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エディッセ――聖受暦1,536年水耀月1日 晴れ

前宰相の孫の、兄弟子視点。

彼が旅立つ前夜のこと。



 遥か北の辺境地、北方。

 この地に設立された『砦』には、国の未来を憂いた心ある勇士達が集うとか。

 私がそれを耳にしたのは、つい先日のこと。

 深く深い森の中。

 私と兄弟弟子と、身を隠した先でのこと。


 森に長く住んでいると、不思議な勘めいたものを持つようになる。

 森の気配、様子。

 そういったものの変化が、空気を通して感じ取れる。

 その日は朝から、なんだか森の気配が妙だった。

 ざわざわと忙しなく、なんだか全体的にそわそわと落ち着きがない印象。

 何と言えば良いのだろうか……待ちかねた、という言葉が頭に浮かんだ。

「兄弟子、なんだか森の様子が変です……」

「ああ。私も感じている」

「なんなのでしょう。特別なお客人を待ちかねている時の、母上の様な気配がする」

「言い得て妙だね」

 弟弟子の言葉は、私の受けていた印象にぴたりと当てはまった気がした。

 まさに、と。

 私も深く頷いてしまった。


 森に住む者として、些細なものだろうと異変は放ってはおけない。

 気配に不穏なものは感じなかったが……だからといって、確かめないという訳にはいかないだろう。

「兄弟子、エディッセ兄、僕も連れて行って下さい」

「お前は家で待っていなさい。何があるかわからないんだから」

「だったら僕を置いていくのは止めてください。分散するのは危険です」

「私に何かあった時、後から助けに来る者も必要だろう?」

「あ、そこは助けに行く前に僕も大変な目に遭うところだと思います。エディッセ兄弟子に何かがあるような時に、僕が無事だと?」

「……それでは、私から決して離れないようにな」

 私達は、ざわざわと落ち着かない森の中を移動した。

 異様な気配を辿って、森の意識が集中している先まで。

 ここまで露骨に、『森』の木々が何かを気にしているのは初めてだった。


 そうして辿り着いたのは、ぽっかりと森の中に開けた空間。

 季節外れの嵐で倒れてしまった、老木が立っていたところだ。

 他の木々を巻き込んで倒れ伏した老木が、うっそりと気配を残す。

 倒れてしまったというのに、今なお力強い生命力が太い幹には感じられた。

 その、老木を中心に。

 森の広場には神秘的な光景が広がっていた。


 どこからか、歌が聞こえる。


 ……どこか、どころではなかったよ。

 目の前の、『不思議』の中心地どんぴしゃだ。

「わー……兄弟子、なんか僕こんな光景見たことあるよ?」

「それはどこでか教えてくれないか?」

「うん、5歳くらいの時に読んだ絵本の中かな」

「奇遇だな。私も絵本くらいでしか見たことがない」

 あまりにも幻想的(ファンタスティック)な光景に、思考が停止した。 

 なんだかとても言葉にし辛い感情が渦巻いている。

 だから感情を差し挟まず、冷静に、客観的に目の前の光景を語ろう。


 今の時刻は夜。

 白く明るい月光が、穏やかに森の広場へと差し込んでいる。

 その、光の中。

 最も明るく照らされた中心に、『異変』はあった。

 先にも述べた老木の、倒れた幹の上。

 そこに1人の青年が腰かけ、竪琴の音に合わせて朗々と詩を吟じていた。


 ……森の動物達に取り囲まれて。


 なんだ、このメルヘン空間。


 動物達のラインナップは、まさに森の住民。

 小さなところから述べれば、栗鼠、兎、亀、山猫、山羊、鹿、猪、狼に熊。皆さんお揃いで、森のオールスターという感じだろうか。

 他にも雷鳥や山鳩など、鳥類も豊富に取り揃えられている。

「しまった、弓を持ってくれば良かった」

「……カリエス、空気を読んでみよう」

 しかし遺憾ながら、実は私も弟弟子と同じ気持ちだ。

 ここで矢を連射すれば、暫くは狩りに出なくて良さそうだ。


 肉食も草食も関係なく、多くの森の動物達が集っている。

 そのどれもが争うこともなく、うっとりと眼を伏せて聞き入っていた。

 老木の倒れた幹に腰掛け、竪琴を奏でる……青年の歌に。

 静かに身を伏せた動物達は、青年に頭を垂れて大人しい。

 心なしか森の木々も、青年の声に耳を傾けているようだ。

 森の全てを平伏させているかのような、そんな情景。

 まるで、青年が森の王者か何かかの様に見えた。

 ああ、何と幻想的な光景だろう。

 非現実的過ぎて、精神が拒否反応を起こしそう。


 なんだこれ。

 それが、私の偽らざる感想だった。

 隣で弟弟子の顔も引き攣っているので、恐らくそう思っているのは私だけではないだろう。気の合う兄弟弟子で良かった。

「あ、兄弟子……あれってなんだろう」

「妖怪じゃない?」

「そんな投げ槍に言われても……本当だったらどうしよう!」

 弟弟子は私の服を掴んで離さない。

 おろおろと困惑している彼の気持ちが、私もよくわかった。

 ただどう反応したものか、私も弟弟子もわからずにいる。

 わからなかったから、素直に歌に聞き惚れることも出来ない。

 その歌は、真実、素晴らしい物だったけれど。

 素直になれない私達は、木偶の坊の様に突っ立っている。

