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神童[Shen tong] 1

 ――かつて原因の解析不可能な怪奇現象と騒がれ、世界中から注目された“日本旧警視庁本庁舎消失の謎”も、十年の歳月が流れた今では人の口にのぼることもない。

 それに関わった人々についても、一般社会では誰なのかさえ意識されることもなく、すべての人の上に等しく時が流れていた――。




 香港、高層ビルの立ち並ぶ市街地から少し離れた、現地の住人御用達の繁華街。その一角に風変わりな食堂があると現地の人々が口伝えに評判を語る。

「(もちろん、知っているさ。この辺どころか、この国でたったひとつの創作料理の店だ。ここで知らないなんて言った日にゃあ、よそ者だとすぐバレる)」

「(ああ、あの店に行くなら、GINのいるときに行くといい。料理が運ばれて来るまで占ってもらうといい暇つぶしになる)」

「(零に会えたらラッキーだよ。彼女ひとりで厨房を一手に引き受けているからね。滅多に出て来ることはないんだけど、GINが何かやらかしてくれたら、あいつらの夫婦漫才が楽しめて二倍お得だぜ)」

「(いやいや、俺は零を拝めさえすれば大満足だね。給仕もしてくれりゃあ倍の料金を払ってもいい)」

 手にした大まかな情報を頼りに尋ねてみれば、その店の馴染み客から大抵そんな答えが返って来る。

「(あんたは初顔だな。案内してやるぜ。観光客も、一度あの店を知れば何度でもこっちへ来るたび足を運んで来る。俺らは大概そういう客の顔は覚えちまうんだ)」

「(遠慮するな、あんたのためじゃねえ。GINと零への、ささやかな恩返しだ。あそこで美味い飯を食って、GINの眉唾な占いで愚痴なんかを聞いてもらうと、鬱憤が全部晴れちまう)」

「(そうそう。店が潰れちまわないように、質のいい客を回してやんねえと俺らが困るんだよ。ぎゃはははは)」

 質のいい客、それは“むやみやたらに店の情報や在り処を教えるヤツではなく、且つリピーターになりそうな目と舌と、そして何より心の肥えた人物”を指すらしい。

 心の肥えたヤツ。そんなものがどうして解るんだか、と訝りながらも、案内してくれるという親父の話を聞きながら、妻と一緒にあとを追った。

 彼らがいつの間にかここに棲みついて以来、この一帯の雰囲気がなぜかなんとなく変わったらしい。

 板作りの簡素な店舗が所狭しと軒を並べる繁華街。屋外にはスモークされた豚が丸々一頭ぶら下がり、また別の店では小龍包や油条、脆皮麻玉(ごま団子)などに舌鼓を打つ立ち食いの人だかりが出来ている。果物屋のおかみが威勢のよい掛け声で客を誘い、靴屋は精一杯の努力で直した靴を少しでも高値で、だが良心的な範囲で売ろうと通行人へ笑みを浮かべて何足も勧める。

 そんな雑多な繁華街の一角に、その店はあるらしい。


創新飯店(チュァンシィンファンディアン) 神童(シェントォン)


 悪びれもせず神の子を名乗るその店を見つけるのなら、深緑の文字を深紅で縁取った極彩色の毛筆体で書かれた看板が目印だ。案内人に礼を告げ、人ごみを掻き分けてやっとの思いで中に入ってみれば、大仰なその名や看板と裏腹に、実に地味でほかの店と変わりない。

 客層は見事なほどに千差万別、アメリカの都会に負けないくらいに人類のるつぼだ。経営者のGINと零が日本人だからなのか、日本人も意外と多い。今は運良く繁忙タイムを過ぎたころのようだ。テーブルには空の食器が多く置かれたまま、代金を無用心に置いて次々と客が出て行った。

「どもー。また来てねー」

 そんな軽い挨拶の声が、外観の割に広い店の一番奥から入り口の方まで届いて来た。声の方へ視線を向けてみれば、最後の客がGINに手相を見てもらっていた。

「なーんだ。また失恋の傷心旅行なのか。相変わらずだね、二人とも」

 ゆるいウェイブの掛かった長い前髪で瞳を覆い隠した中年の男が、年に似合わない若者口調で向かいの席に腰掛ける若い男女をからかっている。体が揺れるたびに髪の隙間からわずかに覗く眼は、右側だけが閉じられたままで、その瞼を縫いつけているような傷跡が縦に走っていた。五月も半ばを過ぎた蒸し暑い気候なのに、彼は長袖を着て袖さえめくらない。右手だけに分厚い革のグローブをつけていた。長い髪の両サイドだけを不自然な厚みで垂らしている。ぎこちない右手の動きや隻眼から、耳にもある傷跡を髪で隠しているのだろうと初見でも察せられる風貌をしていた。

