ティファリーゼ・ベルフロウ――聖受歴1,537年 星耀月9日 晴れ
話の流れが前後しますが、時間軸は閣下と黒歌鳥がエルレイク地方に出張に向かう前日です。
家族の呼称が以前と違うことに気付いて修正しました(8/6)
お母様が亡くなってから、内向きの仕事は私と姉様のお仕事。
それはお父様の周りに人が増えても変わらない。
むしろお父様の娘である私達が率先して動かないと。
お父様達が国の為に戦いを始めてからも、姉様と私はその思いを同じくしていた。
足手まといになったら、お父様や兄様にも迷惑がかかる。
家族なのに置いてきぼりは嫌だもの。
取り残されてしまったら、なんだかもう二度と会えなくなるような気がして。
人が増えた大所帯の中、私と姉様は戦えない人達と一緒に怪我や病気の人のお世話をしたり、みんなのお食事を作ったりと懸命に働く。
人が多くて少し大変だけど、それでも皆が喜んでくれたら嬉しいから。
やっていることはお家の中でやっていたことを、沢山の人向けに拡大したようなこと。
これも花嫁修行の一環ね、と姉さんと二人で微笑み交わして頑張るの。
そんな日々の中で、毎日くたくたで。
夜も更けた頃には、まるでお鍋で煮えさせ過ぎた白菜みたいにくたくたになってしまうの。
へとへとに身体が疲れると、心まで疲れちゃう。
それが溜まっていくと、自分にも周囲にも良くないから。
他の内向きの仕事を一緒にこなしている人達とも、息抜きや気分転換は大事ねって頷き合う。
疲れたばっかりになってしまうと、他のことが考えられなくなってしまうものね。
だから、私はその時間をとても楽しみにしていた。
いつも他の人達が快適に過ごせるようにって。
そうやって働く私達を凄いですね、偉いですねって言ってくれる人がいるのは、凄くうれしい。
その人が私達の慰めになれば、なんて言って。
仕事に余裕が出来る頃合いを見計らって、私達の休憩室に来てくれるから。尚更にうれしい。
私達が留まる拠点を空けて、彼はどこかに行ってしまうことも多いけれど。
でも拠点にいる間は、毎日欠かさず私達のところに「ご機嫌伺いです」って来て下さるの。
そうしていつも、とても綺麗で美しいお歌を聞かせて下さるのよ。
歌いながら、見つめる私に目を細めて微笑んでくれる。
他意はないって、わかってるけど。
だけどでも、でも、何故かしら。
とても嬉しくなってしまうわ。
もちろん嬉しいと思っているのも、その時間を心待ちにしているのも。
……黒歌鳥さまが微笑んで下さるのも、私一人だけという訳じゃなかったけれど。
お父様の軍列に加わった方のご家族とか、親しい間柄の人で戦えない人達はみんな一緒にサポートに回っている。
その中には私や姉さん以外にも若い女の人達がいて、みんな若くて綺麗な吟遊詩人の黒歌鳥さまをぽぅっと見詰めているのよ。
うっとりとお歌に聞き入りたいのに、この頃は他の女の人が気になってしまって……
黒歌鳥さまが私だけに歌って下さるのなら、きっと心行くまで堪能できるのに。
あの素敵な声を、私だけが独占できたら……。
そんな、疾しくって心の狭いことを考えてしまうの。
私ってこんな子だった? こんなに自分勝手だったかしら。
……こんな悪い子だって、黒歌鳥さまに知られたくない。
だから普通にしないと。
我儘は黒歌鳥さまを困らせてしまうわ。絶対に駄目。
黒歌鳥さまはただ、いつも頑張っている私達を慰めて下さっているだけ。
他の女の人が気になっても、いつも通りの私でいないと駄目なのに。
最近、『いつも通りの私』がわからなくなりそう。
「あらあら可愛らしい。私の妹はいつのまにか『女の子』になっていたのね」
「姉様、私は元から女の子よ?」
「綺麗になったわね、って言っているのよ。こんな大変な時でも誰かを想えるなんて素敵なことだもの」
「……姉様、からかわれると困ってしまうわ」
「うふふ! 姉さんはいつでも可愛い妹の味方ですからね。黒歌鳥さまが気になるのなら、存分に気にして良いのよ。ある程度ならお側にいてもきっと迷惑には思われないわ」
「そうかしら……でもね、でもね姉様。私、黒歌鳥さまと二人っきりなら良いのにって思ってしまうの。みんな黒歌鳥さまのお歌を楽しみにしているのに、私ったら酷い子だわ」
