第二章
1
七月十二日の木曜日、今日は普段と違った。それを知ったのは、給食を食べ終えた午後のことだったけど。
朝は昨日と同じように集団登校をした。その中にはシンジもいたけど、やっぱりどこか距離を感じてしまった。チカちゃんが見つかったという連絡はないみたいで、お母さんからも、他の子からも話は聞かなかった。
でも、僕は知っている。チカちゃんはすでに死んでしまっていて、今日にも発見される。その場所は知らないし、車に轢かれたことが原因、というザックリとしたことしか知らない。
すぐ近くにいるシンジは俯いたまま歩いていて、チカちゃんのことを考えているのではないかと思った。シンジのためにも、チカちゃんに酷いことをした犯人を見つけてやりたくなった。
富士坂を下りながら、僕はロックのことを思い出した。ロックは数日前の夜中のうちに酷いことをされたようだけど、今朝はまだ元気だった。少なくとも、僕の目には普段と同じように映った。公園の倉庫の側にいて、だらしない格好で寝そべっていた。
チカちゃんに酷いことをした犯人は見つかるし、ロックをいじめた犯人も見つかるはず。ナミの話では、近いうちに捕まるらしいから。チカちゃんの事故の犯人がいつ捕まるのか、その具体的な日は聞かなかった。ナミも話さなかったけど、何か理由があるのだろうか。
そんなことを考えながら、富士坂を下りて交差点を右に曲がる。その後は、本当にただ一直線に進むだけだ。迷いようがないけど、けっこう長い距離だから先は遠い。近くを歩いている低学年の子も、この暑さでヒーヒー言っている。僕だって弱音を上げたいけど、少しは大人だぞっていう気持ちがそれを隠した。
そういえば、昨日ナミと別れた時。道路にナミの姿がなかったのはどうしてだろう。
僕はブランコに座っていて、ナミは僕の後ろにある道路を進んだはずだ。左に進んだ気がしたけど、その先にはいなかった。向こう側から、姉ちゃんが帰ってくる様子が見えただけだ。姉ちゃんがいたのは偶然だと思うから、ナミが消えてしまった理由が不思議でたまらない。
もしかすると、ナミは未来へ行ってしまったのだろうか。タイムマシンみたいなもので、一瞬で消えてしまうのかもしれない。チカちゃんのことや、ロックの怪我についても知っているようだし。
僕はまだナミの話を完全には信じていないけど、チカちゃんが見つかるなんてことになれば、イヤでも信じてしまいそうだ。
ナミの黒くて長い髪を頭に思い浮かべながら、僕は小学校までの一直線を歩き続けた。
教室にはすでにたくさんのクラスメイトがいた。僕たちの集団は、登校が遅かったみたいだ。シンジと一緒に教室へ入って、特に声を掛けずにそれぞれの席へ向かう。いまいち、謝るタイミングがわからなかった。
教室の中はチカちゃんの話題で満たされていて、イヤでも耳に入ってきた。チカちゃんのお母さんたちがもの凄く心配しているとか、警察に話したなんて内容も聞こえる。
僕は席に着いて、ランドセルから教科書を取り出す。それを机の中に仕舞う時、つい癖で中を覗いてしまった。
そこには僕の文房具なんかが入っている箱があるだけで、特に変わった様子はない。それはいいことなのだけど、僕には拍子抜けだった。普段であれば、紙くずみたいなゴミが入っていることも多いからだ。
そのイタズラが始まったのは、四年生になってからだった。気がついたら机の中に何かを入れられていることがあって、最初は偶然だと思っていた。
でも、それは少しずつ頻繁になって、最近では当たり前みたいに思っていた。直接僕に何かをされることはなかったけど、教科書やノートが汚れるのは困っていた。時々、ノートに落書きをされていることもあったから、その時はさすがにイラッとした覚えがある。
僕は教科書を仕舞い終え、周りの様子を眺める。何人かずつの集団がいくつもできていて、それぞれでチカちゃんに関する話をしているみたいだった。シンジは一人で席に座っていて、本を読んでいる。普段から、シンジは推理小説を読んでいることが多い。それも一人でコッソリと。
そういえば、僕の机にイタズラされなくなったのは、いつからだろう。
始まったのは四年生になってから、それは確かだ。だから、犯人は同じクラスの誰かだと思う。それがとまったのはいつかと考えても、具体的な日はわからなかった。思い返してみると、最近はやられてないな、くらいのイメージしかない。嬉しいのだけど、パタットとまるのは少し不気味だ。そのうち、メチャクチャ酷いことをされそうで怖いから。
そんなことを考えていると、先生が教室に入ってきた。先生の「席に着けー」という言葉を合図に、クラスメイトたちが慌ただしく動き出す。
朝のホームルームが始まっても、先生からチカちゃんに関する話は出てこなかった。午前中の授業中、時々思い出すたびに不思議に感じていた。
昼休みに入り、昼食を食べ終わった頃。
僕がグラウンドへ向かおうとしていると、クラスメイトの多田くんに呼びとめられた。多田くんは背が高くて、六年生と並んでも負けていないくらいだ。クラスの中でも目立つ方で、僕はコッソリと苦手に感じていた。
「丸岡がいなくなったのは、お前が原因なのか?」
教室の隅に追いやられ、最初に耳にした言葉がこれだ。
多田くんは真剣な顔をしているけど、僕には何のことかサッパリわからなかった。そんなことを言われる覚えもないし、どうして彼が僕を標的にしたのかも不思議だった。
「僕じゃないよ。なに言ってるの?」
多田くんの後ろには取り巻きみたいな男子が二人いて、名前を思い浮かべるだけの価値もなかった。いつも、多田くんの陰に隠れてイタズラをするやつらだったから。
「何をって・・なぁ?」
多田くんが後ろに向かって言い、悪いことを考えているような顔で僕を見下ろした。十センチ以上も背の高い相手に見下ろされ、先生に怒られるのとは違う怖さを感じていた。
