30.ありえない誤解 その1
合唱コンクールは激戦の末、ノーマークだった四組が優勝して、我が一組は二位に終わった。
朝はホームルーム前の三十分。
昼休みは十五分。
そして、放課後一時間の猛練習の結果だ。
残念だったけどクラスメイトのどの顔もとても満足げで、後悔の言葉はなかった。
クラスの皆が心をひとつにして取り組んだ結果だったので、そこにはやり遂げたすがすがしさしか残らなかった。
コンクールの日、学校から帰って来て、優勝した四組の夢美と二人でささやかな祝賀パーティーを開催した。
場所は、いつものようにわたしの家のピアノの置いてある部屋だ。
夢美は合唱部員で、文化祭でのコンサートを最後に部活を引退する。
彼女のソプラノが四組の優勝に大きく貢献したのは言うまでもない。
とても美しいハーモニーだった。
持ち寄ったお菓子やおにぎりを食べた後は、仕事帰りの夢美のお父さんが迎えに来るまで勉強する事になっている。
最近ではこうやって勉強を名目に彼女と一緒に過ごす日以外は、遊ぶことも少なくなってきた。
夢美は塾にも行ってるのでわたしより格段に忙しい。
受験生にもかかわらず時間的なゆとりを実感しているわたしは、学校内でも異質な存在なのかもしれない。
本を読んだりCDを聞いたり、おばあちゃんのところで遥と勉強したりと、自分のペースで過ごしていることに疑問を感じないのは、ある意味得な性格なのだろう。
危機感なんてこれっぽっちも持ち合わせていない。
遥との勉強会のことは、彼女にはまだ言ってない。
いや、この先も言えないよね。
彼女だって、好きな人が別の同級生と一緒に過ごしているなんてことは知りたくないと思う。
夏休み限定の塾の夏期講習はそれなりに成果をもたらしてくれた。
二学期が始まってすぐの実力テストでは、過去最高の校内順位を獲得したのだ。
けれど、遥の順位にはまだまだ差をつけられている。現実は厳しい。
だからというわけでもないけど、今度冬休みにも短期集中講座を受けようと思っている。
なぜならばもう来年の春は受験がやってくる。
そろそろエンジンをかけないと本気で間に合わなくなってしまうからだ。
あれこれ思いを巡らせながら問題を解いていると、シャーペンを器用にくるくる回しながら夢美が突然問題集から顔をあげた。
「ねえ、ひいら……。あたし、合唱部の顧問推薦で花山大付属高校を受けるように勧められてるけど、堂野はどこ受けるのかな? やっぱ西山第一? 」
西山第一は、この地域の県立普通科高校だ。
その昔、男子校だったなごりで、硬派なイメージがいまだ染み付いたままで、質実剛健をスローガンに掲げた進学校でもある。
多分遥の成績なら申し分なくそこに行けるのだろう。
「あいつからは何も聞いてないけど、そうじゃないかな? ……で、夢ちゃんは西山第一か花山大付属かで迷ってるの? 」
「うん。そうなんだ。花山大付属に行って合唱で高校の部の全国大会目指すのも魅力的だし、西山第一で彼と一緒に高校生活の思い出を作りたいってのもある。ただ、西山第一にはちょっと内申点が足りないんだ。期末でよほどがんばんないと無理なんだけどね……。ひいらは? どこ受ける? 」
夢美がわたしを真っ直ぐにみて訊ねる。
そういえば進学先について具体的に話し合うのは今日が初めてのような気がする。
私たちはいつの間にかそんな時期に足を踏み入れていたのだ。
もう後戻りできないところまで来てしまった。
「わたし? わたしはどこでもいいかな。別にこの高校でなくちゃだめって目標があるわけじゃないし。そりゃあ、西山第一に行ければそれに越した事ないよ。でもさ、わたし、夢ちゃんより成績ひどいの知ってるでしょ? 」
「そんなことないよ。実力テストはひいらの方がよかったじゃない。このごろのひいらは、問題集もさくさく進んでるみたいだし。二学期の成績はきっとよくなるよ」
「あの実力テストはまぐれだってば。夏の講習で習ったところが出たからラッキーだっただけ。このままじゃ、西山第一は百パーセント無理だと思う。だったら西山第二高校かな? 花山大付属の普通科も人気だしいいなって思うけど、どこもまだ学力が伴わない気がする。だめならまた他を考えるよ……」
西山第二高校は戦後のベビーブームに推されて出来た普通科高校。
道路を隔てて第一高校と向かい合わせにある。
制服もほとんど同じで、両校とも私服登校も認められている。
はっきり言って校門をくぐるまでどっちの生徒か全くわからないと部活の先輩が言ってたのを思い出す。
果たして二校を区別する必要がどこにあるのか未だに意味不明だ。
噂では、このまま県内の人口が減り続けると、そう遠くない未来に二つの高校は合併するのでは、とも言われている。
「ひいらって、案外マイペースだよね。みんなには、あくせく勉強してるところなんて一切見せないで、実はかげで努力してるってタイプなのかな? 」
「ぇええ? かげも何も、昔っから努力はどうも苦手なんだよね。コツコツ積み重ねるとか……。そんなのは多分向いてないみたい。将来だって、何になりたいとかこんな風に生きてみたいとかそれすらまだ何もわからないんだもん。わたしって、つくづくのん気で世間知らずなんだと、最近ようやく気付いたんだ。堂野にも叱られてばかりだし。へへへ」
「叱られてばかり? 」
この瞬間、夢美の顔色が変わったような気がする。
もしかして、わたし。
言ってはいけないことを口走ってしまったのだろうか。