番外編 初恋は永遠に 12
「では、三年生の結果を発表いたします。優勝は……」
遥は唇をぎゅっと引き結び、主任の先生の次の一声を待った。
一組でありますように……と祈りながら。
今日の日のために、早朝、昼休み、放課後と時間を惜しんで練習に励んできたのだ。
今朝の最後の練習の時、感極まって泣き出す女子もいたくらいで、充分にクラスのみんなの気持ちがひとつになっていたはずだと遥は自分を奮い立たせる。
藤村の指揮もしなやかで上々の仕上がりだった。
柊のピアノ伴奏も完璧で、少し声量の足りないところを除けば、非のない合唱だったと思う。
遥の中学生活最後の合唱コンクールの結果が今まさに告げられようとしていた。
「優勝は……四組。二位、一組。三位……」
同時に湧き起こる四組の生徒達の悲鳴とも叫びともつかぬ歓声を存分に味わった後、最前列に座っている遥の背後で、クラスメイトのため息が聞こえる。
二位だった。
クラス委員長が前に呼ばれ、順位に沿ったトロフィーや楯が授与される。
遥は、二位と記された楯をクラスのみんなに掲げ、仲間たちの功績を労った。
教室に戻ってからも、クラスの皆の表情は晴れ晴れとしていた。
やることはやったという、満足感の表れなのかもしれない。
遥にしてみれば、それは救いでもあった。
委員長としての責務は全うしたのだから。
音楽の先生の講評に、一組のことが触れられていた。
例年ならば充分に優勝できる実力を備えた出来栄えだったと。
ところが、四組があまりにも当日の出来がよすぎたため、意外性が有利に働いたのと、ソプラノの響きと自由曲の選曲がぴったり合っていたのが勝因だったと言われた。
音楽の専門的なことはわからないが、選曲にも審査の結果が及ぶことを始めて知り、そういう理由なら二位も仕方ないなと、クラスの皆も納得したのだろう。
遥は歌い終わった時、最後に藤村の指揮を見るフリをしながらピアノを弾く柊をこっそり盗み見したことが敗因ではないとわかり、少しほっとした。
放課後になり、四組に駆けて行く柊の後姿をぼんやりと眺めていた。
今夜はおばあちゃんの部屋で勉強できないから……と昨夜彼女が言っていたのを思い出す。
四組の夢美と約束があるらしい。
ただそれだけのことなのに、遥は心にぽっかりと穴が開いたような、寂しい気持ちに苛まれる。
唯一のスキンシップであるこたつでの蹴り合いも、今夜はあきらめるしかないからだ。
そんな遥の気落ちした姿をひと目で見抜いた藤村が、遥の肩をポンと叩く。
「おまえ、元気出せよ。気にするな。誰もおまえのせいだなんて思ってないよ。二位でも充分じゃないか」
藤村の的外れな慰めに反論する気力など最初から持ち合わせていない遥は、ちらっと親友の顔を見て、帰り支度を続ける。
それを言うなら、藤村。おまえこそ、落ち込めよ。指揮者はおまえだろ?
