茶番
中庭の木の下で、蓮と少女は見つめ合っていた。蓮の表情は優しく、まるで旧来からの親友と再会したかのように微笑む。しかし、片や少女は蓮とは違っていた。
「………?」
少女はただ首を捻る。蓮のことを全く知らないかのように、少し警戒するかのような顔をしていた。もちろん、それは蓮にも分かることだった。
(……覚えていないのか? いや、でも―――)
でも、間違いない。あの夢で見た少女だ―――蓮は、そう確信を持っていた。
未だに警戒する少女を見た蓮は、表情をそのままに木を見上げて話しかける。
「……この木を、見ていたのか?」
「………」
少女も蓮の言葉に促され、木を見上げる。そしてすぐに蓮に視線を戻した少女は、戸惑いながらも小さく頷く。
「いつもここにいるのか?」
「………」
「俺のこと、覚えていないのか?」
「………」
蓮がいくら話しかけても、少女が言葉を口にすることはなかった。さすがの蓮も少し困り始めたころ、後ろからアーシアが声をかける。
「――その子にいくら話しかけても無駄よ」
蓮はゆっくりと視線をアーシアに向ける。
「無駄?」
「ええそうよ。だってその子、一度も喋ったことないんだから」
「喋ったことがない? どういうことだ?」
「そのまんまの意味よ。誰が話しかけても、そうやって黙り込んでるのよ」
「……喋れないのか?」
「さあね。喋りたくないのかもしれないわね」
「………」
喋れない――それを知った蓮は、視線だけを一度少女に向ける。蓮の表情には、一瞬だけ悲しげな表情が浮かんだ。
(あ―――)
アーシアはその表情に気付いた。それまでいつでも怠そうにして、ヘラヘラ笑っていた蓮が初めて見せた表情。それを見たアーシアは、少しだけ心にチクリと痛みが走る。
蓮はすぐに表情を変え、一度アーシアの方を向いた。
「……ありがとうアーシア。少しだけ待ってくれ」
「う、うん……」
アーシアは力なく返事をする。蓮は踵を返し、もう一度少女の元へと歩いて行った。そして少女の元に近寄った蓮は、力ない笑顔を少女に見せた。
「……悪い。人違いみたいだ。お前が俺の知ってる人とよく似ていたもんだから、つい質問攻めしちまったんだよ……」
「………」
少女は何も言わずに首を捻る。
「……そうだ。なあ、せめて、名前を教えてくれないか? 俺は棚真樹蓮って言うんだ。蓮って呼んでくれよ。お前は……なんて呼べばいい?」
「………」
やはり、少女は黙して語らなかった。それを見た蓮は、困ったような笑顔を見せる。そして、様々なことを諦めた。
「……じゃあ、俺、もう行くから」
そう言い残した蓮は、アーシアの方を振り向いた。そして無表情のまま歩き始め、アーシアの横を通り抜ける。
「……演習場へ戻るぞ」
「え……あ、うん……」
視線をアーシアに送ることなくそう発した蓮に、アーシアは小さく返事をした。そして、歩き去っていく蓮の後ろに続いた。やがて、少女の視界から、蓮達の姿はなくなった。
木の下で立つ少女は、先程まで見ていた木を見ることなく、ただ蓮が歩き去った方向を見ていた。その時、中庭に一陣の風が吹いた。少女の緑色の髪は風に泳ぐ。しかし少女は髪をかき上げることなく、ただ立っていた。
「………蓮……」
少女の呟きは、風の音に遮られる。そして言葉を奪った風は、何事もなかったかのように通り抜けて行った。
◆ ◆ ◆
演習場に戻った蓮達。ちょうどその時、アサギが蓮の名前を呼んでいた。
「――蓮! 蓮!! いないのか!?」
どうやらやり過ごすどころか、絶妙のタイミングで戻って来たようだ。ヤバい――そう思った蓮だったが、アサギは蓮の姿に気付く。
