剣と槍
デリフィスの予測通り、サンと老人を乗せた馬車の馬は、しばらくして走れなくなっていた。
脚を折ったらしく、馬車ごと放棄されていた。
サンと老人の姿はない。
ティアは動揺したが、デリフィスは冷静だった。
微かに、移動した痕跡があるという。
ティアにはさっぱりわからないが、デリフィスには視えるらしい。
黙って、デリフィスに付いていった。
遅々とした歩みだった。
時に、地面に顔が付くほど近付けて、デリフィスは痕跡とやらを捜している。
サンを担いでもいるのだろう、とデリフィスは言った。
老人だけなら、一切の痕跡が残らなかっただろう、とも。
どうやら、かなりの強敵らしい。
デリフィスが、気を漲らせている。
やがて、拓けた場所へと出た。
古ぼけたビルだけが、建っている。
「あそこだ。あそこに続いている」
「……隠れる場所がないね」
身を隠せる障害物がない。
ビルの中にいる敵からは、ティアたちは丸見えだろう。
「元より、気付かれている。さっき言ったこと、覚えているな?」
「うん」
人質に刃を突き付け、止まれと要求される。
その時点から、人質は人質の意味を持つ。
だから、その前に助け出す。
そのために、なにがあっても止まらずに戦えと言われた。
人質の意味が成立したら、実質負けである。
サンか自分たちか、犠牲を覚悟しなければならないという。
「いくぞ」
デリフィスが、なんとかティアが付いていける速さで駆け出した。
躊躇なく突入する。
四階建てのビルだった。
一階のフロアは無人だった。
二階にも誰もいない。
三階へと続く階段を、デリフィスを先に駆け上がる。
視界が陰った。
躍り掛かってくる黒装束が二人。
階段の戦闘では、上から攻める方が断然有利である。
だが、そんなことは関係ないとばかりに、デリフィスの剣が二人を同時に撥ね飛ばす。
三階に出た。
老人、そして、兵士が十人くらい。
配置を確認する暇はない。
最奥に、木の椅子にロープで縛り付けられたサンの姿。
呼び掛ける時間すら惜しい。
デリフィスと並んで突っ込んだ。
老人が、構える。
まるで、地響きのような踏み込みだった。
手には、長大な槍。
普通の槍よりも、ずっと無骨である。
鉄の棒に、大剣を付けたような槍だった。
重量は、二十キロ近くあるのではないだろうか。
突きを受け止めたデリフィスの足が、わずかに浮く。
ティアは、二人の横を通り過ぎた。
兵士たちの間をすり抜けていく。
体のどこかを、なにかが掠めた。
サンの左右に一人ずつ。
短剣を投げ付ける。
サンに小剣を突き付けようとしていた、兵士の喉元に突き刺さった。
もう一人が、剣を振り上げた。
サンに、斬り付けるために。
「やめい!」
怒号を上げたのは、なぜか老人だった。
剣を振り上げたまま、兵士が動きを止める。
ティアは、体当たりをするような勢いで、椅子ごとサンを攫った。
二人で倒れ込む。
「いっ……!?」
ようやく、ティアは痛みを自覚した。
左の二の腕を斬られている。
兵士が向かってきた。
二人。少し遅れて、さらに三人。
左腕は使えそうにない。
小剣の柄を持つ右手に、力を込めた。
束の間だけ、デリフィスに眼をやった。
老人が声を上げたわずかな隙に、彼は間合いを取ることに成功していた。
兵士を相手に、剣を振り回し奮戦している。
デリフィスの剣に、一人は床に叩き伏せられ、一人は壁まで吹っ飛んでいった。
ティアたちの方へ向かおうとはしてくれているようだが、間合いを詰めた老人の突きに、動きを封じられる。
そして、兵士が接近してきた。
サンを巻き込まないために、ティアは前進した。
兵士二人とも、武器は剣である。
いつも相手をしてくれているデリフィスやテラントに比べたら、まるで止まっているかのよう。
剣を弾き、受け流し、二人の喉を斬り裂く。
あと三人。
だが、少し後退したところで、負傷のためかバランスを崩し、転んでしまった。
(まずっ……!)
