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黒歌鳥の暗躍――聖受歴1,534年火耀月3日 本日も晴天也

 ふと、風の知らせを受けた。


 見上げた先に、薄く棚引く雲。

 まるで袖を引かれる娘の領巾の如く。

「ふぅん……」

 思わず、吐息混じりに声が零れる。

「どうしたのじゃ」

「ああ、師匠(せんせい)

 私の特異性を知る師。

 また私が何事か情報を空や風から読み取ったことに気付いたのだろう。

 精々よく当たる風占程度に理解しているようだが、今までの実績が脳裏にあるはずだ。

 数々の物事を差し障りのない範囲内で利用してきた。

 師匠もそれを覚えているからこそ、私が空を()る事を馬鹿にはしない。

「つい今しがた、どうやらベルフロウ将軍が軍を辞したようですよ」

「ほう……? お前を疑うわけではないが、そのように事実確認もせずよく言うの」

「事実、ですから」

「しかし今まで堪えてきたものを、あの名将が今になって辞すものなのか。理のない戦時や王国中枢の尻拭いに際してならまだしも、今は珍しく穏やかな時分じゃろうに」

「ああ、どうやら愚かな子爵が将軍の娘を勾引(かどわ)かそうとして、細君の殺害に及んだようです。鴛鴦夫婦で知られる方々でしたのに、酷なこと」

「ほんに酷と思うのであれば、そのような顔をするものじゃぞ。そのような面で酷と言うても、皮肉か嫌味にしか思えぬわ。表情筋を動かしなさい、表情筋を」

「……ああ、気を抜いていましたので。意図して動かさなければ表情など作れぬこと、師もご存知でしょう」

「知っておるからこそ、注意とてするもの。意図しなければ動かぬのなら、人目の無き場所だろうと意識して動かし、癖として身につけておくべきじゃろう。でなければいざという時に動きやせんからの」

「ご教授感謝致します」

「そのように感謝の欠片もない面で言われてもの……」

 師匠は未だ何事かを言っている。

 人間というものは年をとると小言が多くなるらしいので、これも習性なのだろう。

 最初の頃は慣れない人との関わりに、律儀に耳を傾けたものだ。

 今となっては耳にする言葉の内容も9割がた一度は耳にしたことのあるものばかり。

 師匠は私が一度見聞きしたことを忘れないと、知っていたはずだが……

 既に耳にしたことのある内容は、二度聞くのも無駄なので最近は聞き流すようにしている。


 私の意識は既に聞き慣れた師の言葉ではなく、別のところにある。

 とうとう、彼の将軍が軍を辞した。

 星に読み取っていた通りに道を進むのであれば、彼は王都をも離れるだろう。

 完全に、政治権力からは身を遠退ける心積もりのはずだ。

 向かう先は確か北方の国境近く……だったか。

 

 ああ、これがはじまり。

 今まで多くを集め、積み上げ、準備をしてきた。

 最後にして最大の要因は、歴史の主人公を誰にするのか。

 私がこれから奏で上げる英雄譚の主人公に、誰を据えるか。

 私の復讐の最も重要な場面。

 華々しく悪として国を討ち、王を倒す者。

 選り好み、吟味を重ね、私はとうに選んでいる。

 

 最後の準備が整うにはまだ時間を要する。

 だが待ち望んでいた最大の要因はようやっと動き、一気に動き出す時を待つ。

 この時をこそ、後世には『雌伏の時』と評されることになるだろう。


 若い英雄?

