校舎の裏で
「――集合しろ!! 休憩は終わりだ!!」
演習場の真ん中で、画板を片手にアサギが声を張る。生徒達はゾロゾロとアサギの周囲に集まり始める。そこには、上逸クラスも混じっていた。
「では、これより模擬戦闘を実施する。組み合わせはこちらで決めてある。名前が呼ばれた者は準備をしろ」
生徒達に、俄かに緊張感が漂う。模擬戦闘は、基本的に一組ずつ行われる。多数の組が一度にすると、攻撃に他の者が巻き込まれるからである。つまりは、名前を呼ばれた者は皆の前で戦わなければならない。とりわけ修練クラスは重い空気に包まれていた。運が悪ければ、対戦相手は上逸クラスの者となる。それはつまり、皆の前で無様に負ける姿を見せると言うこと……ほとんどの生徒が、名前が呼ばれないことを切に願っていた。
「まず最初の組――サロ、レディア」
呼ばれたのは、修練クラスの男子、サロ。そして、上逸の女子、レディア。……その瞬間、サロは顔を青くして項垂れる。サロの周囲にいる修練の生徒は、同情の眼差しでサロを見ていた。
「さっそく始める。二人以外は観客席で待機しろ」
アサギの言葉で、それ以外の生徒達はゾロゾロと観客席に移動する。その中で、蓮は人知れずアサギの元へと向かった。
「――ん? どうした蓮? 早く観客席に移動しろ」
「いや行くけど……なあアサギ…教官。なんでわざわざ上逸の奴と修練の奴を組にするんだ? さすがに酷じゃねえか?」
蓮の言葉はもっともだった。もちろんアサギも蓮の言うことは分かっている。だがアサギは、淡々と教官として蓮に返答した。
「――蓮、お前が言いたいことは分かっている。だが、これは模擬戦闘だ。同じ修練同士では、緊張感が出ない場合がある。それが普通になれば、いざ本当の戦闘になった時に油断が出るかもしれない。それは、戦士としては致命的だ。それに、修練の者にとっては、格上の相手と戦うのはいい刺激になる。上があるからこそ鍛錬に力が入るってもんだ」
「……それ、全員には該当しないと思うぞ?」
「そうかもしれない。だが、こういう機会があれば、否が応でも鍛錬に励むだろう。そうしなければ痛い目を見るからな。お前からすれば、それはとてもいい気持になるものではないかもしれないな。……しかしそれは学錬院では普通のことだ。嫌々でも体を鍛えなければ、いずれ後悔することになるかもしれない。それじゃ、遅いんだよ」
「……それは分かるけど……でも、それなら上逸の奴らは大丈夫なのか? 言ってしまえば格下を相手にするんだろ? それこそ油断するんじゃないのか?」
「それなら心配はない。上逸はその程度で油断するような奴はいない。それに、何かあった時に真っ先に現場へ送られるのは修練クラスの者だ」
「は? 普通は上のクラスじゃねえのか?」
「……やはり、お前は何か勘違いしてるみたいだな。――いいか? 現場での任務は、何も戦闘だけではない。補給、救助、捜索……やることは山ほどある。その裏方の仕事をするのが修練の役割だ。雑用も含めれば、修練の方が実働時間は長いんだよ。それに耐えれるように、また、少しでも実力差をなくすように、自然と修練が一番訓練時間が長くなっているんだ」
「……マジ?」
「ああ。“マジ”だ」
アサギは、不気味な笑みを浮かべていた。それを見た蓮は、そこで初めて自分の判断が間違いであることを知る。楽をするために修練に入ったのに、それは全くの間違いであったということを……
「……あの……アサギ教官? 選別試験って、もう一回受けたりは……」
「出来るわけないだろ。一度クラスが確定すれば、最低でも一年間はそのクラスのに在籍しなければならない決まりになってるんだ。……ちょうどいいだろ。お前の根性を叩き直すためは、な……」
「………」
蓮は絶句した。やらかした――そういう絶望が、蓮の頭を巡っていた。
