嵐の前触れ
警備兵隊が帰路についた後、学錬院は元の生活に戻って行った。修練クラスにて蓮はしばらく小言を言われたが、マルクの言葉に頭に来ていたのは皆同じであったようで、結局は“でも清々した”といった感想で締め括られた。
そして蓮に再び安息が訪れる。毎日変わらない日常の復活。授業中はうたた寝し、実習中は適当に過ごす。家に帰ればアーシアと口論になることが多かったが、以前よりアーシアの態度が丸くなっていた。その理由は蓮には分からなかったが、前より静かに家で過ごせるようになったのはいい変化と言える。
平和な日常。のんびり生活。時間がゆるりと流れ、安息が続いていく……はずだった。
「「………え゛っ!?」」
教官室で、蓮とアーシアは同時に声を上げた。立ち尽くす二人の前には、足を組み椅子に座るアサギの姿があった。
「――だから、お前達の部屋にルルを入居させるんだよ」
アサギはさも当然のようにそう言う。
「いやいや、無理だろ。あの部屋、二人暮らしってだけでもかなり狭いし居心地悪いんだぞ? そこにもう一人とか、正気の沙汰じゃねえ」
蓮の言葉に、アサギはからかうように笑みを浮かべた。
「……蓮、“二人暮らし”なんて言うじゃないか。いつの間にか、アーシアとそこまで仲良くなってたなんてな」
「誤魔化すなよ。そんな言葉を真に受ける程、こちとら伊達に殺伐とした毎日を送ってねえよ。なあアーシア?」
蓮は勝ち誇ったようにアーシアに視線を送る。彼にとってアサギのからかいなど、取るに取らない戯言だった。
……が、アーシアは表情を隠すように俯いていた。よく見れば、顔を真っ赤にさせている。
「……お前どうしたんだ?」
「う、うるさい! ほっといてよ!」
どこかわざとらしく大声を出すアーシア。蓮はコソコソと小声でアサギに話しかける。
「……なあ、アーシアの奴どうしたんだ?」
「……蓮、これは驚くべきことだぞ。あれだけ異性というものに興味を持っていなかった妹にも、ついにこんな時期が……」
「――お姉ちゃん! それよりもルルちゃんのこと!!」
アーシアは強制的に話題を逸らす。アサギは思い出したかのように話を続けた。
「……まあ、確かに蓮の言い分も分かるが、こればかりはしょうがないだろ。ルルは部屋を与えてもそこにいようとはしないんだよ。いつの間にかふらりとどっかに行くし。それなら、懐いてる蓮の手元に置いておくのが一番安心する。蓮が近くにいれば、またふらりと出ていくこともないだろ」
「それなら、俺の部屋を用意してくれよ。そこにルルを置けばいいだけだろ」
「部屋に男女二人きりなど、そんな危険なことが出来るか。アーシアは、監視役だ」
「そんな危険なことを今まで平然とさせてきたのは誰だよ」
「アーシアに限ってそんなことは絶対にありえない。なぜなら、アーシアだからだ」
アサギはそう断言した。アーシアは、じとりとアサギを睨む。
「……お姉ちゃん、もしかしてバカにしてる?」
「信頼してると言って欲しいな。――まあとにかく、これは決定事項だ。さっそく今日からルルの面倒を頼むぞ」
こうして、蓮とアーシアの意見など無視した形で、強制的にルルの同居が決定した。
◆ ◆ ◆
「――ルル、今日からここがお前の家だ」
自宅にルルを案内した蓮とアーシアは、さっそくルルを家に入れる。ルルは室内に入るなり、家の中をくるくると見渡していた。しかし悪い気分ではないようだ。少し安心した蓮とアーシアは、同じく部屋に入った。
その日の夜はもう遅く、眠ることにした。当然ながら、アーシアとルルは同じ布団で眠る。蓮はいつもの狭い空間に一人で横になった。これから先のことを考えた蓮は、溜め息を吐く。しかし、実際ルルのことは心配であったこともあり、これはこれでいいのかもしれないと思っていた。
「……ん?」
ふと、蓮は何かに気付く。何か布団に違和感がある……おそるおそる布団の中に視線を送れば、いつの間にかルルが蓮の布団に潜り込み、すやすやと寝息を立てていた。それを見た瞬間、蓮の血が凍る。もし今の状況をアーシアに見つかろうものなら……考えたくもなかった。
「――おいルル! ルル!!」
小声でありながら、ハッキリとルルに話しかける蓮。だが、一向にルルが起きることはない。
「ルル! 一度起きろ! もしこれをアーシアに見られでもしたら―――」
「――見られたら……何?」
ふいに、蓮の枕元からアーシアの声が響く。蓮がその方向に目をやると、鬼の形相をしたアーシアが立っていた。
「……蓮、何をしてるの?」
アーシアは笑顔で問いかける。だが、実際のところは笑顔とは程遠い。顔は笑っているが、笑っているのは顔だけであることが分かる。
「……アーシア、ちょっと落ち着け。俺だって何がなんだか分からないんだよ。気付いたらルルがいてだな……」
「……言い訳は、それだけ?」
「い、いや、言い訳じゃなくて……」
「――問答無用!!」
アーシアは符を取り出す。そしてアルマを込め始めた。
「待てアーシア! 符術はシャレにならな―――!!」
蓮の静止など聞く耳持たないアーシアは、符を放つ。……こうして、蓮にとって眠れない夜が、再び始まったのだった。
◆ ◆ ◆
同時刻、学錬院から遠く離れた場所にある山中。深い森の中は、星の光さえ届かない。漆黒に包まれた暗闇には、虫の声や葉が揺れる音が響く。周辺に集落すらない。誰一人として近寄らないであろうその森の中に、蠢く六つの人影があった。
人影たちは、何かを作業していた。荷物をまとめ、帰り支度をしているようにも見える。人影達は、準備をしながら会話をしていた。
「――ようやく帰還かぁ……長いような短いような演習だったねぇ……」
「ま、これが訓練になるかと言えば微妙なところではあるよな。何しろ相手がお前達だし」
「俺としては楽しかったけどな。固っ苦しい学錬院なんかよりずっとマシだな」
「どうでもいいけど、アタシお風呂に入りたいんだけど。さすがにもう限界……」
「お前はいつもそれだな。もう少し“このクラス”であることを自覚したらどうだ?」
ガヤガヤと会話する五つの影。その影たちに、残る一つの影は冷淡に言い捨てる。
「――無駄話をするな。任務は終了した。帰還するぞ」
その人影は、他の人影とは大きく違っていた。暗闇の中でも、まるで光を放っているかのような鋭い眼光が窺える。一切の油断も隙もなく、その人物は歩き始めた。
その人物に、後ろから声がかかる。
「相変わらず真面目だね、“シオン”は。もう少し余裕を持ってだね……って、ちょっと待ってよ!」
その人物――シオンに続き、残る者達も歩き始めた。彼らが目指すのは、学錬院。彼らこそ、学錬院にその名の轟く者達。
学錬院に、再び嵐が起ころうとしていた―――。
第三幕 完