兵士たちが殺気を放ち向かってくる。
「もうやめてくれ!」
サンの叫び。
「あんたの言う通りにする! だから、もう……ティアに……その二人に手を出さないでくれ……!」
老人が、柄の先を床に打ち付けた。
それで、兵士が動きを止める。
老人は、サンをぎろりと睨みつけた。
「……その言葉に、嘘偽りはないか?」
「……ない。約束する」
「そうか。ならば……」
デリフィスが、いきなり床を蹴った。
先程、ティアを襲う寸前まで迫っていた兵士三人が、咄嗟に武器を構える。
だが、瞬く間に斬り飛ばされた。
老人と兵士たちから、ティアたちを守る位置に立ち塞がる。
「若いの……」
老人は、苦々しい顔をしていた。
「話を聞いておらんかったのか? 儂らは、その者に協力を求めている。そして、その者は協力を約束してくれた」
「事情がわからん。そして、御老人よ。俺には、あなた方の口約束など、なんの意味も成さない」
老人は、溜息をついた。
「ならばお主には、死んでもらうぞ」
長大な槍の刃を、デリフィスに突き付ける。
「死人共よ。貴様らは下がっておれ」
残った兵士二人が、老人とデリフィスから距離を取る。
対峙するデリフィスと老人。
空気が、肌に痛いほど張り詰めている。
「……儂と向かい合い、笑うか、若いのよ」
そして、老人が突き掛かった。
もしかしたら、兵士が邪魔だったのかもしれない。
突きの速度が、さらに上がっている。
デリフィスが、受け止める。
重量級同士の武器のぶつかり合いに、火花が飛び散り轟音が響き渡った。
老人は、眼にも止まらぬ速さで突きを繰り出し続ける。
武器の間合いの差か、デリフィスは受け止めるだけで反撃ができない。
じりじりと後退していた。
デリフィスの、短い雄叫び。
剣と槍。
激突して、武器が、体が、互いに弾け合った。
間合いが、開いた。
二人共、体勢を立て直し構える。
再び対峙。膠着。
一分か、数秒か。
二人共動かない。
ティアは、左腕の痛みを忘れていた。
喉の渇きを感じる。
二人の技量は互角、ティアの眼には、そう映った。
体格はいくらかデリフィスが勝るが、老人は力負けしていない。
がっしりとした老人だった。
腰には、小剣を差している。
槍を構える姿には、まったく隙がない。
デリフィスと老人。
互いの武器の先が、微かに揺れる。
老人が、突き掛かった。
だが、今までと違い、わずかに迷いが感じられた。
デリフィスが、槍をかい潜る。
多分、なのだが。
おそらく、二人はフェイントを掛け合った。
武器の先で、あるいは肩の筋肉の収縮で、柄を握る力の強弱で、呼吸で、目線で。
そして、デリフィスの方が一手勝ったのだろう。
老人の懐に飛び込み、デリフィスが剣を一閃させる。
老人は、槍から左手を離した。
腰の小剣を、逆手で途中まで引き抜く。
デリフィスの斬撃を受け流していた。
再度、間合いが開く。そして対峙。
小剣が鞘に収まる音が響いた。
鉄をも叩き割れるであろうデリフィスの重い斬撃を、薄刃の小剣で受け流す。
それに、どれほどの技術が必要なのか。
(どっちもすごい……!)
数ヶ月前のティアならば、二人の激突の力強さや速さにばかり、眼を奪われていただろう。
だが、今ならわかる。
挙動や斬撃、その一つ一つに、あらゆる戦闘技術が集約されている。
おそらく、ティアではまだ半分も理解できていない。
これが、達人同士の戦いなのか。
今度の膠着は、短かった。
二人で、激しく武器を打ち合わせる。
勉強になるが、いつまでも眼を奪われている場合ではなかった。
今のうちに、いつでも逃げ出せる態勢を作っておかなくては。
サンを拘束から解放して、壁際まで移動した。
片腕だと、ただロープを切るだけの作業でも、少し苦労する。
兵士二人が、察したのか階段の前に立ち位置を変える。
ここは三階。窓からは逃げられない。
腕を怪我している。
サンもいる。
デリフィスと老人の戦闘は続いていた。
そして。
「ライトニング・ボルト!」
ユファレートの、叫びのような魔法を発動させる声。
フロアを照らし電撃が走る。
階段の下から放たれたそれは、兵士の体を貫いた。
一人は飛びのくが、老人の突きを遮る格好となった。
唸り声を上げ、老人は後方へ跳躍する。
デリフィスが、邪魔な兵士を剣で叩き潰した。
そして、階段を駆け上がり老人へ突進する影。
テラントが、光の剣を振るう。
また唸り、槍の柄で受け止める老人。
槍が回転した。
下方から、刃がテラントを襲う。
体が薙ぎ払われる寸前で、テラントは後退してかわした。
防御と反撃のため、老人の足が止まっている。
ティアは、短剣を投げ付けた。
槍が、また回転した。
「!?」
弾き返された短剣が、ティアの頭上を通り壁に突き立つ。
腰が抜けるのを感じた。
(危なっ……!)
