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こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第一章 めばえ
10/70

10.青い帯

 一学期も無事終了して、夏休みの宿題のワークブックと通知表を手に、家路を急ぐ。

 今夜は村の夏祭りだ。大人も子どもも、旧役場の跡地広場に集まって夜店や花火を楽しむ。

 新町地区の子供たちも大勢やってくるこの祭りは、今では雑誌にも載るくらい大規模な催しになっている。

 花火大会を目指して、遠方から人々がこぞってやってくるようになった。


 昼ごはんもそこそこにシャワーをあび、おばあちゃんの家に飛んで行った。

 するともうすでに希美香がそこにいて、おばあちゃんと一緒に箪笥を覗き込んで何やら騒いでいる。


「おばあちゃん、希美ちゃん。何してるの? なんだか嫌だな……」


 この季節、家の中にいろいろな虫がやってくる。

 わたしは反射的に、廊下に並んでいるスリッパの位置を確かめ、いつでもそれを手に取れる体勢を整えた。


「おや、柊も来たのかい。それがねぇ……」


 おばちゃんの困惑顔に緊張が走り、ごくりと唾を飲み込んだ。

 大丈夫だ。いつでもスリッパにダッシュできる。


「浴衣の帯が、ひとつどこかにいってしまったみたいなんだよ。さっきから探してるんだけどね。見つからなくてね」

「へえ? 」


 わたしは気の抜けた返事をして、その場にへなへなと座り込んだ。

 なんだ、そういうことか。虫ではなかったようだ。

 スリッパの出番がないとわかるや否や、ほっと息をつく。


 おばあちゃんは、着物が入っている畳紙(たとうし)を、上に向けた手のひらの上にまっすぐたいらになるように持って、次々と畳の上に並べ広げる。

 ようやく黄色い布地が見えた時、あったあったと顔をくしゃくしゃにして、取り出して見せてくれた。

 それは去年の夏祭りに、わたしが締めてもらった黄色の帯だ。


「これこれ。去年は柊が使っていたけど、今年は希美香にどうかね? 」


 去年まで小学生だった希美香は、白地に花柄模様の浴衣に合せて、赤い帯だった。


 でも今年は紺地に幾何学模様の浴衣なので、黄色の帯が映える。

 わたしは去年と同じ黒地に薄紫や白い花が染めてある大人っぽい柄の浴衣だ。

 今年の帯は明るめの青で、おばあちゃんが娘の頃使っていた物を大事そうに出してくれた。


「柊も、もう十五だろ? 十五と言えば数えの十六。大人の女性に仲間入りする年だからね。この帯でも、ちっともおかしくないんだよ……」


 おばあちゃんはそう言うと、一瞬はにかんだように笑みを浮かべ、優しい目をわたしに向けた。


「この帯を締めて夏祭りでおじいさんと出会ったのは、確か私が十七の時だったかしらねえ。私の帯の色と、おじいさんがいつも使っている風呂敷の色がよく似ているって言ってくれてね。それからこの帯を事あるごとに使って、(あわせ)になってからも締めようとしたら、母親に笑われたんだよ……ふふふ」


