痛みを知れ
「クソッ――離せ!!」
マルクは荒く蓮の手を振りほどいた。蓮はマルクから視線を逸らし、立ち竦むアーシアに優しく声をかける。
「……ケガはないか?」
アーシアはしばらく呆然としていたが、ふと我に返った。
「――あ、うん。私は大丈夫……だけど……」
アーシアは、そのまま悲しそうな視線をルルに向ける。蓮はその視線の先にいたルルを見るなり、アーシアの横を過ぎ、ルルの隣に屈んだ。
ルルはひたすら震えながら、頭を押さえ体を丸めていた。よほど怖かったのだろう――蓮は、静かに声をかける。
「……ルル、俺だ。蓮だ。大丈夫か?」
「……!」
蓮の声を聞いた瞬間、ルルは恐る恐る声の方を向いた。その顔は怯えきっていて、目の付近や口元にはハッキリとアザが残っていた。
悲惨な傷を目の当たりにした蓮は、心の中で舌打ちをする。
(酷い……)
「……!」
ルルはそのまま、蓮の体に顔を埋めるように抱き付く。ルルの全身の震えは、収まることはなかった。
「――チッ」
マルクは、その様子に舌打ちをする。ふと自分の腕を見てみれば、蓮に掴まれた跡がハッキリと残っていた。その跡を見て、マルクは再度舌打ちを鳴らした。
「――マルク殿、これはどういうつもりかな?」
「……あ?」
突然、マルクに声がかかる。どこか覇気の込められた、威圧感のある声だった。
そこには、アサギがいた。腕を組み立つ彼女の表情は、ただ怒りに震えていた。
しかしマルクは、一切気にすることなく平然と話す。
「なんだ……アンタか……」
気にもしない様子のマルク、アサギは更に言葉を続ける。
「質問に答えてもらおうか。いったいどういうつもりで、うちの生徒に暴行を加えたんだ?」
アサギの言葉に、マルクは反省どころか、逆に憤怒する。彼にとって、アサギはただの教官であった。彼女の過去など知らないマルクは、ただ怒鳴り声をぶつけた。
「暴行? これは、ただの“制裁”なんだよ。たかが一介の教官が、知った口をするな!!」
「ふざけたことぬかしてんじゃないよ。無抵抗な少女を一方的に痛め付けて……これのどこが制裁だ?」
「貴様! 本国警備兵隊である僕に何て言い方をする!!」
「お前の言う本国警備兵隊ってのは、ただの肩書きか? 都合が悪くなればその名を口にして誤魔化すとは……警備兵隊も堕ちたものだな……」
「貴様ぁぁぁ!!」
マルクは腰の剣に手をかけた。アサギもまた組んでいた腕をほどき、構えを取った。
「――アサギ!!!」
「――ッ!?」
「――ッ!!」
今にも衝突せんばかりの二人を止めたのは、蓮の怒声だった。その声に、アサギとマルクは体を硬直させた。そしてアーシアもまた、蓮に視線を向けたまま固まる。
蓮はしがみ付くルルの手を優しくほどき、ゆるりと立ち上がった。そして、マルクに歩み寄っていく。その顔に、いつもの蓮はいなかった。
「……どけアサギ。手を出すな」
蓮の口調にも普段の気怠い彼はいなかった。その彼に、アサギは危機感を感じた。アサギはすぐに駆け出し、蓮の前に立ちはだかる。
「……蓮、ここでは止めろ。他に帰る生徒もいるんだ」
「………」
アサギの言葉に、蓮は彼女の目を見た。蓮は僅かに冷静さを取り戻しているようにも見える。アサギはすかさず、マルクに向け提案した。
「……コイツは、今から補習授業なんだ。アンタ、それに付き合ってくれないか?」
「は? なぜ僕がそんなことに……」
「コイツがするのは、模擬戦闘なんだ。でも相手がいなくてな。ちょうど相手を探してたんだよ」
模擬戦闘―――その言葉に、マルクは顔を上げる。
「……正気かお前? 僕が模擬戦闘をするというのがどういうことか……分かって言ってるのか?」
「ああ、もちろんだ。どうする?」