「最近、机の中キレイだろ?」
そう言って、多田くんはククッと笑った。
僕が机の中にイタズラをされていることは、シンジ以外には言っていない。余計なことになったら面倒なのと、イタズラの標的にされていることが恥ずかしかったからだ。シンジにだけは伝えて、彼からは「先生に相談した方がいいよ」というもっともなアドバイスをもらった。いまのところ、シンジのアドバイスには従っていない。
シンジ以外でそのことを知っているのは、犯人だけではないかと考えていたのだ。
「あれ、多田くんがやってたの?」
「さぁな」
まともに取り合おうともしないくせに、多田くんは僕の左肩を掴んだ。握ったその手の力が激しくなり、僕の左肩が軋んでしまうようだった。必死に振りほどき、左肩を抑えながら彼を睨む。本当は少し怖かったけど、あまりにも悔しくて恐怖なんてどうでもいいくらいだった。
多田くんは僕を見下ろしたままバカにするように笑い、押さえている左肩を思いっきり突き放した。僕の体が後ろによろけるのを見てまた笑い、後ろの二人に「いこうぜ」と声を掛ける。
「丸岡が見つかったら、お前が犯人だってショーメイしてやるからな」
そんなわけのわからない言葉を残して、三人は離れていった。
「どうしてそんなこと言われたの?」
ナミは不思議そうに、公園のブランコに座りながら言った。
今日も集団下校をして、この公園の近くで他の子と別れた。僕の家は公園の目の前だからだ。
「わかんないよ。チカちゃんがいなくなったことと、僕は関係ないのにさ」
そう言うと、ナミは「ふーん」と言って空を見上げた。僕も同じところを見上げたけど、青い空の中にいくつかの雲が浮かんでいるだけだった。夏の日差しが眩しくて、僕はすぐに見上げるのをやめた。
「多田くんだっけ? その子、チカちゃんのこと好きなんじゃない?」
ナミがからかうように言い、僕は多田くんのことを思い浮かべた。
彼はクラスの中心にいるから、チカちゃんと話している場面も簡単に思い出せる。そこに多田くんの好意があるのかわからないけど、そうだとしたら少し変な気分だった。
「ナミのいる未来では、多田くんはどうしているのかな」
「さあねぇ。多田くんなんて子、わたしは直接関わりがないから。調べてあげようか?」
ナミは笑顔で僕を見て、少しの間だけ見つめ合う形になった。
「多田くんのことはそんなに興味ないけど・・。一応、調べてくれる?」
「オッケィ」
ナミは再び前を向いて、ブランコを小さく前後させている。それを見ながら、僕はナミに尋ねようと思っていたことを思い出した。
「チカちゃん、まだ見つからないんだけど」
「そうなんだ」
ナミはそれほど驚いていないような表情で僕を見た。今日見つかると言ったのはナミなのに、自分が間違っていることが恥ずかしくないのだろうか。
「もうすぐかもよ?」
ナミはそう言って悪戯っ子みたいに笑い、キレイな白い前歯が見えた。
「いまごろ、チカちゃんちのご両親、大慌てかもしれないじゃない」
「そうなの?」
「わかんないけどさ」
ナミは僕から顔を逸らし、長い両脚を使ってブランコを勢いよく揺らした。それを見て、僕も負けじとブランコを揺らす。
チカちゃんがいなくなって、ロックは酷い目にあった。僕は学校でのイタズラが減ってきたけど、多田くんからちょっかいを出された。そんな不思議な状況なのに、こうやって公園でナミとのん気に話している自分は、もっと不思議だった。それでも、決して悪い気分じゃない。
「チカちゃんが死んじゃう原因の、車を運転していた人は誰なの?」
前には教えてもらえなかったけど、やっぱり僕は知りたかった。それがわかれば、多田くんからの疑いも晴れるんじゃないかと思ったからだ。
「それはナイショよ」
ナミは笑いながら答え、僕の方を見てくれなかった。そんなナミの横顔を見ながら、僕は昨日のことを思い出した。
「ナミ、どうやって消えたの?」
ナミがこっちを見て、不思議そうな顔をしていた。僕が何を言っているのかわからない、そんな様子だった。
「昨日の帰り、公園から出てったでしょう?」
「あぁ、うんうん」
「僕はさ、コッソリ追い掛けたんだ。でも道路にナミはいなかった」
僕がその時の様子を思い出しながら言うと、ナミはフフッと笑って口元を右手で隠した。
「知りたい?」
「教えてくれるの?」
つい大きな声を出して食いついてしまったけど、ナミはそんな僕の顔を見てまた笑っていた。
「未来に帰っただけ。どこにもいないのは当たり前よ」
「どうやって未来に?」
「ナイショ」
そう言って、ナミは前を向いてしまった。
昨日、ナミの姿が見えなくなったのは一瞬だった。その後、僕はすぐに走って追い掛けたのだ。たとえどんなにナミの足が速くても、道路の一番奥まで行って、左右のどちらかに曲がることなんてできないと思う。
やっぱり、ナミは本当に未来に帰ってしまったのだろうか。スイッチ一つで消えてしまう、そんなアニメのワンシーンみたいなものが目に浮かんだ。
「そうだ! それじゃあ、いますぐに未来に帰ってみてよ」
自分で思いついて、それがどれほど素晴らしい考えか自慢したい気分だった。ナミに実行してもらえば、彼女の話を信じることもできるし、その方法だってわかる。
僕が返事を期待して待っていると、ナミはゆっくりと首を横に振った。
「ダ〜メ。誰かに見られてたらできないもの」
「昨日は誰もいなかったの? 向こうに人がいたでしょう? あれ、僕の姉ちゃんなんだよ」
ナミの姿が消えてしまった道路の奥から、姉ちゃんが歩いてきていたのだ。けっこう近い距離だったから、姉ちゃんはナミの姿を見ていたんじゃないかと思っている。
ナミは一瞬だけ停止したような後、小さく息を吐いて答えた。
「わたしが未来に帰った時は、そんな人いなかったの。タイミングってやつね」
