そして王国は呪われた。
結び文。
つまりはこれで『おしまい』です。
――聖受歴1,538年
悪政を敷いた第一王朝最後の王は、革命の火によってその命を終えた。
王の命と共に罪なき人々の血と涙を糧に富み栄えた第一王朝は終焉を迎える。
その幕を下ろしたのは、人々を率い、先頭に立って戦った王国の元将軍ルーゼント・ベルフロウ。
革命によって生じた戦火に脅かされながらも迅速に復興を進める中、人々は新たな王を諸手を挙げて迎え入れた。民衆の代表として逆賊の汚名を帯びながら国王の首を落とした元将軍。彼こそ玉座に相応しいと、再生を始めた王国の新たな王が立つ。戴冠式には歓呼の声が王都を包み、誰一人反対する者はいなかったという。
長く王国を治めることになる、ウェズライン王国の第二王朝――ベルフロウ朝の幕開けである。
多くの有能な人材を従え、支えられ、王の治世は始まった。
至高の座につきながらも、王の気さくな気質は終生変わらなかったと言い伝えられる。
彼は真に人々に慕われる『英雄王』であったと。
ルーゼントが国王となった後、革命軍に名を連ねた幹部達はそのまま官僚として王を支えるべく忠誠を誓う。
参謀だった男は、宰相に。
親衛隊に属していた者達は、近衛の幹部に。
切り込み隊長だった男は軍の再編を指導する人事部長に。
その他にも多くの者が新たな道を国王の下で見つけ、再生し始めた国をより良くしようと力を尽くした。
王の三人の子供達もそれぞれに婚姻という形で新たな道を見つけた。
王太子となった長男、ヴィンセントは諸外国の中でも有力な国から王女を妃に迎え、王権を盤石なものとする為の後ろ盾を得た。
……嫁の祖国を後ろ盾として良い様に利用しながらも、干渉を完封する政治手腕を見せつけて周囲の者を震撼させた。その背後には、王太子曰く『友人からの温かな援護』があったというが、真相は闇の中だ。
王女となった二人の娘の内、長女は革命軍に参加した若者の中でも武勇に優れた青年と結ばれた。
侯爵家の傍系に連なる血筋に生まれた青年は、王女と婚姻を結んだことで本家当主の座を得ることとなる。また婚姻の際に革命軍での働きと御前試合で見せた武勇を讃えられ、新たに公爵の地位を賜ることとなる。前王朝時代の公爵と名の付く家は前王家と運命を共にし、既に残っていない。ベルフロウ朝で最初の公爵家は、数十年の間『唯一の公爵家』であった。
二人の娘の内、次女は姉とは違い、目立った功績の無い男に嫁いだ。王女が自分で相手を選び、嫁したのだという。元は吟遊詩人だというその男は、人々の心が荒む革命戦争時代、多くの人間をその歌で鼓舞し、励ますことに終始していた。ルーゼント王の英雄詩も数多く残しており、民衆の心を癒したことで知られている。武勲は全くなかったが、戦場でもルーゼント王と共にあり、英雄の歌を作る為に戦地を駆けながらルーゼント王の武勇伝の一部始終を見届けた。目立った働きはなくとも、一目置かれる有能な男ではあったらしい。周囲からの目立った反対もなく、反感を持たれることもなく、王女との婚姻に見劣りせぬように侯爵位が与えられるが恨む者はいなかったのだと伝わっている。
後にルーゼント王の統治下で王女の婚姻相手として相応の役職を与えられるが、十二分に働きを見せたというのだから王女の選択は間違いではなかったのだろう。
ルーゼント王は104歳で大往生するまで玉座の上に健在であり続け、ベルフロウ朝の治世を安定させた。
動乱に満ちた情勢に反して諸外国からの干渉が少なかったこともあり、彼の死後、王位はルーゼント王の世継ぎの王子ヴィンセント一世へとスムーズに引き継がれることとなる。
戴冠式を経た後、ヴィンセント王が父王の墓碑に刻んだ諡は『革命王』。
華々しいその経歴と、民衆を絶望させた前王朝を打倒したルーゼント王に相応しいものであったが、人々は尊敬と憧れを込めて『英雄王』と呼び続けた。
故に、ルーゼント王を指す号としては正式な諡よりも、むしろあだ名に近い『英雄王』の方が一般的に広く知られている。その為か歴史書を紐解いても、ルーゼント王を『英雄王』と記している記述が多く、専門家の中でもルーゼント王に与えられた称号を『英雄王』と覚え違う者が多かったという。
様々な逸話、伝説の多いルーゼント王。
その経歴を思えば話を作り易かったということもあるだろうが、真偽のほどが怪しい逸話が数多く存在する。中には人間技とは思えない伝承も多く、輝かしい『英雄像』を除いたルーゼント王がどのような人物であったのかは謎に満ちている。彼の王の人間性や真の姿といったものはあまり知られていない。
そんな中で、こんな逸話がある。
これもまたどこかの家に口伝えで残されている逸話で、真偽を測れるだけの裏付けはどこにもないのだが……
死の今際に、ルーゼント王は自身の子供ら、その伴侶、孫達に囲まれてこう言い遺したという。
――あ゛~……マジ疲れた。やっっっっっと眠れる。
英雄と呼ばれた国王。
その『英雄像』からはあまりにかけ離れた『最期のことば』。
人々の間に伝わる逸話にはそぐわないが……逆にその言葉から滲みだす、英雄からかけ離れた人間味こそが、ルーゼント王の真実の姿に最も近しいのかもしれない。
少なくとも、この逸話を言い伝えた家の人々にとっては。
疲れ果てたオッサン像こそが、親しみやすい人物像こそが、きっと真実なのだ。
そして、王国は
末永く 魔物に 呪われた
エルレイクという名の……真っ黒な魑魅魍魎に。
めでたし、めでたし。