マルクはアサギの狙いを考えてみる。普通生徒を、警備兵隊の者と模擬戦闘させることなどない。結果が見えているからだ。もちろんマルク自身も、そんな提案など聞いたことがない。……だが、実際にアサギはそう言ってきた。彼女の狙いは分からない。しかし、これは願ってもない機会とも言えた。蓮と模擬戦闘をするということは、堂々と蓮を叩きのめすことが出来るということ。
そう考えたマルクの頬は吊り上がる。
「……まあ、そこまで言うなら、な……」
マルクが話に乗ったことに、アサギは安堵した。ここでマルクが断れば、蓮は今すぐにでも何か仕掛けてしまうかもしれない。ここでは、それは危険すぎる。人もおらず、十分な広さもある演習場の方が安全だった。
そして蓮達は、演習場に向かった。
◆ ◆ ◆
演習場に着いた時には、周囲は既に薄暗くなり始めていた。空の色は濃くなり、西の空が茜色になってはいたが、東の空には星すらも見える。そこに立つのは蓮、マルク、アサギ、それと院長……話を聞いた院長は、アサギにぜひ立ち合いたいと申し出た。院長としては、蓮の存在が気になっていた。アサギからある程度は聞いてはいたが、その目で見極めたいことがあった。
アサギと院長が並び立ち、彼女達の視線の先には向かい合う蓮とマルクがいた。二人の間には、空気が震えるかのような雰囲気が漂っていた。
演習場の陰から、二人の様子を見つめる視線がもう二つあった。
一つはグルモントであった。アサギから事情を聞いたグルモントは激怒した。すぐに厳正な処分をしようとしたが、アサギから制止される。その時の言葉が、グルモントにとって印象的だった。
――今の蓮を止めれることは出来ない――
アサギが表情を引き締め、そう言った。本来こんな決闘のようなものは止めるべき立場にいるはずのグルモントは、それを認めた。それは、彼女にそこまで言わせるほどの男に、改めて興味を持ったからかもしれない。
そして蓮達を見つめるもう一つの視線は、アーシアだった。
(何やってんのよアイツは……! 警備兵隊の人なんかに勝てるわけないのに……)
アーシアは、アサギからルルを介抱するように頼まれていた。しかし彼女は蓮のことが気になり、ルルを医療室の教官に預け、こうしてこっそりと様子を見ていた。本当に、蓮はマルクと模擬戦闘をするつもりのようだ。信じられない光景を見るかのような顔をしていたアーシアは、そのままアサギに視線を送る。
(お姉ちゃんも何で止めないのよ……)
普段のアサギなら、こんなことは絶対に認めない。しかし、今こうして蓮はこの場にいる。アサギは前から蓮を特別視する傾向があった。アーシアの中に、もしかしたらその答えが分かるかもしれないという気持ちもあった。彼女は、胸の鼓動を高鳴らせながら蓮を見守っていた。
「――蓮、一ついいか?」
ここに来て、アサギは蓮に声を掛けた。その声に蓮は反応しないが、それでもアサギは続けた。
「……もしもの時は、全力で止めに入るからな……」
蓮は、一度だけ手を軽く上げアサギの言葉に応える。それを聞いたマルクは、見下したように笑みを浮かべた。
「良かったなお前、どうやら、死ぬことはないみたいだぞ?」
「………」
マルクは、アサギの言葉をこう理解していた。“蓮の身が危なくなったら、途中で無理矢理でも模擬戦闘を止める”――そこまで心配しているにも関わらず、それでもこうして模擬戦闘をさせられている蓮が、とても滑稽に思えていた。
マルクは更に饒舌に語る。
「あの女、担任教官なんだろ? ホントお前も可哀想だよな。普通なら、こんなこと止めるだろ。警備兵隊である僕と“落ちこぼれ”であるお前が戦えばどうなるかなんて、簡単に想像できるんだけどな。それなのに、あの女ときたら―――」
