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時の檻  作者: 島山 平
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第一章

                       1


「わたしは未来からきたの」全てはその言葉から始まった。

 小学生の僕をバカにしているのだろうか、そう思っていたけど、チカちゃんを死なせた犯人は捕まった。

 それも、ナミの言った通りに。

 全校集会で体育館に集められ、溢れ返るような熱気の中。隣にいる子のこめかみ(・・・・)を汗が流れ落ち、前の子の背中では、Tシャツが肌に張りついている。

「丸岡さんが亡くなってしまいましたね・・。あの交通事故を起こした人は、警察に逮捕されました」

 という校長先生のお言葉。

 まさか犯人が逮捕されたとは思っていなかったけど、その人はレクサスっていう車に乗っていたはずで、そのナンバーは「1953」だ。

 犯人が逮捕されたのは昨日の夜のことみたいで、それもナミの言う通りだった。

「丸岡さんが亡くなったことは悲しいですが、皆さんまでもが被害に遭わないように注意して、元気に過ごして下さい」

 ようやく校長先生が話を終える気になったみたいで、ほとんどハゲてしまった頭と同じ形のマイクから顔を離した。

 近くからもため息が聞こえ、校長先生の話を苦痛に感じていたのは、僕だけだったわけではなかったみたいだ。全校集会はそろそろ終わるはずで、怖い顔をした別の先生が、連絡事項を呪文のように口にしている。

 それを聞きながら、僕はナミに初めて出会った時の様子を思い出していた。

 

 小学四年生の七月、僕のクラスメイトである丸岡チカちゃんがいなくなった。「いなくなった」というのはお母さんの言葉で、正しくは「誘拐された」ではないかとコッソリ思っている。

 チカちゃんが「いなくなった」のは七月九日、月曜日の夕方。

 その頃、僕は一人でテレビ番組を見ていたと思う。アニメの再放送が始まっていて、平日の午後五時になると毎日リビングで見ていた。姉ちゃんの帰りは遅いし、お父さんたちは仕事。家にいるのは僕一人だった。

 翌日の七月十日、僕が登校してもチカちゃんの姿はなかった。

 普段からそれほど仲がいいわけじゃないから、チカちゃんがいないことに気づくのは少し遅かった。クラスメイトの女の子たちが集まって話をしていたけど、それは普段通りだから何とも思わなかった。

 でも、そこから聞こえてくる言葉が気になった。

「チカちゃん、家に帰ってないんだって」と言ったのは鈴木さんで、チカちゃんとはよく一緒にいる子だった。

 僕はチカちゃんとそれほど親しくないから、本人に向かって「チカちゃん」と呼ばない。でも、本人がいないところでは、鈴木さんと同じで、チカちゃんのことを「チカちゃん」と呼ぶ。

 「丸岡チカ」それがチカちゃんのフルネーム。僕がどうしてコッソリ「チカちゃん」と呼ぶかというと、親友のシンジの影響だ。シンジはチカちゃんのことが好きで、よく僕に相談してくる。適当に相づちを打って、シンジを満足させてやるのが僕の役目だった。

 とにかく大事なのは、僕の親友のシンジ、が好きなチカちゃん、の親友の鈴木さんが言った「チカちゃん、家に帰っていないんだって」という言葉だ。いまは午前八時を過ぎているのに、どういうことだろう。

 気になって聞き耳を立てていると、「昨日、ウチに電話きたもん」という鈴木さんのセリフを受け取る。

 つまり、昨日の放課後からいままで、チカちゃんは家に帰っていないということ。それっておかしいんじゃないかと思う。

 鈴木さんたちの話を聞いていると、他の子もチカちゃんがいないことを知っているみたいだった。どうやら、チカちゃんちのお母さんが、女の子の家に片っ端から電話を掛けていたみたいだ。

 女の子たちの会話を聞いているうちに、担任の先生が教室に入ってきた。先生は三十代の男の人で、体育の時間なんかでは僕たちよりもはしゃいでしまう人だ。元気いっぱいで、みんなから好かれていると思う。

「みんな、席に着けー!」

 先生の声が教室に響いて、僕たちは自分の居場所を探す。

「丸岡は今日はお休みだ。みんなも注意して過ごすように」

 そう言って先生は出席をとり始めたけど、クラスの女の子たちがざわついていた。きっと、チカちゃんが家に帰っていないことを確認し合い、先生がそれを黙っていることについて興味を持っているのだと思う。

 それは僕も同じで、シンジはそれ以上だと思う。いまだって、ソワソワした様子で周りを気にしている。それが何だかおかしくて、後でからかってやろうと決めた。


 放課後、僕とシンジは二人で下校していた。普段と同じ道を、同じような時間に歩く。目の前には長い上り坂が控えていて、そこを毎日通らなければならない。僕たちは「富士坂」って呼んでいる。

 上って下りる。それを、朝と午後に繰り返す。通算でどれくらい通ったんだろう、そんなことを考えていると、隣のシンジが不安そうに言った。

「チカちゃん、どうしたんだろう・・」

 シンジはさっきから、口を開けば同じことを呟いている。

 休み時間、教室の中ではその話題が何度も繰り返されていて、シンジの耳にも届いていたみたいだ。それに対する不安とか興味を表に出さなかったのは褒めてあげたいけど、二人きりになったらこの調子だ。少しだけ、シンジのことを面倒に感じていた。