ナミは笑顔でそう言うけど、僕にはイマイチ納得できなかった。昨日の状況だと、ナミの話の辻褄が合っていないような気がしたからだ。
「でも、本当に一瞬で消えることができるの。その反対に、一瞬で現れちゃうんだから」
悪戯っ子みたいに、僕をからかう表情だった。それでも、ナミの顔を見ていると、はぐらかされてもいいかなって思ってしまった。
「そろそろ帰らなくていいの?」
ナミは退屈そうに両脚を投げ出して、その勢いでブランコが少しだけ揺れた。
「うーん。家に帰っても誰もいないんだよね。でもまあ、チカちゃんが見つかるかもしれないから家にいた方がいっか」
ブランコの揺れに乗っかるように飛び降り、両足で綺麗に着地できた。そのまま振り返り、ナミの反応を伺う。
「気をつけて帰りなよ」
「すぐそこだよ」
ナミは笑顔で僕を見ていたけど、何だか少しだけ寂しそうだった。僕が帰ることが寂しいのかと思ったけど、帰れと言ったのはナミだし。やっぱり、女の子はよくわからない。
ナミに手を振って駆け出し、目の前にある階段を一段飛ばしで下りる。そのまま、正面に見えている僕の家まで立ちどまらなかった。
チカちゃんが見つかったという連絡が入ったのは、午後八時を回った頃だった。
その時家には僕と姉ちゃんの二人がいて、電話に出たのは姉ちゃんだった。僕はお風呂から出たところで、体にへばりついている熱気を取り払うのに必死だった。洗面所で扇風機の風を浴びている時のこと。
勢いよく扉が開いたと思ったら、姉ちゃんが躊躇することなく飛び込んできた。
「うわっ!」
鏡越しに姉ちゃんの焦った顔が見えて、反射的に振り返った。
「チカちゃんが見つかったって!」
「え?」
濡れた髪を拭いていたタオルを投げ捨て、振り返って一歩だけ姉ちゃんに近づく。
お風呂上がりにちゃんと髪を拭かないと風邪を引く、姉ちゃんから何度も言われていることだった。毎日、鏡を見ながら綺麗に髪を拭くのが僕の日課になっていた。
でも、いまはそんなことどうでもよかった。
「どこで?」
「さぁ。あんたのクラスの連絡網で、子供たちを家から出さないようにって電話がきたのよ」
連絡網はたまに掛かってくる。僕の家に掛けてくれるのは真鍋さんちだ。真鍋さん自体は大人しい女の子だけど、お母さんは体が大きくて声も大きい人だ。
「チカちゃんは無事なの?」
「いや・・、亡くなったって・・」
姉ちゃんの言葉を聞いて驚いてしまった。きっと、姉ちゃんの目にはクラスメイトを亡くし、驚いている弟が見えていると思う。
それも間違っていないけど、僕が驚いた理由は別だった。
ナミの言う通り、今日、チカちゃんが亡くなった状態で見つかったのだ。ナミは本当に未来からきた人で、チカちゃんのことを知っていたということなのか。
「もしかして、事故とか?」
僕が尋ねると、今度は姉ちゃんが驚いた表情を見せた。
「なんで知ってんのよ」
「いや、そうなのかなって・・」
姉ちゃんは不思議そうな顔をしていたけど、すぐに僕と視線を合わせて言った。
「次の人には回しといたから、あんたも大人しくしてなさいよ」
そう言ってすぐに翻り、洗面所の扉をバタンと閉めていった。残された僕はその場で動けないまま、ナミの話は正しいのだと信じることにした。
2
十三日の金曜日の朝、学校では全校集会が行なわれた。何だか、朝から不吉だった。チカちゃんは亡くなった状態で発見されたそうだけど、詳しい内容は聞かされなかった。やっぱり、子供の僕たちには情報を与えないようにしているんだと思う。
それでも、見つかったのは僕たちが住んでいる市内だったみたいだ。それに加え、「交通事故に気をつけなさい」というお言葉があったから、チカちゃんが亡くなった原因はそれなんだと思う。ナミの言う通り、チカちゃんは車に轢かれて亡くなったということだ。
そうだとすると、僕はもう一つの重大なカードを握っていることになる。車のナンバーは「1953」であるという、必殺の一枚。
これがあれば、犯人を特定することも可能なんじゃないかと思えた。でも、日本中に車が溢れているし、同じナンバーの車があるってことも知っている。「1953」だけでは、僕の力では犯人を見つけ出すことは難しそうに思えた。
教室へ戻ると、先生がいるというのに、クラスメイトはチカちゃんに関する話をやめなかった。全員が小声なのに、その数が多すぎて部屋中に声が響いている状況だ。チカちゃんが亡くなっても、学校はお休みにはならなかった。今日は午前中で終わるようだけど、何だかそれは不思議に思えた。
もしかすると、チカちゃんが亡くなった原因もわかっているのかもしれない。チカちゃんは見つかったのだから、警察が関わっていると思う。それならば、亡くなっている様子から、車に轢かれたのだとわかっていそうなものだ。
二時間目、三時間目と授業は進んだけど、教室の中には勉強するという雰囲気はなかった。普段は真面目な真鍋さんですら、ノートを取りながら意識は別のところにあるようだったくらい。
僕はもちろん授業には集中できなかった。頭の中にはナミとの会話が反響していて、「1953」のナンバーをどうやって特定すればいいのか考えていた。でも、チカちゃんがどこで発見されたのかも知らないし、片っ端から調べようなんて気は起きなかった。
そんな中、僕にとって事態が進んだのは意外なところからだった。
四時間目が始まる前の休み時間、多田くんに呼び出されたのだ。その時僕は自分の席でジッとしていて、クラスメイトの様子を観察しているところだった。みんなが慌ただしく会話をしていて、その様子が珍しかったからだ。
そんな時に多田くんに呼ばれ、前回と同じように教室の隅に追いやられた。
「丸岡がどうして死んじまったのか、お前は知ってるのか?」
