イークスの一角
学錬院には、アサギの家から三日ほど歩いて到着した。
周囲を山や森に囲まれたその土地は世界でも辺境の地にあり、付近には他の村や街はない。
学錬院は、蓮の世界で言う学校に位置する。学校と言っても、その外見は蓮が知ってるそれとは違っていた。まず目立つのが校舎。城にも似た巨大な建物が一番高く聳え立つ。敷地もかなりの広さになり、遊園地のように大きく広い施設のようだ。その横には丸い競技場のような施設があり、観客席も広い。
そして学錬院の袂には街がある。アサギによると、それは学生寮だそうだ。生徒は全寮制であり、教官もまたこの街の建物に住む。街の中には食べ物や衣類などを売る店舗もあり、まさしく街そのものであった。
その街と学錬院を総じて“イークス”という。
その正面の門の前で、蓮とアサギはイークスを見渡していた。蓮はその壮大な外観に圧倒され、アサギは久々の光景を感慨深く見ていた。
「……でけえな」
「当然だろ? 何人の生徒がいると思ってるんだ?」
「あの街みたいなところのほとんどの建物が学生寮なんだろ? 想像も出来ねえな……。なあ、何人くらいなんだ?」
「そうだな……ざっと一万人くらいかな」
「い、一万人!? マジでか!?」
「嘘をついても仕方がないだろうに……。事実だ」
「くぁ~……一万人か……」
蓮は改めてイークスを見渡す。この広大な敷地に、一万人もの生徒がいる。それは蓮の世界では考えられないことだった。
「……ん? なあアサギ、俺はどこで生活するんだ?」
「決まってるだろう。寮だよ」
「でも、俺なんも持ってないぞ?」
「そこのところは大丈夫だ。制服を始め、生活用品は既にお前の部屋に手配してある」
「俺の部屋か……」
蓮は自分の部屋を想像する。何だったらその部屋に籠城して、授業をサボればいいと画策する。このまま学校生活に逆戻りするのなら、せめてそこだけは最後の砦として安息の場としよう……そう思っていた。
だがそれすらも、叶わぬ願いであった。アサギは思い出したように話し出す。
「――あ、そうそう。寮は二人部屋だからな。同居人とは仲良くしろよ」
「え゛!? 二人部屋!?」
「ああそうだ。……だから、授業をサボろうと思っても無駄だからな」
「………」
「ま、とにかくお前の部屋に行くぞ。同居人に挨拶くらいはしときな」
「………ふぇーい」
蓮はさっそく打ち砕かれた願いに肩を落としつつ、アサギの案内に続いた。
◆ ◆ ◆
街の中はごちゃごちゃとしていた。狭い路地の両サイドに高い建物が立ち並んでいる。建物の中には、壁に階段がついているものもある。そこを昇れば吹き抜けのカフェテリアがあり、学生風の少年少女が談笑していた。道の途中には出店も露店もあり、そこで購入したと考えられる軽食を食べながら歩く者もいる。
それにしても活気がある。どこにいても誰かの笑い声が聞こえてきそうだった。二十歳以下の少年少女達がほとんどということもあり、街が若さに溢れているかのようだった。
だがそれは、蓮にとってはありがたくない話だった。
「……うるさい街だな……これじゃ昼寝に支障を来すぞ……」
「昼寝ってお前……昼は授業があるだろうに……。それよりも、お前に先に言っておくことがある」
アサギは急に顔を険しいものに変えた。それを見た蓮も、表情を引き締めた。
「この後私は、院長のところへ行く。次に会うのは校舎になる。そこでは、教官と生徒の関係だ。――お前も、そのつもりでいろ」
「あ、ああ……」
そう話すアサギの顔は、これまでとは違っていた。それこそが教官としての顔。どこか威圧感がある。その表情のまま、アサギはさらに続けた。
「……それと、学錬院では、“アレ”を使うなよ」
「アレって……アレか?」
「そうだ。ここはあくまでも学び舎。アレを使えば、下手すれば死人が出る。――だから、絶対に使うな」