「家に帰ってないっていうんだから、家出じゃないの?」

 さっきからなぐさめるように言っているのに、シンジは全く信じてくれない。

「でも、鈴木さんたちも言っていたじゃん・・。チカちゃんちのお母さんが電話してきたって」

「ケンカでもして、恥ずかしいんじゃない?」

「もうすぐ丸一日だよ? もしかしたら・・」

「誘拐?」

 僕の言葉を聞いたシンジが、ナマハゲみたいな顔でこっちを見た。

 目は開いているくせに、涙袋が持ち上がっている。下あごが伸びたみたいに変な角度で口が開いているし、怒っているのかビックリしているのかわからない。

「なんでそんなこと言うんだよ!」

 シンジが大声を上げるのは滅多にないことだから、それが耳に届いた瞬間に体が宙に浮いた。すぐに地面に着地して、シンジの機嫌を直す方法を考える。

「だって、そうじゃないとおかしいじゃん・・」

「誘拐だなんて・・そんな・・」

 シンジは普段よりも大人しくなって、体からは「シュン・・」という擬音が聞こえてきそうだった。

 僕の言い訳の言葉を待たずに早足で歩き出したシンジを見て、すぐに追い掛ける。後ろから僕が声を掛けても、怒っているのか、シンジは振り返ってくれない。本気で怒っているんだとわかって、さすがにやりすぎたかと反省していた。

 坂を上って、下りた。

 すぐにやってくる交差点で、シンジとは別れる。シンジの家は交差点を右に進んでしばらくしたところにあって、僕の家はもう少し先だ。交差点を抜けて、橋を渡った団地の中。

 結局、シンジの口から出た言葉は「じゃあね」という小さなものだけで、僕に謝罪するチャンスを与えてはくれなかった。僕にだってプライドがあるから、すがりついてまで許してもらおうとは思わない。それでも、明日になったらシンジの機嫌が直っていることを祈って別れた。

 交差点の信号を渡って、川に掛かる橋も渡る。十メートルくらいの短い橋だ。小さい頃から、長さも高さも変わらない。

 碁盤みたいな団地を進むと、行く先に公園の一部が見えてきた。僕の家はその公園の目の前にあるから、つまりは家にだいぶ近いということだ。家の目の前にある公園で、シンジと二人で遊ぶことだって多い。

 公園に近づくと、中の様子が見えてきた。

 特に壁のようなものはなく、網のフェンスで囲まれているだけ。僕の目には、普段と変わらない公園の様子が映り出した。鉄棒に砂場、ブランコと滑り台。遊具といえば、それが全てだった。それだけで、僕にとっては遊園地になるんだけど。

 さらに公園に近づくと、一つだけ、普段と違うことに気づいた。制服を着た女の人が、ブランコに座っていることだ。

 僕みたいな小学生や、もっと小さな子ならともかく、高校生くらいの人がブランコに乗っているのは珍しい。ブランコを揺らして楽しむわけでもなく、お尻を乗せて座ったまま、ジッと前を見ているみたいだった。

 僕は公園の敷地に入らず、その場でジッと女の人を見ていた。まるでお人形みたいな姿に見とれてしまっていたのかもしれない。


                      2


 数十秒が過ぎたと感じるほど、女の人を眺めている時間は心地よかった。

 頬を流れる汗が合図となって現実に戻り、それが一瞬の出来事だったと思い出す。

 見えるのは女の人の後ろ姿だけで、表情は見えない。それでも、長くて真っ黒な髪の毛が、綺麗なお姫様みたいなイメージを呼び起こした。姉ちゃんも髪の長さは同じくらいだけど、あの人とは何かが違う。「品がない」ってやつかもしれない。

 公園を囲む四辺のうち、フェンスになっているのは二面だけ。いま僕が立っている一辺は、道路との境がない。あと二歩進むだけで、公園の中に入って砂利を踏むことになる。

 しばらくその場で立ちどまっていたけど、そろそろ家に帰りたくなった。公園の中を通れば、家までの道をショートカットできる。

 ゆっくりと歩き出し、公園の中を進む。

 目の前に砂場があり、その右には銀色の鉄棒がある。女の人が座っているブランコは左手にあって、そのうち表情が見えてくるはず。それを少しだけ期待して、僕は砂場の枠に沿って歩いた。

 進む先には階段が四段あって、下の広場に続いている。広場といっても、所々雑草の生えた地面が広がるだけ。その階段に向かって歩いていると、左側から声が聞こえた。女の人の柔らかい声で、「キーン」よりは「フワー」っていう擬音が似合う。