壁に背中を預け、目の前には体の大きな多田くんがいる。逃げ場を遮られているようでイヤだったけど、この休み時間をやり過ごすことに決めた。
「知らないよ。連絡網だって、姉ちゃんが電話に出て・・」
「丸岡は車に轢かれたんだ。そんで、そのあと捨てられたんだ」
「捨てられた・・?」
多田くんはいつになく真剣な顔で、その中には激しい怒りが含まれているようだった。両手をギュッと握りしめ、涙を堪えるように唇を結んでいる。ナミの言っていた、多田くんがチカちゃんを好きなのではないかという話は、あながち間違っていないのかもしれない。
「どうして多田くんが知ってるの?」
「うちのオヤジが刑事なんだよ」
そう言った彼の目には、誇らしげな色が少しだけ混ざっていた。
「チカちゃんはどこで見つかったの?」
僕の目の奥を覗き込むような多田くんの視線が苦しかった。それでも、彼はしばらくして口を開いた。
「雑草広場だよ。雑草の中に隠れて、なかなか見つからなかったみたいだな」
「雑草広場」というのは、僕たちの間で使われている名前だ。場所は小学校から自転車で十分ほどのところで、とにかく雑草で囲まれた広場のことだ。野球をするのにちょうどいい広さだけど、草が多すぎて遊ぶのに向いてない。雑草が僕の腰の辺りまで伸びているから、走って移動するのだけで大変なのだ。
「それで・・」
「なんの用?」と口にしそうになり、僕は我慢して口を閉じた。できる限りケンカ腰にならないように意識した結果だ。
「何か知らないか?」
僕が首を傾げると、多田くんがめんどくさそうに大きく息を吐いた。
「丸岡が死んじまったことに・・お前が関わってないかと思ったんだけどさ・・」
多田くんがどうしてそんなことを言うのかわからず、僕は黙っていることにした。
僕がナミと会っていて、チカちゃんが死んでしまったことを聞かされたこと。それを多田くんが知ったのかと心配になった。でも、そんなはずはないというのが僕の結論だ。
「知らないよ・・。チカちゃんが死んでしまって、僕だって驚いているんだから」
驚いているのは本当だ。当然、悲しい気持ちだってある。
「どうしてそんなこと言うの?」
僕が尋ねると、多田くんは困ったように黙った。いまは取り巻きの二人もいないから、彼が黙ると会話が成立しない。
どうしようかと迷っていると、多田くんがしびれを切らしたように口を開いた。
「オヤジはいま、丸岡を轢いた犯人を探してるんだ。何か知ってるなら、すぐ俺に言えよな」
そんな捨て台詞を吐いて、多田くんは離れていった。僕の視界が広がり、教室全体が目に入る。相変わらず数人が集まっているけど、中には僕の方を見ている子もいる。多田くんに目をつけられている僕を怪しんでいるのだろうか。
複数の視線から逃げるように歩き出し、僕は自分の席へ向かう。その途中でシンジと目が合った。彼も僕を見ていたのかもしれないけど、一人で席に着いたまま、顔が前方を向いてしまった。
いまでも仲直りできていないことがむなしく、余計な問題は起こしたくないと思った。
3
一人で自転車を走らせ、雑草広場へ向かう。
集団下校をして、いつもの公園でナミの姿を探した。それでも、彼女が現れることはなかった。ナミは未来の人だし、服装はいつだって制服だ。姉ちゃんと同じ高校の制服を着ているから、二・三十年経っても高校の制服は変わらないということだと思う。未来の時間で、ナミが忙しそうに高校へ通っている姿を想像すると可笑しかった。
しばらく公園で待っていたけど、ナミと話をするのは諦めた。それで、一人で雑草広場へ向かうことにしたのだ。
家には両親がおらず、姉ちゃんも高校から帰ってきていない。チカちゃんが亡くなって、家で大人しくしているようにと注意されているけど、監視する人がいないから僕は好き勝手行動することにした。
そこで、家を出て、まずは学校へ向かった。雑草広場は、学校から森の方へ向かって進むのが簡単だからだ。
学校まで行くというのは、富士坂を越えなくてはならないということ。歩いてもしんどいのに、自転車に乗ったままでは進めない。僕は自転車を手で押しながら、本日二度目の富士坂を越えた。
そのあとは十分も掛からず学校に着いて、道を左に曲がる。その先にはあまり行ったことがなく、精々、友達の家に行く時くらいだ。雑草広場に行ったこともあるけど、一年以上前のことだったと思う。それくらい、遊ぶのに適さない場所だった。
道を進むにつれ、左右の視界が広がった。
家もあるけど、それはまばらに建っている。その間には畑や田んぼが広がっていて、人の気配はどんどんなくなっていった。雑草広場はもう少しだけ先にある。道の突き当たりといってもいいくらいの奥で、森の手前に広がっている。それ以上奥に進むのは、お父さんたちから禁止されているくらいだ。
そんなことを思い出しながら自転車を走らせていると、雑草広場の看板が見えてきた。「雑草広場」なんて名前は書かれていないけど、難しい漢字だから僕は気にせず進んだ。
ようやく雑草広場に到着して、自転車を広場の入り口に停める。周囲に人がいるはずもなく、僕は自転車の鍵を掛けもしなかった。
一応は門になっている入り口から、雑草広場の中へ入る。
多田くんは、チカちゃんがこの中で発見されたと言っていた。刑事であるお父さんがそう言っていたのなら、間違いないのだと思う。それでも、この広場のどの部分にいたのかは教えてもらえなかった。もしかすると、多田くんだって聞かされていないのかもしれない。
少し進むだけで、膝上まで伸びている雑草に動きを遮られた。見渡す限り雑草が生い茂っていて、その広さは小学校のグラウンドの半分ほどだ。
この中から一人の女の子を探し出したなんて、警察の人は根性がすごいと思う。どうしてこの場所に注目したのかわからないけど、警察を相手に悪いことはできないんだなって思った。
