学錬院の由来
午後一番に、蓮の編入されるクラスが正式に発表された。それまで蓮はここぞとばかりに医務室のベッドで熟睡していたわけだが……アサギに叩き起こされ、恐ろしい事実を知らされる。蓮の担当教官が、アサギであるという事実を。愕然とする蓮だったが、そんなことなどお構いなしにアサギに医務室から引っ張り出され、渋々教場に向かうのだった。
学錬院では、クラスによって組数が違う。特務は数人しかいないため、組は存在しない。ただ一つだけである。上逸は八組、兵兼は二十組となっている。修練は他のクラスと比べ、生徒数がかなり多い。よって組数も格段に多く、実に千組近くも存在する。
学錬院の生徒は、日々授業を通じて技量を向上させる。そして、教官に認められれば上のクラスに入ることが出来る。それは並大抵の苦労では到底無理な話ではあるが、生徒の皆は必死に上のクラスを目指す。なぜなら、この学錬院においては所属するクラスがそのまま権力に繋がっているからである。特に特務ともなれば、雲の上の存在と位置づけられており、話しかけることすらも出来ない程に生徒全体から尊敬と畏怖の念を抱かれている。一種の神扱いとも言えるだろう。
言うまでもないが、蓮はそんなことなど知らない上に、知ったところで彼にとってはどうでもいいことなのかもしれない。
蓮がアサギに案内されたのは、本舎から少し離れた位置にある校舎だった。外壁もややボロボロであり、何とも言えない雰囲気が漂っている。
「ここがお前の教場だ。アタシが合図したら入って来い」
アサギはとある入口の前に辿り着く。そしてドアを勢いよく開け中に入って行った。
中は講堂のような作りになっていた。横に長い机が教壇を囲むように段違いに並べられ、通路が数本通っている。そこには、かったるそうに頬杖を付く生徒や、隣の生徒と談笑をする生徒などが五十人程いた。
「――お前ら席に座れ。話がある」
ざわついていた教場は、アサギの言葉で一気に静まる。そして静寂の中、アサギは廊下で待つ蓮に顎で合図を送った。それを見た蓮は、一度大きく溜め息を吐いてトボトボと中に入っていく。蓮が教場に入ると、室内にいた生徒は一斉に彼に視線を送った。
「今日からこの組に編入されることになった蓮という奴だ。皆早く顔と名前を覚えるように」
教室中は再びざわついた。通常学錬院では、昇級はあっても降級はない。つまり、修練のクラスに編入してくるということは、紛れもなく新入生ということになる。だが彼の年齢はどう見ても十代半ばから後半。その年まで学錬院に在校していないというのは、あまりにも奇妙な話だった。
生徒達がヒソヒソと話す光景を見た蓮は、実に居心地が悪い気分だった。
(めちゃくちゃ噂してるよ……はあ、何で俺がこんな目に……)
「――蓮、挨拶をしろ」
「あ、はい。――どうも、初めまして。棚真樹蓮といいます」
「………」
「………」
(何でみんな黙り込むんだよ!!)
「……終わりか?」
「え? ええ、まあ……」
「そうか……なら、とっとと空いている席につけ」
(なんか扱い酷くね?)
