ALICE
これは安楽の地を求めて
野原をかける少女の話
凍てつくような寒空の下、死屍累々の血なまぐさい戦場に一人の少女が立っていた。
端正な顔立ちで屍の上に立つその少女の瞳には、光がなかった。
しばらくして、その少女の瞳に光が戻ると、大粒の涙を流して座り込んだ。
彼女の名前は夢月 アリス。
彼女には風のように駆ける速さがあった。
彼女には瞬時に状況を判断する頭脳があった。
彼女には武器を自分の手足のように使う技術があった。
しかし彼女は優しかった。故に、弱かった。
第1章
『戦地を駆ける白兎』
野原に吹きすさぶ風に交じるように硝煙の臭いがする。
鉄臭い地面を強く踏みしめる。
私の名前は夢月 アリス。兵士として戦場に立って3年たった。
最初のころは戸惑っていたが、今では傷を負うことは少なくなった。
「見ろ…白兎だ」
真っ白な服を着て敵に単騎突撃を仕掛ける。それが、私の戦場での過ごし方だ。
白い服には特に意味はなかったが、服のせいでついたあだ名が『白兎』。
おかげで敵味方関係なく有名人になってしまった。
「はぁ…」
私は普通でいたかった。まぁ、兵士が普通を語るのはどうかと思うが、
それでも私は普通でいたかった。普通を騙りたかった。
今日も白い服が真っ赤に染まる。そのたびに私は絶望する。
「…ごめんなさい」
そういうと涙をぬぐって味方のところへ戻っていく。
「今日も白兎がやりやがったぞ!」
上官の激励の言葉が重い。
「上官。明日から久々に休暇をください」
そう伝えるとふらふらしながら、自分の部屋に戻る。
私は戦果を挙げるからと、ある程度の自由がもらえる。
明日は久々に買い物にでも出かけようか。
そう考えながら、眠りについた。
第2章
『もう一人』
今日は休日だ。とりあえず出かける用の服に着替えて基地を出た。
この町はこの基地ぐらいしかないが、しばらく移動すれば結構おしゃれな街がある。
今日はそこまで出て買い物でもしよう。そのあとは…
決まらないので、現地についてから考えることにした。
3時間くらい移動した後、ようやく目的の街についた。
とりあえず服を見に行こう。いつもの白い服では出かけた気にならない。
ウキウキしながら服を見た。
しばらく見てまわった後、何着か服を買った。やっぱり私は白が好きらしい。
自分のセンスのなさに軽くがっかりしながら近くのカフェに入った。
コーヒーを飲みながらしばらく読めてなかった本を読む。
「あの…その本『星の空』ですか?」
本を読んでいる最中に声をかけられたので、とてもびっくりした。
「そうですけど」
「やっぱり!私その本好きなんです!」
いつも聞く上官の怒号とは違った煩さが耳に入る。
「そうなんですか。私この本読み始めたばかりなのであまり先の展開は言わないでくださいね」
そういって本をしまった。
「私、兎原 アリスって言います!」
アリス?不思議な名前だなと思ったが、自分も同じ名前だったことに気づき、いうのをためらった。
「私もアリスって名前なんです。私は、夢月 アリスです」
一応名乗っておくことにした。
「へぇー。奇跡ってホントにあるんですね」
驚いた表情をした兎原はとてもかわいらしかった。
「私、この近くの大学で一応大学生やってます。」
とても兵士とは言えなかったから適当にあしらっておく。
「そうなんですか!?この近くの大学って、桜木大学ですよね!?」
うるさくてかなわない。
「私も、桜木大学に通っているんですよ!」
しまった。嘘も慎重につかなければいけない。
「もしかしたら、学科が違うからかもしれませんね」
「なるほど!」
勝手に納得してくれたらしい。
「私、今日で19歳になったんですよ。だから今日は自分のご褒美として服を買いに」
この人、私より年上だったのか。落ち着きのない人が自分よりも年上と知った時の嫌な気分は何とも言えないものだ。