 そんな風に行動を起こせずにいたから、きっと目立ったのだろう。


 青年が、竪琴を弾きながらも此方を向いた。

 目が合った。


 にこ。


 人懐っこく、頬笑みを浮かべる。

 ……その顔の上半分は仮面に隠され、あからさまに怪しかった。

 だが此方が警戒しようとお構いなしに、青年は朗らかな様子。

 機嫌も良さそうに、私達に声をかけてきた。


「こんばんは、良い月夜のお客人。貴方がたも一曲いかがですか?」


 その態度は、存外普通だった。

 だけど周囲の状況が異様だったので、普通なことが殊更に異常に思えた。

 その証拠に、弟弟子が更に混乱した。

「あ、兄弟子……! 話しかけられたよどうしよう!?」

「落ち着きなさい、カリエス。相手は魔物ではなく人ですよ。多分」

 人間だったら話しかけてきもするだろう。多分。

 正直に言えば私もどうしよう状態なのだが、弟弟子を前に無様を曝す訳にはいかない。お兄ちゃんは頑張らねば。


 此処は私と弟弟子の隠遁の地。

 身を隠す場所として選んだだけあって、常であれば近寄る者など1人もいない。

 そんな森の奥に突如現れた歌うたい。

 不審に思う心を隠さず警戒する私達に、青年は言った。

 自分は、吟遊詩人なのだと。

 此処には歌の練習の為に立ち入ったのだと。

「歌の練習……? こんな、森の奥で?」

「普通に迷いますよ?」

 首を傾げる私と、弟弟子。

 しかし不審な吟遊詩人は慌てず動じず、微笑むばかり。

「私は師の元を独り立ちしたばかり。いわば駆け出し吟遊詩人ですから」

「いや、それは答えじゃない」

「いいえ、これが答えでしょう。私はまだ未熟者です故、技術向上の為に日常的に練習する必要があるのです」

「だったらもっと人里でやろうよ。物凄くおかしいよ」

「おかしくなどありませんよ。何しろ歌は私にとっては商売道具。であれば、下手な歌を人様の耳に入れる訳にはいきませぬ。自信を持って売り物と出来ぬ歌であれば、こうして人の耳には入らぬ地で練習することこそ『普通』でありましょう」

「どうしよう、兄弟子。一理あると思った……!」

 私もうっかり納得した。

 のほほんとしていながら、どこか飄々とした吟遊詩人。

 その言動に、疑いが煙に巻かれるように千切られていく。

 話していると、斬新な感覚がした。

「練習中ではありますが、それでも私は吟遊詩人。望まれて歌うに吝かはありませんが……一曲いかがですか?」

 にこやかな笑顔を浮かべる口元。

 仮面の下に隠された目元は、果たして笑っているのだろうか。


 何故か一晩、隠れ家に泊めることになってしまった。

 どうしてそんな流れになったのか、自然と懐に入り込んできた吟遊詩人の滑り込み具合が侮れない。

 客の対応なんて何年ぶりだろうか。

 あまりにも久々すぎてどうしたら良いのか狼狽える。

 い、一応、おもてなしするべき……?

 取敢えず猪鍋をご馳走した。

 

 身を隠してはいようとも、情報の重要性は把握している。

 方々に身を潜めた縁者を伝手に、各地の情報は定期的に集めている。

 それでも目の前にいるのは、『吟遊詩人』。

 目新しい情報を歌にして各地に運ぶ、いわば『生きた情報』

 馳走の礼に歌を、と申し出られたので有難く受け取ることにした。

「どのような歌をご所望ですか?」

「それでは……近頃の流行歌をお願いできないか」

「承知致しました。それではとある英雄の歌を……」


 ――最愛の者を失った 国に奪われた

 それは今の世であればありふれた話

 しかしてありふれたそんな話のひとつが、王国の命脈を絶たんと伏して爪牙を研ぎ磨く――


 それは、私も聞いたことのある話だった。

 北方の地にてとある将軍(元)が砦を築き、人を集めていると……

「兄弟子、なんだか不思議だね」

「カリエス?」

「なんだか、胸の奥が熱くなって来る」

「……ああ」


 ――起て 心ある者たちよ

 集え 真に国を思うのならば――


 弟弟子の……カリエスの言う通りだ。

 何だか聞いていると、胸の奥が熱くなって来る。

 長い隠遁生活の中で保身の為に誤魔化し、忘れ果てていた何かが……

 納得できないと思いながらも心の底に閉じ込めていた義憤が、蘇ってくるような……

 ………………ああ、胸が熱い。


 私と弟弟子の2人は、いつしか吟遊詩人の歌に酔い痴れ、歌に閉じ込められた物語をまるで追体験でもするように夢見心地で音を、言葉を追っていた。

 なんという歌、なんという声……!

 吟遊詩人の歌は、今まで生きてきた中で間違いなく最も優れたものだった。

 押し寄せる音の波間に、溺れそうになる程の。

 歌の内容は意識するまでも無く頭に焼きつき、まるで情景が目に見えるよう。

 蘇る熱い気持ちは揺さぶられ、自分も歌の世界に飛び込んでしまいたくなる。

 いつしか私は、無意識に感動の涙を流し……




 翌日、私と弟弟子は荷物を纏め、長く暮らした隠れ家を後にしていた。

 目指すは北の果て。

 あの物語の舞台へ、私達も――!





軍師、洗脳完了。


黒歌鳥

 →【せいれいのうた】(精霊、もしくはその眷属にのみ歌える)

  効果:魅了A+ 気分高揚A

  生命を持つモノへの精神的影響力S

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