予想していた。

 案の定、ドンドンという音がして、返事をする間もなく扉が開いた。

「あんた! 多田くんって子知ってるでしょう?」

 姉ちゃんは小さく息が上がりながら、部屋の中へ足を踏み入れる。声を出さずに頷き、姉ちゃんを横目に見ながら返事をした。

「その子が亡くなったって・・」

「え?」

 持っていた漫画を落としそうになりながら、勢いよく顔を上げた。姉ちゃんも言葉を発さず、二人で見つめ合っている三秒間が生まれた。

「事件に巻き込まれたみたいだけど・・」

 姉ちゃんは不安そうに言って、僕にもう一歩近づいた。

 正直、ナミと二人で雑草広場へ行ったことを知られているんじゃないかと不安だった。いまにも姉ちゃんに追求され、警察がやってくるような感覚。お腹の下の方がムカムカして、お尻もムズムズする。逃げ場のない状況にあるように思えて、自分からは何も喋れなかった。

「あんたも気をつけなさいよ・・。最近、変なのが続いているから」

 姉ちゃんはそう言って翻り、僕の部屋から出ていこうと動き出した。姉ちゃんの口からは今日の出来事を聞かれず、どこか安心している自分がいる。

 それでも、もう少し話をしてみたくなって、僕は慌てて立ち上がった。

 部屋を出ると、姉ちゃんはすでに階段を下りているところだった。

「あのさ!」

 姉ちゃんは振り返ったけど、歩みをとめようとはしない。僕も階段を下り、一階についていた姉ちゃんの背中に話し掛ける。

「多田くんは、どうして死んじゃったの?」

「知らないわよ」

 姉ちゃんはリビングへ歩きながら、顔だけをこっちに向けながら答えた。

「また連絡網?」

「そう。明日は学校が休みになるって」

 姉ちゃんに続いてリビングへ入り、食卓の側で立ちどまる。

「連絡網では、詳しいことは聞かなかったの?」

「そう。何もわからないけど、電話なんかで具体的なことは言うわけないじゃない」

 姉ちゃんはソファーに腰掛け、ため息をついて僕を睨んだ。

「あんたのクラス、呪われてんじゃない?」

 何も言い返せず、一歩だけソファーに近づく。

 チカちゃんが事故に遭ったのは僕とは無関係だ。それでも、僕はナミから話を聞いていた。多田くんの事件の場合は、僕とナミが第一発見者だ。イジワルに考えればナミ一人だけど。

 それでも、二つの事件に自分が無関係だなんて思えなかった。

「鍵の掛かっている部屋から、どうやったら出られると思う?」

「はぁ?」

 姉ちゃんは不思議そうに、どこかイラついているような顔をしていた。

「鍵を掛けたまま、部屋から逃げ出す方法を考えててさ・・。密室殺人の小説読んでんだ」

 適当なことを言って、必死に誤魔化しているつもりだった。姉ちゃんは僕の目を見て黙っていたけど、「ふーん」と言って視線を逸らした。

「あんたもそういうの読むようになったんだ」

「うん。その部屋の中には一人だけ残っているんだけど、その人は犯人じゃないんだ」

「なんで? 密室の中に一人いるなら、その人が犯人に決まってるじゃない」

 普通はそうなんだけど、ナミは未来を経由して移動したのだ。彼女が小屋の扉を開けていないことは僕が知っている。でも、それを姉ちゃんに伝えるのは不可能だった。

「まぁ、ミステリーだと色んな状況があるからね」

 姉ちゃんは納得したように頷き、考えるように唇を突き出した。それは姉ちゃんのいつもの癖だった。

「密室に見せかけて、自殺と思わせることもあるわね。タイミングとかを誤魔化して、自分が犯人じゃないと思わせたり」

「なんか詳しいね」

「最近ハマってんのよね。あんたにもオススメの本、教えてあげようか?」

 姉ちゃんは何てことないという顔をしながら、どこかウキウキした様子だった。趣味の話をできる相手が見つかった喜びかもしれない。

「いまはいいや。それどころじゃないし・・」

 姉ちゃんは残念そうな顔をしていたけど、しつこく勧めてくる様子はなかった。普段から仲良しってわけじゃないからそれも当然だ。多田くんの件があるから、楽しく会話をしている場合じゃないっていうのもあると思う。

「姉ちゃんが過去にいけるならさ」

 僕が話し出すと、姉ちゃんの不思議そうな顔が目に入った。

「何したい?」

 すぐに返事はなかったけど、姉ちゃんの表情はさっきよりも疑問の色が濃くなった。

「それもミステリー?」

「うーん、そんなとこ」

 姉ちゃんは納得していない様子だけど、すぐに口を開いた。

「失敗をやり直すかな。受験問題は知っているし、もっといい高校に合格できるかもしれない」

「なんかリアルだね」

「そりゃまあね。せっかく過去に戻れるなら、同じ失敗をしたらバカじゃない。何か成果を出さないと、もったいなくて仕方ないわ」

 バカにするように言い、姉ちゃんはテレビのリモコンに手を伸ばした。これ以上話す気はないと言われているみたいで、僕は一人で食卓へ向かった。

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