「ああ、そこにいたのか。何してる。早く降りて来い」
アサギの言葉に観客席にいた生徒達は、一斉に蓮の方を注目した。その視線を受けた蓮は、たじろいだ。だが隣に立つアーシアは、蓮の背中を押す。
「残念だったわね……ほら、早く行きなさいよ」
押された蓮は一歩足を踏み出し、恨めしそうにアーシアを見た。アーシアはシタリ顔で蓮を見る。もはや逃げられないと観念した蓮は、一度大きく溜め息を吐いてトボトボと演習場へと向かった。
演習場には、既に相手となる生徒が立っていた。その人物は、蓮も知る人物だった。
「――あれ? なんでお前がいるんだ?」
「………」
その男は、蓮を上から睨み付けていた。その男――ダヴィー。しかし解せない。それまで上逸と修練同士がやってたのに、どうして自分だけ修練のダヴィーと模擬戦闘をするのか……蓮は、当然のようにアサギに聞く。
「なあアサギ教官、何でダヴィーなんだ? 上逸は?」
「仕方がないだろう。修練の方が生徒数が多いんだ。自然と修練同士が残るから、その者同士でするんだ」
「別に上逸でもいいだろ? 大して疲れてないだろうし」
「確かにそうだが、時間的に遅くなってしまうだろ。それに、この組み合わせなら何も問題はない」
そう言うと、アサギは含みのある笑みを蓮に向ける。蓮は思わず苦笑いをした。二人の会話をじっと聞いていたダヴィーだったが、あまりに進展がないことに苛立ちを覚え、アサギに催促する。
「……教官、そろそろいいのでは?」
「おお、そうだったな。さて、試合終了まで、双方全力ですること。ただし、“くれぐれも”やり過ぎるなよ」
再びチラリと視線を蓮に向けるアサギ。蓮は再度苦笑いをする。
「……では、準備はいいか?」
アサギの言葉に、ダヴィーは軽く構えを取った。蓮はというと、構えるどころかポケットに手を入れたまま立っていた。その姿は、ダヴィーの心を更に刺激する。
「――始め!!」
「火炎符!!」
アサギの掛け声と共に、ダヴィーは蓮に向け火炎符を投げつける。
「――早い!!」
観客席からはどよめきが走る。ダヴィーが符にアルマを込める時間は極僅かだった。しかし、符からは炎が巻き起こり、アルマは正確に注がれていた。
「うおッ!」
蓮はすぐに跳び上がり、迫る炎の塊を躱す。それを見たダヴィーもまた宙へ飛び出し、太い腕を振りかざして剛腕を蓮に突き入れた。だが蓮は体を捻り、それを避ける。
「チッ――!!」
避けられたダヴィーは、その後も宙で立て続けに拳を叩き込む。だが蓮はそのどれも躱し続け、冷静にダヴィーの表情を見ていた。その中で、蓮はダヴィーに訊ねる。
「なあダヴィー、お前武器持たねえのか?」
「何!?」
「いやだって、他の生徒はみんな武器持ってたぞ? お前は?」
「それはお前も同じだろう!!」
一度大きく蹴りを入れるダヴィー。だがやはり蓮はそれを軽く捌き、地面へと降り立った。それに続き、ダヴィーもまた降り立つ。
「……貴様、舐めてるのか? 今は模擬戦闘だぞ?」
「そうそう。だから聞いてんの。武器使わないとか珍しい奴だな」
「……武器は、使ったこともない。使えぬ道具は、かえって邪魔になるだけだ」
「それは同感だな」
「蓮……とか言ったか? 貴様こそ、なぜ武器を持たない?」
「必要ないからだよ」
「必要ない?」
「まあお前と似たようなもんだ。武器がなくても生きていける。刃が来れば躱せばいい。符術が来るなら避ければいい。ただそれだけだし、その行為に武器はいらないだろ?」
「そう、か……では、符術は? 確かランクDだったな?」
「そうそう。まあ符術は護身術程度だ。護身術なのに自分から振りかざすのなんておかしいだろ?」
