狂気
「――いやぁ全然知らなかったな! アッハッハッハ……」
「……蓮、もしかして笑って誤魔化すつもりか?」
放課後の教官室では、蓮がわざとらしく笑っていた。それに呆れるような怒るような顔をしていたアサギは、椅子に腰かけたままジロリと睨む。
室内には他に教官はおらず、蓮とアサギの二人だけであった。窓からは夕陽の光が差し込み、カーテンは風に優しく揺れる。窓の外からは帰宅する生徒の笑い声が聞こえてきていて、それを聞く蓮は、なぜ自分がこんなところに呼び出されないといけないのかと、呼び出した張本人であるアサギを恨めしそうに見た。蓮の視線を見たアサギは、何となく彼が言いたいことが分かり、大きくため息を吐いた。
「まったく……開始前にあれだけのトラップを仕掛けて、相手をボロボロにするなんてな。しかも、その相手が本国警備兵隊ときたもんだ。前代未聞だぞ……」
「でも俺、開始前に何もしちゃいけないなんて知らなかったし。それならそうと説明してくれよ」
「確かに説明を遮ったのは向こうだ。それは認めよう。……だが、だからと言って、知らないから何をしてもいいというわけではないな」
「……ごもっともで」
「本来なら、規律違反で自宅謹慎ということになるのだが……」
「自宅謹慎? 分かった。今すぐ帰る。しばらくのんびり…じゃなくて、大人しくしてる」
蓮は目を輝かせながら、姿勢を正してハキハキ喋る。自宅謹慎ということは、正式に家にずっと居れるということ。これ以上ないほどの褒美に感じることだった。
だがアサギは、ニヤリと笑う。
「お前ならそう言うと思ったよ。だが、それでは何の罰にもならんだろう。
――よって、お前には追加補習の罰を与える。これから訓練場で“みっちり”符術の訓練だ。喜べ」
「はああああ!? 規律だと自宅謹慎なんだろ!? きちっと規律守れよ!」
「お前が言うなお前が! ……とにかく、今からさっそく始めるぞ。付いて来い」
そう言うとアサギは勢いよく立ち上がった。そして出入口に向かう。蓮はというと、大きくため息を吐きながら、渋々アサギに続いた。
◆ ◆ ◆
一方、学練院の渡り廊下では、蓮により散々な目に遭ったマルクが歩いていた。あれからマルク達は冷静さを欠いたことでグルモントから酷く叱咤され、マルクのフラストレーションはかなりのものになっていた。
(クソ! あの無能の指揮官め! あんな反則使われたのなら、勝てなくて当然だろうに!)
マルクは歩きながらグルモントの愚痴を思う。彼の中では、敗北の理由は蓮による反則だけとなっていた。普通に戦っていたのなら、あそこまで無様にやられることなどあり得ない……自分を養護する言い訳で、頭の中はいっぱいだった。
――その時、マルクはある人影に気が付いた。中庭に植えられた木の袂に立つ緑色の髪をした少女――ルルの存在だった。
(あの女は確か……)
マルクはすぐに思い出す。憎き蓮の隣にいた少女であることを。
それに気付いたマルクは、ニヤリと歪んだ笑みを浮かべる。そして、ズカズカとルルに向かって行った。
ルルの元に近付いたマルクは、更に歩く速度を上げる。そして、ルルの体に半ば体当たりのようにしてぶつかった。
ルルは寸前でマルクに気付いたが、対応が遅れそのまま地面に倒れる。
倒れたルルを見下しながら、マルクはにやつきながら言った。
「これはこれは、修練クラスの生徒じゃないか。君は僕とぶつかったんだよ? 何か言うことがあるんじゃないのか?」
「………」
謝罪を求めるマルクだったが、ルルに出来るはずもなく、彼女は怯えた表情でマルクを見ていた。普通であれば、すぐに何かしらの言葉を言うのだが、彼女にはそれがない。マルクは、すぐに察知した。
(……こいつ、喋れないのか?)
