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夜が訪れると

作者: 竹仲法順

     *

 午後五時半を過ぎると、ややきつめに香水を降り、髪を整えてから自宅マンションを出る。バッグには財布やカード類を入れて仕舞い込み、マンション近辺のタクシー乗り場でタクシーを拾う。そして店の名前を告げ、深呼吸して後部座席に凭れ込んだ。さすがに連日客商売で倦怠を覚えている。だけど現役のホステスは、少々のことじゃへこたれはしない。

 街の目抜き通りに着くと、ネオンが輝いている。十一月も半ばを過ぎれば、すぐに十二月に入り、年末となる。あたしも店のロッカールームで上下ともドレスに着替え、仲間とお喋りしながら、開店時間である午後七時を待つ。さすがに接客は大変だ。こういった仕事自体、偏見で見られがちなのだが、あたしたちホステスはしっかりしている。プライドがあるのだ。客を丁寧に持て成す、れっきとしたサービス業であるという。

「ナオミちゃん、ナナコちゃん、テーブルに回ってちょうだい。お客様がお待ちだから」

「はい」

「はーい」

 ママの郁枝(いくえ)が呼んだ。あたしの源氏名はナオミである。ナナコは同僚ホステスだった。この店<ソバーユ>では互いにナンバーワンを競い合う間柄だ。あたしの方が固定客は多い。ナナコは二十代後半だったが、三十代前半のあたしも負けられない。

 今夜も店内に静かなムードミュージックが流れ、大量のお酒やフルーツなどで客に欲望を売る。銀座のような大都会じゃないのだが、郁枝は昔銀座にいて、ホステス修業をした経験があるらしい。そして貯めていたお金を使い、この街で自分の店を立ち上げたのだ。ママも苦労したのねと思っていた。業務時間中だけはずっと一緒にいて、プライベートはあまり知らない。ただ、郁枝は松本清張の小説が好きで全巻揃えていて、ドラマも欠かさずDVDレコーダーに録って見ているのは本人の口から聞いて知っていた。

     *

 午後七時から深夜の午前零時までが業務時間である。日付が変わると、あたしたちホステスは店のロッカーで着替えを済ませて「お先します」と言い、各々帰っていく。それまでは一人でも多くの客を取って酒の相手をするのが仕事だ。ビールから入り、主にカクテルなどを飲んでいた。あまり酔わないようにしている。それに水割りなどの注文があれば作っていた。ウイスキーの原酒をミネラルウオーターでハーフに割り、氷を浮かべてマドラーで掻き混ぜ、差し出す。

「ナオミちゃん、今夜もいいね。相変わらず色っぽいし」

「ありがとうございます」

 店の常連客の熊谷がそう言って、あたしの横に座りながら、喋りかけてくる。常連なので、名前と顔を覚えていたのだし、熊谷もあたしを指名してくる。夜の時間、酒を共にする相手として。着物姿の郁枝が来ると、

「ママもナオミちゃんと同じか、それ以上に色っぽいね」

 と言う。すると他の酔客もニヤニヤ笑い出した。あたしもこういった場所で仕事をしているので酒も飲むし、この手の店には珍しく、喫煙は原則禁止となっていたので、合間に店内の外れにある喫煙コーナーでタバコも吸う。昔、あたしも学生時代、東京にいて、新宿のワンルームアパートで暮らしながら、大学四年間あの街の空気を吸い続けた。今から十年以上前である。よく授業をサボって、仲間内で遊びに出かけたりしていた。別に違和感はなかったのである。当時はあの街の空気を吸い慣れていたのだし……。だけど、もうあそこに行くことはない。今の街は地方都市なのだが、別に住めればそこでよかったからである。

     *

「ナオミちゃん、ちょっと」

「はい」

 中座し、郁枝があたしに声を掛けてくる。従うようにして、店の一角へと歩き出す。午後十一時を過ぎ、もう一時間ほどで閉店だった。カウンター席に座ると、ボーイのシンゴが冷たいミネラルウオーターを出してくれる。郁枝が、

「もうすぐあなたに暖簾分けしてあげてもいいわよ。ホステスとして、しっかりしてきてるし」

 と言い、笑顔を見せた。あたしも一瞬戸惑ったのだが、いい話と分かると頷く。郁枝が、

「ここの繁華街に<イールズ>って雑居ビルが一軒あるのは知ってるわよね?」

 と訊いてきた。知っていたので、

「ええ」

 と端的に頷くと、郁枝が、

「そこの五階に店出さない?今なら物件としてお買い得だし、クラブをやるにはいい場所よ」

 と言った。悪い話じゃなかったので、酔い覚ましの水を飲みながら、

「分かりました。考えておきます」

 と言い、テーブルへと舞い戻る。郁枝はスタッフルームへと入っていき、少し休憩を取っているようだった。何せ四十代後半で一つの店を取り仕切る身だ。疲れない方がおかしい。察していた。郁枝も数年経てば、水商売から手を引くだろうと。そしてあたしだけじゃなく、ナナコや他のホステスたちにも暖簾分けするものと思われる。そういった事に関して郁枝は金を惜しむことはない。

     *

「お疲れ様でした」

 そう言って、その夜の午前一時前に店を出、通りを歩き出す。さすがにあたしも郁枝の金銭感覚のなさが分かっているのだった。それに自分の下で働く人間たちに対する施しは大きい。だからこそ、ホステスたちは必死で店を盛り立て、ソバーユは信頼第一で来たのだ。受けてきた恩恵は数えきれないぐらいある。このママに仕えてきてよかったなと思えた。