二分くらい歩いてみても、どこにも手掛かりはなかった。人を隠せそうな場所は広場のどこにでもある。いまさら、この場所から得られるものはなさそうに思えた。
僕はすぐに諦めて、広場を離れることにした。
最初から、何かが見つかるだなんて期待していなかった。「あったらいいな」くらいの感覚だ。それよりも、僕は「1953」のナンバーを探し出さなければならない。それがチカちゃんを轢いた車のナンバーだからだ。
広場の入り口へ歩きながら、ナミとの会話を思い出す。不思議なのは、ナミが犯人の名前や特徴を教えてくれないことだ。それなのに、車のナンバーだけを伝えてきた。犯人を特定させたいのか、僕を苦労させたいのかわからない。
ナミが未来で見てきたのは、いったいどんな状況だったのだろう。交通事故のニュースを見たことがある。そのどれもが、グシャグシャになった車の映像があったはず。そこに、ナンバーは映し出されていただろうか。
ナミがナンバーを知っているなら、警察は犯人だってわかっているはずだ。警察は、ナミよりも捜査が得意なのだから。
犯人が誰なのか僕に話さなかったという、ナミの考えがイマイチわからなかった。
自転車に乗って、雑草広場をあとにする。
「1953」の車を見つけたいのだけど、どこを探せばいいのかわかったもんじゃない。チカちゃんに酷いことをした犯人が、この近くに住んでいるとも限らない。
僕はきた道を進み、まずは小学校へ向かうことにした。
その途中で、チカちゃんがいなくなった時間を思い出していた。
今日は十三日の金曜日。不吉だけど、チカちゃんがいなくなった日ほどじゃない。九日の月曜日の夕方から、チカちゃんの姿が消えていたはずだ。チカちゃんは放課後までは普通に生活していたと思うから、その帰り道に何かが起きていたはずだ。交通事故に巻き込まれるような原因はあったのだろうか。
ここで僕が気になったのは、警察が事故の現場を特定しているのか、ということだった。
もし、普通の交通事故なら、その現場くらい簡単にわかりそうだ。そうでないのならば、例えば雑草広場付近みたいに、人目につかないところであるなら、チカちゃんがそんなところにいるのが不思議に感じられる。
だから、警察がどこまで捜査できているのか、それを多田くんから聞いてみたいと思った。
小学校が行く先に見え、僕はどこか安心していた。チカちゃんが発見された雑草広場を見てみよう、そんな勢いで行動していたけど、やっぱり冷静になると怖い。どこに犯人が潜んでいるのかもわからないし、誰に見られているかもわからない。
二度と、雑草広場に近寄らないことを誓った。
富士坂を越え、普段と同じ道で家へ向かう。
途中で人とすれ違うことも多かったけど、僕みたいな子供は少なかった。きっと、お母さんから外出禁止令を出されているのだと思う。僕の親は二人とも忙しくてなかなか会えない。それは寂しいけど、こんな時は好き勝手行動できるからラッキーだ。
そんなことを考えながら、家の前にある公園へ近づいていた。すぐに公園の中の様子が視界に入ってきて、ブランコに誰かが座っているのに気づいた。僕は自転車のスピードを緩め、その後ろ姿を目に焼きつける。黒くて長い髪が僅かに揺れていて、それはナミのものに間違いなかった。
音を立てないように自転車から下り、公園までの数メートルを歩いて移動する。周囲には何の音もなく、鳥のさえずりすらも聞こえない。
静かに近づく。ナミを驚かせたい一心だった。前回は失敗してしまった。
公園の敷地外に自転車を静かに停める。そうっと歩き、公園の中へ進んだ。
ナミはブランコに座ったまま、いつもと同じように前を向いている。携帯電話をいじるわけでもなく、小さな揺れを楽しんでいるみたいだ。
もう少しでブランコに到着する、その時、ナミが振り返った。僕と目が合い、驚きなんてほとんどない顔で笑った。
「こんにちは」
「もう・・、なんで?」
ナミを驚かせることに失敗して、ガッカリした気持ちを隠せなかった。きっと、ナミはまた未来で僕の登場を調べてきたのだろうけど。
「知ってるからね」
笑顔でそう言って、ナミは前を向いてしまった。仕方なく、ブランコの背後を回ってナミの隣に腰掛ける。
「今日は遅かったね」
いまは午後四時半くらいだけど、雑草広場へ向かう前にナミは現れなかった。いつもなら、四時前に現れていたのに。
「わたしも高校生だからね、色々と忙しいの」
未来の学校のことを言っているんだろう。ナミの疲れた顔を見ながらそう思った。
「どこかにお出掛けしていたの?」
ナミがそう尋ねたのは、僕がランドセルを背負っていないからだろう。どこまで話すか考えた結果、全てを言ってしまうことに決めた。
「雑草広場ってとこに行ったんだ。そこでチカちゃんは見つかったみたいだから」
「それはどこにあるの?」
「小学校の近くで、森の方へ向かうんだよ」
ナミは初めて知ったような顔で頷き、すぐに僕から顔を逸らした。
その様子が不思議に感じると同時に、いまのやり取りに違和感を感じていた。その違和感が何かわからないまま、多田くんから聞いた話をナミに伝えた。
「あそこ、雑草広場っていうのね。わたしたちはそんな呼び方しないから」
ナミは納得したような顔で言って、少しだけ笑った。
「未来では、雑草だらけじゃなくなる?」
「そうねぇ。少なくとも、いまよりは」
「チカちゃんがあそこで発見されたこと、ナミは知ってたの?」
「うん。それは知ってた」
さっきの違和感は何だったのか。それを知りたかったけど、僕の頭が悪いのか、サッパリだった。
「そこに何か手掛かりはあった?」
ナミは楽しんでいる様子で言って、僕に微笑んだ。その顔を見ながら首を振り、成果がなかったことを伝えた。
「1953のナンバーって、どこで見つけられるかな」
「さぁ。ナイショだからねぇ」
