特別編 勇気を出してごらん その3
どこに行くかなんて、まだ決めていない。
彼ならどうするだろう。
やっぱ定番のハンバーガーショップあたりになるのだろうか。
奇妙なほどお互いに距離を取りながら、行く当てもなく歩く。
もちろん、カンナが先を行き、彼がその後ろを黙ったままついて来る形だ。
「ねえ、堂野君。どこに行きたい? 私は、どこでもいいよ。堂野君の決めたところなら」
カンナはふと立ち止まり、後を振り返って彼に訊ねた。
「あ、僕も、どこでもいいです」
「ふふふ。なんかさ、堂野君、緊張してない? 大丈夫だってば。私、君を食べたりしないよ」
リラックスして欲しくて、わざと明るくおどけて見せた。
「いや、別に緊張してるわけでは。っていうか、やっぱり、緊張してるのかな。こういうの、初めてなんです」
「初めて? 」
「はい。あの、こんな風に女の人と出かけるのは、今までに経験がなくて……」
カンナは驚いた。
つまり彼は、デートをしたことがないとカミングアウトしたのだ。
信じられないけど、彼がそう言うのだから、本当なだろう。
再び、ゆっくりと歩き始める。
今度は、彼の横に並んで歩いた。
「へえ……。そうなんだ。でも堂野君は、人気者だよね? 今まで、誰かを誘ったり、誘われたりしたことはないの? 」
思いのほか整った彼の横顔を見ながら、訊ねる。
「ないです。誘われても、個人的に会ったりしたことは一度もないです」
「そっか。女子と二人きりで会ったりすること、ないんだ。なんか信じられないけど、そうなんだ……」
「はい、本当です。あっ、いや、ちょっと待って下さい。あいつとは……」
「どうしたの? やっぱ、違った? 」
何かを思い出したのだろうか。
彼が立ち止まり、思案顔になる。
忘れていただけで、本当はデートの経験があるのかもしれない。
きっとそうだ。
「あの、彼女でも何でもないやつと一緒にいるのは、カウントしないですよね? 」
「え? どういうこと? 」
「いや、その……。あ、別にいいです。あれはカウントされないです。なので、やっぱりこういうのは初めてです」
「なんかよくわかんないけど。それってもしかして、堂野君の好きな人のことかな? その彼女とは、二人で一緒にいることもあるって、言いたいんだよね? 」
「あ、まあ、そんなところ……です。でも、そいつは僕の彼女でも何でもないし、こんな風に緊張することもないし」
「そっか……」
それ以降、二人ともすっかり黙り込んでしまった。
正直なところ、そんな話は聞きたくなかった。
でも、知りたくなってしまう。
彼が好きになる人って、いったいどんな人なんだろうと。
同級生なのだろうか。
それとも、女子バスケの後輩とか……。
きっと、かわいくて、性格もいい人なんだろうな。
おまけに美人で、スタイルも抜群なのかもしれない。
友だちが言っていたのだ。
彼のモテっぷりは、尋常ではないと。
辛くて、苦しくなるけれど。
彼が好きだと言う彼女のことを、もっともっと、知りたくなってしまった
「ねえ、堂野君」
カンナはいつまで続くともわからない重苦しい沈黙の壁を思い切って破り、努めて明るく問いかけた。
「はい、何でしょうか」
やっぱり敬語だ。
このままでは、二人の関係が進展することなど全く望めそうにないと思うのはあながち間違ってはいないだろう。
「どこかでゆっくりと話さない? 」
「あ、はい」
乗り気でないのが明らかな彼の返事が、カンナをますます落胆させる。
こうなったらおいしい食べ物で、彼の興味を惹くしかない。
「そうだ。図書館の東にあるビルの一階に、イタリアンジェラートの店がオープンしたんだけど。そこはどうかな? 割引券もあるんだ」
「えっと、それはちょっと……」
露骨に嫌そうな顔をする彼に、カンナはますます自信をなくす。
そんな拒絶的な態度を取るなら、初めから今日の約束を断ってくれればよかったのに。
少しでも彼に期待してしまった自分が惨めになる。
「もしかして堂野君は、甘い物とか、苦手なのかな? 」
案外そういった他愛も無いことが気乗りのしない原因なのかもしれない、と自分を奮い立たせる。
あきらめるにはまだ早い。
ここはやはり定番の、ハンバーガーショップみたいな所の方がいいのかもしれない。
ところが、彼の返答は、まったくもって煮え切らないものだった。
「いえ、そんなことはないです。ただ、そこは……」 と言って苦々しい顔をするばかりだ。
「じゃあ、別にそこじゃなくてもいいし。同じビルの二階にホットドッグの店もあるし、たこ焼きやお好み焼きの店もあるし」
「いや、あの……」
「どうしたの? 私と一緒じゃ、嫌? 」
そこまで拒否されるとなると、彼が消極的になる理由は、ひとつしか残っていない。
つまり、カンナと一緒にいること自体が嫌なのだろう。
そうとしか考えられない。
カンナからはすでに笑顔が消え去っていた。
「違うんです。そんなんじゃないんです。あの、実は……」
彼が言い訳すればするほど、敗北感でいっぱいになる。
「何? 私と一緒にいるのが苦痛だとか言うんだったら、正直に言ってね。嘘つかれるより、その方がいいもの」
「いや、そうじゃなくて。図書館付近は、ちょっとまずくて……」
「え? 図書館付近に何か問題でもあるの? 」
「その、さっきも話した彼女が、ちょくちょく図書館に通って勉強していて。そいつと鉢合わせする可能性が高いので、なるべくそこらへんには近付きたくないんで……」
「そっか。それなら、そこはNGだね。堂野君の好きな人に、私と一緒にいるところを見られたら、誤解されるもんね。だって、私たち、付き合ってるとか、そんなんじゃないし。わかった。じゃあ、違うところにしよっか」
あ……。なんてことだろう。
ますます泥沼に引きずり込まれて行くような感覚に陥る。
彼の心の中には、常にその彼女の幻影が見え隠れしているのだ。
それならば、わざと彼女の前に姿を現して、二人でいるところを見せつけてやりたい衝動にかられる。
けど、そんなことをしても彼が喜ぶはずもなく。
彼に嫌われることだけは絶対に避けたかった。
悪魔になりきれない自分には、彼を振り向かせることなど到底無理なんだとこの時悟った。
それからはどのようにして、次の場所に移動したのかほとんど憶えていない。
先を行く彼の後ろを小走りになって付いて行った。
それだけしか記憶にない。
先日、夏祭りが開かれた役場付近の公園広場にやっとたどり着く。
草野球をしている小学生を見下ろしながら、自動販売機で買ったジュースを手に、木陰の石段に彼と並んで腰掛けた。