 そんな薄っぺらいモノは必要ない。

 私が選んだのはそこそこに年を重ね、私の持たない人間味とやらに厚みのある男。

 包容力を持ち、息を吸うように配下に自然と慕われる。

 義理人情に厚く、生きるのと同じく自然と周囲を救い、惹きつける。

 国の中枢に巣食う腐れ愚者共は気付きもしていないのだろう。

 彼の将軍の人柄と名声が、辛うじて潰れかけた軍部を支えていたことなど。

 ……どうやら将軍本人も気付いてはいなかったようだが。


 屋台骨から腐りきったこの国の、軍事力は将軍1人によって辛うじて保たれていた。

 存在するだけで周囲を正常化し、清浄化する。

 そんな得難き資質をどんな圧力にも屈させず、潰されず。

 将軍がどれだけ稀有な人なのか、どうして腐れ愚者共が理解しないのか私にはわからない。

 ……其方の方が私には好都合なので、問題は欠片もないのだが。


 ――ルーゼント・ベルフロウ。

 私が主人公に選んだのは、彼の将軍。

 私が将軍……否、元将軍の名に、必ずや国名『ウェズライン』を刻んでみせよう。

 そうして歌い上げよう。

 華々しく盛大に、優美な旋律をもって。

 善良なる弱き者共を鼓舞し、敵方を戦慄させる歌を。

 一国を滅ぼす、浪漫溢れる英雄譚を。


 さあ、私が素敵な物語のように滅ぼして差し上げよう。

 後世の子供たちが瞳を星のように煌かせ、熱心にせがんで聞き知れる。

 そんな筋書きを折角作り上げたのだから、堪能するように滅ぼしてしまおう。

 私は物語の語り手。

 物語の一員に加わる必要はない。

 精々、虚飾を凝らして壮大な歌を築き上げよう。


「……ほう、珍しい」

「何がでしょうか、師匠」

「お前がそのように、自然と笑みを刻むとは」

「……………。私は笑っていましたか」

 師にいわれ、何度と無く鏡を前に修練した。

 それでも自然な笑みなど習得できずにいたものを。

 どうにも引き攣ったような、薄っぺらい露骨な作り笑いしか出来なかったのだが。

「そうさの。ほんに嬉しそうな……年相応の無邪気な笑みだったよ」

「成る程、こういう感覚ですか」

 会得できたモノは、忘れぬうちに反復練習することが肝要。

 私は先程の、指摘された直前の感覚を意識して頬に手を添える。

 指で肉の動きを覚え、学習の参考とせねば。

 しかし良いことを聞いた。

 そうか、『笑み』というものはこうすれば良かったのか。


 この国が滅ぶとき。

 私が国を滅ぼす時のことを思えば良かったらしい。

 執念深く道を整え、ひとつひとつ隠すように配置した罠が順番に作動する瞬間。

 大きく(あぎと)を広げた獣のように、国ごと腐った者共を地獄が呑み込み逝く。


 ……確かにそれを想像すると、微かに胸の奥に熱を感じる気もする。

 どうやらこれが『笑み』の元……『歓喜』と呼ばれるものらしい。


「――師の仰る『笑い』、よくわかりました」 

 感覚は掴んだ。

 この要領でいけば、『笑み』も充分に作用するだろう。

「本当に子供らしくない、可愛げのない弟子じゃ。酷い意味で無垢じゃのう、本当に。

そんなお前があんなに無邪気に笑うとは……何を考えておったのじゃ、一体」

「この国の滅びについて、少々」

「………………」

 どうしたことか。

 折角、この感情の希薄な私が『笑み』を習得したというのに……

 何故か、師匠の顔が引き攣ってしまわれた。

 私が感情や表情の作り方や作用をひとつひとつ学ぶ度、師は私を大げさに褒めていた。

 観察による推論が確かであれば、師は我がことの如く喜んで下さっていたのでは?

 私が『笑い』や『歓喜』といったモノを掴めば、殊更に喜ばれる気がしていたのだが。

 ??? 私がそれらを覚えたこと、喜んで下さらないのだろうか。

「あ、ああ……済まぬなあ。世の無常を儚んでおった。何故にこうも上手くいかぬのかと」

 首を傾げる私に気付いたらしき師は、何故か悲しげに眉を垂れて私の頭を撫でる。

 何やら、落ち込んでいるらしい。

「はあ。まあどれだけ推論を重ね、周到に予定を立て、計画を実行に移しても、上手くいかぬ時はあると耳にします。予想外な事態は数多く、予定通りに行く方が稀だと」

 人間の先を見通す目には限界があり、事象は様々な物事の積み重ねで起きる。

 そのことは私も肝に銘じよう。

 何が起こるかわからないことも、現世ならではの『醍醐味』というものなのだろう。

 計画を阻害されることは、ちっとも『楽しく』なさそうな気がするが。

 私も何事か予定外の事態に巻き込まれた時、対処できるように研鑽を積まねば。


 今はまだ、師と2人で旅の中。

 『人間』としての『経験』に乏しい私は、まだまだ覚えるべきことが数多く存在する。

 だがまあ、まだ時間は幾らか存在するのだから。

 私を『人間の子供』として真っ当に扱って下さる師のことは尊敬している。

 彼から学ぶべきことは、まだまだ沢山あるだろう。

 だから今はまだ、修行の時。

 師に預かった重い楽器を抱え直し、そっと師を促した。


「ところで師匠」

「なんじゃ?」

「先程から分かれ道でどちらへ行くべきか迷っておいでのようですが」

「…………西のアルバナ、東のサリア。どちらも祭り前の稼ぎ時じゃ」

「ふむ。私に助言をお許しいただいても?」

「聞こう。お前の風占は空恐ろしいほどによく当たる」

「では、ご助言を」

 さて、西のアルバナに東のサリア。

 どちらも距離や町の規模は同程度。

 ……しかし道の途上に少々問題があるようだ。

「私は南西のホクアを推奨致します」

「何故に?」

「西では盗賊に扮した強盗宿が待ち構えているでしょう。最悪殺されますよ」

「泊まらなければ良いだけじゃろうが。今時分、強盗宿など珍しくもないわ」

「それが役人を抱きこんでいるようで、厄介事の臭いが致します」

「…………東は何故に薦められんのか聞こう」

「東は途中の峠で検問がかかっています。師もご存知でしょうが、今のこの国は役人の末端まで腐っています。通行には少なくない金銭を要求してきますし、失踪しても問題がないと役人の方で(・・・・・)判断されてしまえば殺して身包みを剥がれることでしょう。その場合、私は色町辺りに売り飛ばされます」

「……南西に行くか」

 私のお陰で何度もそういった難を逃れた経験があるからだろう。

 師は遠い目で西と東を示す道標を何とはなしに見やると、首を振って視線を逸らした。

 ついで道標の側に危険について書き込みをするあたり、この老人は本当に情け深い。

 この時代にここまで裏のない善良さも貴重だろう。

 本当に私は良い師に恵まれた。


 ……まあ、東の検問で捜されているのは、『私』なのだが。

 数年前に幽閉離宮から失踪した『私』のことを、国王はまだ諦めていないらしい。

 こういったことは関わらないに限る。

 今後も捜索の気配を感じたら師匠を誘導して遠ざけておくべきだろう。

 私は東の空を横目に見やり、今後の方針を改めて心に決めた。





将軍、知らない間に邪悪な吟遊詩人(見習い)に見込まれる。

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