「さて、無駄話は終わりだ。さっさと観客席に行け。……それとも、模擬戦闘、お前からするか?」
「……いや、勘弁だ」
蓮はフラフラと観客席に向かった。その背中を見たアサギは、困ったようにやれやれと溜め息を吐いていた。
◆ ◆ ◆
やがて生徒達は観客席へと移動し終える。演習場に残されたのは、アサギと彼女に指定された二人の生徒だった。その様子を緊張の表情で見るケント。その隣には、頭の後ろで手を組み背もたれにうっかかる蓮がいた。蓮は一度周囲に目をやる。上逸クラスの面々は余裕に満ちた表情で演習場を見ていた。片や修練クラスの面々は、誰もが一様に顔を強張らせていた。それも仕方のないことだろう。もしかしたら、次は自分があの場に立っているかもしれないのだから―――
演習場に立つ二人は、それぞれ武器を構えていた。サロは片手剣。レディアは鉄製の棍をそれぞれ手にしている。模擬戦闘では、武器の使用が認められている。より実践に近い状況にするためだ。もちろん会場には医療班も待機をしている。多少のケガであれば、医療班の治癒符術によりたちどころに治療をすることが出来る。もっとも、生徒達も武器の使い方はある程度体得しているので、故意的にしない限り大ケガになることはない。それに危険と判断した時は、すぐに担当教官が止めに入ることになっている。それにより、これまで大きな事故になったことはなかった。
「――それでは始める。使う符術は中級符までとする」
アサギの言葉に、対峙する二人の生徒は、それぞれ構えを取った。張り詰めた空気が漂う。それを見守る生徒達も、いつしか言葉を忘れたかのように静まり返っていた。
「準備はいいな? ―――始め!!」
アサギの掛け声と共にサロは横に飛び、腰のケースから符を取り出す。それを手に持つと、走りながらアルマを込めた。一方レディアもまた、視線だけをサロに向けながら一枚の符を取り出す。そしてアルマを込め終えたサロは土煙を上げながら止まり、符を構える。
「――火炎符!!」
声と同時に放った符はレディアに向け飛ぶ。空中で符から炎が上がり、燃える符はレディアに向かう。
「……水流符」
静かに呟いたレディアは足元に符を投げた。そして符が足元に着くや、符からは大量の水が沸き起こり、まるで滝を逆さにしたかのように天に向かい大量の水が壁のように突き上げられた。サロが放った炎は、レディアが作り出した水の壁に触れるなり消え去る。
「なっ―――!?」
動揺するサロは体を硬直させる。――次の瞬間、水の壁から勢いよくレディアが飛び出した。
「―――ッ!?」
「――油断し過ぎよ……!!」
すぐにサロの眼前へと辿り着いたレディア。サロは向かって来るレディアに向け手に持つ剣を大きく振る。だがレディアはそれを体を回転しながら躱し、勢いを乗せた棍をサロの腹部に突き入れた。
「ぅぐっ―――!!」
棍を受けたサロは、体を屈めその場で蹲った。いつしか剣を手放し、腹部を押さえる。レディアは、そんなサロを立ったまま見下すように見ていた。
「………」
観客席から見る蓮にとっては、見るに堪えない光景だった。この世界も、自分がいた世界と大して変わらない。それどころか、力が全てを左右する世界……そんな気さえしていた。彼は学錬院を、ただの学校と位置付けていた。だが、それも間違いであったことを知る。ここは学校ではない。――そんな、生易しいものではなかった。
それが分かった彼は、誰にも聞かれることのない小さな舌打ちをした。
◆ ◆ ◆
それから次々と模擬戦闘が行われた。だが、結果はいずれも変わらない。上逸クラスの生徒が、次々と修練クラスの生徒を一方的に倒していく光景だけが繰り返し蓮の眼に映り続けた。まだ半数が残ってる中、蓮はひっそりと会場を出ていた。見ていても面白くもない。そしてあの場にいれば自分も参加しなければならない。それを阻止するためには、その場からの離脱が一番だと考えていた。