「……分かった」
「話はそれだけだ。……さて、そろそろ着くぞ」
やがて二人は街の一角にある建物に辿り着いた。その階段を上り、三階へ移動する。そこには扉がいくつかあった。各階に部屋は数個あるようで、蓮達は奥へと進んでいく。そしてある部屋の前で立ち止まったアサギは、ドアをノックした。
「――アーシア、いるか? 私だ」
(……アーシア? 同居人の名前か? なんか女みたいな名前だな……)
その声に反応し、部屋からは声が響いた。
「――あ、はーい! ちょっと待ってて!」
ドア越しに返事が聞こえ、廊下を小走りする音が聞こえる。
(なんか、女みたいな声だな……)
そしてドアは勢いよく開いた。
「お姉ちゃんお帰り! ゆっくり出来た!?」
元気よく声を上げるその人物に、アサギは笑顔を見せる。
「ああ。アーシアも元気そうでよかった」
一方蓮は、その人物の姿を見て脳内で必死に映像の処理をしていた。
アサギによく似て綺麗な顔をしており、彼女よりも少しだけ優しそうな見た目をしている。この世界の制服だろうか。白いカッターシャツに緑色のネクタイ、紺色のブレザーとズボンを着ていた。髪はアサギと同じ色の赤毛だが、腰の位置まで髪は伸びていて、後頭部にブローチを付けている。
その人物――アーシアの姿は、蓮の頭を混乱させていた。
(……なんか、女みたいな奴だな……)
そしてアーシアもまた蓮の存在に気付く。そして声を出すのだが……
「――あ! その子が蓮“ちゃん”!? まるで男の子みた…い……」
二人は、同時に固まった。しばらく沈黙が続く。
やがて、再び同時に声を上げた。
「―――って女じゃねえかああ!!!」
「―――って男の子じゃない!!!」
二人は同時に視線をアサギに送る。彼女は顔を背け、必死に笑いを堪えていた。
「ちょっとお姉ちゃん! 男の子じゃないの!!」
アーシアは姉であるアサギから同居人が来ることと、その人物の名前しか聞いていなかった。蓮という名前は、聞く人によっては女性の名前と勘違いをするような名前だ。もちろんアサギは勘違いをしていることに気付いていた。だが、相手が男の子だと分かればアーシアは絶対に拒否すると分かっていたアサギは、敢えて何も言わなかった。ちなみに、蓮の制服や他の道具も届いてはいたが、中を見るのはマナー違反だと思っていたアーシアは確認していなかった。それもまた、アサギの予想通りだった。
一方蓮はそれすらも聞いていなかった。同居人がいることすら今しがた知ったばかりであるに加え、自分が男であるため、当然同居人は男だと思っていた。花の女子学生との同居生活……それは、人によっては天国のように思うだろうが、こと蓮に関しては違っていた。女に興味があるわけではない。だが、同居人が女だと、一々気を使わないといけわけであり、彼ののんびりと生活するという人生の最大指針は崩壊してしまうことになる。
固まる二人だったが、いち早くアーシアがアサギに詰め寄った。
「ちょっとお姉ちゃん! 何で私が男の子と一緒に住まないといけないの!?」
当然の話である。この世界の学生寮には男子寮、女子寮があるわけではない。だが、暗黙のルールとして男女は分けられる。しかしながら、アサギは笑顔で返した。
「大丈夫だって。蓮は手を出したりしないよ。間違いなんて起こらないって。そんな面倒なことに、コイツがわざわざ首を突っ込むはずがない」
(……読まれてやがる)
「そういう問題じゃない! 私が嫌なの!」
「しょうがないだろ……。他の男子生徒じゃコイツを学錬院に引っ張ってこないだろうし、アーシアなら安心して任せられる」
「そんなの理由になってない!!」
ここに来て、蓮もアーシアに加勢する。
「そうだぞアサギ!! 何で俺がこの女と―――!!」
その言葉を聞いた瞬間、アーシアは蓮をギロリと睨んだ。