 僕が声のした方に顔を向けると、やっぱりそこには、ブランコに座ったお姉さんがいた。顔は楽しそうに笑っていて、僕をからかうような気持ちがまる見えだ。

「なに?」

 僕の言葉を聞いて、お姉さんは右手で手招きをした。

 さっきお姉さんが何と言ったのか聞き取れなかったし、用があるならそっちがこいよって思ったけど、仕方なくブランコへ向かうことにする。

「お名前は?」

 相変わらず楽しそうな顔で言って、お姉さんは空いているブランコを指で示した。

 そこに座れって意味に感じて、「ショウタだよ」と言いながら腰掛ける。

「ショウタくんかぁ」

 だから何だろうと思って顔を向けると、お姉さんはニヤリと笑って口を開いた。

「何か困っていることない?」

 お姉さんが何を言っているのかわからずに黙っていると、フフッと笑ってお姉さんはブランコを揺らし始めた。

「だから、困っていることよ」

「あったら、どうなるの?」

 僕もブランコを揺らそうと思って、足を使って座席を後ろへ移動させる。弱い勢いでブランコは前へ動きだし、すぐに後ろ向きの力を感じた。

「お姉さんが解決してあげよっか」

「どうやって?」

 二人でブランコを漕ぐ。何だか可笑しな状況で会話をしている。

「きみの困っていることにもよるなぁ」

 お姉さんは僕よりもブランコの振り幅が大きく、悔しくて僕も空中で足をブランブランさせる。

「助けてくれることもあるの?」

「あるある」

「どうして?」

 お姉さんと同じくらいの揺れになり、少しだけ心に余裕が出てきた。

「わたしは未来からきたの」

「え?」

 余裕を感じたのは一瞬だった。

「未来からよ」

 ブランコを漕ぐことも忘れて、僕はお姉さんの横顔を眺めていた。僕たちは前後に揺れているから、お姉さんの顔が見えなくなったり、顔の全体が見えたりする。

 それに共通しているのは、お姉さんが笑っているということだけだった。

「ウソでしょう・・?」

「嘘じゃないわよ」

 僕のブランコの揺れはかなり小さくなっていて、お姉さんの動きをじっくりと眺めることができた。お姉さんはすぐに両足を地面に擦らせ、ザザッという音とともに動きがとまった。

「ウソだよ。からかっているんでしょう?」

「ううん。わたしは、未来からきたの」

 お姉さんは僕の方を見て、相変わらずの笑顔で言った。

「証拠は?」

 絶対にからかわれている、それを確信していたから言ってやった。「証拠を出してみろ!」って言う、ドラマの中の刑事さんになった気分だった。

「きみの困っていることを話してごらん? 解決できるかもしれないわ」

 お姉さんが僕の目をジッと見て言い、恥ずかしくなって顔を逸らす。困っていることはあるだろうか、僕がそれを考えていると、すぐにちょうどいいことを思いついた。

「チカちゃんがいなくなったんだ」

「チカちゃんって?」

 お姉さんの顔が嬉しそうに明るくなって、何だか子供みたいだった。

「僕のクラスの子。丸岡チカちゃんっていうんだ」

「いなくなっちゃったの?」

「うん。家にも帰っていないんだって。僕は誘拐されたんだと思うけど」

 お姉さんは何かを考えるように顔が下を向き、僕の足元を見ているような角度だった。最近買ってもらった靴を履いているから、お姉さんに見られても恥ずかしくない。

「オッケイ。わたしが調べてきてあげる」

 顔をあげたと思ったら、お姉さんはわけのわからないことを言った。調べるって、どうやるつもりなんだろう。

「未来に戻って、チカちゃんがどうなるのか調べてきてあげるってことよ」

 そう言ってお姉さんは笑った。

 綺麗な映像だったけど、お姉さんの言葉を信じる気になんてなれなかった。当たり前だと思う。

「そんなのムリだよ。どうやるのさ」

「方法は教えられないけど、無理って決めつけるのはダメよ」

 お姉さんは真面目な顔で言って、僕を叩く振りをした。

「本当にわかるの?」

 そんなはずはないってわかっていたけど、お姉さんの言葉を聞いてみたかった。

「わかるわ」

 お姉さんはやけに自信満々に答え、「でも」とつけ加えた。

「それじゃあきみは信じてくれないでしょ、いまは。わたしが未来からきたってこと」

「うん。証拠がないもん」

 僕の返事に小さく笑って、お姉さんは「うーん」と唸った。それでも、すぐにこっちを見て、嬉しそうに言った。

「あそこの犬、どうなるか教えてあげようか」

 お姉さんはブランコから降りて、僕を手招きしながら左へ歩いていった。

 仕方なく、僕もお姉さんを追い掛けることにした。自分は何をしているんだろうって、バカバカしく思いながら。

 お姉さんの言った「犬」というのは、公園に住んでいる「ロック」のことだと思う。本当は近所のおばあさんが飼っているんだけど、家が狭いのか、公園に住まわせているみたいだ。

 それが許されることなのか知らないけど、僕にとっては嬉しいことだった。僕のうちでは動物を飼わせてくれないから、公園にいるロックを自分のペットのように可愛がっている。

