模擬戦闘
蓮達は屋外の演習場へと出た。演習場はちょうど陸上競技場のようなものであり、観客席も設けられている。地面は固い土で、風が吹くたびに土埃が舞う。そこに集まる生徒達は、符が入ったケースを腰に付けていた。そして生徒達の前では、アサギが事前説明をしていた。
「――というわけで、中級符の訓練から入る。各人爆炎符を持って一列に並べ」
アサギの指示で、全員が横一列に並ぶ。蓮も他の生徒に合わせて並び、目立たぬように一番端に立っていた。
「隣の者との距離を取れ! 符を投げる時は近くには投げるなよ! それと、符の暴走に気を付けろ!」
符術を使用する際、稀に符が暴走をすることがある。不安定なアルマを流され続けると、符が一種のオーバーヒートを起こし暴発するのだ。符が暴走すれば、本人はもちろん周囲もただでは済まない。故に符を持つ生徒達は、皆真剣そのものである。……ただ一人、蓮を除いて……
「全員準備はいいか? ――では、アルマを込めろ!!」
アサギの指示により、生徒達は一斉に符に力を込め始めた。汗を流し、全身全霊を込めてアルマを注ぐ。――そう、それこそが、中級符を使う場合の一般的な光景であった。中級と言えど、込めなければならないアルマ量は多い。唸り声や叫び声が演習場に響き渡っていた。
一方蓮は指で爆炎符を持ち、声を出していた。
「――んんはああああ……」
……もちろん、見せかけの声だった。力が込められているようで、よく聞けば脱力してしまいそうになるような声。ある程度の生徒が爆炎符を投げたのを見計らって、蓮もしれっと投げるつもりだった。全ては、目立たないために……
だがその姿は、アサギにばっちり見られていた。
「……何を遊んでるんだ、アイツは……」
アサギは呆れながら蓮を見ていた。蓮のアルマ量であれば、とっくに符にアルマを込め終わってる頃なのだが、未だに符には何の反応もない。
(まったく……しょうがない奴だな……)
アサギが溜め息を吐く中、いつしか何人かの生徒が爆炎符を投げ始めていた。最も早くアルマを溜め終えたのはダヴィー。彼が投げた爆炎符は遠くの位置で爆発を起こす。
アサギが見守るべき生徒は多い。これからは更に注意して生徒を見守らなくてはならない。蓮なら放置しても全然かまわないレベルであることも知っている。アサギは、とりあえずは蓮のことをスルーすることとした。
それに甘んじた蓮は、他の者が爆炎符を投げる中、紛れるように投げるのであった。
◆ ◆ ◆
その後も符術の訓練は進んだが、やはり蓮は誰かに紛れるように符術を使う。彼にとって、目立つということは禁忌であった。目立てば色んな人に目を付けられる。目を付けられれば、何かしらの騒ぎに巻き込まれる。騒ぎに巻き込まれるということは、彼の最上の望みである“のんびり生活”とは程遠くなる。……彼は、意地でも目立つ訳にはいかなかった。
そんなことを繰り返しているうちに、符術演習は終わった。そしてアサギは全員の前に移動した。
「――では、15分の休憩の後、模擬戦闘の演習に入る!! 各人準備をしておけ!! ――解散!!」
アサギの声で、生徒達は一斉にざわつきながら散り散りに動き始める。ある者は座り込み、ある者は飲み物を飲む。当然ながら、蓮もまた休憩モードに入っていた。全くと言っていいほど疲れてはいないが、とにかくゆったりしたかった彼は、観客席の壁際までノロノロと歩き、壁にもたれかかるようにドッカリと座る。そして、体全身を使ったかのような超弩級の溜め息をつくのだった。
「……はああぁぁぁ……メンドクサイ……」
項垂れる蓮。それもそうなのかもしれない。アサギによるシゴキが終わった後、ここ最近はのんびりとグータラ生活をしていた彼にとっては、学錬院初日から屋外演習というのが苦痛以外の何物でもなかった。
「――なんか、かなり疲れてるみたいだね。大丈夫?」
ふと、蓮は誰かの影に覆われ、その影の主からは声がかかる。蓮は誰だかすぐにわかった。何しろ演習が始まる前に話したばっかりだったからだ。
ゆったりと顔をあげ、予想通りの相手であることを確認した蓮は、怠そうな表情をしながら言葉を返す。
「……すんげえ疲れた……ケント、お前は疲れてないのか?」
するとケントは笑顔を見せながら爽やかに答える。
「ちょっとは疲れたけどね。……でも、中級符でも時間をかけてアルマを注ぐからそこまではないよ」
「そうか……俺は疲れたぞ……この空気に……」
「……それ、もしかして精神的な話?」
「色々だよ」
「……キミ、変わってるって言われない?」
「たまにな」
ケントはただ苦笑いをすることしか出来なかった。
「――たかが中級符でそこまで疲れるなんて、ホント情けないわね」
突然、蓮達の頭上から声が響いてきた。どこか小馬鹿にするかのようなその言い方に、蓮はすぐにピンと来た。ケントは聞き慣れない声に上を見上げる。だがその方向は、日の光が逆光となって射し込んでいて、顔や姿が見えなかった。
「……ケント、反応しなくていいぞ。あれは幻聴、気のせいだ。スルーしろスルー……」
「ちょっと!! 聞こえてるわよ!!」