会場を出た蓮はしばらく歩き、校舎の裏に来ていた。今の時間は当然授業中であり、誰の姿もない。そこまで来て、蓮はホッと安堵の息を漏らしていた。
「……ここまで来れば安心だな」
「――何が安心なの?」
蓮の言葉に続くように、彼の背後から声がかかった。ビクッと体を震えさせ、おそるおそる後ろを振り返る。そこにいたのは、どこかで見たことがある赤毛の少女。……蓮が見たことがある赤毛の少女と言えば、一人しかいない―――
「……何だよアーシア、サボりか?」
「それはアンタでしょ!!」
怒り心頭のアーシアは、足音を鳴らしながら蓮に詰め寄った。
「アンタがどっかに行くのを見かけて来てみれば……何こんなところでサボってんのよ!! だいたいアンタまだ模擬戦闘してないでしょ!?」
「うるさいなぁ……俺一人がしなくても、世界は困らんよ」
「お姉ちゃんが困るのよ!! アンタが模擬戦闘をせずにサボってるのがバレたら、担当教官であるお姉ちゃんが怒られるんだからね!?」
「まあそうだろうな」
「何他人事みたいに言ってるのよ!! ――とにかく、会場に戻るわよ!!」
アーシアは蓮の襟元を掴むと、ズルズルと引きずり始めた。蓮は手足をバタバタと動かし抵抗するが、あまり抵抗して騒ぎが大きくなるのもどうかと思った蓮は、諦めて掴まれたまま会場へと引き返そうとした。―――その時、彼の視線に、ある人影が写った。
「―――ん?」
それは蓮がいた位置より更に奥の場所。花壇があり、たくさんの色鮮やかな花々が咲き誇っている。その中心には、大きな幹の木が優しく佇んでいた。
――そしてその袂には、一人の少女が立っていた。上を見上げ、優しく揺れる枝を見ていた。
「……あれは……」
「……あれ?」
蓮の呟きに反応したアーシアは、足を止め蓮の視線の先を見る。そしてその先にいた少女を見つける。
「……ああ、あの子ね。あの子はいいのよ。ちょっと変わってる子でね、いつもああやってフラフラとしてるのよ。――そうそう、あの子もアンタと同じ、数か月前にフラリとこのイークスに来たのよ。で、保護されてここに入ったってわけ」
「………」
蓮はアーシアの話など聞いていなかった。なぜなら、その少女には見覚えがあったからだ。それを確かめるために、蓮はアーシアの手を振り解き走り出す。
「ッ!? ちょ、ちょっと!!」
アーシアも慌てて蓮の後を追う。蓮と少女は、みるみる距離を縮めていく。それに伴い、蓮の予想は確信に変わっていっていた。
やがて、蓮は少女の近くへと辿り着いた。蓮に気付いた少女もまた、蓮の方を振り返る。
――歳は蓮と同じくらいだろうか。童顔ではあるが、どこか不思議な雰囲気を漂わせている。大きな瞳を瞬きしながら首を傾げ、不思議なものを見るかのような表情を浮かべるその少女は、腰までの長いストレートの、葉の色を写したかのような綺麗な緑色の髪だった。
そう、その少女こそ、蓮が夢で見た少女。夢の少女は顔が見たことはない。だが、不思議と蓮は、その少女が夢の少女であることを理解出来ていた。
その後ろでアーシアも蓮に追いつく。だが、彼の奇妙な雰囲気を感じたアーシアは、声をかけることも手を伸ばすこともせず、ただ立ち尽くした。それがなぜかは分からない。それでもなぜか、今の蓮に話しかけてはいけないような、そんな気持ちになっていた。
風に揺ら揺れる枝は、優しく囁くように葉が擦る音を鳴らす。枝の隙間からは陽光が漏れ、蓮と少女の顔を照らしていた。その少女に、蓮は優しく微笑みながら口を開いた。
「――……また、会ったな」
「………」
少女は言葉を口にすることはなかった。蓮も、それ以上のことは言わない。ただ静かに互いを見る二人がいる場所は、不思議で穏やかな空気に包み込まれていた。