 お姉さんが先頭で歩き、公園の隅にある倉庫へ近づいた。フェンスのない二辺が交わる角に、白色の倉庫がある。いまはボロボロで、全体的に薄汚れているけど。

「ほらほら」

 倉庫の向こう側にいるお姉さんが、僕の方を振り返りながら言った。楽しそうに、まるで隠してある宝物を自慢するような様子で。

「この子、怪我をしているでしょう?」

 お姉さんが指差した先にはロックがいて、地面にうつ伏せで座り込んでいる。人間だったら、布団の上でだらけている時に近い格好だった。ロックは僕たちに気づいているはずだけど、興味がないのだと思う。目だけで様子を伺っていた。

 こいつは昔っから愛想がよくなくて、近所の女の子たちからは人気がない。それでも、僕はこの媚びない態度が好きで、ロックに相手にされなくてもちょっかいを出していた。

 ただ、ロックがあまり動かないのには理由があった。最近、僕の知らないうちに誰かがロックにイジワルをしたからだ。

 「イジワル」というのはやっぱりお母さんの言葉で、言ってしまえば暴力を振るわれていた。近くで見るとよくわかるけど、ロックの体には傷がついているし、毛をむしられたような痕もある。

 ロックの飼い主であるおばあさんは怒って、「犯人をシバイてやる!」なんて言っていたけど、こいつを家の中に入れようとはしない。だから近所の、例えば僕の隣の家に住んでいる山本さんがそれを提案したんだけど、おばあさんはロックを誰かの家に上げることもイヤがった。

 それで、仕方なく傷ついたままの状態で、ロックは小屋に紐で結ばれている。

「ロックがどうなるのか、教えてあげようか」

 お姉さんはロックを見下ろしたまま言った。「どうなるのか」なんて言われると、不安な気持ちが押し寄せてきた。

 僕が黙ったままでいると、小さな声でお姉さんは言った。

「死んじゃうんだよ」

 そう言って振り返ったお姉さんは、本当に悲しそうな顔をしていて、この人は悪い人ではないんだなって想像できた。

「どうして?」

「怪我が酷くてね。いまも苦しんでいるのよ」

 お姉さんはそれ以上話さず、同情するような表情でロックを見下ろしていた。

 僕が見た限り、ロックはそこまで苦しんでいるようには見えない。のたうち回っているわけじゃないし、苦しくて唸ってもいない。だから、お姉さんの言葉を信じられなかった。

「ついでに言うと、ロックに酷いことをした人も明らかになるわ」

「そうなの?」

 どちらかというと、僕はその内容に驚いた。

 ロックが死んでしまうだなんて信じられないけど、酷いことをした犯人が捕まるというのは別だ。それは僕の望んでいたことだし、悪いことをした人は逮捕されなくちゃいけないと思う。

「いつ?」

「それは秘密」

 お姉さんは悲しそうな表情のまま、人差し指を口の前に立てた。唇がキスをするように尖っていて、人差し指に触れているのがわかる。

 何だか恥ずかしくて目を逸らしてしまったけど、お姉さんが教えてくれないことがもどかしかった。もしかすると、適当なことを言っているだけかもしれない、そんな考えが沸き上がってきた。

「でも、近いうちよ」

「どうして知っているの?」

「未来で見てきたから」

 お姉さんは当たり前のように言って、その場から動き出した。僕に近づいて、「下がれ」と言わんばかりに両手をヒラヒラと舞わせた。

「チカちゃんのことは知らないのに?」

 慌てて歩き出しながらお姉さんに尋ねると、すぐに返事が返ってきた。

「チカちゃんはこの辺りに住んでいないでしょう? だから知らないのよ」

 僕は自分の質問がけっこうナイスなものだと思っていたから、簡単に言い返されて不満だった。でも、それ以上の質問は浮かばなかった。

 二人でブランコの側まで戻り、お姉さんは近くにある階段へ向かった。階段の上から二段目にお尻を下ろして、長い脚をもう一つ下の段に伸ばしていた。

「おいで」

 振り返ったお姉さんに言われ、少し経ってから動き出すことにした。お姉さんの左側に足を進め、少し離れた位置に腰を下ろす。

「また明日、ここにきてくれる?」

 そう言ったお姉さんの目には悲しそうな様子が浮かんでいて、僕の首を勝手に頷かせた。それを見て嬉しそうに笑い、お姉さんは視線を前に戻した。

「お姉さんの名前は?」

 僕はつい尋ねてしまったけど、不思議と恥ずかしさはなかった。年上の知らないお姉さんなのに、どんなことでも聞いていいんじゃないかと思ったからだ。

「なに? ナンパ?」

 お姉さんは可笑しそうに笑い、握った右手を口元に当てていた。それでも、すぐにこっちに顔を向けて短く言った。

「ナミ」

「僕はショウタだよ」

 そう言って僕も笑う。

 お姉さんの名前の「ナミ」がどんな漢字なのか想像できなかったけど、細かいことまで気にする必要はないかなと思った。それに、深くまで知らない方が、二人の関係が不思議なものになる気がした。