と言いたいのをぐっと我慢して。
「で、堂野。さっきから廊下にいるかわいい奴らがおまえを見てるんだけど」
遥は藤村に言われるがまま、廊下に視線を向ける。
あれは確か……。女子バスケの一年生部員だ。
遥の眉がピクッと上がった。決してうぬぼれているわけではないが、直感でわかる。
彼女たちが、これから何をしようとしているのか。
「藤村せんぱーーい! ちょっと来てください」
部員の中で一番背の高い女の子が手を振りながら藤村を呼んだ。
藤村は遥に向かってにやりとしながら、後輩のところに行く。
そして瞬く間に戻ってきて遥に耳打ちするのだ。
「あの真ん中の小さいのが、おまえに話があるんだと。きっちり断れよ。おまえの蔵城を……」 泣かすな、と最後まで言わせないうちに、遥は藤村の頭をぽかっと殴った。
あくまでも本気ではなく、漫画的表現内のソフトなパフォーマンスだ。
「痛ってえーー。わ、悪かったよ。ぼ、暴力……反対」
手が触れていないはずの部位を、さも痛そうにさすっている藤村に少しイラッとするが、そうも言ってられない。
遥は、いつもの笑顔を貼り付けて後輩のところに向かった。
遥は、自分の部屋のベッドに寝転がりながら、天井で揺れる電気の紐をじっと見ていた。
いっそのこと催眠術にでもかかって眠ってしまえたなら、どれだけ気が楽になるだろうなどと思いながら今日の出来事を振り返っていた。
勉強机の上には、リボンのかかった包みが置いてある。
中は、マフラーらしい。放課後にあの後輩がくれたものだ。
妹の希美香とも仲がいいと言っていたその後輩は、あどけない口元ではっきりと告白したのだ。
堂野先輩が好きです……と。
別に付き合ってくれと言われたわけではない。何も要求はなかった。
プレゼントを受け取って欲しい、とそれだけだった。
最初は受け取れないと、断ったのだ。
でも彼女は、今にも泣き出さんばかりに身体を震わせ、受け取ってくれと懇願する。
「じゃあ、これ。俺が預かっておくわ」
と話に入り込んで来た藤村がプレゼントを手にして、なんとかその場が収まった……はずだった。
でもそのプレゼントを持て余した藤村が、結局遥にそれを押し付けて、今この部屋にその箱がある……というわけなのだ。
どうしたものかと、遥の心は一向に落ち着かない。
今までにも、女子から数々のプレゼントをもらったことがある。
もちろんマフラーもあるし、バスケ用のソックスや、シャーペン、ペアでつけたいからと、アクセサリーまでも……。
どれも、その場で返すようにしていたが、どうしてももらってくれとそのままになっているものもあるにはある。
けれどそのたびに、何か悪いことをしているような気になるのだ。
世の中、どうしてこんなにもうまくいかないのだろう。
どんなに想っても届かない気持ちがあるというのに、かたや、こうやって見知らぬ女性から想いを告げられ、理不尽さに苦悩する。
遥はやりきれない気持ちでいっぱいになるのだった。
遥はその夜何度も寝返りを打ち、ようやくうとうとし始めると、部屋の中が真っ赤なリボンのかかった様々な形の箱で埋め尽くされる夢を見て、慌てて飛び起きた。
どんなホラー映画よりも怖かった。
制服に着替えると、真っ先に机の上の箱をカバンに入れた。
今日、学校に行ったら誠意を尽くして後輩にこのプレゼントを返そうと、心に決めた。
もうすぐ十一月になる。朝晩は秋とは言えないほど、冷え込むようになった。
遥は外に出て手を擦り合わせ、ぶるっと身震いをする。
そして振り返ると、柊がこっちに向かって走って来るのが見えた。
「遥! ちょっと待って」
遥は、その場に立ち止まる。
「遥……。今日、学校が終わったら話したいことがあるんだ。いつもの裏山で待ってるから来て欲しいんだけど」
「わかった。いつもの裏山って、アレだよな? 」
「うん。そう。じゃあね! 」
それだけ言って、また駆け出して行く。
重そうなカバンのせいで少し身体を傾け、スカートの裾が跳ねてるのもお構いなしに。
遥は柊の話があまり期待する内容ではなさそうなのを、長年の付き合いからすでに感じ取っていた。
でもこれはある意味チャンスではないのだろうかと思い直す。
遥はますますカバンの中の箱ときっちり決別する必要があると再認識した。
今日こそ運命の日なのだ。
遥は次第に気持ちが昂るのを抑えられなかった。
それにしても。
アレで分かり合えるなんて、まるで長年連れ添った夫婦みたいだ……と遥は裏山を見上げながら眩しそうに目を細めた。