何だか納得できない気持ちだったが、蓮はゆったりと歩き最後尾の席に向かった。そこは横に長い机にも関わらず一人しか座っていなかったからだ。その隅の席に座った蓮は、中央付近にドカッと座る人物に目をやった。髪は金色に近い茶色で短髪、体格は大きく筋肉質、鋭い視線を蓮に送っていた。しかし蓮は一切臆することなく、一度軽く頭を下げ、アサギの方に目をやる。その様子を見た大男は、少し大きめに舌打ちをして蓮を睨み付けていた。
「――さて、さっそくだが午後の訓練の説明をする。午後は屋外で符術の実習をした後に、模擬戦闘を行う。なお、今回の模擬戦闘は、上逸の組との合同訓練だ。……しっかり鍛えられろよ」
アサギはニヤリと笑いながら話す。その言葉で、室内ではブーイングにも似た声が広がった。中には嬉しそうにする人物もいたが……
「騒ぐな。毎度のことだが、注意事項を言っておくぞ。あくまでも模擬戦闘であることを忘れるな」
そう話したアサギは、思いっきり蓮の方を睨み付けた。当然、蓮もその視線に気付く。
(へいへい。分かってるって)
「話は以上だ。――さっそく準備をして外へ出ろ」
そうして、アサギは教場を後にした。それと同時に、最後尾に座っていた大男がおもむろに立ち上がり、ノシノシと蓮の方に歩み寄っていた。室内は、にわかにざわつき始めた。
「――おい、お前……」
大男はドスの効いた声で蓮に声をかける。
「ん? 俺?」
「そうだ、お前だ。どうやらお前は知らないようだな。最後尾の席は、俺以外座れないんだよ。すぐに前に移動しろ」
大男はギロリと蓮を睨み付ける。だが蓮は、いつも通りの口調で返した。
「前に移動するも何も、これから外だろ? 細かいことは気にすんなよ。それより……ええと……悪い、お前名前なんて言うんだ?」
「………」
蓮の言葉に、室内は更にざわつく。大男は、眉間に皺を寄せていた。
「……ダヴィーだ。覚えとけ」
「ああよろしくダヴィー。そんで、ちょっと聞きたいんだけど……」
「――あ、あの!!」
突然、二人の会話に割って入る声が響いた。気が付けば、青緑の髪をした少年が、慌てながら二人の前に立っていた。
「聞きたいことがあるなら僕が答えるよ。……だから、ダヴィーさん……」
何かを訴えるような視線をダヴィーに送る。それを見たダヴィーは一度舌打ちをして、蓮を睨み付けた。
「……午後の訓練、楽しみにしてろ」
そう吐き捨てると、ゆっくりと通路を降り、教場の外へと出て行った。
ダヴィーがいなくなった教場では、安堵の息が一斉に出ていた。そして青緑の髪の少年は蓮に詰め寄った。
「――ちょっと、ダメだよ一番後ろに座っちゃ……」
「え? 何で?」
「さっき言われただろ? 一番後ろの席は、ダヴィーさんの特等席なんだよ」
「こんなに空いてるのに?」
「空いててもダメなんだよ! ……あ、僕はケント。よろしく」
「ああ、よろしく。俺は連でいいよ。それより、何でダメなんだ?」
「……蓮くん、僕の話聞いてた?」
「聞いてたけど……ああ、そういうことか……」
ここに来て、蓮はケントが言わんとすることをようやく理解した。
(ようするに、番長的なヤツなわけね。……メンドクサイ……)
理解した蓮は、大きく溜め息を吐いた。それを見たケントは、やれやれと言った表情をしながら蓮に話しかける。
「……それで? 聞きたいことって?」
「え?」
「さっきダヴィーさんに聞きかけてたじゃないか。何を聞こうとしてたの?」
「ああ、大したことじゃないんだけど、模擬戦闘ってどういうことするんだ?」
「ええ!? 知らないの!?」
ケントは思わず声を上げてしまった。またか――蓮はそう思い、頭を指でかく。
「……悪い、俺ホントに学錬院に入ったことないんだよ。教えてくれないか?」
「……ホントにどっから来たんだか……。まあいいや。ええと……模擬戦闘ってのはね……」
「――模擬戦闘は、その名の通りだよ」
ケントが説明する前に、再び誰かが話に割って入って来た。二人がその人物を見ると、それは女子だった。紫色の髪で短いツインテールをしている。表情は可愛らしいが、どこか猫のようにも見えた。また知らない人に急に話しかけられた蓮は、しどろもどろになっていた。
「ええと……」
