9.煎餅(せんべい) その3
そういえば途中から遥がおばあちゃんの部屋にやってきて、しょうゆ味のわたしのお気に入りのおせんべいをひとつ残らず食べてしまった。
手に持っていたかじりかけの最後の欠片でさえも、遥は奪いに来る。
本当に油断も隙もあったものじゃない。
その場に一緒に居たのだから、当然遥もお笑い番組を見ていないはずだ。
この大嘘つきめ!
「へへへ……。残念でした。俺はちゃんとビデオ録画して、柊が帰ってから全部しっかり見ましたけど。ナニカ? 」
「ふん、ああ言いえば、こう言う……。ほんっと、いやな奴。遥は学校でもめっちゃ意地悪だって、おばあちゃんに言いつけてやる! 」
「どうぞ、どうぞ。ご自由に。俺のイジワルは、何も今に始まったわけじゃない。それより柊。昨日のビデオ貸してやるから、おまえも見て感想言えよ。めちゃくちゃおもしろいぞ! 」
もうわたしは、これ以上こいつと会話をすることに疲れ果ててしまった。
口から生まれてきたようなこの憎たらしい奴が、本当にわたしの初恋のキミなのだろうか?
さっき夢美と手を握るという念願が叶ったものだから、嬉しさのあまり、おかしくなってしまったんじゃないかと疑いたくなる。
変なのは、遥の方だ。
でもね……。こうやって言い合いをしている間も、実は胸がドキドキしていたりする。
やっぱりわたしは、遥のことが、好きなんだろうなあとしみじみ思う。
ふと隣の席の白石さんを見ると、何か言いたげな顔をしてじっとこっちを見ているのがわかった。
今の遥との言い争いで気分を悪くしたのかもしれない。
ちょっぴり、いや、たっぷりけんか腰だったし、うるさくて迷惑だったのだろう。
ここはちょいと謝っておいた方が今後のためにもいいのかもと思い直す。
「あの……。白石さん、騒々しくてごめんね。堂野はいつもあんな風に口が悪いから、ついムキになっちゃって……」
初めて同じクラスになった白石さんに、ぺこっと頭を下げた。
「ううん。別にいいんだけど……。あなた堂野くんと親しいの? 昨日一緒におせんべい食べたってことは、堂野くんの家に遊びに行ったってこと? それって、もしかして、あなたたち特別な関係なの? 」
こ、こわい……。白石さん、怖いよう。
おもいっきり鋭い視線をわたしに向けながら、とげのある冷たい声で話しかけてくる。
それに特別な関係って、何か誤解しているようだ。
「そ、それは……。堂野の家じゃなくて。おばあちゃんの……」
「おばあちゃん? 」
おっと、これはもしかしたら、彼女は、わたしと遥の関係を何も知らないのかもしれない。
中一の時の転校生だから知らなくて当然なんだけど、遥がわたしの親戚だってことは、ごく一部の人しか話してないし、昔からの友人でも、遥の家がわたしの家の隣だってことすら知らない人もいる。
わたしたちの家は古くからの村地域にあるけど、クラスのほとんどが、最近開発された新しい町に住んでいる。
そのお蔭で、家のことをあれこれ詮索されずに今日までこれたわけだ。
でも内緒にしておく理由もないし、訊ねられれば真実を語るのがわたしのポリシーでもあるので、後ろの席にもどった遥に一応軽く目配せをして、隣の白石さんにおおまかな関係を知らせた。
「……というわけで、堂野とは親戚同士なんだ。お母さんのお使いで、堂野のおばあちゃんちに届け物をした後、入り浸ってることも多いからね」
おばあちゃんは学校のことや友達の話をじっくりと聞いてくれるし、遥が邪魔をしたら、ビシッと叱ってくれる。
おばあちゃんとの時間は、わたしにとって、とても大切なひと時なのだ。
「なあなあ、白石。こいつさあ、ついでに俺の部屋にも勝手に入ってきて、CDとか黙って持って行ってしまうんだ。柊ちゃん、早くミスチルのアルバム、返してね」
な、なんで遥がここにいるの? 今、自分の席に戻ったはずじゃあ……。
忍者も真っ青なくらいのスピードで、瞬間移動もなんのその。遥の行動は機敏さを極めていた。
でもでも、何も白石さんの前で、CDの話なんか持ち出さなくてもいいのに。
白石さんはよりいっそう怖い目をして、わたしをぎろっと睨んだのは言うまでもない。
「蔵城さんったら、堂野君を困らせちゃ、だめじゃない。借りた物は、ちゃんと返さなきゃ。あなたって、まだまだ子どもなのね。ところで、堂野君の部屋ってどんな感じなの? あとで教えてくれる? 」
遥が再び自分の席に戻ったのを確認してから、そんなことを訊ねる白石さんの目は、もちろん、全く笑ってなどいなくて。
借りた物を返すのは当然だと思う。
でもね、いい訳をさせてもらうと、あのCDは遥が貸してやってもいいって、自分からそう言ったのだ。
黙って勝手に持ち出しただなんて、そんな作り話に惑わされないで欲しい。
彼も了承していたはずだ。
それに、必要になったら自分から取りに行くと言ったのも彼だ。
わたしが貸した物も彼の部屋にいっぱいあるし、その逆もしかり。
けれど、そんな反論すら言い出せないほど、白石さんの視線は冷ややかだ。
わたしは及び腰で、引き攣り笑いしか返せない。
白石さん。
まさかとは思うけれど、あなたも遥のことが、好きなの?
わたしは、今後の身の振り方を真剣に考えなければいけないと、この時本気でそう思った。