“しつこい”男
蓮が帰宅するころ、既に辺りは夜の色を見せていた。歩く道の両脇に建ち並ぶ建物からは、優しい明かりが溢れている。ガヤガヤと人の話し声が響き、鼻には食事の香りが入ってくる。
蓮はとぼとぼと帰る。帰りに医務室のルルの姿を見に行ったが、彼女は眠っていた。顔には包帯が巻かれてはいたが、治療の甲斐もあり、しばらくしたら傷も癒え、痕も残らないだろうとのことだった。ルルを医務室の教官に預けたものの、どこか不安を感じるのは心配性だからかもしれない。
(……なんか、らしくないな)
そんな自分に、ふと違和感を覚えた。こうして他人をここまで気にすることなど、これまであっただろうか。
蓮は戸惑っているが、それも仕方ないのかもしれない。何しろ蓮は、この世界に来るまで、夢でルルに会い続けていた。もちろん、その人物はルルではないのかもしれない。現にルルは、蓮のことを知らなかった。だが、姿形が酷似しているルを、赤の他人と考えることは出来なかった。旧来からの親しい友人……そんな感覚になっていた。その人物を心配することに、何の矛盾などあるはずもなかった。
「……ん?」
道を歩いていた蓮は、街中の道路脇に佇む一人の人物に気付き足を止めた。その人物もまた蓮に気付き、少しだけ躊躇うように蓮の元へ歩み寄って行った。
「こんな時間に何してるんだ?」
「……アンタこそ、遅かったじゃない」
その人物――アーシアは、蓮に視線を向けることなく無愛想に話す。
「……まあ、あれから色々あったんだよ。ていうか知ってるだろ? “見てた”んだし」
蓮の言葉に、アーシアは顔を真っ赤にして彼の顔を見る。
「き、気付いてたの!?」
「そりゃもうバッチリ。……こそこそ覗き見するとか、趣味悪いぞ?」
「~~~ッ!!」
アーシアは更に顔を赤くした。あの状況で自分に気付いたのか……いやそれよりも、何も見てないフリをしながら話し掛けた自分が、凄まじく恥ずかしい。
アーシアはプイッと顔を背け、ずかずかと歩き始めた。
「お、おい! どうしたんだよ!」
「うるさい! 今は話しかけないで!!」
怒ったように強い口調で、蓮を放置してアーシアは帰っていった。残された蓮は、呆れるように呟く。
「……アイツ、何してたんだ?」
◆ ◆ ◆
家に帰り着いた蓮は、シャワーを浴びさっさと布団に潜り込む。彼の寝床は、部屋の極一部だった。部屋は一間しかないため、部屋の中央には巨大な木の板が立てられ仕切られている。蓮側には赤い文字でこう書かれていた。
――これから先に侵入したら殺す!!――
それを見る度、蓮は苦笑いを浮かべてしまっていた。
部屋の明かりは落とされ、仕切り板の向こう側は静かだった。アーシアはもう眠ったのだろう。蓮もまた眠りつこうとしたが、その時、板の向こう側から声が届いた。
「――ねえ、ちょっといい?」
それは当然、アーシアの声だった。話しかけられたことに、蓮は少しだけ驚く。
「……珍しいな。お前から話しかけてくるなんてな」
「うるさい。それより、質問に答えて」
「へいへい。……で? なんだ?」
それから少し沈黙が流れる。アーシアは聞こうか悩んでいた。蓮はその間黙ってアーシアの言葉を待っていた。
「……アンタ、どうして隠すの?」
蓮は、アーシアの質問の意味をすぐに理解した。しかし、敢えて気付かないフリをする。
「……意味が分からん。何のことだよ」
「とぼけないで。アンタ自身のことよ。あれだけの実力があれば、もっと上を目指せるはずでしょ? 上逸……ううん、もしかしたら、特務すら目指せるかもしれない。それなのに、どうしてそれを隠して、アンタは修練なんかにいるの?」
「………」
予想通りの質問だった。しかし、今さら隠すこともないだろう……蓮は、胸の内を話し出した。
「……面倒なんだよ、そういうの」
「そんな理由で……なんかさ、もったいないのよ、アンタは。私なら、それだけの力があれば、もっと世界のために使うのに……」
「まあ、確かにアーシアからすれば、“そんな理由”にしか過ぎないだろうな。
――なあアーシア、力を持つってのは、どういう意味があるんだ?」
「それはもちろん、本国警備兵隊に入って、災厄に備えて……」
「その災厄は、今起こってるのか?」
「そうじゃないけど……」
「俺はな、正直“この世界”で、力を持つことの意味が分からないんだよ。世界はこんなにも平和だし、俺一人程度じゃ何も変わらないだろ。俺一人なんかじゃ、世界は微動だにしないよ。
――それなら、俺はのんびり過ごしたい。自分の思うまま過ごしていきたい。だから、そんな面倒なのは勘弁だ」
蓮の説明に、アーシアは呆れるように言う。
「……アンタのサボり癖って、ホント筋金入りね」
「みたいだな」
「はあ……もういいわ。何も言わない」
「ああ。そうしてくれると助かる」
蓮は、改めて布団に潜り込む。
「――あ、それともう一つ……」
アーシアは、再び蓮に呼び掛ける。もぞもぞと布団から出てきた蓮は、またかといった口調で反応した。
「……今度はなんだよ」
「……ええと…その……」
アーシアはなかなか言い出そうしない。喉まで出かかってる言葉を口に出来ないような、煮え切らない言い方だった。
「いったいなんだよ。用がないならもう寝るぞ」