「へぇ。それじゃ私のほうが年下なのか」
「え!そうなんですか!?それじゃ私がお姉さんか~」
にやにやしながらそう言っていて気持ち悪かった。
しかし、兎原と話していると、何故か気分が落ち着く。
あぁ、私の目指していた普通というのはこういうことなのかと、自分を納得させる。
「あ!もうこんな時間!あの、もしよければ連絡先交換しない?」
随分となれなれしく来た。まぁ、断ることもないだろう。
「いいですよ」
そう言いつつ携帯を取り出す。
「はい!これでOKです」
そういって、携帯をしまった。
「それじゃ、また会おうね!」
そう言って去っていく彼女の後姿を見送った後、もう一度本を読み直すことにした。
その日は久々に基地の外で寝ることにした。
その街のビジネスホテルにチェックインし、ベッドに倒れこんだ。
基地でもベッドで寝ているのだが、あの粗末なものとは違う柔らかさが私を包み込んでくれる。
「あ、シャワー浴びなきゃ」
忘れるところだった。これでも一応18の乙女なのに。
シャワーを浴びて、もう一度倒れこむ。
今度は、すぐに眠りに落ちた。
次の日の朝。私は基地に戻り、いつもの白い服に着替える。
昨日買った服はタンスの奥底にしまい込み、次の休暇に備えてしばし休息の時だ。
今日も私は戦地に赴く。
白兎は、今日も戦場という野原を駆ける。
第3章
『友と呼べる人』
もう一人のアリスに出会ったあの日から、兎原にはよく会っている。
兎原はおしゃべりが好きらしく、会うたびに兎原のマシンガントークを喰らっている。
上官の激励の言葉よりも気分がいいこのマシンガンは、聞いていて不思議と飽きない。
いつしかこのアリスは、私の親友と呼べる存在として、私の中で大きくなっていった。
戦場の殺伐とした雰囲気で疲れ切った私の心をアリスは癒してくれる。
アリスに出会ってから私の心は、少しだけ安らぎを取り戻した。
「でさー、夕夏ったらさ、『私の大学生活はもう、終わってしまった』て、大げさだよねー」
私は夕夏という人物を知らない。それでもアリスの話は自然と笑みがこぼれる。
「夕夏さんって人、面白いですね。一度会ってみたいです」
「今度会わせてあげようか?」
そんな会話を続けるうちに時間が過ぎていく。そんな何でもないような日々が私にはとても大事なものに思えた。
次の日には戦場に立っているのだが、そんなことがどうでもよくなってくる。
その日はアリスと夜までずっと話していた。
次の休みには何を話そう。そう考えると自然と顔がほころぶ。
こんな風に笑ったのはいつぶりだろうか。
次の日の朝。私は少し早めにチェックアウトをし、基地に戻っていく。
基地に戻る私の手にはアリスと一緒に買った服があった。
私の服の中で初めての白以外の服だった。
今度アリスに会うときにはこの服を着ていこう。
そう考えていつもの白い服に着替える。
今日は少し浮かれ気味に戦場に向かう。
兵士としては失格なのだが、私は傷を負わないからいいのだ。
今日の白兎はいつもより素早く戦地を駆ける。
第4章
『帽子屋』
「帽子屋?」
上官の言葉に耳を疑った。戦場に似つかわしくない言葉だからだ。
「そうだ。近頃お前の活躍があって、向こうも戦力を投入してきた、どうも、お前を意識してるらしく、大きな黒い帽子をかぶっている」
黒い帽子か。邪魔じゃないのだろうか。
「とにかく、帽子屋に気をつけろ。今お前を失うわけにはいかない」
人に心配されることも久々だった。
「了解しました」
そういうと私は戦場に向かった。
いつも通り単騎突撃。一人、また一人と撃破していく。
白い服を赤く染めて敵の中心地へと向かう。
中心につく頃には、私の周りには誰もいなかった。
「ふぅ…」
一息ついて黙祷をすまし、帰ろうとした時、背中に違和感を覚えた。