「気が合ってるように見えるんだけどな、君たちって。お互いにそういう対象として見ようとは考えないの?」

「冗談! 勘弁してよ」

 と女性客が文句を言えば、同行の男性もまた

「俺にも選ぶ権利があるんだっつうの。俺はコイツみたいなツルペタじゃなくて」

「エロっ!」

「あだッ」

 と仲睦まじいやり取りを隻眼の男に見せていた。

「ぎゃはははは、やっぱ気が合ってんじゃん。次の運命の相手なんちゃらを探すより、もっと身近なところを見てみなよ」

 身をのけぞらせるほど笑い飛ばした男は、目尻から涙を拭いながら姿勢を正した。

「恋愛なんて遅かれ早かれいずれは終わる、なんて諦めながら次の恋を探してても、またこうやって俺ンところへ泣きを入れに来るような出会いしか巡って来ないと思うよ」

 怪しげな風貌のくせに、そう紡ぐ声は限りなく優しい。男の穏やかな語り口は、一組のカップルを黙らせた。

「おしまいにしたくないから、幼馴染のままでいる。それって、本当に君たちが望むモノ?」

 男はそう言って苦笑すると、素手の左手に載せていた女性客の手を、自分の手を挟む格好で男性の手と重ね合わせた。ぎこちなく動く右手が、さらに三人分の手を包む。

「ホントはお互い、もう気がついてるんでしょ?」

 そんな三人を見つめる新参の客の瞳だけに、彼らの手を包む深緑の淡いもやが視えていた。

 おずおずと顔を上げる二人の客がどんな表情をしているのかは見えない。だが例え《送》がなくても、彼らの内心は傍から丸見えだろう。

「香港の夜景を楽しんでいってね。時間があれば、よかったら最終日にまた寄ってよ」

 客の二人はすでに食事を終えていたらしい。男のそんな声掛けに合わせてやるといわんばかりの勢いで席を立ち、頬を染めながら店を出て行った。

「GINったら、相変わらずお節介をしてるのね」

 隣から笑い声を交えてそんな感想を漏らすのは、安定期に入ってすっかり体調がよくなったレインだ。

「まあ、あのお人好しのお陰で俺も助かったわけだけど」

 客と店主とのやり取りを見ていた男――キースも苦々しい笑みを浮かべ、口先だけでGINの肩を持った。

 GINは小道具でしかない占いアイテムらしきカードや冊子を片付けると、ようやく入り口の方へまともに視線を向けた。一瞬大きく目を見開いたかと思うと、目の縁でゆるやかな弧を描く。

「久しぶり。早かったじゃん。連絡をくれたら迎えに行ったのに」

 という、零や店の都合も考えていなさそうなGINの言葉に、レインの方が眉をひそめた。

「何言ってるの。お店はどうするのよ。GINはハンドルを握れないでしょう」

 彼は十年前の由良との接触のとき、右腕の神経をやられていた。レインが表情を硬くしたのは、糾弾というよりもそれを思い出したせいだと思う。キースには理解出来ない部分なのだが、レインだけでなくリザも由良の行いに共感出来ない一方で、気持ちは解るとなぜか同情を寄せる。板ばさみのような複雑な心境がレインの顔を曇らせた。

 そんな彼女の内心を知ってか知らずか、GINは椅子から腰を上げて二人に近づいたかと思うと、レインの荷物を右手で(・・・)やすやすと取り上げた。

「タイロンの処置が早かったお陰だろうな。この程度の荷物なら持てるようになった。俺ってホント、諦めの悪い性分らしい。(ハコ)転がせないのは耐えらんないから、すっげえリハビリ頑張っちった」

 得意げにそう語る表情と口調は少年そのものだ。キースとレインは相変わらず過ぎるGINに、そろって噴き出した。

 GINは客がテーブルに置いた代金を手に取り、厨房へ一旦姿を消した。ふと、気がついた。店に入るとき、表にはすでに閉店のプレートが出されていた。さっきのカップルを今日最後の客と決めていたらしい。GINと零のさりげない心配りが、はるか昔に日本で過ごした懐かしい日々を思い出させた。