するとマルクは、益々笑みを深くする。
「……なんだお前、話せないのか? 本国警備兵隊の一員である僕とぶつかっておきながら、謝ることも出来ないなんてな……とんだ“出来損ない”だな!!」
「――!」
マルクは、怒鳴りながらルルの胴体を蹴りつける。マルクの足はルルの腹部に当たり、重苦しい痛みと腹から沸き起こる吐き気に、ルルは咳き込みながら顔を歪める。
「何とか言えよ! この出来損ないが!」
マルクは執拗にルルを蹴り続けた。足はルルの胴体、足、腕、そして顔――あらゆる場所に蹴り込まれる。
ルルは体を丸め、必死に耐えていた。
「――はぁ……やっと終わった……」
アーシアは体を伸ばしながら呟く。彼女は放課後、担任教官から依頼され、用務倉庫の整理をしていた。倉庫内は箱詰めされた書類、授業で使う道具でいっぱいになっており、その整理というのが中々の重労働だった。
「さて、そろそろ帰るかな……」
とは言いながらも、アーシアは肩を落とす。疲れた体を癒そうにも、家に帰れば蓮がいて、とてもゆったりなど出来ない。そう考えると、アーシアは頭痛に苛まれた。
「……とか言え! ……オラ!」
「うん?」
ふと、彼女の耳に何かが聞こえた。少し離れたところから聞こえるそれは、男の怒声のようにも思えた。
「なんだろう……」
気になったアーシアは、その方向に歩いて行った。
そして校舎の横を通り抜け、中庭が見えた時、彼女の表現は固まった。
「――この出来損ないが!」
そこには、男から容赦なく蹴られる少女の姿があった。その少女には見覚えがある。緑色の髪、そして顔――
「――ルルちゃん!!」
「あ?」
アーシアは思わず声を上げた。その声に、男は足を止め振り返る。その間に駆け出したアーシアは、男の体を押し退け、蹲るルルを抱えた。
「ルルちゃん!? 大丈夫!? ルルちゃん!!」
「………」
ルルは目を閉じて頭を抑え続ける。見れば彼女の体には、あちこちにアザが出来ていた。そして、彼女の顔にも――
口から流れる血を見て、アーシアの心に怒りが芽生えた。少女の体を無慈悲に蹴り続けた男を睨み付ける。
「――あなた! いったいどういうつもり――!!」
その男の姿を見たアーシアは、再び硬直した。その服装にもまた、見覚えがある。
「……本国…警備兵隊の……」
男は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、口を開いた。
「――そう。本国警備兵隊、マルクだ。……何かあるか?」
「――ッ!!」
アーシアはルルを寝かせ、すぐに立ち上がる。そして、深々と頭を下げた。
「け、警備兵隊の方とは知らず、無礼な言葉を使い、申し訳ありませんでした!」
アーシアの言葉に、マルクは手をかざす。
「いやいいんだよ。キミのその制服は……上逸の?」
「はい! 上逸クラスの、アーシアといいます!」
「そうかやはり……」
マルクは、ルルに向けていた醜い表情とは売って変わり、とても穏やかな笑みを浮かべた。マルクもまた上逸出身だった。上逸に選ばれるということは、この少女もまた警備兵隊に加入する可能性がある逸材……その思いが、親近感を生み出していた。
「あ、あの……」
ふと、アーシアは恐る恐る口を開く。
「ん? 何かな?」
「は、はい! おそれながら、なぜルルを……この少女を……」
蹴っていたのか――そう聞こうとしたが、言葉は尻すぼみに小さくなる。警備兵隊とは選ばれた人の集まり。その力は強く、常人では辿り着けない場所……それが、この世界の常識だった。その常識に囚われたアーシアは、ハッキリと言葉を発することが出来なくなっていた。
「……ああ、そういうこと……」
マルクは、軽く鼻で笑いながらアーシアの言葉の続きを悟った。
「それはね、この子が僕とぶつかって謝りもしないからだよ。普通警備兵隊である僕とぶつかったなら、謝罪するのが礼儀じゃないか?
――それなのに、その子は謝ることもしない……だから、僕自らが“制裁”してたんだよ。警備兵隊である、僕自らが、ね……」
マルクは、再び歪んだ笑みを浮かべる。その顔を見たアーシアの背には、嫌な汗が流れた。
「……わかったら、そこをどいてくれないか? まだ制裁の途中なんだよ」
「――ッ!」
まだ暴行を加えるつもりなのか――アーシアの血の気は引いた。そして再び、深々と頭を下げた。
「こ、この子は話すことが出来ません! 無礼を働いたのなら、私が代わりに謝罪します! ですから、ここは穏便に……!!」
「――無理だね」
アーシアの言葉に、マルクは冷酷に答える。そして更に、アーシアにも詰め寄る。
「その子は僕にぶつかった。その制裁を僕はする。……それを邪魔するなら、残念だけどキミもその“対象”にせざるを得ない」
「―――」
アーシアは息を飲む。マルクは、狂気に満ちた視線を送っていた。その目に、アーシアは動くことが出来なくなっていた。
「……もう一度だけ言うよ? “どいてくれないか?”」
アーシアは足が震えるのを感じた。怖くて仕方ない。今すぐどこかへ行きたい。しかし、後ろに視線を送れば、まだ頭を抱え蹲るルルがいる。彼女は自分の何倍も震えていた。そんな彼女を見捨てることは出来ない……アーシアは、絞り出すように声を出した。
「……で、出来ません……」
マルクの表情は、一気に冷徹なものとなった。
「……そうか……残念だが、それなら仕方ないな……」
マルクは拳を握り、構える。アーシアはやはり動かない。動けない。頭の中で、誰かに助けを求める。
(誰か――誰か助けて――)
マルクは、拳を振り上げた。
「――どけって言ってるんだよ!!」
「――ッ!!」
アーシアは目を閉じ歯を食い縛り、来るであろう痛みに怯える。
……だが、彼女に拳が届くことはなかった。
(な、何……?)
アーシアは、恐る恐る目を開ける。そして、目の前の光景に驚愕した。
「お、お前は……!!」
「………」
マルクもまた驚愕し、声を漏らす。マルクの拳は、とある人物によって止められていた。その男は黒い髪を風に靡かせ、マルクの腕を掴む。よく知っている人物だった。だが、どこか違う。何か普段とは違う違和感があった。
アーシアは確認するかのように、口を開く。
「……れ、蓮?」
蓮は視線をマルクに向けたまま、アーシアの言葉に応えた。
「ありがとうアーシア。ルルを守ってくれたんだな。――もう、大丈夫だ」
その人物は、やはり蓮だった。そしてアーシアは、感じていた違和感の正体に気付く。
(あ――)
それに気付いた時、彼女の心に何かが響いた。
――蓮の目の奥には、確かな炎が見えた。普段では絶対に見せない、とても力強い目だった……。