「貴女が良い子に育って、姉さんはとても嬉しいわ……でもそれ、お父様には言っちゃ駄目よ?」
「ええ。お父様に悪い子だってがっかりされたくないもの」
「そういう意味でがっかりはしないんじゃないかしら。……別の意味で発狂しそうだけれどね」
「発狂!? わ、私、そんなに悪い子なのかしら……」
「あ、あらあら! そういう意味じゃないのよ、本当に! それよりも、皆で黒歌鳥さまのお歌を聞く時間より二人っきりの方が良いのでしょう? だったら黒歌鳥さまに別にお時間を取っていただいたらどうかしら」
「皆との時間と別に、私と二人の時間を? そんな! 黒歌鳥さまにご迷惑はおかけ出来ないし……そ、その、そんなの頼めっこないわ! どうしてって聞かれたら、私、死んでしまうかも……」
「あらー? ご迷惑とは思われない気がするけれど。あの方も男女の機微には疎い方ですし、深く理由は聞かずに承諾して下さりそうなものだけど。なんとなく「ゆっくり落ち着いて聞きたいんですね? 構いませんよ。歌声を気に入っていただけるのなら吟遊詩人冥利に尽きます」って言いそうですもの」
「そ、そわそわしちゃうから。なんだか冷静に考えてみると、黒歌鳥さまと二人っきりなんて……緊張して、息の根が止まるかも」
「恋する女の子は繊細ねぇ」
「こ、恋……?」
「……何故そこで怪訝そうにするの?」
「……え?」
「まさか自覚してなかったの……?」
「…………え?」
………………私、てっきり自分は黒歌鳥さまのことを第二のお兄様のように慕っているのだとばかり思っていたのだけれど。
その、妹のように可愛がっていただけたら嬉しいし恥ずかしいけど、ちょっと複雑……みたいに感じていたから。
だから、その……その、自分が本当は黒歌鳥さまの特別になりたい、だなんて。
そんな浅ましい願望が本音だなんて、自分で自分の気持ちに見ないふりをしていた。
だけど今まで見ない様にしていた部分を見つめて、ちゃんと考えてみると……自分の本当の望みに、気付いてしまった。
姉様と落ち着いて話をして、そのことを自覚してしまうのだけれど……
私、私、一体どうしたら良いのかしら。
黒歌鳥さま今すぐ会いたいような、でも恥ずかしくて会いたくないような。
混乱と戸惑いと、それを覆すような期待と欲深い願望で。
私はもう、どうしたら良いのかと姉様に縋りついてしまった。
「やっぱり、黒歌鳥はがっちりと近しい関係に繋ぎ止めておきたい気持ちが強いんだよね。そう、家族のような……!」
何故か兄様も交えた話し合いの末。
「切っても切れない関係って強固で素晴らしいよね! 家族とか! 家族とか! こっちは義理の弟とか大歓迎だよ!」
兄様が強い勢いで私に黒歌鳥さまとのご縁を勧めてくるの。
勧められると本当にそうなったら、と考えてしまって………………熱が出てしまいそう。
「とりあえず、無難に胃袋を掴むところから始めてみよう。黒歌鳥は恋愛とか疎そうだから、本能とか生理的欲求とか、そういう肉体に備わった本能的な部分から懐柔していくのが最善だと思う。兄様も万全の体勢で支援するから頑張ってみよう」
「それじゃあ美味しいお菓子でも焼いて黒歌鳥さまに差し入れましょうか。私も手伝うから、まずは挑戦してみましょう? 差し入れならきっと誰でも嬉しいもの。でも黒歌鳥さまは何がお好きかしら……」
「ナッツやベリーたっぷりのシンプルなケーキ! 洋酒の少し効いているものを好いてらっしゃったわ」
「……あら、そうなの?」
「……へえ、知らなかった」
「ふ、二人とも、どうして私を物言いたげに見るの……?」
「「よく知ってるなと思って」」
「!!」
この後、姉様や兄様にからかわれて、恥ずかしくって。
つい逃げてしまったのだけれど、私の足は自然と厨房の方に向いていた。
パウンドケーキを焼こう。
黒歌鳥さま、喜んで下さるかしら……。
やっぱり恋愛の機微はよくわからない……。
ちなみにこの時に焼いたお菓子は、閣下の目の前で黒歌鳥に差し入れとして渡されました。
(→『――聖受歴1,537年 星耀月10日 晴れ』)




