28.そこそこかわいい その1
「おじゃましました……」
大河内が、遥の家からもどってきた母さんにすれ違いざまに頭を下げ、表情を硬くしたまま帰ろうとする。
もう少しゆっくりしていってちょうだいと母さんが引き止めても、彼はありがとうございますとだけ言って、立ち去って行った。
そして、その後を、ドタドタとわたしと遥が家から出て行く。
「おばちゃん、ちょっと柊借りるわ」
「あらあら、はる君もいたの? そんなに慌てちゃって。いったい何事かしら」
理解に苦しむ母さんを尻目に、遥が強引にわたしの腕を引っ張り、有無を言わせずにおばあちゃんの家に連れて行こうとするのだ。
わたしは唖然としながらも、黙って遥について行った。
おばあちゃんの家の中は、意外にもシンと静まり返っていた。
いつもこの家には、おばあちゃんしかいないのだから、静かなのはあたりまえなんだけれど、それにしても物音ひとつしないのは不自然だった。
「おばあちゃん、どこ? いないみたいだね。ねえ遥、おばあちゃんが呼んでたって、うそ? 」
キョロキョロとあちこちを探してみてもおばあちゃんの姿はどこにもなかった。
台所も、居間も電気が消えている。これはどうみたって留守だ。
「ばあちゃんは今夜、村の寄り合いだから……。家にはいないさ」
遥はそんなの当然だとでも言うように、しらっと答える。
なんでそんな見えすいた嘘をつくのだろう……。
居間の灯りを点けると、遥はまだぬくもりの残っているコタツに足を突っ込み、わたしにも座れと布団を持ち上げて、座布団の上をトントンとたたいた。
わたしはこれから何が起こるのかと内心ビクビクしながら、よもぎ色の座布団の上に腰を下ろし、恐る恐る足を伸ばした。
「柊、急に押しかけてごめん……。びっくりしただろ? 」
わたしを覗き込むようにしながら遥が言った。
「そ、そりゃあもちろん。まさかあのタイミングで遥が来るなんて、思いもしないもの……」
遥、そんなにわたしを見ないで。
自意識過剰かもしれないけど、とても恥ずかしい。
「俺も、柊の部屋の前に着いたとたん、大河内の怪しい声が聞こえて驚いた。さっきおばちゃんが、何か客に出せそうなお菓子はないかってうちにやって来たんだ。すっごいハンサムな元生徒会長が来てるって母さんと話してるのを聞いたとたん、俺の頭ん中に赤いランプがみごとに点灯して……」
赤いランプって、パトカーの上についているサイレンのこと?
ってことは、大河内がわたしにとっての危険人物とでも言うのだろうか?
「猛ダッシュで柊のところに駆け込んだってわけさ……」
「そ、そうだったんだ。……ごめん。遥に知られたら怒られると思って、大河内君が来ること、内緒にしてた……」
せっかくいい調子で大河内と練習してたのに……じゃなくて、おしゃべりを楽しんでいたのに。
母さんのせいで、遥にバレてしまった。
藤村になんて言おう。彼も遥に怒られるのかな?
「大河内が柊を誘ったのか? なあ、どうなんだ。それで嬉しくて、あいつを家に上げたのか? 」
「うん……。断ればよかったんだけど、二年の時、大河内君とは、わりと仲が良かったし、別にいいかなと思って……」
「そういうことか……。なら、柊がいいのなら、俺、別に止めなくてもよかったんだな。でもおまえ、本当にあいつのことが好きなのか? 」
えっ? 今、なんて言いました?
ちょ、ちょっと待ってよ。 好きって、どういうこと?
遥ってば、何か誤解してるんじゃないだろうか。
「だからさあ。好きとか嫌いとかじゃなくて、同じ学校の元クラスメイトとして、困っている時はお互い助け合うのは当然かなって、そう思って、大河内君に来てもらったんだけど……」
「じゃあ柊は、好きでもない奴と、元クラスメイトというだけで付き合ったりする、ゆるい女なのか? おまえって奴は、そんな風に男をたぶらかすようないい加減な女だったってわけだよな。ええ? どうなんだっ! 」
こたつの天板をバンと叩いて遥が怒りを露わにする。
でも……。遥は完全に、わたしと大河内の関係を誤解している。
なんでそうなるの? どうして?
「遥? あんた、なんか勘違いしてない? わたし、大河内君と付き合ってないし、男をたぶらかしたりなんかもしてないよ! あのね、大河内君に指揮のやり方教えてって、頼まれただけなんだけど! 」
そうだ。それだけだ。
なのにどうしてそんな風に思われなきゃいけないんだろう。
わたしは、遥に負けないくらい大きな音で、こたつの天板をビシッと叩いた。
「はあ? し、指揮ぃ?」
「そう。大河内君、二組の指揮者なんだって。藤村みたいに教えてって頼まれた」
「藤村みたいに? 」
「そうなんだってば。でも……。結局練習なんて全くしなかったんだけどね。だから、遥があの時来てくれなかったら、今頃どうなっていたのかなって、ちょっとは不安も感じてる……」
指揮の練習と聞いたとたん、ふにゃふにゃとこたつの天板にうなだれて、力の抜けてしまっただらしない姿の遥がそこにいる。
ってことは。指揮の練習なら、ライバルクラスの大河内であっても、やってもいいってことなのかな?
なーんだ。それなら正直に最初からそう言っとけばよかったんだ。
今日は、大河内君と指揮の練習をするよって。
藤村が余計なこと言うから、変に気を回してしまったんだよね。
クラスのためにも、このことは黙ってた方がいいんじゃないかと思って、ひた隠しにしていた。
でも、結果的に、遥が来てくれて助かった。
もしあのまま大河内と二人きりだったら、わたしはとんでもないことに巻き込まれていたのかもしれないと、ふとそう思う。
「やれやれ……。柊ちゃんよ。ホントに心配させすぎ。俺はてっきり、柊があいつに尻尾振ってるんだと思ってたよ。でもあいつ、さっきおまえに言い寄ってただろ? 」
「た、確かに」
「うーーん、たしか去年の今ごろだったかな。あいつを、家の周りでちょくちょく見かけたんだ。最初はチャリでどこかに行く途中なのかなと思ってたけど、木の陰からおまえの家をじっと見てるんだ。俺、ピンと来たもんね」
「ピンと? 」
「そう。柊が二年の時、あいつと仲がいいのは希美香に聞いて知ってたから、もうこれは間違いないってな。あいつ、柊に気があるんだよ」
「えっ? どういうこと? 」
「だから……。柊のことが好きなんだよ、大河内は」
「は、は、遥……。やめてよ。そんなの、ありえないし……」
わたしは引き攣り笑いを浮かべながら、大きく頭を振る。