「ナミさんは、本当に未来からきたの?」

「そうよ。それと、ナミでいいわ」

 ナミは笑顔で答えた。

「どれくらい未来?」

「う〜ん、細かいことは言えないのよねぇ」

 ナミは困った様子で苦笑いみたいな表情になった。それでも、すぐに話し出した。

「数十年後、ってことにしておこっか」

「二十年とか三十年?」

「そんな感じ」

 僕はいま十歳だから、その頃は三十歳か四十歳。ピンとこないけど、お父さんが三十八歳だから、だいたいそれくらいか。お父さんみたいに、少しお腹が出てきているのだろうか。あんまり嬉しくない。

「どうしてこの時代へきたの?」

「それも秘密」

 へヘッと笑って誤魔化し、ナミは僕から視線を逸らした。

「ナミのいる頃は、どうなっているの?」

 僕の言葉を聞いてナミがニヤリとしたのは、質問が期待通りだったからか、「ナミ」と呼ばれたことが原因なのか。

 わからないけど、ナミはすぐに話し出した。

「それほど変わっていないよ。あ、でも、携帯電話は持たなくてよくなったの。だからわたしは持ってない。あとはねぇ・・、車はまだガソリンで動いているわ」

「携帯電話がなくなっちゃうの?」

 僕はまだ持っていないけど、お父さんたちが持っているのを羨ましく思っている。姉ちゃんは高校生になった記念に買ってもらったから、僕も早く高校生になりたくて仕方がないくらいだ。

「なくなるっていうか、耳にはめるからね。ほら、オペレーターさんみたいな」

 ナミの言う「オペレーターさん」がピンとこなかったけど、アニメの中の司令室にいる女の人を想像しておいた。確かに、耳につけた機械から、口まで何かが伸びていたような気がする。

「便利なものばっかり?」

「物はね」

 ナミの言葉を理解することはできなかったけど、何となく大事なことを言ったんだと思っておくことにした。

「それじゃあ、僕はそろそろ帰るよ」

「おうち、近いの?」

「うん、あそこ」

 二人の顔の先を指差し、そこには僕の家が見えていた。ナミは少しだけ驚いたような顔で僕の示した家を眺めている。想像以上に近くて、拍子抜けしてしまったのかもしれない。 

 家の場所を勝手に教えてしまい、まずかったかと不安に思っていると、ナミが笑顔で僕を見た。

「ホントに近いね」

 ナミは笑っていて、ビックリさせてやったことが嬉しかった。ナミは自分が未来からきたとか言うし、こっちだってやり返したかったのだ。

「ナミの家は?」

 僕の質問に首を横に振り、ナミは「未来だもの」とだけ言った。答えをはぐらかされたような気がしたけど、それほど興味もなかった。

 すぐに立ち上がり、ナミを見下ろす。

「帰るね」

「うん」

 ナミは座ったまま頷き、笑顔で僕に手を振った。それに答えるように右手を少し上げ、ナミに掌を向ける。これが、僕なりの挨拶だった。手をヒラヒラと横に振るのは、何だか子供っぽいと感じているから。

 すぐに家の方を向き、ナミを残して歩き出す。

 後ろからは何の音も聞こえないけど、何となく、ナミに見られているような気がした。ここで振り返ってしまうのは負けのように思えて、振り返らずに歩き続ける。公園の広場を歩き続け、二十秒もしないうちに奥の道路がすぐそこに見えた。公園はそれくらい小さいのだ。

 公園と道路の間にはフェンスが張られているけど、一部に隙間がある。隙間には階段があって、そこを通れば道路に出ることができる。公園を出て十歩くらい歩けば、僕の家に到着することになる。

 公園を出て、道路を渡りながら公園の様子を伺うことにした。さすがにもう、ナミは僕のことを見ていないと考えたからだ。歩きながら振り返ると、さっきまで座っていた階段にいるナミが見えた。少し驚いたのは、ナミが僕に向かって手を振っていることだった。

 まさか見送られているとは考えていなかったし、僕だったらそんなことはしないだろうなって思った。それでも、少しだけ右手を上げて、ナミに返事をしてあげることにした。年上の女性に対する僕なりの優しさのつもりだったけど、ナミにはこの優しさが伝わっただろうか。

 ナミを見るのをやめ、目の前に迫ってきた家の門に手を伸ばす。一般的な二階建ての一軒家、それが僕の家だった。


「姉ちゃん、タイムマシンってあるのかなぁ」

「はぁ? なに言ってんのよ」

 姉ちゃんはバカにするような顔で、少しだけ笑いながら言った。

 リビングにいるのは僕と姉ちゃんの二人だけで、壁の時計は午後七時四十分を指している。

「未来から人がきたり、僕たちが行ったりとかさ」

「できるわけないじゃない」

 姉ちゃんはソファーに座りながら適当に返事をして、テレビに映っている芸能人に夢中みたいだ。

 ナミと会ったのはつい三時間ほど前のことだけど、それがウソみたいに平和な日常だった。お父さんたちは仕事から帰ってきていないし、姉ちゃんが帰ってきたのは一時間ほど前だ。

 姉ちゃんの名前は東子(とうこ)といって、名前に方角の文字が入っているのは珍しいと思う。僕の名前だって人のことをバカにできないかもしれないし、この気持ちを口にしたことはなかったけど。

