特別編 勇気を出してごらん その1
女子高生カンナ視点の物語です。
遥、中学三年生の夏。生まれて初めてのデートの相手は、年上の先輩だった……。
こちらの物語は、あんだんて小説舘内に設置していますweb拍手に紹介していた、遥のプロフィールより派生した物語です。
遥の初めてのデートは中学三年生で、相手は年上の先輩だった、というものです。
当時、まだ柊と付き合っていなかったので、先輩の誘いを断りきれなかったようです。
多少のネタバレがありますので、こんぺいとう・続こんぺいとうを読了後に読まれることを推奨しています。
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ご了承ください。
高校生になれば忘れられると思った。
カンナは、無理やり渡された紙切れを眺めながら、ため息をついた。
まじめそうな一学年上の先輩は、「よかったらメールして」 とだけ言って、走り去って行った。
何回目だろう。高校に入学してから、今日みたいなことが増えた。
いかにもカレシがいないように見えるのだろうか。
それとも、簡単にオトセルと思われているのだろうか。
カンナは紙切れをカバンの奥にしまった。
多分、もう必要ないだろうと思ったからだ。
高校生になれば忘れられると思った。
高校に入学してすぐに、気の合うクラスメイトと付き合った。
でもその人は、二人きりになったとたん、カンナの思う恋人関係以上のものを求めてきた。
手をつなぐことすらためらってしまう相手に、応えることができるはずもなく。
結局、さよならした。
たったの二ヶ月、付き合っただけだった。
高校生になれば忘れられると思った。
カンナの心に住み続けるその人は、今はまだ中学三年生だ。
学年は一つしか違わないけれど。
いや、早生まれのカンナとその彼とは、たったの四ヶ月しか生きている時間が違わないのに、高校生と中学生という枠組みの差は、彼女にとって、あまりにも大きすぎた。
彼は、とても遠い存在だった。
高校生になれば忘れられると思った。
なのに……。忘れるどころか、どんどん彼への思いはつのっていく。
学校の図書館で勉強すると言って家を出たけれど、高校とは正反対の方向を向いて歩いていた。
じりじりと照りつける夏の太陽の下を、あてもなくとぼとぼと歩く。
どこに向かっているのか、カンナ自身もわからない。
立ち止まり、ふと目の前にある建物を仰ぎ見た。カンナが卒業した中学校だ。
今は葉だけが生い茂っている桜の木が、すっと吹き抜ける風に枝を揺らす。
この木の前で、彼は友だちとふざけてじゃれ合っていた。
桜の花びらが舞う、四月。
それは、始業式の日だった。
たまたまそばを通りかかったカンナに彼の手が当たる。
ほんの少し、背中をかすめただけだったけど、顔色を変えた彼が姿勢を正し、すみませんと謝った。
一緒にいた彼の友だちまで、青い顔をして頭を下げる。
「いや、そんな……。大丈夫だよ。なんともないから」
そんなに謝ってもらうほど、強く当たったわけじゃない。
逆にカンナの方が何か悪いことをしたような気持ちになる。
男子はいつでもどこでも、時間あれば仲間とじゃれ合う。
教室の中でも日常茶飯の出来事。
ほんの少し、身体の一部が当たったくらいで、あんな風に謝ってもらったことなんてない。
年下なのに律儀で、生真面目。
そして彼の目はとても純粋そうで、引き込まれるような輝きを放っていた。
高校生になれば忘れられると思った。
その日から幾日もしないうちに、彼がバスケ部員なのを知った。
女子バスケ部の友だちに会うフリをして、何度か体育館に足を運んだ。
バスケットの選手としては少し小柄な彼だったけど、俊敏な動きでコートを駆け回り、二年生を取りまとめるリーダーとして活躍していた。
おちてしまった。
何の前触れも無く、突然にそれはやってくる。
彼を好きになっていたのだ。
今日も体育館でボールを追いかけているのだろうか。
この夏で、彼の部活も最後になるはず。
カンナは桜の木陰に隠れるように立ち、すぐそばにある体育館の窓を見上げる。
ボールがはずむ音がする。
部員たちの激しい靴音と掛け声がそれに呼応する。
太陽が真上から少し西に傾いた頃、「ありがとうございました」 の声が響いた。
練習が終わったのだろうか。
そして、一瞬、セミの鳴き声も止み、あたりが静寂に包まれた時。
その人がこちらに向かって歩いてきた。
彼ははっとした顔をして立ち止まり、会釈をしてくれた。
カンナも心持ち頭を下げ、会釈を返す。そして、改めて彼を見た。
確かに彼なのに、少し日焼けしたその顔は、以前よりずっと大人っぽくなり、背もぐっと高くなっていた。
「あの……」
彼に向かって何かを言いかけたが、すぐにまた口をつぐんでしまう。
いったい、何を話すというのだろう。
彼はもうすでにカンナのことなど、忘れてしまっているかもしれないというのに。
いや、それ以前の問題で、カンナの存在すら知らない可能性もある。
一瞬、困ったような顔をしていたけれど、彼はそのまま立ち去ってしまった。
カンナの頭上で、桜の葉がさわさわと揺れた。
こんなところで理由もなくたたずんでいる自分が滑稽に思えてきた。
カバンを肩にかけ直し、ますます強くなった陽射しの下、行くあてもなく歩き始めた。
すると、その時。後から声がした。
「あのう、すみません。もしかして、去年、僕が友だちとふざけている時、身体に当たってしまった、あの時の先輩ですか? 」
振り返ったカンナは、その人と目があったとたん、ぐらりとよろめき、その場にうずくまってしまった。