「――うるせえよ」
蓮はマルクの言葉を遮る。そして、鼻で笑いながら言う。
「口を開けば“警備兵隊”かよ……いい加減聞き飽きた。――だからお前は、“小物”なんだよ」
蓮の挑発は、効果絶大だった。“小物”というフレーズに反応し、マルクの怒りは瞬時に頂点と達す。
「――減らず口を!!!」
マルクは怒声と共に、一枚の符を取り出す。そしてアルマを込める。
「はあああああああ!!」
符が仄かに赤く輝き、マルクは叫びながら蓮に向け放つ。
「――爆炎符!!」
赤く輝く符は一直線に蓮に向かう。
「早い!!」
アーシアは思わず声を上げる。マルクが符にアルマを込めた時間は、学錬院の学生のそれとは比べ物にならないほど早い。さすがは警備兵隊であるだけのことはある。
マルクが放った符は、蓮の眼前に迫り爆発する。爆風が巻き起こり爆音が響き渡る。蓮の姿は巻き上げられた塵煙に包まれて見えない。
しかしマルクは駆け出した。走りながら腰の剣を抜き構える。そして塵煙舞う空間ごと切り裂くかのように剣を斜めに振り降ろす。
「もらったああああ!!!」
爆炎と塵煙に視界を遮られた蓮は動けていないはず。避けきれるはずもない。マルクはそう確信する。
だが彼の剣が蓮を捉えることはなかった。振り抜かれた剣は何もない空間を虚しく過ぎさり、ただ塵煙のみを切り裂き、そこに人影がいないことを証明する。
「な――ッ!? 奴は!?」
マルクはその場で周囲を見渡す。だが奇しくも自らが作り出した塵煙に遮られ何も見えない。そのことにマルクは舌打ちをする。
――その時、彼の背後の塵煙の中から鋭い蹴りが打ち込まれる。
「―――ッ!!」
マルクは咄嗟にその脚に気付くが防御も間に合わない。鞭のような蹴りが鈍い音と共に彼の顔に叩き込まれた。
「がふっ――!!」
そのままマルクは吹き飛ばされ、地面に滑るように倒れ込む。マルクは手を地につき立ち上がろうとしたが、手が震えて力がうまく入らない。
(た、たった一撃で……!?)
マルクは動揺する。警備兵隊である自分が、ただの一撃でここまでダメージを受けていることに。
顔を押さえていた手を見てみると、そこには鮮血がこびり付いていた。彼の鼻と口からは血が滴る。口の中に何か異物がある。それを吐き出してみれば、折れた歯が地面に転がった。
「――顔を蹴られるのは、痛いだろ?」
「―――ッ!」
折れ落ちた歯を見つめていたマルクは、思い出したかのように聞こえてきた声の方を向く。そこには、煙の中からゆっくりと出てくる蓮の姿があった。見下したような視線。四肢は力を抜き、構えなど一切ない。しかし、なぜか隙が見えない。まるで未知の生物のように思える。気が付けば、マルクは全身に汗を流していた。
「お前はそれを、ルルにしたんだ。何度も……何度も……何度も……」
「……!!」
「まだまだこれからだぞ? 思う存分痛みを知れ。ホラ、さっさと立てよ―――“小物”」
「―――ッ!!」
マルクは立ち上がりながら駆け出す。そして蓮に近付くなり、剣を幾重にも振り抜く。
「図に乗るなよガキがァァァ!!」
マルクは充血した目で蓮を睨み付ける。痛む口を食い縛り、剣を振り続ける。だが蓮には当たらない。掠りもしない。全てを見極められたマルクの剣は、ただ蓮の横を素通りする。
一際大きく振りきられた剣を体を屈ませ躱した蓮は、そのまま体を回転させる。そしてマルクに足払いを蹴り入れる。
「なっ――!?」
足に衝撃を受けたマルクの体勢は傾く。かと思えばいつの間にか蓮は体を回転させていた。そして体を捻り、マルクの腹部に蹴りを入れる。
「ぅぶッ!!」
体を曲げ後ろに吹き飛ぶマルクだったが、さきほどと違いすぐに体勢を整え蓮の方に正対する。だがそこに蓮の姿はない。