「私はネラ。よろしく蓮」
ネラはニタッと笑いピースサインをする。何だか馴れ馴れしく思った蓮は、苦笑いを浮かべてしまった。
「さっきの蓮のダヴィーへの返し、かなり面白かったよ。中々命知らずだねえ」
ネラは蓮の肩を肘でつつく。蓮はそれを振り払い、改めて訊ねてみた。
「それで? 模擬戦闘がその名の通りって?」
「――ああそうそう、模擬戦闘ってのは、そのまんまの意味。生徒同士が戦闘をするんだよ」
「生徒同士が? 何で?」
「何でって……そりゃもちろん、技量を上げるためでしょ。むしろそれ以外に何があるの?」
「それはそうかもしれないけど……ていうか、この際聞くけど、この学校――じゃなくて、学錬院じゃこういうのばっかなのか? もっとこう座学みたいなのがあるかとおもってたんだけど……」
「座学はもちろんあるよ。でもまあ、大半は実戦訓練ね」
「そうなのか……何でそんなに訓練するんだ?」
「は?」
「え?」
蓮の言葉に、ケントとネラは思わず言葉を失い、見合わせた。そして蓮に視線を戻すと、二人揃って蓮の顔を覗き込む。
「……蓮くん、ホントに大丈夫?」
「何がだよ」
「何がって……頭に決まってるじゃない。蓮、それマジで聞いてるわけ?」
心配される蓮は何だか面白くない。だが知らないものは知らない。開き直った彼は、やけくそ気味に聞き直した。
「ああマジだよ! 大マジだ!! 俺は全く知らねえ!! ……だから教えてくれよ」
どうやらホントに知らないようだ――二人は、何となくそれを察した。そしてネラは、呆れながら話し出した。
「……ねえ、“黒き災厄”って知ってる?」
「黒き災厄? さあ……」
「それも知らないなんて……蓮、ホント何者よ。――まあいいや。話してあげる」
そう仕切り直したネラは、表情を険しくさせてた。
「――黒き災厄ってのは、数百年前にこの世界に飛来した謎の軍勢のことよ。全身が黒い巨人って言われてる。それが、この世界に大量に押し掛け、世界を破壊し始めたんだ」
「世界を……破壊?」
「建物は壊され、人々は殺された。それでも人々は、生き残るために災厄と戦ったんだ。……それが、“終焉戦争”―――」
「終焉戦争……」
「でも、それはとても戦争とは呼べないものだったらしい。災厄の力は圧倒的で、人々は追い込まれていたんだよ。そして、世界の終焉を覚悟し始めたんだ」
「ああ、だから終焉戦争……」
「でも、ある時災厄は、突然姿を消したんだよ。それこそ、まるで最初からそんなものなんていなかったかのように。“黒き災厄、天より来たりて大地を砕き、災厄は黒き霧となって消え去る”―――そういう言い伝えが残ってるんだ」
「なんで消えたんだ?」
「私が知るわけないでしょ? ――でも、結果として人々は助かったんだよ。そして、その時に人々は決意したんだ。次に襲撃があった時のために、太刀打ち出来るだけの力をつけようと。
――そして、学錬院を創設したってわけ」
「つまり学錬院は、その黒き災厄って奴に備えてるための施設ってわけか……」
「そういうこと。だから、実戦訓練が大半なのはそれが理由。分かった?」
「ああ。助かったよ」
「……でもその話、普通は誰でも知ってることなんだけど……蓮君、何で知らないの?」
「何でって言われても……」
(別の世界から来たから知らないなんて、絶対言えねえだろ……)
「まあともかく、蓮は次の訓練は覚悟した方がいいかもね」
「何で?」
「忘れたの? 蓮、ダヴィーに目を付けられてるんだよ?」
「それが?」
「蓮君、ダヴィーは修練の中でかなり強いんだよ? 時機に兵兼に昇級するかもって言われてるくらいなんだ」
「へぇ……そうなのか……。そうは見えないけどな……」
「え?」
「それより、さっさと行こうぜ。遅刻したらアサギに怒られちまう」
それだけ言うと、蓮はさっさと席を離れ教場を後にした。一方ケントとネラは、再び固まっていた。
「……今、アサギ教官を呼び捨てにしてなかった?」
「……うん。確かにしてた……蓮君って、ホントに何者なんだろう……」
考えれば考える程、二人には蓮という存在が謎に思えた。しかし時間がないのは間違いない。色々と分からないが、とりあえず二人も屋外へ向かうのであった。