「だが、俺は遠慮しないぞ? それでもお前は使わないのか?」
ダヴィーはそう言いながら、蓮を睨み付ける。なぜダヴィーはここまで蓮と会話をするのか――それは、ダヴィー自身も蓮の深さが分からなかったからだ。
少し拳を交えた程度だが、追い詰められた様子は全くなく、難なく自分の拳を躱していた蓮。だが、一切反撃もない。最初ダヴィーは、教室の一件から蓮を叩きのめすことだけを考えていた。しかし実際にこうして対峙をすれば、それは薄れてしまった。
蓮の本気が見たい―――いつしか、ダヴィーはそう感じていた。それは蓮にも伝わっていた。むしろ、おそらく何かしらしなければこの訓練は終わらない。蓮は、そう感じていた。
「……しゃあねえか。ちょっとだけだぞ?」
そう言うと、蓮は一枚の符を取り出す。それを見たアサギは、表情を更に引き締めながらもニヤリと笑った。
(遅いぞ馬鹿者……しかし、ようやくか……)
アサギとしても蓮がそこそこのやる気を抱いてくれたことが嬉しかった。何より、蓮の本気の一端を見たことがあるアサギにとって、再びその姿が見れることが楽しみだった。
その二人の視線の中、蓮は静かにアルマを符に込め始めた。その姿に、ダヴィーは本能的に恐怖を覚えた。ただ符を持っているだけである。ただ符にアルマを込めようとしているだけである。ただそれだけの行動に、ダヴィーの背には汗が流れていた。
「……これは……!?」
「……おいダヴィー、上手いこと避けろよ? ケガするぞ……」
「―――ッ!!」
ダヴィーは混乱する。目の前にいるのは、間違いなくあの蓮。やる気もなく、ランクもDの少年。ランク的には、自分が圧倒的に上のはず。だが、なぜか今の蓮を見ていると、自然と足が震えてきていた。どうしようもなく怖く、恐ろしい。それから解放されるために、ダヴィーは思わず言ってしまう。
「……俺の、負けだ……」
「……は?」
蓮にとっても、予想外の一言が飛んできた。突然、ダヴィーは敗北を宣言した。それを聞いたアサギは、怒るどころか仕方のないような、諦めの表情を浮かべる。それでも、彼女は一応ダヴィーに確認する。
「……ダヴィー、降参でいいのか?」
ダヴィーは言葉を口にすることなく、冷や汗を流しながらゆっくりと頷いた。
「……そうか……」
一度目を伏せたアサギは、声を大きくして宣言する。
「――それまで!!」
当然、観客席の生徒達にはわけが分からない。少し戦闘したと思えば、二人とも動かなくなりそのまま模擬戦闘終了……とても納得できないものだった。誰もが首を傾げ、どよめきながら演習場を見る。
「……終わり? そっかそっか! いや~よかったよかった!」
終わりというのが分かった蓮は、一人喜びながら観客席に向かう。ダヴィーは、まだ動けずにいた。スキップしながら立ち去る蓮の背中を、ただジッと見ていた。
「ダヴィー、模擬戦闘は終わりだ。早く戻れ」
アサギの言葉に、ダヴィーは視線を向けることなく問いかける。
「……教官、あの蓮という男、何者だ?」
その一言で、アサギはダヴィーが言わんとすることを理解した。軽く笑みを浮かべたアサギは、蓮に視線を送りながら言葉を返す。
「……さあな。だが、おそらくお前が感じた“予感”は間違ってはいない。アタシとしては、少し残念ではあるがな。久々に蓮の符術を見れると思ったんだが……」
「………」
勘弁してくれ――ダヴィーは、心の中でそう呟く。それを知らない観客席からは微妙な空気が流れていた。ダヴィーが自ら敗北を宣言することは、初めてのことだった。しかし蓮は何もしていない。とんだ茶番を見た心境となっていた。