「警察に言った方がいいの?」
僕が尋ねると、ナミは悲しそうな顔でこっちを見た。
「ショウタくんが自分で見つけなくちゃ」
「でも、チカちゃんを酷い目に遭わせた犯人、捕まえなくちゃ」
「日本の警察だもの、きっとそのうち捕まえるわ。それに、ショウタくんはどう言って警察に話すの?」
言われてみれば、確かにどう伝えればいいのだろう。「未来からきた人が言ってました!」なんて言っても、警察が相手をしてくれるはずない。ただでさえ、僕は小学生なのに。
そう思うと同時に、いい方法を一つだけ思いついた。
「多田くんに言ってみようかな」
ナミは不思議そうに首を傾げている。
「多田くんのお父さん、刑事さんなんだって」
ナミの目が一瞬だけ大きく開き、すぐに元の笑顔に戻った。小さな変化だったけど、僕は見逃さなかった。
今日のナミは様子がおかしい、そんなことを考えているとナミの言葉が耳に入ってきた。
「たぶんだけど、ショウタくん、怪しまれちゃうよ?」
「どうして?」
「犯人とどこかで繋がっているんじゃないかとか、どうしてそんなこと知っているんだって。どうやって答えるの?」
僕が困っていると、ナミが笑いながら言った。
「うまく伝えたとしても、ショウタくんの言葉で警察が動くことはないと思うよ」
「それじゃあ、ナミから伝えてよ。高校生なら信じてもらえるかも」
「わたしはダメ、未来の人間だもの。深く関わるわけにはいかないわ」
ナミの横顔を見ながら、僕はどうすべきか悩んでいた。せっかく「1953」というヒントがあるのに、それを生かすことができない。
僕が小学生で、何の力もないことがもどかしかった。
4
十六日の月曜日、小学校は休みにはならなかった。
チカちゃんが亡くなり、雑草広場で発見された。それは事実として広まっていて、クラスメイトはその話題で興奮している。
土日の間は、なかなか家から出ることができなかった。家には姉ちゃんとお母さんがいたからだ。同じ小学校の、僕のクラスメイトが亡くなったということで、さすがに姉ちゃんの見張りが厳しかった。一人で外出することはできず、買い物に出掛ける時も姉ちゃんと一緒だった。
でも、珍しいことに、姉ちゃんの元気がなかった。近所で事件が起きているから、高校生の姉ちゃんもまいっているのかもしれない。
「チカちゃんは事故に巻き込まれたみたいね」というのはお母さんの言葉で、それが正解だと思う。ナミはそう言っていたし、彼女はナンバーまで知っているのだ。
それでも、まだ犯人は見つかっていないそうだ。先程から教室の中でも、犯人がどんな人物なのか、色んな憶測が行き交っている。「単なる交通事故」という意見と、「小学生を狙った変態が犯人」という意見、大きくはその二つが有力になっているみたいだ。あくまでも、このクラスの中では。
僕は自分の席に着いて、朝のホームルームが始まるのを待っていた。
本当は多田くんと話をしたいのだけど、彼はまだ登校していない。僕の知っている「1953」のナンバーについて話したいけど、その話をする上手いキッカケは思いつかなかった。仕方ないから、その場の雰囲気で伝えてしまおうと思っている。ナミからの忠告には、今回だけは従うつもりがなかった。
ホームルームまで十分を切った頃、教室に入ってくる多田くんの姿に気づいた。彼は自分の席にランドセルを投げるように置き、そのまま僕の方へ向かってきた。目的地が僕の席だと気づいたのは、彼がさらに三歩進んだ時だった。
多田くんと目が合い、その目に敵意みたいなものが含まれていることを感じた。
「ショウタ、お前、やっぱり丸岡が死んじまったことと関係しているだろ!」
すぐ隣で多田くんに見下ろされ、僕の喉は思うように開かなかった。何か言い返したいのだけど、出てくるのは乾いた呼吸だけ。どうして自分がこんなにも慌てているのか、それが不思議なくらいだった。
「こっちこい!」
多田くんに無理矢理右手を引っ張られ、引きずられるように席を離れる。近くの子が「どうしたんだ?」という顔で見てきたけど、返事をする余裕なんてモチロンない。気づいた時には、壁際に追いやられていた。
目の前には多田くんの巨体があるし、いつの間にか、彼の後ろに取り巻きの二人も立っていた。
「お前、雑草広場へ行っただろ」
「え・・?」
多田くんが僕の左肩を押さえつけながら、力のある声で言った。彼の感情が僕の頭の上からのしかかってきているようで、呼吸をするだけでも必死だった。
「こいつらが見てたんだ」
多田くんは後ろの二人を指差し、その二人は誇らしげに僕を眺めている。「してやったり」というだらしない感情が表れていて、思わず目を逸らしてしまった。
「どうして雑草広場に行ったんだ。証拠でも隠すためか?」
多田くんが何を言っているのかわからない。
とにかく首を横に振って、否定しようと試みた。言葉が出ないから、何かしらの行動を起こそうと必死だったのだ。
僕が混乱している理由はいくつかあるけど、一番大きいのは、多田くんに犯人扱いされていることだった。僕はチカちゃんに危害を加えていないし、そんなことできるはずがないじゃないか。チカちゃんは車に轢かれて死んでしまったのだ。小学生の僕に運転ができるとでも思っているのだろうか。
「お前が怪しいことはわかってんだ。さっさと白状しちまった方が楽だぞ」
どっかで聞いたようなセリフを口にして、多田くんの手からさらに大きな力を感じた。左肩の痛みが増したけど、それを振りほどくこともできないと本能が察しているみたいだった。
「なんのこと・・?」
ようやく言葉が出たと思ったら、多田くんの顔に怒りの色が増した。
「丸岡があんな目に遭っちまった理由はなんだ! 言ってみろ!」
「だから、僕は何も関係ないよ!」
「それじゃあ、どうして雑草広場へ行ったんだ!」
「多田くんが言ったんじゃないか! チカちゃんはあそこで見つかったって!」
