45.とんだ受験勉強 その2
遥に相手にされないわたしを不憫に思ったのか、編み物の手を止めたおばあちゃんが、にっこり笑って模試データを見てくれる。
「どれどれ……。おや、成績が上がったのかい? よくがんばったね、柊。次はきっとAになるよ。でも遥も柊も東京の大学に行ってしまうなんてねえ……。何度も言うけど、こっちの大学じゃだめなのかい? 何も二人揃ってここを出て行かなくても……」
おばあちゃんはわたし達二人のどちらを見るでもなく、独り言のように話しかけてくる。
寂しいのだろうか?
すると、今まで話に加わらなかった遥が突然顔をあげて、その重い口を開いた。
「東京に行くのは四年間だけだ。就職はこっちでするつもりだし、将来は家も裏山もちゃんと管理するから心配するな」
もう遥ったら……。突然そんなこと言うんだもの。本当にびっくりした。
今わたしが不安に思っていたことを見透かされたような遥の言葉に、心臓がトクンと鳴る。
家も裏山も守るってことはわたしとの約束も忘れていないってことだよね?
まだ憶えててくれたんだ。
でもおばあちゃんは、そんな遥の口先だけの言葉をとても信じているようには思えない。
不安げに手元の模試データに視線を落とす。
「東京に行ったら、堂野家のみんながおまえを離さないかもしれないよ。そのまま店を継がせるかもしれないしねえ。向こうはきっとそれを望んでいるだろうから……」
おばあちゃんは、遥が東京の大学を選んだのは、堂野家と関係があると思っているのだ。
でもわたしは知っている。
遥が東京のこの大学を選んだ理由を。
彼はずっとテレビ局の仕事に興味があって、マスコミ方面への就職に最大の威力を発揮する大学として、そこを選んだのだ。
夏に東京に行った時、渋谷の公共放送局の前で立ち止まって、三つの卵の中のアルファベットのロゴをじっと見つめている遥の目は、嘘偽りなく将来を見据えている目だった……と思っている。
多分、間違いない。
「ばあちゃんも心配性だな。まあ、四年後は実際俺もどうなってるかなんてわからないけど……。でもな、うちには希美香もいるし※卓もいる。それに俺がやりたいことを見つければそれを応援してくれるって東京のじいさんも言ってくれてるし。だから絶対ここにもどってくるから心配するなよ。……なあ? ばあちゃん」
遥が笑顔を見せながらおばあちゃんの肩をぽんと叩く。
「そうかい? そりゃあここに戻るのもお菓子屋を継ぐのも、それは遥の自由なんだけどね。でも、もしも。もしもだよ。遥が東京で仕事を見つけて、柊も東京でいい人が出来てここに帰ってこなくなったら……なんてことになったら、どうするんだい? 希美香もそのうち嫁に行くだろうし、卓もどうなるかわからない。そうなったら本当にここはどうなってしまうんだろうね。柊だけでもこっちの人と結婚してくれないと、困ったことになるよ……」
おっと、今度はわたしに矛先が向いているのですか?
おばあちゃん、心配いらないから。安心して。
東京でいい人なんてできないよ。っていうか、作らないから。
今、おばあちゃんの目の前にいるその人が、わたしと結婚してくれる……はずなんだ。
だから、大丈夫。
わたしには遥しかいないんだし……。
かといって今ここで未来の話を暴露することは出来ない。
どうしたらおばあちゃんに納得してもらえるのだろうか。
「あははは……! それなら大丈夫! ばあちゃん、安心しろよ。俺がこいつに変な虫が付かないようにしっかり監視するから。あっ、それとばあちゃん。まだ誰にも言ってないんだけどその……俺さ。将来、蔵城を継ぐつもりだから」
は、遥……。いったい何を言い出すつもりなの?
おばあちゃんも目じりの皺をおもいっきり伸ばして、びっくりしてるじゃない!
「蔵城を継ぐ? どういうことだい? でも遥。おまえは堂野家の跡取り息子だろ? 」
「ああ、そうだ。でも俺に考えがあるから」
「ということは、おばあちゃんの養子にでもなるのかい? 」
遥の言っていることの意味が全くわからないといった顔をしたおばあちゃんは、ただただ不思議そうに彼を凝視している。
遥はそんなおばあちゃんの視線を避けるようにしてプイと横を向くと、とんでもないことを言い始めるのだ。
「あっ、ばあちゃんの養子じゃなくて。柊の家に、その、婿養子に入って……。それで、結婚しようか……と」
「柊の家に養子? 結婚? ……そりゃまた、どういうことだい? 」
たぶん、きつねにつままれたような気分を味わってるに違いないおばあちゃんが、いったい何寝言を言ってるんだい? というように目をぱちくりさせて、わたしと遥を交互に眺めていた。
※卓は、遥が高一の春に生まれた二歳の弟。
大学受験を目前に控えた18才になった二人です。相変わらずですね。
何やらおばあちゃんにとんでもないことを言ってしまいそうな遥です。