 姉ちゃんが高校から帰ってくるのは毎日だいたいこれくらいの時間で、部屋で着替えてから夕飯を作ってくれる。お母さんは忙しいから、夕飯を作るのは姉ちゃんの仕事になっている。ちなみに、今日は焼き魚だった。

「未来から人がきたらさ、僕たちの将来のことも教えてもらえるんじゃないかな」

「そんな漫画でも読んだの? アニメ?」

 姉ちゃんは一瞬だけ僕に視線を送り、面倒くさそうに言った。

 僕は食卓に着いて宿題をしているけど、姉ちゃんは遊んでいる。高校生なんだから、もう少し頑張らなくていいのかって心配になる。

「未来からきたっていう人に会ったんだ」

 僕がそう言うと、ようやく姉ちゃんがこっちに顔を向けた。眉間にシワを寄せた変な表情で、観察するように僕を見ている。ナミのことを話してしまったけど、細かいことは隠している。ナミに迷惑を掛けることもないと思う。

「どんな人よ」

「それは内緒」

「危ないことに巻き込まれちゃダメよ」

 姉ちゃんが叱るような口調で言って、僕を睨んだ。

 お母さんが家にいない分、僕に注意するのは姉ちゃんである場合が多い。むしろ、たまに会うお母さんの方が優しいくらいだから、正直僕は姉ちゃんが怖い。少しだけ。

「そんなんじゃないよ。違うクラスの子に言われただけだから」

 という適当なウソをでっち上げておいた。これ以上、姉ちゃんに叱られるのはゴメンだったからだ。この話はしない方がいい、僕の中の何かがそう言っていた。

「そういえば、あんたのクラスの子、まだ見つかっていないのね。丸岡さんだっけ?」

 姉ちゃんがテレビのボリュームを下げ、ソファーに足を乗せて言った。食卓にいる僕と正面で向かい合う状態だ。

「家にも帰ってないんだってね。姉ちゃん、何か知らない?」

「知るわけないじゃない」

 姉ちゃんはバカにするように笑い、それでもすぐに、厳しい顔になった。

「でも怖いわよね・・。小学生の女の子がいなくなるなんて」

「姉ちゃんは狙われないんじゃない?」

 姉ちゃんに睨まれたのは、おばさん扱いしたからか、チカちゃんが誘拐されたという考えを見透かされたからか。

「一応、あんたも気をつけるのよ」

 そう言って、姉ちゃんはまたテレビに集中し始めた。


                       3


 七月十一日の午後三時過ぎ、僕とシンジを含む集団は富士坂を下っていた。

 昨日の帰りにケンカをしてしまい、学校でも何となく気まずかった。一応、シンジは会話をしてくれるけど、どこかヨソヨソしい感じがある。いまだって、自分から話を始めようとはしてくれなかった。

「チカちゃん、まだ見つからないんだね」

 何気なく話題を振ってみたけど、シンジは頷くだけで口を開いてはくれない。話題を間違えただろうかと反省してみたけど、いまはこれ以外に話すことなんてないんじゃないかと思った。

 チカちゃんは、今日も学校へやってこなかった。さすがに、チカちゃんがいなくなったことはみんな知っているようだった。先生たちにも何か考えがあるみたいで、集団下校をさせられている。朝だって、集団登校をしたのだ。

 四年生の僕たちは集団の真ん中を歩いていて、前後には他の学年の子たちがいる。先頭と一番後ろは、六年生の男の子が歩いている。このまま富士坂を下り終えたところで、集団は半分になる。シンジみたいに、橋を渡らない子たちがいるからだ。その子たちと別れて、僕は橋の向こうにある家へ向かう。

 今日もシンジと仲直りができないかもしれない、それを悲しく思っていると、あることを思い出した。家の目の前にある公園で、ナミと会う約束をしていたんだった。昨日の夜はあんなに楽しみにしていたのに、シンジと顔を合わせてからはすっかり忘れていた。

 公園の側まで行けば、集団はほとんどいなくなる。公園があるのは家の目の前だし、一人で行動することもできそうだ。そんなことを考えているうちに、富士坂を下り終えた。

 シンジを含む七人がいなくなり、残された九人で橋を渡る。もうすぐナミに会えることが楽しみで、シンジには「またね」しか言わなかった。シンジとはいつだって会えるから、またその時に謝ろうって思った。

 橋を渡り終えて公園に近づいた頃には、集団と呼べるようなものではなかった。僕と、六年生と三年生、その三人だけだった。その二人は僕の家よりも少しだけ遠くに住んでいるから、公園の側で僕だけが別れた。

 二人が歩いていく後ろ姿を眺めながら、僕は急いで公園へ向かう。道路の真ん中を走り、右手の先にある公園が見えてきた。

 ナミは高校の制服を着ていたけど、この時間に学校は終わっているのだろうか。そう思うと同時に、ナミは未来からきた人だということを思い出した。それならば、姉ちゃんみたいに帰りが遅いこともないかもしれない。昨日もこの時間に公園にいたのだから、今日だって同じである可能性があっていいと思う。