背中を見ると、見慣れないナイフが刺さっていた。
遠くのほうには少し歪な形をした帽子をかぶる人影が見えた。
「帽…子屋…」
そこで私の意識は途切れた。
その日、白兎はその服を自らの血で染めることになった。
次に見たものはちかちかと今にも消えそうな電球がぶら下がる天井だった。
「気がついたか」
隣に上官が座っていた。
「あの…」
「お前の背中に刺さっていたナイフには『さよなら、白兎』と書かれていた。おそらくお前を襲ったのは帽子屋だろうな」
私は何も言えなくなってしまった。
「お前はしばらく休め。戦場には出るな」
「…分かりました」
それだけ聞くと、上官はその場から立ち去った。
慢心していた。戦場に私情をもっていってはいけないことを痛感した。
その日、私は粗末なベッドの上で泣いた。
自分の弱さを突き付けられて、泣いてしまった。
第5章
『戦士の休息』
あの日から1か月。傷はもう痛くないが、私は戦場にはいなかった。
「最近何かあった?」
一緒にいたアリスから心配されてしまった。
「いや、何でもないです」
アリスには関係のない話だ。話してもどうにもならないだろう。
「何もないならいいけど、何かあったらいつでも言って?」
「分かりました」
まぁ、頼る日は来ないだろうけど。
その週、私は基地に戻らずにその街で過ごした。
帽子屋のことは絶対に忘れない。けど、今は戦場に立つ気になれなかった。
「はぁ…」
最近ため息ばかりになってしまった。
遠くのほうにしか見えなかったからどんな奴かもわからない。
もやもやするのに行動する気になれない。
「やっぱり何かあったんでしょ」
アリスと一緒にいたことを忘れていた。
アリスは優しいので、困った人がいると手を差し伸べる。
その優しさが今はウザったくなってくる。
「ほんとに何でもないですから、心配しないで」
「…そう」
その日はぎくしゃくしてしまった。
次の日から戦場に復帰した。
「お騒がせしました。夢月 アリスただいま復帰しました」
いつもの白い服に着替えて、上官にそう伝えた。
今日は頭がさえていた。あれだけアリスとぎくしゃくしていたのに。
今日の白兎には迷いがなかった。
迷いなく突き進み、あたりに赤い花を咲かせた。
今日の白兎は今までで一番強かった。
第6章
『怒りと決別』
その日のことは、いつまでも忘れない。
その日、朝から街に出ていた私は、アリスと会う予定を組んでいた。
「ごめん!遅れた!」
そう言いながら駅のほうにアリスが走ってくる。
「いや、私も来たばかりです」
ほんとは15分前に来たが、それを伝えたら私は細かい奴と思われてしまう。
「さて、今日はどこ行こうか」
「今日はアリスについていくので、どこでもいいですよ」
そんな話をしながら歩いていく。
「じゃあ、今日は近くの遊園地に行こう!」
こどものようにはしゃぎながらアリスはそういった。
「いいですよ。あ、でも私高いところ苦手で」
そう話しているだけでも楽しかった。
話している間に遊園地についた。
入場を済ませ、キラキラした世界が目の前に広がった。
「さ、いこ?」
アリスが手を差し伸べてくる。
その手を取り、二人で歩く。
最初に乗ったものは、ジェットコースターだった。
「「キャー!!」」
上げたことのないような声をあげてしまった。
次にコーヒーカップ。
「私、吐きそう…」
ついつい回しすぎた。
楽しい時間はすぐに終わってしまう。
最後に乗ったのは、観覧車だった。
「今日は楽しかったね~」
「そうですね。また二人できましょう」
そんな何でもないような会話を続けた。
そんな時、私の脚に真新しい切り傷があるのをアリスが見つけてしまった。
「ねぇ、その傷なに?」
「あぁ、この傷は何でもないですから。気にしないで」
「でも…」
