35 夕日の約束 その2
「け、け、け……。けっこん? 」
へ? 今なんとおっしゃいましたか?
確か言いましたよね。結婚と……。
わたしって、十五にしてプロポーズされてるわけですか?
「あ、あの……。結婚してくれるのは嬉しいけど、相手はわたしだよ? 遥が好きでもない相手なのにいいの? 遥には他に好きな人がいるんでしょ? 」
そうだよ。
好きな人がいるって言ったじゃない。
なのに、わたしと結婚するって、かなり矛盾している。
それとも、その好きな人っていうのがわたしなのだろうか。
いや、それは、ない。
遥はわたしの事が好きだとは一言も言っていない。
わたしだけが彼を好きだなんて一方通行だし、バランスが悪いよ。
そんな結婚はうまくいかないってば。
「はあ? 柊、何言ってるの? 俺、嫌いな奴とは結婚しないし、多分これから先も他の誰とも付き合わないから、二十五歳になったら柊と結婚する可能性はほぼ百パーセントだけどな。そして、結婚後は蔵城に改名するよ。つまりおまえんちと養子縁組するってわけ。こんないい保険は他に見当たらないだろ? あ、それと……。俺には柊しかいないから……」
遥の頬が心持ち赤く染まる。
そう言ったあと急に下を向いて照れくさそうにはにかむ。
わたしでいいんだ。いいんだね。
「遥……。ありがと。わたしも多分遥以外に出会いはなさそうだから、これって現実になる可能性、相当高そうなんだけど」
「そうなってもらわないと、俺も困る」
「そ、そうなんだ。それと、将来蔵城を名乗ってくれるんだ。おばあちゃんも喜ぶね。でも綾子おばちゃん、許してくれるかな? 」
「それ、大丈夫」
突然遥が顔を上げ、意気揚々と答える。
「昨日の検診でお腹の赤ちゃんが男だってわかったんだ。そいつに堂野を継がせりゃいいだろ? 」
そんな……。まだ生まれてもいない未来の弟君の将来を勝手に決めてしまうなんて。
なんだか、自分勝手で我がまま兄貴の本領発揮って感じなんだけど。
「ねえ遥。もしも、もしもだよ。どっちかに他に好きな人できたらどうする? 」
「だから俺は誰とも付き合わないって言ってるだろ? 心配御無用。それとも何? おまえ、裏切る気? 早々に浮気宣言か? 」
「裏切るって、人聞き悪いんだから。わたしは、浮気者じゃありませんっ! それに、遥が言ったんだよ? 二十五歳になった時、お互い誰も相手がいなかったらって……」
「はん! 柊が俺を裏切りそうになったら、阻止するまでのことよ。はっはっは……! まあとにかく将来は決まったし、この先受験勉強もがんばらないとな。そうだ。明日からひいらぎちゃんの成績上げるために、俺の貴重な時間を捧げるから覚悟しとくように」
遥の目がキラリと怪しい光を放つ。
どういうこと?
もしかして……。わたしのために家庭教師になってくれるとか言うんじゃないでしょうね?
なら、答えはノーだ。
「け、結構です。今の成績で行けるとこ探すから。お気になさらずに。はるかくんだって、ご自分のお勉強があるでしょ? わたしのことはお気になさらなくてもいいから。ね? 」
「何をおっしゃるうさぎさん。絶対に俺と同じ高校に行ってもらいますから。しっかり監視しておかないと、裏切るだろ? 絶対に他の男に乗り換える。違う学校で第二の大河内が現れたらどうするんだ! これ、必要最低条件だから。希望校調査、県立西山第一って書くこと。第一だぞ。いいな! 」
そんな、横暴な……。
いつの間にか夕日が辺りを真っ赤に染めていた。落ちている栗のイガもまるで大きなこんぺいとうのように甘く輝いて見える。
きっと、わたしもあの夕日に負けないくらい真っ赤な顔をしてるんだろうな。
栗の木の下で婚約をしたわたしたち。
ほんとにいいのだろうか……。
こんな大事なことを二人だけで勝手に決めちゃって。
でもちょっと待ってよ。
プロポーズはされたけど、好きだとも付き合ってとも何も言われてないよ。
これっていったい……。
「ねえねえ。わたしたち、これからどうすればいいの? わたしは遥の何なの? 」
「うっせえなあ。そんなもの自分で考えろ! これ以上は……。また今度」
「今度っていつ? これ以上って。……ちょっと待ってよ! こら、遥! 」
急に駆け出して、少し離れたところからまん中の栗の木を眺めている、わたしの大切な人。
今日の遥はなんだか大人びて見える。
「大きくなったよな、この木。十年後にまたここに来ような」
わたしも遥のそばに駆け寄って、一緒に栗の木を見上げた。
するとふいに遥の手がわたしの手を包み込む。
心臓が止まるかと思った。
わたしたちが最後に手を繋いだのはいつだったのだろう?
四年生の時?
いや、五年生の鬼ごっこ?
遥の手はちょっと冷たかったけど、わたしの心の中はぽかぽか暖かい。
日も暮れてきたし、そろそろうちに帰らないといけないよね。でも……。
このまま、遥とこうしていたい。
ずっと手を繋いだまま、こうやって、栗の木を眺めていたい。
少し強く握ると、遥がぎゅっと握り返してくれた。
指先から、彼の気持ちが入り込んでくるような、そんな気がする。
好きだとも、ましてや愛してるだとも、なんとも言ってくれなくても……。
今はこれで十分。
足元にころがった大きなこんぺいとうはまだかすかに夕日色。
それはとても甘い夕日色だった。