お互いに大声で言い合い、僕たち以外は誰も会話をしていないみたいだった。多田くんの目を見たまま少し我慢して、周りの興味が引いてくのを待った。
少しずつ教室の中に音が生まれ、僕はほんの少しだけ安心していた。
「雑草広場へ行って、何かあったか?」
「ないよ。チカちゃんがどんなところで見つかったのか、それを知りたかっただけ」
「どうして丸岡があそこにいたのか知ってるか?」
多田くんは怒った表情だけど、それと同時に目の奥には悲しさみたいなものが感じられた。
「事故で死んじゃったんでしょ? 多田くんが言ってたじゃないか」
一瞬だけ、「1953」のナンバーのことを口にしそうになり、僕は意識して黙った。
「轢き逃げだ。犯人のヤツは丸岡を見殺しにした。しかも捨てやがった・・」
「・・そっか」
大体は知っていたことで、大きな驚きはない。それでも、ナミの言っていることを裏づける多田くんの言葉が、僕の心には重くのしかかっていた。それ以外でナミが言っていたことは一つだけ。
「ナンバーは?」
何となしに聞いてしまい、多田くんの顔に疑問の色が浮かんだ。そのまま不思議そうに、疑うような目で僕を見る。
「知らねぇけど、どうしてだよ」
「いや・・」
「やっぱりなんか知ってんだろ!」
多田くんは僕に一歩近づき、ドラマの中の警察みたいに怒鳴った。
「知らないってば」
「じゃあなんでナンバーなんて気にするんだ!」
「なんとなく聞いただけだって・・」
多田くんと目を合わせることもできず、僕は自分の失敗を後悔していた。あんなに意識していたのに、ちょっとしたところで地雷を踏んでしまったようなものだ。
多田くんが黙ったまま僕を睨んでいて、必死に次の言葉を探す。
「チカちゃんは運ばれたんでしょう? あんなところで見つかったんだから」
「だからなんだよ」
「誰かが車を見ていたかもしれないじゃん。ナンバーとかさ」
「お前はそれを知ってるんじゃねぇのか!」
「知らないってば!」
僕が言いきった瞬間、沈黙が再び登場した。僕たちの時間がとまってしまったみたいだった。
しばらく、僕も多田くんも口を開かず、他の子も同じだった。
そんな時、教室の入り口の方から声が聞こえた。
「ショウタは関係ないよ」
多田くんの手に込められていた力が抜け、僕は声のした方を見ることができた。そこにはシンジの姿があって、僕や多田くんに見つめられて緊張しているようだった。
「なんだって?」
多田くんが声を抑えめにして言って、シンジの返事を待つようだった。僕は多田くん越しにシンジの様子を伺って、彼が味方なのかどうか判断しかねていた。
「ショウタは関係ないよ。っていうかさ、ショウタに散々酷いことしといて、これ以上どうしたいのさ」
シンジが責めるような口調で言って、僕も多田くんも何も言えなかった。シンジがこんなにも怒るなんて本当に珍しいことで、しかも、多田くんを相手にぶつかっていくなんて信じられなかった。
それでも、シンジは僕の味方だ、そう思えた。
「なんのことだよ・・」
多田くんが困ったように言って、周りをチラチラと確認していた。クラスメイト全員が僕たちの争いを眺めていて、関わらないように注意しているみたいだった。面倒なことには巻き込まれたくないという、もの凄く共感できる感情だ。
「ショウタの机にイタズラばっかりして、恥ずかしくないのかよ!」
シンジが立ち上がり、力強い足取りでこっちへ向かってきた。
多田くんはその場から動かないけど、彼の足元が微妙に揺れるのを見逃さなかった。きっと、逃げ出さないことに必死なんだと思う。
「うるせぇ! お前には関係ねぇだろ!」
多田くんが振り返り、僕の体を突き飛ばすように横に払った。その衝撃で多田くんたちから離れ、近くにあった机に腰がぶつかる。
「いくぞ!」
多田くんは二人の取り巻きにそう言って、ズンズンと歩き出した。そのまま教室を出ていって、部屋の中には安心の色が広がった。
シンジは僕を見て立ちどまり、困ったように俯いた。どこか恥ずかしそうな表情をしているシンジを見て、僕は味方の側へ向かうことを決めた。
5
「そういえば、多田くんがどうなるのか聞いてなかった」
学校の授業が終わって集団下校を終えた。公園にはナミがいて、他にも小さな子が遊んでいた。僕たちは階段に腰掛け、ブランコは他の子に譲ることにしたのだった。
「そうだったね」
ナミも思い出したような顔で笑い、小さく息を吐いた。
今朝、学校で多田くんにからまれたことをナミに伝えた。ナミは少し驚いていて、どうして僕がそんなことを言われたのか、一緒に不思議がったのだ。
「多田くんもね、死んじゃうんだよ」
平然と言ったけど、ナミの顔は困っているみたいだった。僕だって、彼女の言っている意味がわからずに混乱した。
「死んじゃうの? 多田くんが?」
「うん」
「どうして?」
多田くんのお父さんは刑事さんで、チカちゃんを轢いてしまった犯人を探しているはずだ。それなのに、どうして今度は多田くんが死んでしまうのだろう。
「死んじゃうのはいつのこと?」
ナミの返事がなく、もしかすると冗談を言っているのではないかと思った。誰だっていつかは死んでしまうのだから。
「近いうちに」
「どうしてそんなにアヤフヤなのさ」
僕は細かいことまで知りたいのに、ナミの返事はいい加減だ。それでも言っている内容は間違っていないのだからタチが悪い。多田くんが死んでしまうのは、おそらくは本当なのだ。
「どうして死んじゃうの? これも秘密?」
という僕の問いに、ナミは初めて見せるような表情で笑った。
「殺されちゃうのよ」
何だか冷たくて鋭い表情だった。表情としては笑っているのに、その奥にある部分は笑っていない。そう感じてしまうような、キレのある笑顔だった。この一瞬だけ、ナミのことを恐ろしく思ってしまうほど。