「あまり、人の脚を見ないでもらえますか」
「……」
黙ってしまった。
小さな個室を沈黙が占拠する。
やがて地上に戻ると、何も話さぬまま出口に向かった。
その日、私とアリスは初めて喧嘩した。
喧嘩というには、違う気もするが
私の一方的な感情だった。
ベッドの上で深く反省し、次の休みにはしっかり謝ろうと心に決め、その日は寝た。
翌日、基地に向かうといつもよりけが人が多く見えた。
「何かあったんですか?」
上官に話を聞こうと思ったが、
「お前は心配するな」
と跳ね返されてしまった。
私も仲間のはずなのに。
「私、出ます」
「心配するなと言っているだろう」
「私を出さないということはやはり、帽子屋ですよね」
「……」
「帽子屋には借りを作りました。今こそ返す時です」
「だが…」
「私なら大丈夫です」
そう言い残し、半ば強引に戦場に出た。
戦場は基地よりもひどい環境だった。
地面は赤く染まり、鉄の臭いがする。
その屍たちの奥に帽子屋がいた。
「この前の借り、返しに来ました」
「!…」
「今度は正々堂々戦ってくれますか」
帽子屋は何も答えずにこっちに向かってくる。
私も戦闘態勢に入る。
帽子屋は急加速をしてこちらに来る。
キィィィン
金属同士がぶつかり合う音。
私のナイフと帽子屋のナイフが幾度もぶつかり合う。
その時、帽子屋の顔が見えた。
第7章
『帽子の奥』
「「え…」」
帽子屋と声が重なった。
帽子の奥の顔には、見覚えがあった。
帽子屋は、アリスだった。
「そんな…」
戦いが一瞬止まった。
一瞬だけの完全に静止した時間。とても長く感じる。
ズッ
私の脇腹にナイフが刺さる。二度目の怪我。
「っ…!」
とっさに離れ、機会をうかがう。
「…」
アリスは黙ったまま突進してくる。
アリスの脚に二撃、切り傷を加える。
「……」
その場に座り込むが、またすぐに立ち直る。
そんな戦いが続く。
何時間たったかもわからない。
それは、1日たっていたかもしれないし、10分もたっていなかったかもしれない。
…アリスは、動かなくなった。
「…ごめんなさい。遊園地でひどいことを言って。ごめんなさい。すぐに謝ることができなくて」
私はずっと泣きながら、謝り続けた。
味方兵士に発見されるまで、泣き続けた。
その日から、白兎は格段に強くなった。
無謀な特攻をしても無傷で帰ってきた。
ほとんど休みなしで出撃しても、変わらずに戦果を挙げた。
白兎は弱くなくなった。
白兎は弱さをなくした。
白兎は弱さをなくし、強くなった。
白兎は強くなり、弱くなった。
最終章
『ガラス玉』
白兎にはもう、人の心はなかった。
アリスを失い、人の心をなくした白兎は、戦いを求めた。
戦っている間は、自然と忘れられた。
余計なことを考えないでよくなった。
白兎には表情がなくなり、あまりしゃべらなくなった。
それでも、戦っていられればそれでよかった。
「もう、休んでもいいぞ」
上官の言葉も聞こえていないかのように、戦い続けた。
上官の言葉は最終的に命令になった。
それでも戦い続けた。
やがて、白兎は傷つくことが多くなった。
それでも戦い続けた。
白兎は味方に拘束された。
その拘束を破り戦い続けた。
白兎は捕虜用の房に収容された。
監視を倒し、戦い続けた。
やがて拘束は厳しくなり、身動きが取れないほどになった。
それでもなお、戦おうとした。
やがて白兎は何もしなくなった。
食事をしなくなり、その場から動かなくなり、息をしなくなった。
それでも、白兎は死んではいなかった。
上官が特別に戦場に出した。
その時の戦果はすさまじいものだった。
戦場が一瞬で凄惨なものになった。
彼女はとても白兎などとは呼べないぐらいに赤く染まっていた。
やがて、彼女は伝説になっていた。
これは、死地を求めて
戦場を駆ける少女の話
FIN