 期待が八割、不安が二割という状態で走り続け、公園のすぐ側へ近づいた。昨日と同じ公園の一辺で立ちどまり、ハァハァと息をしながら公園の中を覗く。

 すぐに、ブランコに座っているナミを見つけた。それがナミかわからないけど、顔が見えなくても後ろ姿だけで確信できた。彼女の真っ黒で長い髪の毛が、夏の風に揺れていたからだ。

 僕はゆっくりと音を立てないように注意して進み、公園の砂利の上を進んだ。ナミは僕に気づいていないみたいで、ブランコに座ったまま前方を眺めている。

 あと七メートルくらいで、ナミの座っているブランコに到着する。

 その時だった。

「ショウタくん?」

 「うわっ!」って声が出てしまったけど、仕方ないと思う。だって、ナミが僕に気づいている様子なんてなかったから。

「どうしてわかったの?」

 僕は駆け出し、すぐそこにいるナミの正面へ回り込む。そこには悪戯っ子のように笑っているナミがいて、「ビックリした?」という言葉が返ってきた。

「見てたの?」

「ううん」

「音が聞こえた?」

 僕は慎重に歩いていたつもりだけど、砂利を踏む音が聞こえていたのかもしれないと思ったのだ。

「ちがうちがう」

 ナミは満足そうに笑って、隣のブランコを手で示した。そこは昨日僕が座ったのと同じ場所だ。

「未来で見てきたのよ」

 僕がブランコに腰掛けると同時にナミの言葉が聞こえ、もう少しでブランコから落ちてしまいそうになった。バランス感覚がデロデロだ。

 ナミはそれを見てさらに満足したみたいで、ケラケラ笑っている。

「本当に未来からきたの?」

 いまでも信じられないけど、ナミが僕に気づいたことで信じてしまいそうになった。

「そう言ったじゃん。もう驚かされないよ」

 笑っているナミを見て、未来の僕は彼女を驚かすことに成功したのだと知った。それでも、ナミはいまの時間へ戻ってきて、僕の作戦を防いだ。僕にはどうしようもないのに、何だかそれが悔しかった。

「約束通りきたよ」

「うん、ありがと」

 ナミはブランコを前後に揺すっていて、話を始める気配はなかった。呼び出しておいて何のつもりだろう、僕がそう思っていると、何気ないという様子でナミが言った。

「チカちゃん、もう帰ってこないよ」

「え?」

 うまく聞き取れなかった気がして、ナミの横顔を眺める。

「チカちゃんは、もう帰ってこないの」

 聞き返しても、ナミはさっきと同じことを言っている。チカちゃんが帰ってこないというのは、いったいどういう意味なのかわからない。

「チカちゃんがどうなるのか調べてきてくれたの?」

「うん。チカちゃんはもういないの。わかる?」

 わからずに首を横に振っていると、ナミはブランコの動きをとめた。そのまま僕の方を見て、真剣な表情で言った。

「チカちゃんは死んじゃったんだよ」

「えぇ!」

 つい大声が出てしまったけど、仕方ないと思う。ナミは冗談を言っているようではなかったし、チカちゃんが死んじゃったなんて聞かされたら、叫び声が出るってもんだ。

「どうして?」

「車に轢かれちゃったの」

 ナミはそう言って悲しそうに俯き、僕から目を逸らすように前を向いた。

「いつ?」

「わかんない。でも確かなのは、いまはもう死んじゃっているってこと」

「誰が車を運転していたの?」

「それは内緒」

 ナミは真剣な顔で言って、小さなため息をついた。

 ナミが未来で見てきたのは、いったいどんな状況だったのだろう。チカちゃんが死んでしまったことは知っているのに、その事故がいつだったのかわからないだなんて。運転手について教えてくれないのはどうしてだろう。

 それを尋ねようとタイミングを伺っていると、ナミの顔がこっちを向いた。背景には百パーセントの太陽の光があって、ナミからもの凄い力を感じてしまった。

「チカちゃんは事故でなくなって、遺体は発見された。犯人も捕まるわ」

「それは誰なの?」

「内緒よ」

「どうして?」

 ナミは僕の問いに答えようとはせず、苦笑いみたいに力の抜けた笑い方をした。不思議だったけど、未来では何かが起きていたことはよくわかった。

「犯人の名前は言えないけど、車のナンバーだけ教えてあげる」

「それは知ってるの?」

「1953よ。覚えられる?」

 ナミに心配されたことが悔しくて、僕は何度も頷いてやった。心の中で「イチキュウゴオサン」という呪文を繰り返し、必死に暗記する。明日になっても忘れないように、家に帰ったらメモをしておこうと決めた。

「チカちゃんはいつ見つかるの?」

「たぶん、明日くらい」

「どこで?」

 その質問には返事がなかった。ナミがどこまでを話してくれるのかわからないし、僕も悲しみで言葉が続かなかった。チカちゃんのことは特別に感じていないけど、クラスメイトが死んでしまうのは悲しい。それに、シンジのことを考えたら、その気持ちは一層大きくなった。チカちゃんが死んでしまったことをシンジが知ったら、立ち直れるのだろうか。