 おばあちゃんがおじいちゃんの話をする時は、いつも少し恥ずかしそうにする。

 そんなおばあちゃんの気持ちなんかまるで無関心とでも言うように、希美香が口を挟む。


「風呂敷と一緒だなんて、超ダサいよぉ! ねえねえ、お姉ちゃん。それやめて、違う帯にしてもらったら? 」


 希美香は、おばあちゃんの昔話が始まると、いつも横槍を入れておもしろがる。

 わたしも数年前までは一緒になって笑っていたけど、今はちっともおかしくなんかなかった。

 今日の思い出話は、どういうわけか胸にググっと来てしまったのだ。


 そんなおばあちゃんの想いがいっぱいつまったこの帯を締めてもらえるのは嬉しいけど、まだ大人になりきれないわたしなんかが似合うわけが無いと思う。

 身体中がこそばゆくて照れくさくなる。

 でも、せっかくおばあちゃんが出してくれたのだ。

 わたしは少し考えた後、決断した。


「希美ちゃん。わたしはこの帯がいい」

「なんで? 変だよ、そんな色」


 希美香がさも不服そうに口を尖らせる。


「そんなに変かな? でも、わたしの浴衣に、きっと合うんじゃないかなって、思うの。だからわたし、この帯にする」


 おばあちゃんがわたしの肩を抱き、柊、ありがとねと言って、目を細めた。


 わたしと希美香は大急ぎでおばあちゃんに浴衣の着付けをしてもらうと、庭で待ち構えていた父さんに急かされるようにして希美香とポーズを取る。

 恒例の写真撮影大会だ。


「さあ、二人とも早く並んで。希美香、もっと柊に寄って。そうそう……。ハイ、チーズ」


 希美香の頬に自分の頬をくっつけてニッコリ笑った。

 毎年アルバムに増えていく浴衣姿の写真はわたしの宝物だ。よちよち歩きの頃からの思い出の写真。そこには当然のように、遥も一緒に写っている。


「あれ? 遥はどこに行った? おばちゃん、遥は? 」


 父さんは、おばあちゃんのことを、いつもおばちゃんと呼んでいる。

 キョロキョロしながら遥を探している父さんは、おばあちゃんの前では、いくつになっても子供みたいだ。


「そういえば今日は見ないね……。柊は遥と一緒に帰ってこなかったのかい? 」

「やだ、おばあちゃん。なんでわたしが遥と一緒に帰って来なきゃならないのよ。あっ! そういえば……。部活じゃないかな? バスケの最後の試合が近いから、二時間だけ練習があるって言ってたような気がする」


 わたしはおばあちゃんと父さんの両方に聞こえるように言った。

 教室で友達とそんな話をしているのを聞いたのだ。


「そうか。じゃあ夕方、もう一度撮り直すことにしよう。それじゃあ父さんは村の寄り合いに行ってくるからな。遥を捕まえておけよ」


 そう言って自転車にまたがると、祭り会場にある集会所に向って走っていった。

 今出て行ったばかりの父さんと入れ替わるようにして、坂を上がってくる人影が見える。

 あ、遥かもしれない。

 そうだ、遥だ。


 昼下がりの夏の陽射しは焦げ付くようにきつい。

 汗だくになって制服のシャツを背中にはりつけながら、遥がわたしたちの横を通り過ぎていく。

 一瞬だけわたしの方をチラッと見たけれど、疲れているのだろうか。

 何もしゃべらずにとんがり屋根の自分の家に消えていった。


 わたしと希美香はしばらくの間、母屋でアイスを食べながらおしゃべりをしていたが、四時を過ぎた頃、庭の方が騒々しいのに気付く。

 何かあったのだろうか。


「おーーい、写真を撮るぞ。みんな集まれ! ったく、あいつときたら! 」


 おばあちゃんに帯を締めなおしてもらいあわてて庭に出ると、父さんがなにやら剣幕の様子だ。

 そこには綾子おばさんもいて、どうしようかしら、と困惑の表情を浮かべていた。


「おばちゃん。父さん。……どうしたの? 」


 わたしは二人を交互に見ながら訊ねた。


「柊ちゃん……。あのね、遥がエスケープしてるのよ」

「エスケープ? 」


 聞いたことのあるコトバだけど、どういう意味だっけ? 

 二人の大人たちの様子を見る限りでは、それはあまり好ましくないことを意味すると言うのは理解できる。

 遥がいったい、どうしたっていうのだろう。 

 わたしが首をかしげていると、綾子おばさんが苦笑いを浮かべながら、離れの二階にある遥の部屋の窓を見上げて言った。


「あの子ね、写真も撮らないし、祭りも行かないって言ってるの」

「ええ? どうして? 」


 信じられない。

 毎年、誰よりも夏祭りを心待ちにしていたのに、その遥が拒否するなんて、意味不明だ。


「理由がわかれば苦労しないんだけど。ホント、困った子でしょ? 毎年あんなに楽しみにしてたのに、いったいどうしたのかしらって、お兄さんと話していたところなのよ」


 綾子おばさんは、ほとほと参ったという顔をして、どっこいしょと縁側に腰を下ろした。


「あいつ、何が気に入らないんだ? 写真はともかく、祭りまで行かないとはね。会場にいる俊介を呼び戻して、あいつを無理やり部屋から引きずり出そうか? 」


 父さんが声を荒げる。

 俊介というのは、遥のお父さんのことだ。

 うちの父さんと二つ違いで、二人は本当の兄弟のように仲がいい。

 俊介おじさんを呼んできて、二人がかりで遥を説得するつもりなのだろう。

 学校ではいつもと変わらないように見えた遥だけど、そう言われれば、口数が減っていたかもしれない。

 何も話しかけてこなかったし、友達とふざけることもなかった。


「お兄ちゃんさ、この頃、我がままばかり言ってるからね。もう、放っておけばいいし」


 わたしがあれこれ想いを巡らせていると、希美香の容赦ない苦言が飛ぶ。

 希美香の言うことも一理ある。でも……。


「わたし、遥のところに行ってみる」


 次の瞬間、わたしの身体は、浴衣を着ているのも忘れて、全速力で駆け出していた。


「待って、柊ちゃん! 行っても無駄よ」


 綾子おばさんが止めるのも聞かず、気付いた時にはすでに遥の部屋のまん前まで来ていた。


   


   *(あわせ)とは、十月一日から五月三十一日まで着る裏地のついた着物の事です。

    冬物の着物に夏物の帯はちょっと合いませんね。



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