「――ッ!?」
蓮がいないことに驚愕するマルク。この時蓮は、マルクの右側面に回り込んでいた。そしてそのままマルクの顔面に鋭い拳が撃ち込む。
「がはッ――!!」
腹部への蹴りに耐えたマルクだったが、続けざまの拳に耐えることは出来ず、再び地面に吹き飛ばされ力なく倒れた。
「はあ……はあ……」
マルクの息は切れる。立ち上がろうにも全身に力が入らない。へばり付くように地面に倒れ、腕だけで何とか顔を上げる。その彼に、蓮は勝ち誇るかのように言い放つ。
「……お前が言う、“選ばれし者”ってのはこの程度なのか? “落ちこぼれ”程度に、ずいぶんと無様だな……」
「……ク…ソッ……!!」
今すぐにも切り殺してやりたい――そう思うマルクだったが、既に体は限界だった。気持ちだけが空回りをし、彼は地面に這いつくばる。
「………」
アーシアは目を丸くして絶句していた。一見すれば、マルクはとても弱く見える。だが、アーシアも分かっていた。マルクの符術、剣技、身のこなし……それら全てが、一般の生徒とは比べ物にならないほど高い。しかし、そのマルクですらもまるで“弱者”のように見えてしまう。それほどまでの力が、蓮にはあった。それが信じられなかった。
「……これは……なるほどね……」
院長もまた感心するかのように声を漏らす。想像していた以上だった。アサギが連れて来たその少年を見た院長は、彼を一言で表す。
「……“天才”…ってやつなんだろうね」
「……おそらくそうでしょう。私も驚きましたよ。これほどの人物が、学錬院にも在籍せずにいたなんて……」
アサギもまた蓮から目が離せなかった。蓮がこうして戦う姿は、アサギ自身も初めて見た。そこには、想像通りの――いや、想像以上の蓮の雄姿があった。
視線が注がれる中、マルクは何とか立ち上がる。しかし足元はおぼつかない。立っているのがやっとであることが、容易に分かった。
「……そろそろいいだろ。俺も、もう寝たいんだよ」
蓮はそう言うと、静かにマルクに向け駆け出した。蓮の速度は徐々に上がる。やがて、凄まじい速度でマルクに迫る。
「―――ッ!!」
マルクは最後の力を振り絞り剣を構える。狙いを定め、全身を襲う痛みに耐え、剣を薙ぎ払った。
――だが、蓮は宙に飛び出しそれを躱す。空中で体を回転させながら、マルクの頭上を跳び越える。マルクの上を通過する直前、蓮は一枚の符をマルクの眼前に向け放り投げた。
「――突風符」
蓮が放ったのは、風系符術の下級符“突風符”。符より凄まじい風を巻き起こさせる符術である。通常ではあまり使用することはない符術であったが、足元がおぼつかないマルクには効果は抜群だった。
「―――ッ!!」
風がマルクの全身に吹き荒れる。踏ん張りの効かない彼の体は、そのまま風により後方に吹き飛ばされる。そして、吹き飛ばされた先には、着地した蓮が待ち構えていた。
向かって来るマルクの頭部を掴み、彼の体を停止させる蓮。
「―――はい、終了」
蓮はそのまま頭部を思い切り地面に叩きつける。顔から地面に衝突したマルクからは、肉が潰れるような音が響く。遅れて体が地面に辿り着いた時、既にマルクの意識は暗い闇に沈んでいた。
「………」
マルクは地面に倒れたまま、体を痙攣させていた。その姿を見た蓮は、それ以上何もすることなくマルクから離れていく。そしてアサギの元に辿り着くと、いつもの締りのない笑みを見せた。
「……悪いアサギ、ちょっとやり過ぎちまった」
その表情に、アサギはフッと笑みを浮かべた。
「……補習はこれで終わりだ。あとは、私に任せとけ」
アサギは蓮の肩を叩き、そのまま負傷したマルクの元に歩み寄る。そして蓮は、残りをアサギに託し、一人静かに演習場の出口に向かって行った。