「……もういい!」
そう怒鳴った後、板の向こう側から布団を荒く被る音が聞こえた。なぜ怒っているのか分からない蓮は、釈然としないまま再び布団に潜り込む。静かな夜の中、蓮の意識は徐々に微睡みに落ちていった。
――その時、蓮の耳に、とある呟くような声が聞こえた。
「――助けてくれて、ありがと……」
どうやら、板の向こう側から聞こえてきたようだ。布団を被りながら言ったからか、こもった声でとても小さかった。それでも、静寂に包まれた部屋の中では、やけにはっきりと聞こえた。
蓮は少しだけ笑みを浮かべる。なんだ、そんなことか――蓮もまた、小さく呟く。
「……礼はいらねえよ」
それ以降、部屋の中で声が響くことはなかった。
◆ ◆ ◆
翌日、学練院では本国警備兵隊の見送り式が催され……るはずだったが、警備兵隊の方から辞退の申し出があり、結果、警備兵隊は人知れず帰路に付くことになった。
模擬戦術では、結果として勝ちはしたものの、その余りの無様な勝ちっぷりに、見送られるに値しないというグルモントの考えであった。
それでも、正門から旅立つ彼らを見送る者達がいた。院長、アサギ、それと――
「――なんで俺が、こんなことに参加しないといけないんだ?」
蓮は、実に不機嫌そうにぼやく。それに対し、アサギは淡々と答えた。
「そりゃ、こうなった原因を作ったのはお前だからな。最後の見送りくらいしてるのが当然だろう」
蓮は、強制的に警備兵隊の見送りに参加させられていた。当然拒否したのだが、直接家に来たアサギに連行させられてしまった。
ふと、ふて腐れる蓮の元に、グルモントは歩み寄った。そして蓮の前に辿り着くなり、深く一礼をする。
「……蓮…だったか? お前には迷惑をかけたな。部下の不始末は俺の不始末だ。許してほしい」
蓮は意外そうな表情をする。まさか、こうして詫びを入れらるとは思っていなかった。
「……へえ……警備兵隊にも、アンタみたいな人がいたんだな。上司になるのか? あんな部下を持って、アンタも大変だな」
「返す言葉もない」
グルモントは苦笑いを浮かべ、ばつが悪そうに話す。
こうして和気藹々と話せるのは、この場にマルクがいないからかもしれない。彼は昨日のうちに拠点基地に運び込まれていた。顔の負傷が酷く、拠点基地でしっかりとした治療をするためだった。名目上は訓練中の“不慮の事故”となっている。もちろん、彼にそこまでの負傷を負わしたのは蓮だが、それは全面的に伏せられ、秘匿扱いとなった。警備兵隊の兵が一人の学生にぼろぼろにされたという“本来の事実”が公になれば、本国警備兵隊そのものの存在に疑問が生じる可能性があるためだった。
「基地に戻った後、もう一度兵を鍛え直すつもりだ。腕っぷしだけではなく、内面も含めてな」
グルモントは、一度視線を兵達に向けた。兵は皆一様に俯いていた。
それを見た蓮は、少し安堵する。無駄に高いプライドだけが先行する集団と思ったが、グルモントのような指揮官がいるなら、これから先いい方向に変わっていくかもしれないとさえ思った。アサギと院長も、それは同じだった。なぜなら二人の顔もまた、笑みが溢れていた。
「……蓮、ちょっといいか?」
ふいに、グルモントはそう切り出してきた。
「なんだよ」
「――お前、本国警備兵隊に入らないか?」
「…………は?」
グルモントの申し出に、蓮達は固まった。
「え? どゆこと?」
「だから、本国警備兵隊に入らないかと聞いてるんだ」
一度聞き直してみた蓮だったが、それは間違いなく警備兵隊への招致だった。
冗談じゃない――心の中で叫んだ蓮は、なんとかそれを断ろうとする。
「いや……俺まだ学生だし……」
「それなら大丈夫だ。聞けば、お前はあまり学練院に行きたがってないようだな。それならば、いっそ警備兵隊に入らないか? 手続きなら問題ない。俺が上に直接掛け合う。まず通るだろ」
「……マジかよ」
絶望する蓮の顔を見たアサギは、腹を抱えてゲラゲラ笑う。
「良かったな蓮。異例中の異例だぞ? 将官自ら直談判して生徒を警備兵隊に編入させるなんてな」
蓮はアサギを恨めしそうに睨み付けた。余計なことを言うな。そう言わんばかりの顔だった。
「とりあえず、まずは基地に行こうか。そこでじっくり話を――」
「断固拒否する」
「そう言うな。まずは話だけでも――」
「断固拒否する!!」
「……そうか」
蓮の血走った目を見たグルモントは、至極残念そうに呟く。そして踵を返し、部隊の方に歩き出した。
――が、再びグルモントは顔を蓮に向ける。
「……一つ、お前に教えておこうか」
「……何をだよ」
グルモントは、ニヤリと笑う。
「これで俺が諦めたと思うなよ? ――俺は、“しつこい”からな」
そう言い残したグルモントは部隊に戻り、指揮を取る。
「者共!! 基地へ戻るぞ!!」
グルモントの掛け声で、本国警備兵隊は帰路についた。一方蓮は、グルモントの最後の言葉に、目尻をピクピクと痙攣させていた。
「ああなった将官殿は、かなり“しつこい”ぞ? ……蓮、本格的に覚悟してた方がいいな」
アサギは、ニヤニヤしながら蓮に言う。その言葉に、蓮は肩をガックリ落として呟くしか出来なかった。
「……勘弁してくれ」