「チカちゃんを轢いた犯人に?」
僕がそう思ったのは、多田くんがその犯人を探しているからだ。
お父さんが刑事さんだというのも関係しているけど、多田くんはチカちゃんを轢いた犯人を恨んでいるみたいだ。情報をたくさん得ているし、僕のことも疑うくらい。
そういえば、多田くんの口から、チカちゃんは交通事故で亡くなったというセリフを聞いた。お父さんからも聞いたとすれば、警察は交通事故の現場を突きとめたのだろうか。それならば、事故を起こした車を特定できそうなものだけど。
「違うわ。でも、それは内緒」
「またナイショかぁ・・」
残念に思ったのは本心で、思わずため息が漏れてしまった。
「でも、どうして死んじゃうんだろう。僕の周りで、事件がたくさん起きていると思わない?」
「まぁね。他のクラスメイトも同じ状況だけど」
ナミの言っていることがピンとこず、首を傾げていた。それ以上の説明はないから、大したことは言っていなかったんだと思う。
「もう一つだけ教えてあげる」
というナミの言葉が耳に届き、傾いていた頭がピンと立つ。
「チカちゃんを轢いた車ね、レクサスっていうのよ」
「れくさす?」
聞いたことのない名前だった。車の種類だと思うけど、僕が知っているのは「ステップワゴン」くらいだ。
「わからなくてもいいから、それを頭に入れておいてね」
ナミの優しい笑顔を見て、とりあえずは頷いておいた。心の中で、「れくさすれくさす」と呟く。それと同時に、僕がずっと聞きたかったことをナミに尋ねることにした。
「あのさ」
不思議そうなナミの顔を見ながら、思いきって口を開く。
「どうして、僕たちの時代にやってきたの?」
ナミはポカンと口を開け、僕の目を真直ぐに見つめていた。
僕には、彼女の目的がわからないのだ。だって、ここへきて僕と話をする。それが、ナミにとってどんないいことがあるのかわからない。
「なんだ、そんなこと?」
ナミはガッカリしたというか、安心したような顔で笑った。
「別に、大した目的はないよ。ショウタくんだって、ゲームするでしょう?」
僕は頷いたけど、ナミの言いたいことはわからない。
「わたしにとっては、ここへくるのはゲームみたいなものなの。ゲームは楽しいからやるだけで、そこに目的はある?」
「・・ないかな」
ナミは満足そうに微笑み、僕の頭に掌を乗せた。手の重みと体温を少し感じ、未来からきた人とはいえ、彼女が人間であると実感した。
「わたしがここにいる意味なんて、ショウタくんが考えなくていいの。わたしはいつだって消えちゃうんだから」
「いつまでいてくれる?」
ナミがいなくなってしまうと思うと、胸の奥がザワザワした。不安になるような悲しいような、嬉しいのとは全く違う感情だった。
「わかんないなぁ。いつでもこられるけど、わたしも忙しいから」
苦笑いをしてそう言うと、ナミは前を向いてしまった。そのまま両膝を抱えて黙ってしまう。
ナミがどこか遠くを見ているような気がして、自分の世界は狭いのだと感じてしまった。「井の中の蛙」って言葉が浮かんだけど、少し違うような気がする。
「チカちゃんが轢かれちゃったこととか、多田くんが死んじゃう事件とかさ。そういうのが解決するまではどこにもいかないで」
うまい言葉が見つからなかったけど、お願いする気持ちは本気だった。
シンジとは仲直りができたけど、まだまだ不安も多い。いま、ナミにいなくなられたら、僕は一人ぼっちになってしまう。そんな気がした。
「大丈夫。もう少しは一緒にいられるから」
「もう少しなの・・?」
僕が不安そうな顔をしてしまい、ナミは慰めてくれるように笑った。
「シンジくんがいるでしょう?」
「うん、ようやく仲直りできたんだ」
「大丈夫。シンジくんもいるし、きみは一人じゃない。見てくれている人はいるのよ」
もう一度頭に手を置かれ、今度はしばらくそのままだった。お母さんに優しくしてもらった思い出が少ないから、不思議と温かい気持ちになった。このまま、いつまでもナミと一緒にいたいと思ってしまうほど。
そういえば。
「シンジが言ってたんだ。僕の机にイタズラをしていたのは多田くんたちだったって」
「たち」というのは、取り巻きの二人を含んでいるって意味。
「前に絡まれた時も、それっぽいこと言っていたものね」
「でも、最近はイタズラがやんでたんだ。どうしてだろうね」
ナミはよくわからないという顔で首を傾げ、優しく僕の右手を握った。どうしたんだろうと思ってナミの顔を覗き込むと、ナミは前を見たまま言った。
「何事にも理由があるの。さっきはわたし、ここへくる理由はない、なんて言ったけど」
ナミは苦笑いみたいな顔で言って、すぐに続けた。
「だから、ショウタくんがイタズラをされた理由もあるし、それがやんでいた理由もあるの。わかる?」
本当はあんまりわからないけど、ナミの顔を見たら頷いてしまった。僕がイタズラをされる理由ってのはわからなかった。嫌われるようなことをした覚えがないから。
「大切なのはね、ちゃんと考えるってこと。頭だけじゃなくて、心も使うの」
珍しく真剣な顔でナミが言って、彼女の言葉を記憶しようと必死だった。
「もうすぐ、チカちゃんを轢いた犯人もわかると思う。ショウタくんは、自分にできることをすればいいのよ」
今度は優しい顔になって、ナミは僕の顔に手を伸ばした。怖くはないけど、何をされるのかわからない戸惑いがあった。
僕が緊張していると、ナミが僕の右頬をつまんだ。彼女はそのまま笑って、僕の頬をブルブルと揺さぶる。
「笑いなさい。世の中、嫌なことだけじゃないから」
そう言ったナミの顔が悲しそうで、言葉に説得力がなかった。ナミだって何かに悩んでいて、だからこそ僕たちの時間にやってきているのではないか。
そう思うと、ナミに頼ってばかりの自分が恥ずかしかった。