 通りでもタクシーが拾える場所で一台拾い、自宅マンションの住所を告げて、目を閉じる。あたしぐらいの年齢になると、無理もあまり利かなくなってくる。それでも楽しいことはいくらでもあった。人生の快楽というのはたくさんあるのだ。もちろん苦労があってこその人間ではあったのだけれど……。

「お客さん、着きましたよ」

「ああ、眠ってたわ」

 そう言い、タクシー代を支払って領収書を受け取る。レシートを取っておけば、後で交通費として店から支給されるのだ。店でお酒を飲むのが仕事なので、車は運転できない。それにほとんど運転することがないので、ペーパードライバー状態だ。免許の更新には行くのだが、それも形式的なものである。マンション出入り口まで歩いていき、エントランスで五桁の暗証番号を押して開錠した。部屋は七階だ。もう午前一時半を過ぎている。眠たかった。

     *

 エレベーターを使って七階フロアに辿り着くと、部屋はすぐ近くにある。あたしも三十代で夜の仕事は幾分しんどい。だけど慣れているので大丈夫だった。部屋に入り、パンストを取って、浮腫んでいた足を開放する。そして洗面所で手を洗い、キッチンに入ってコーヒーを淹れるためお湯を沸かした。エスプレッソで淹れる。眠る前の一杯は実に美味しい。

 ゆっくりとベッドに倒れ込んだ。そのまま寝入ってしまいそうだ。だけど一応軽くシャワーぐらいと思い、起き上がって着替えを持ち、バスルームへと入っていった。熱々のシャワーを浴びながら寛ぎ続ける。シャンプーとコンディショナーで髪を整え、ボディーソープを塗ったタオルで体を洗う。

 入浴し終わると、溜まっていた疲れが取れた。慢性的な倦怠がある。こういった水商売をしていると……。それにしても郁枝の口から暖簾分けの話が出たのは嬉しい。これから先、あたしもあのネオンの灯った繁華街で自分の店を持つことが出来るのだ。何よりも喜ばしかった。

 タオルで髪を拭きながらバスルームを出て、リビングへと入っていく。ドライヤーで髪を乾かし、化粧水などを塗ってベッドに潜り込む。さすがに寒い。暖房を入れてタイマーをセットし、リラックスの意味で静かなクラシック音楽を掛け、寝入る。あっという間に朝が訪れた。

     *

 午前九時過ぎにベッドから起き出し、キッチンへと入っていく。昨夜飲んだコーヒーも美味しく感じたのだが、今から淹れるコーヒーも気付けの一杯で美味しいだろう。あたしも遠慮しなかった。コーヒーなどインスタントで十分だ。もちろん街のカフェに行けば、バリスタの淹れるエスプレッソを飲めるのだが……。 

 トーストを一枚齧り、付け合せで野菜サラダを一つ作って添える。朝は軽めだ。その分、昼や出勤前の夕方などはしっかりと食事を取っていた。食生活に関して偏りがちになる。だけど仕方なかった。女の一人暮らしなど、こんなものだ。別に豪勢な食事を取ることはない。それにあたしも使いきれないぐらい、お金を持っている。蓄えていた。何かあった場合に備えて。

 そして昼の二時間ドラマを見終わり、夕方になると、出勤準備をする。夜があたしの勤務時間帯だからだ。人が眠る頃にクラブで接客するのが仕事である。それは変わりなかった。ずっと昼間持て余している時間はテレビを見るか、パソコンでネットをするか、街のカフェで時間を潰すかである。カフェに行けば、コーヒーを飲みながらスマホを使う。あたしも情報はほとんどがウエブ経由だった。

 ホステスは話術も実力のうちに入る。話し上手が出世する世界なのだ。あたしもいろんなネタを仕入れていた。夜の連続ドラマなども録っていた分は全部見る。客でもその手の話が好きな人がいるからだ。未だにあたしの頭の中にはトレンディードラマなどがある。話題には事欠かない。ぼんやりしていると、一日があっという間に終わってしまう。ゆっくり出来るのはせいぜい朝から昼にかけてぐらいだった。

 その日も夕方、食事を取ってから出勤する。夕食は大抵、作って食べていた。少しでもお金を浮かせるために、だ。貯蓄はちゃんとしておかないと、何かあった際、大変だからである。そういった点はしっかりしていた。そして食事後、部屋着から外出着に着替えを済ませてマンションを出る。夜が訪れると、仕事が始まるのだ。時間に余裕を持って出勤していた。今夜も酔客を多数相手する必要があるなと思い。

 タクシーを拾って乗り込む。クラブのホステスは客に欲望を売るのが仕事だ。抜かりがないようにしていた。一人でも多くの客を取れればそれに越したことはないので……。そして店に着くと、また仕事が始まる。午後七時が業務開始時間だ。ホステス同士でもけん制し合っていた。あくまで客商売であり、人気がないホステスには指名が掛からない。そういった点を弁えて、日々接客に精を出す。いずれ暖簾分けしてもらえると思うと、舞い上がらんばかりだった。だけどそれまでは地味に仕事をこなす。それがホステスという人種なのだから……。

                           (了)


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