蓮の言葉に怒りを露わにしたその人物は、颯爽と壁を飛び下り蓮達の前で仁王立ちをした。その姿を見た瞬間、ケントは固まる。制服こそ同じだが、右腕に赤の腕章がされている。その腕章こそ、上逸クラスの証―――
「あ、あなたは……!!」
期待通りの反応を見せたケントを見たその人物は笑みを浮かべ、高々に名乗りを上げた。
「――初めまして“二人とも”。上逸クラス所属、アーシアよ」
「じょ、上逸!?」
「………」
アーシアの自己紹介を聞いた瞬間、ケントは更に体を硬直させた。そして蓮は、ポカンと口を開けている。そんな蓮を見たアーシアは、満足気に語る。
「フフ……さすがのアンタでも、私が上逸ということには驚いたみたいね」
「……ああ。正直かなり驚いた」
「そうでしょうそうでしょう」
アーシアの心は満たされる。昨日から散々な目に遭わされてきたこともあり、蓮が自分のクラスを見て驚愕するのが心地よかった。
「ホントビックリだな。まさかお前が上逸なんてな。全く想像も出来なかった。いやホントに驚いた。だって全くそんな風に見えないしな。いやホントに―――」
「驚き過ぎよ!! 何気に失礼なこと言ってるんじゃないわよ!!」
得意気にしていたアーシアは、今度は烈火の如く怒り出す。一気に蓮に食って掛かったアーシアだったが、相変わらず蓮は適当に流していた。
その様子を見たケントは、呆然とする。修練クラスの蓮が上逸クラスのアーシアをからかうその状況は、とても奇妙な光景に思えた。
「……もしかして、蓮君この人と知り合い?」
「知り合いも何も、俺昨日コイツのせいで―――」
「ワーワー!!」
アーシアは慌てて蓮の言葉を遮る。そして蓮の襟元を掴みズルズルと引っ張って行った。
「おい! 何だよ!!」
「いいから!! ちょっとこっちに来なさい!!」
少しケントから離れた位置まで蓮を連れてきたアーシアは、誰にも聞かれないように小声で話す。
「アンタ何言おうとしてんのよ!」
「何って……お前のせいで昨日はエライ目に遭ったって話そうとしただけだろ」
「絶対ダメ!! アンタと部屋が同じなんて人にバレたらどうすんのよ!!」
「……ああ、そういうことか。確かにそりゃメンドクサイな……」
「当たり前よ! ……いい? そのことは、絶対秘密だからね?」
「……OK。俺だってゴタゴタなんてのは御免だしな」
珍しく意見が一致した二人は、何食わぬ顔でケントの元へと戻っていく。
「蓮君? どうかした?」
「いや、別になんでもない。コイツとは、まあちょっと知り合いなんだよ」
「知り合いたくもなかったけどね」
なにやら二人からは、それ以上聞くなという無言の圧力のようなものを感じる。ギスギスした二人の空気を感じ取ったケントは、これ以上妙な詮索をするのは止めることにした。
「……それより、蓮君大丈夫?」
「何が?」
「忘れたの? さっき教場でダヴィーに言われたじゃないか。“模擬訓練を楽しみにしてろ”って……」
「……ああ、そういえばそんなこと言ってたな」
「忘れてたんだ……」
二人の会話を横で聞いていたアーシアは、キョトンとした顔で蓮に聞く。
「……アンタ、いったい何したのよ」
「別になんもしてねえよ。なんかさっき教場で、ゴツイ奴にからまれたんだよ」
「それってもしかして、あのデカい奴のこと?」
アーシアが視線を送った人物は、やはりダヴィーだった。
「お前知ってるのか?」
「まあね。模擬戦闘の度に相手をかなり痛めつける“いい性格”をしてるってけっこう噂になってる奴だからね」
「へえ……そりゃ、確かに“いい性格”だな」
「蓮君他人事みたいに言わないでよ。キミ、そんな人に目をつけられてるんだよ?」
「そうなんだ。アンタ、けっこうヤバいんじゃないの?」
そう言いつつも、どこかアーシアは面白そうなことを聞いたと言わんばかりの表情をしていた。多少なりとも痛い目に遭ってくれれば、蓮のこの態度も少しは改まるだろう――そんなことを期待していた。
「まあ、何とかなるだろ。それよりアーシア、お前一人で来たのか?」
「何勝手に呼び捨てにしてんのよ。……まあいいわ。もちろん私一人じゃないわよ」
そう言って、アーシアは観客席に視線を送る。そこには、いつの間にか数十人の生徒が座っていた。彼らに修練クラスの生徒達は徐々に気付き始める。
「……おい、あれ……」
「ああ。上逸の奴らだ……」
演習場はにわかに騒がしくなる。上逸クラスの面々に、演習場全体がどよめいていた。
「――じゃあ、私もそろそろ行くわね。蓮、アンタともし当たることがあったら、修練と上逸の違いを教えてあげるわ」
「へいへい」
「……フン」
プイッと顔を逸らしたアーシアは、観客席へと戻っていく。やれやれといった顔でアーシアを見送った蓮は、少しため息を吐く。
「――やっぱり、なんか全員強そうだね。僕等とは格が違うって感じがする」
ケントは怯えるように呟く。だが蓮は、相変わらず眠そうな顔で上逸の生徒を見ていた。
「……格が違う…ねぇ……」
「……?」
蓮の呟きに、ケントは違和感を覚えた。蓮は彼らを見ても全く怯む様子はない。しかし、彼はどうやら人の何倍も知らないことが多く、まだ上逸の凄さを知らないだけだろう――ケントは、自分の中でそういう結論に達していた。