5.クリスマスの出来事 その3
その慌てぶりからして何かあっただろうことは予測できるけど、それよりも何よりも。
二年ぶりに遥がわたしの部屋に入って来てくれたのが嬉しくて、自然と頬が緩んでしまう。
あっ、そうそう。
あくまでもこの時は、まだ遥のことを好きともなんとも思ってなかったから、単純に遊びに来てくれたことが嬉しくて、うきうきと心が弾んでいただけのことだった。
「柊、何へらへらしてんの? こっちは一大事だっていうのに。おい、希美香。おめえ、あることないこと柊にベラベラしゃべってるんじゃねえぞ! 」
遥が希美香が出て行った廊下に向かって大声で叱責する。
悪いけど……。
あることないこと、もう全部聞いてしまったあとだからね。
六年生の妹の方が、こいつより一枚上手だったってことだ。
「遥こそ、何慌ててるのよ。何かあったの? さっきそこで誰かとしゃべってたけど。そのこと? 」
せっかくだから、軽く質問なんぞを投げかけてみた。
「なんだ、見てたのかよ。なら先にそう言えよ。実はな、川田と細村がめんどくせーこといろいろ訊いてきやがって」
「メンドクサイこと? 」
遥の鼻息が荒い。よほど機嫌をそこねているのだろう。
すると、急に声をひそめた遥がわたしに顔を近づけて話し始める。
「……ああ。かなりめんどくせーことだ。あのな、俺に好きな人がいるのか、とか、付き合っている人はいるのか、ってね。それを訊いてどうするんだって訊ねても何も答えないし……。マジでわけわかんねえよ、あいつら」
本当に遥が困っている様子は伝わってくる。
でもそんな話、別に困ることでもないと思うんだけど。
「いったい俺にどうしろって言うんだ? なんでそんなプライベートなことを全く関係ないやつらに教えなきゃなんねーんだよ」
それもそうだ。彼女たちに教える必要はこれっぽっちもない。
にしてもさっきからあまりにも近すぎる遥に、なぜか心が落ち着かない。
でもこれは彼に取ってはマル秘情報なのだろう。
希美香にも訊かれたくない話なのかもしれない。
「でもね、さっき川田さんが遥のこと、ラブとか言ってたけど」
「ラブ? なんだそれ? 」
「アイラブユーのラブだよ。でね、だとしたら、細村さんも遥のファンだったりするのかも。あんたのこと、いろいろ知りたかっただけだと思うけどね。そのうち、あなたが好きですって、告白でもされるんじゃない? モテモテで良かったじゃん、ねっ? 」
少しばかり皮肉を込めて、遥にそう言ってやった。
「なあ、柊。おまえはそれでいいと思うのか? 俺、十一月の文化祭が終わった後にも、何人かに告白されてて、まだ誰にも返事してないんだ」
こ、こいつ。いったい何が言いたいのか……。
黙って下手に出て、話を聞いてあげたからって、そこまで調子に乗らなくてもいいのに。
久しぶりにわたしの部屋に来てくれて、それに、こんなに近くに寄って来てくれてちょぴり嬉しいだなんて思ったこと、即取り消す!
「ちょっと、遥。ここに何しに来たの? それって自分がモテるからって自慢しに来ただけじゃない。その気がないのなら断ればいいだけでしょ? そんなこと、いちいちわたしに報告しなくていいから! あんたの方が、よっぽどメンドクサイ! 」
何故かムキになって言葉を荒げてしまった。
そもそも、最近会話すらまともにしていなかったのに、たまに話すとこんな過激な内容なわけで。
遥の恋愛事情なんて、わたしには全く関係のないこと。
もともと争いはエネルギーの無駄使いだと思っているので、今まで遥に対してあまり言い返したりすることはなかった。
それだけに、いまだかつてないわたしの激昂ぶりに、さすがに遥も驚いたのだろう。
少し間をおくと、今度はわたしの機嫌を窺うようにして、懇願のまなざしを向けてくる。
「柊。まあ、落ち着けよ。俺、もうあいつらとかかわりたくないから、おまえの口から適当に返事しておいてくれ。いいな、頼んだぞ」
それだけ言うと遥は部屋を出て行こうとして立ち上がった。
ちょ、ちょっと。待ちなさい! いくらなんでもそれはない。
遥の腕をグイッと掴み、引き止めた。
「遥、待ってよ! ねえ、適当にって、どう言えばいいの? 遥には彼女がいます。だから放っておいて下さいって、嘘でもついておけばいいってこと? 」
「ああ、それでいいよ。嘘でも何でもいいから、もう二度と俺にまとわりつかないように、適当に言っといて。よろしく頼む! 」
よろしくって……。
遥はまたどかどかと廊下を走りながら嵐のように去っていく。
するとその後を小鍋を抱えた母さんが追いかけるのだ。
昔よく見たような気がする。
最後に見たのはいつだったのだろう。このなつかしい光景は……。
さっきから家中に漂っていた醤油の香りは、確か、里芋とイカの煮物の匂いだ。
「はるくうーん。待って! おばあちゃんにこの煮物持ってってちょうだーいっ! 」
多分母さんは追いつかない。
そのまま隣のおばあちゃんちまで、小鍋を抱えたまま走っていくのだろう……などと、ぼんやりとそんなことを考えていた。