老人に、ティアの投擲など通用しないか。
今後、達人相手には控えよう。
今のように反撃をされるか、奪われ武器を与えることになりそうだ。
孤立した老人は、デリフィスとテラントの二人に、壁際まで追い込まれていた。
「……テラント」
二人掛かりというのに、デリフィスは不満そうだった。
テラントは、構えを崩さない。
二人掛かりだろうと、倒せる時に倒すべき相手。
老人を、そう評価したのだろう。
老人は、二人を前にしても揺らぐことなく槍を構えている。
二人なのに、デリフィスとテラントほどの使い手が打ち込めない。
「ティア、怪我を……!」
駆け寄ってきたユファレートが、すぐにしゃがみ込んで傷口に手を翳す。
「キュア!」
温かい癒しの力が流れ込んできた。
見る見るうちに、傷口が塞がっていく。
「お前たち……」
老人が、口を開いた。
「資料は受け取っていたが、若造と侮り、まともに眼を通さなんだ。お前たち、名は? お前たちの口から聞きたい」
「デリフィス・デュラム」
「テラント・エセンツだ」
「デリフィス、テラント、今度は覚えた。儂はサイラス。いずれまた、相まみえることもあろう」
老人、サイラスは跳躍し、窓から飛び出した。
ここは三階である。
階下の窓が割れる音がした。
壁を伝い、下の階に逃げたか。
危険なことをする。
それとも、サイラスの身体能力ならば、それほど危険なことでもないのか。
テラントも、好戦的なところがあるデリフィスも、追おうとはしなかった。
改めてフロアを見渡すと、物が揃っている。
数日、ここで過ごしたのだろう。
逃げ道くらい準備していると考えた方がいい。
それでも並の相手だったら、デリフィスたちは追っただろうが。
二人は、武器を収めた。
テラントが、大仰に息をつく。
「……おっかねえ爺さんだな」
「あいつは、俺が貰う。いいな、テラント?」
デリフィスは、睨むような眼つきだった。
「へいへい。……で、事情がさっぱりなんだが」
言いつつ、こちらへと向かってくる。
「取り敢えずは、勝利と考えていい。人質は取り返し、こっちにはたいした犠牲はない」
「そりゃ良かった」
「ちっとも良くない!」
ユファレートが声を張り上げた。
ティアの左腕に、治癒の魔法を使い続けている。
「ティアが怪我してるじゃない!」
「あたしは、大丈夫だから。ユファのお蔭で、もうほとんど痛まないし」
魔法の治療の効果は、抜群だった。
これなら、しばらくしたら動かせるだろう。
「そんなことよりも、サンを助けられて良かったよ……」
そして、ティアはユファレートの頬を摘んだ。
「……なにするの?」
顔の形を変えたユファレートが、聞いてくる。
「心配したから!」
警察や『コミュニティ』に追われている状況下で、一人で出歩くなんて危険極まりない。
しかも目的地は、儀式の行列である。
あそこには、ハウザードがいるがズィニア・スティマもいる。
どういう経緯でテラントと合流し、ここに来たのかわからないが。
一人のままなら、今頃どうなっていたことか。
「ごめん……」
ユファレートが素直に謝ったので、ティアは手を離した。
「……サンも、なにか隠してるでしょ? さっきのお爺さん、サイラス? あの人とのやり取り、なんかおかしかった。どういうこと?」
サンが、眼を伏せる。
デリフィスは、厳しい眼つきで腕組みして、サンを見下ろしていた。
「なに? あたしにも言えないことなの?」
「……すごく、馬鹿げていることなんだ」
「馬鹿げて?」
「けど、彼らにとっては、利用価値があるみたいで……」
歯切れが悪い。
「ほんと、なんでこんな……」
「ねえ、サン。ちゃんと話して。あたし、ちゃんと聞くから」
サンは床を見つめ、頭を掻きながら溜息をついた。
ぽつぽつと呟く。
「最近になって、自分の出生の秘密みたいなことを知った……。あの人から……」
「エミリアさん?」
サンの、母親らしき女性。
「……そう。そして、父親について、知った……」
「……誰?」
非常に個人的なことだが、拉致されるほどのことである。
事情を知っておく必要はあった。
サンが、唾を飲み込む。
意を決したように、彼は言った。
「……『魔王』」
「…………へ?」
しばしの静寂。耳が痛いほどだった。
全員が、きょとんとしている。
サンが、情けない笑みを浮かべた。
「俺はね、ティア。『魔王』の息子だったんだよ」