「――ちょっと!! 何で見ず知らずの男に“この女”呼ばわりされないといけないのよ!! それに!! 何でお姉ちゃんを呼び捨てにしてるのよ!!」
「んなもん今はどうでもいいだろ!? それよりも! 今はアサギの凶行に徹底抗議してだな―――!!」
「ああー!! また呼び捨てにした!! お姉ちゃんはアンタの教官なのよ!? 分かってんの!?」
「ええいやかましい!! お前だって姉ちゃんって言ってるじゃねえか!!」
「学錬院だとちゃんと教官って言ってるからいいのよ!! だいたいね――!!」
アサギの目の前で盛大に言い合いをする二人。彼らの頭の中には、もはやアサギへの抗議という選択肢は消えていた。その光景を見たアサギは大笑いしていた。
「おお、おお。お二人さん仲がいいね。さっそく夫婦喧嘩か?」
「「夫婦じゃない!!!」」
二人は同時に大声で突っ込む。二人はアサギにからかわれたということが分かっていたにも関わらず、顔を真っ赤にしていた。
「――とにかく、これは決定事項だ。異論は認めない。……いいな?」
「「よくない!!!」」
「……そうか。そうやって快く承諾してくれると私も助かる」
「「承諾してない!!!」」
「じゃ、また学錬院でな」
「「人の話を聞け!!!」」
二人の叫びも虚しく、アサギはさっさと歩き階段を降りて行った。
残された二人は、ただ茫然と立ち尽くす。そしてここでも、いち早く口を開いたのはアーシアだった。
「………はあ、もう最悪……せっかく楽しみにしてたのに……」
頭を抱えながらアーシアは壁にもたれ掛る。同い年の女子とルームシェアすることの期待が大きかった分、相手が男だと分かったショックはかなりのものだった。もちろんそれは蓮も同じだった。
「……まったくだ。俺のゆったりとした生活が……」
「……とにかく、ああなったお姉ちゃんは絶対に意志を曲げないわ。――ここで一つ、取り決めをしましょう」
「取り決め?」
アーシアはドアの敷居を指で指示した。
「ここが境界線。こっから内側が私の住まい。その反対側がアンタの住まい。――いいわね?」
「待て待てぃ!! それは要するにあれか!? 俺は外でホームレス生活しろってことか!?」
「察しがいいじゃない。私は女の子なのよ? 男のアンタが気を使うのは当然じゃない」
「気を使う使わない以前の問題だろ!! 俺だって布団が恋しいぞ!!」
「ああもう!! アンタわがまま過ぎるわよ!?」
「その言葉、そっくりそのままバットで打ち返してやるよ!!」
二人は、それからしばらく不毛な言い争いを続けた。言い合いをしながら、蓮は人知れず、心の中で泣いていたのであった。
ふと、二人が言い争う光景を、少し離れた建物の陰から見つめる二つの人影があった。その一つが口を開く。
「……あの子かい?」
「はい。……あの子が現れてすぐに、“モルブ”の反応が大きくなりました」
「そう……。だとするなら、そろそろだろうね」
「はい。あの子には、一応アーシアを横に置いています。何か変化があれば、私に言ってくるでしょう」
「さすが、抜け目がないね。……しかし、“回帰の時”が近いとなると、急がなくちゃいけないね……」
「それについては考えがあります。おそらくは、“あちら”の方から、彼に何かしらのコンタクトがあるはずです」
「そうかい……。なら、あなたに一任しようかね」
「はい……」
そして人影の一つはその場を立ち去る。
「じゃあ頼んだよ。――“アサギ”」
「はい」
人影は建物の陰に消えて行った。それを見送った人影――アサギは、もう一度蓮達の方に視線を送った。
「………」
蓮を睨むように見つめるアサギの顔は、とても険しかった。視線を外したアサギもまた、踵を返し建物の陰に消えていく。建物の壁は、アサギの足音を反響させていた。
コツコツ……コツコツ……
その音は、まるで時計の針が進むように、一定のリズムで鳴り響いていた。
第一幕 完