 不安が大きすぎて、犯人がどうとか、そんなことにはあんまり興味がなかった。

「でも、これできみに信じてもらえるね」

「なにを?」

「わたしが未来からきたってこと」

 ナミは少しだけ明るい表情になって、僕を見たまま動かなかった。

「まだわかんないよ。チカちゃんが見つかんないと」

「まぁ、そうだけどさ」

 ナミは笑いながら前を向き、長い脚を伸ばした。僕よりも、姉ちゃんよりも長い脚はピッタリ揃えて伸ばされている。何となく、映画の中の女優さんをイメージした。

「そうだ。ロックが死んじゃうのはいつ?」

 僕は顔を左に向け、倉庫の奥にいるはずのロックを透視した。きっと、地面に這いつくばってグダグダしていると思う。

「ロックはもうすぐ死んじゃうよ。それこそ、一週間以内じゃないかな」

「そうなの?」

 そんなに早いと思っておらず、ビックリして悲しくなった。毎日遊んでいたロックがいなくなると思うと、大切なものが消えてしまうように悲しかった。

「ロックが死んじゃうのは、チカちゃんとは関係あるの?」

 僕がビックリしたのは、ナミが驚いた表情をして固まっていたからだ。ナミも何かに驚いたみたいだけど、それを見たこっちだって同じだ。

 後ろを振り返ってみたけど、特に変わったものはない。ナミは何に驚いたのだろう。

「あんまり詳しいことは知らないの。ニュースになったことを聞いたくらいだから」

「そっか。ナミは関係ないもんね」

 ナミは苦笑いをして頷き、乾燥した小さな笑い声が聞こえた。それを聞きながら、僕はチカちゃんが死んでしまったことについて考えた。

 いまは死んでしまっているみたいだけど、どこにいるのかも知らない。誰かに言ったところで、信じてくれないと思う。僕だって、ナミの言葉をまるっきり信じられているわけではないから。

「チカちゃんのこと、どうしたらいいの?」

 ナミに尋ねると、彼女は困ったように空を見上げた。

「助けてあげたいけど、それはできないものね」

「ナミは、いまよりも前へは戻れないの?」

 さっき、それに気がついたのだ。

 ナミは未来の人だけど、僕と同じ時間を過ごしている。それは、彼女がどうにかしてこの時代へ戻ってきたからだ。それなら、もっと前の時間、例えば三日前に戻ることも可能ではないか、それが僕の考えだった。

 そうして、チカちゃんを助けてくれないかと期待していると、ナミは悲しそうに首を横に振った。

「それはできないの」

「どうして?」

「色々とルールがあるのよ」

 ナミはそれ以上言わず、苦笑いをして誤魔化しているみたいだった。「色々ある」なんて言われたら、それ以上質問しようがない。

 僕は諦めて、明日見つかるはずのチカちゃんを想像した。車に轢かれたということだから、綺麗な体ではないと思う。それに、いなくなってから時間が経っているから、どこかに捨てられたんじゃないかと思う。

 身近な女の子がそんな目に遭うのは恐ろしいし、単純に、同情してしまう気持ちもあった。ナミから話を聞いているのに、自分には何もできないことも痛感していた。

「わたしは帰ろうかな」

 ナミはそう言って僕を見て、ニッコリと笑った。これまでは少し暗い表情をしていたから、ナミの笑顔を見たのは久しぶりな気がする。僕は笑っているナミの方が好きだから、少しだけ安心できた。

「どこに帰るの?」

 僕が尋ねると、ナミは悪戯っ子みたいに笑った。右手の人差し指を口の前に立てて、「ナイショ」とだけ言った。

 そのまま立ち上がり、ブランコのポールに手を掛けて踊るように円形に移動した。円の半分の半分、つまりは四十五度くらい円弧を描いたことになる。

「ついてきちゃダメよ」

 また笑って、ナミはすぐに歩き出した。

 僕はブランコに座ったまま後ろを向いて、ナミの歩いている様子を眺める。時々、ナミが振り返って僕に手を振る。「シッシッ」という擬音が聞こえてきそうな手振りで、仕方なく前を向く。

 追い掛けてやろうと思ったけど、もう少し我慢することにしていた。ナミが公園から離れたら、コッソリと、それでいて急いで追い掛ける。ナミの行動を監視してやろうと密かに計画していた。

 顔だけで後ろを確認すると、ナミが立ちどまって僕を見ていた。呆れたような顔で、もう一度僕に手を振る。シッシッと。僕は見られていたことに驚きながら、ナミに笑い掛けてから顔を前に戻す。前を向いたまま五秒を数える。それで、ナミの姿は見えなくなるはずだ。

 心の時計が五秒の鈴を鳴らし、僕は急いで立ち上がった。

 ブランコの座席は前後に揺れ、それを横目に駆け出す。視界の端に、黒くて長い髪の毛が映った気がした。

 公園の砂利を蹴り飛ばすように走って道路へ向かう。

 道路に出ると、ナミの歩いていったはずの左側を確認した。もしかすると、ナミが歩いているかもしれないからだ。そうでなくても、僕から逃げるように走っているかもしれない。

 それでも、道路にナミの姿はなかった。

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