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こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第三章 めざめ
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番外編 初恋は永遠に 16

 遥は窓を開け、夜空に冴え渡る星を眺めていた。

 いつだったか、ハッブル宇宙望遠鏡が捉えた何万光年もの彼方の星の映像をテレビで見たとき、あまりの感動に胸が震えたのを思い出す。

 人間の目に映る星なんて、ごくわずか。

 広大な宇宙にはそれこそ数え切れない程の星が存在するのだ。


 ついさっきまであんなに激しい季節風が吹き荒れていたのに、今では嘘のように風が止み、あたりがしんと静まり返っている。

 気温はどんどん下がっていく。

 寒ければ寒いほど、星の輝きが増すように思えるのは気のせいだろうか。

 吸い込む空気はまるで凶器のように、遥の肺の奥に鋭い刃を突き立てる。

 それは氷よりも冷たく、そして痛みを伴うのだ。


 フリースのジャケットのファスナーを首まで上げて、冷気の進入を食い止める。

 けれど、そんなことなど無駄な抵抗だとでも言うように遥の身体はどんどん冷えていく。

 それでもおかまいなしに、遥は窓から身を乗り出し、隣の民家を見る。

 ピンクのカーテンがかかっている部屋がお目当ての場所なのだが……。


 夏場は閉めることのなかった雨戸が窓を覆い、あたりの暗闇にすっかり同化していた。

 でも、昔ながらの木製の雨戸は、いつしか老朽化が進み、隙間からかすかに灯かりが漏れ出ている。

 柊はまだ起きているのだろうか。

 勉強の最中なのかもしれない。

 遥の心は次第に柊の面影で埋め尽くされるのだ。


 遥はふと何かを思いついたように室内に引き戻ると、急いで窓を閉める。

 そして冷え切った指先を擦り合わせるようにして温め、廊下にある電話の子機を手にした。

 自分の部屋のベッドに座り、唯一暗唱している番号を打ち込む。

 しばらくコールが続いた後、ようやく電話が繋がった。


『はい。蔵城でございます』


 柊が直接電話に出る可能性はゼロに等しいと初めから予測していた遥は、彼女の母親の声にも動じることなく応える。


「こんばんは。遥です。あの……」

『まあ、はる君。何? いったいどうしたの? まさか、綾子さんに何かあったんじゃ……』


 遥が用件を伝える前に、早とちりした隣の家の母親に言葉を遮られる。


「あっ、違います。明日のことで、柊に話があって」

『ああ、ああ! そうだったわね』


 電話口の向こうで両手をパンと叩いているのが目に見えるようだ。

 彼女は娘の柊に負けないくらいおもしろい。

 そのユニークさは他に類を見ないほどだ。

 遥はこの人が親戚中で一番自分と気が合うと常々そう思っている。


『はる君。いよいよ明日ね。大きな声では言えないけど……多分、あの子はダメだと思うのよ。でもまあ、こっちの女子大も受けてるし、たとえ結果が全敗でも、英語の専門学校に通うって方法もあるしね。はる君なら大丈夫よ、きっと。あの子の分も、がんばってきてね』


 遥はあまりにもあけすけな柊の母親の予見に声を立てて笑いそうになったが、どうにか堪えた。

 明日は大学受験のために、柊と一緒に上京することになっているのだ。


「おばちゃん、それじゃああまりにも柊がかわいそうだよ。あいつ、この頃やる気出してるし、大丈夫だと思うけど」

『ふふ、ありがと。そう言ってもらえるだけで充分よ。だって高校受験だって、ある意味奇蹟だったわけだしね。あの時に運はすべて使い果たしちゃったんだもの。はる君、今まであの子の勉強の面倒を見てくれてありがとう。出来の悪い生徒で、ホント、申し訳なかったわ。あらいけない。こんなことしゃべってる場合じゃないわよね。ちょっと待ってね』


 ……柊っ! はる君から電話よ! という声に続いて、もしもし? といかにも怪訝そうな声が遥の耳に届く。


『電話、こっちに切り替えたけど……。何? 』


 あくまでも柊の声はそっけない。

 やはり電話などするべきではなかったのだ。

 出端をくじかれた格好になった遥は、自分の勇み足を悔いる。


「……せっかく電話してやってるのに、もっと喜べよ」


 遥は、隣の部屋の喜美香に感付かれないように声を潜めて話した。


『そんなこと言ったって……。こんなの初めてだもん。何かあったのかなって、フツー誰だってそう思うよ』

「じゃあな……」


 全く持って、おもしろくない。

 いったい彼女に何を期待していたというのだろう。

 遥は自己嫌悪に陥りながら、すぐに電話を切ろうとした。


『は、遥。待ってよ。なんでそんなに早く切るの? 何か用事があったんじゃ……』


 遥は外線を切ろうとボタンに手をかけた瞬間、受話器からこぼれ出る柊の声にその手を止める。


「ったく。何か用事でもなきゃ、かけちゃダメなのかよ。ただ、柊の声が聞きたかったんだよ。それじゃあ、ダメなのか? 」


 遥はそう言った後、自分のとんでもなくストレートな発言に、気恥ずかしさを覚えた。

 相手の顔を見ないからこそ言えるのだが、それでもどこか照れくさい。


『…………』


 それなのに。柊ときたら、黙り込んだまま何も言わない。

 ますます居たたまれなくなる。


 黙ってないで、何か言えよ……。


 遥の願いも空しく、二人の間にあるのは長い沈黙だけだった。


「なあ、柊……」


 遥がやっとの想いでそれだけ言うと、柊がカチャカチャと受話器を握り直したような音が聞こえた。

 そして……。


『あ、あの……。わたしも、同じこと、考えてた。遥の声が聞きたいって思ってた』


 柊の声が、遥の心にじんわりと染み渡る。


「そうか……。明日、柊の親父さんが駅まで送ってくれるんだったな」

『うん』

「あさっての大学入試、がんばろうな。じゃあ」


 これ以上はもう無理だった。

 やっぱり、電話は苦手だ。

 遥は何事も直接顔を見て話すのが一番だとしみじみ実感する。


『電話、ありがと。嬉しかった。……でも』

「でも? でもって何だよ」

『わたし、せっかく携帯持ってるんだし、なんでそっちに電話してくれないの? こんなことしてたら母さんに怪しまれるよ』


 遥はハッとなった。

 そうだった。彼女は年が明けてから、携帯電話を持つようになったのだ。

 でも遥はまだ持っていない。

 パソコンのメールがあれば十分な彼にとって、携帯電話は無用の産物でしかない。

 それに、携帯の番号は長すぎてどうも憶え辛い。

 それでついつい、慣れ親しんだ彼女の家の電話にかけてしまったというわけだ。

 でも柊の言うことにも一理ある。


「わかった。これからそうするよ。じゃあ、おやすみ」

『おやすみ……。好きだよ、遥……』


 遥が子機を耳から離したとたんに、聞こえてくるとどめの一言。

 よくもぬけぬけとそんなことが言えるもんだと、半ば、あきれたように大仰にため息をつく。

 でも、本当は遥だって嬉しいのだ。

 顔が自然とにやけてしまうくらいに。


 遥は電話を切った後、握り締めた子機に向かって、俺もおまえが好きだよ……とそっとつぶやいた。

   





いつも読んでいただき、ありがとうございます。

次回、最終話になります。

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