「キース、レイン、いらっしゃい。長旅、お疲れさまです」

 そう言って厨房から現れた零もまた、今でも三十代前半で通用しそうなほど変わりない姿で二人の訪れを歓迎した。

「零、久しぶり。お世話になります」

 レインが子供のように弾んだ声で挨拶をする。

「ゆかりさんから連絡をもらいました。昨日一日しか滞在していなかったそうですね。むくみが酷いと聞いていたので、むくみに効く漢方茶を用意しておきました」

 と、零は急須と茶器を載せたトレイを軽く掲げてみせた。そんな彼女は、相変わらず日本人形のような艶やかな濡れ羽色の髪を無造作に束ねているが、以前のような黒装束ではない。レインの瞳と似たような落ち着きのある蒼いデニムパンツにワインレッドのカットソーがよく似合う。薄化粧にしている今の方が以前より美人だ。キースは初めて彼女の容貌に好感を抱いた。

「どーも」

 レインの保護者然として取り敢えずは礼を言う。零はレインに向けた穏やかな微笑を引っ込め、目を細めて責めるようにキースを見据えた。

「私たちは相変わらずキースに信用されていないようですね。レインは基本的にあまり丈夫な体ではないのですから、おめでただと判った段階で預けてくれればよかったのに」

 促されたテーブルへ腰を落ち着けると同時に、茶だけでなく説教まで添えてもてなしてくれる彼女に言い返す言葉もない。

「別に、好きで隠してたわけじゃ」

 弁解を口に仕掛けたキースの言葉を、レインが慌てて遮った。

「心配掛けてごめんね。私が少しでもキースの手伝いを続けていたかったから、キースに口どめしていたの。でも、丁度ひと段落ついたから、報告も兼ねてここを訪ねようって二人で話し合ったのよ」

 勧められた漢方の茶に口をつけながら、レインがそんな形から旅の報告を切り出した。

「――という感じで、国境の緊迫状態を少しはゆるめられたと思うんだけど」

 某国間の対立に端を発したそれぞれの国の住人が国外へ逃亡、諸外国へ不法入国している問題についてそう締めくくったレインの報告に、キースが補足した。

「ただ、あの国では大統領の権限が実質的にはかなり弱い。実権を握っている官僚の大御所に煙たがられちまったから、もうしばらくは《送》で暗示を掛け続けていくしかないかな、と」

「まだ接触までこぎつけられそうにないのか」

「いや、何度か会えはしたけど。文化や歴史ってのがあるわけじゃん? 個の感覚と歴史の刷り込みにギャップがあり過ぎて、いきなりこれまでの概念をひっくり返す《送》を埋め込むとメンタル崩壊しちまいそうで」

 そんなてこずっている状態の中、内乱も激化している“伝道先”で、いつまでも身重のレインを伴うのは限界があると判断した、と簡単な経緯を語った。

「まあ確かに。っていうか、あの内乱をお前ひとりで穏便に終わらせるってこと自体がキツいよな」

 と唸るGINを見て、キースはひくりと眉尻を動かした。気を楽にしようと、零の淹れてくれたジャスミンティーに手を伸ばす。

「ま、レインの通訳も必要なくなった程度には俺もあっちの言葉を覚えたし。あんたたちが香港に腰を落ち着けてくれてて助かった。思安(スーアン)からここのことを聞いたときには、正直なところ意外で驚きはしたけどな」

 ジャスミンの芳香を満喫しながら、キースは改めて“家族”に礼を述べた。

「GIN、自分がもっとフットワーク軽かったらとかな、余計なことを考えるなよ。ずっと家なしだった俺らにしてみれば、“帰る場所(ホーム)”があるってのは、結構ありがたいモンだから」

 視線をハーブティーに据えたまま、誰に言っているのかわからない状態でぼそぼそとしか言えなかった。ほんの少しの間のあと、向かいの席から小さな笑い声がふたつ聞こえた。

「そう言ってもらえると、こちらも助かります」

「っていうか、キーちゃん、丸くなったねえ。父親になるって、そんなに人間をガラっと変えちゃうもんなんっすかね?」

 顔中が熱く火照って、顔を上げられなくなった。手にしていたカップをGINに投げつけないよう自制するので精一杯になっていた。

 キースの不穏を読んだレインが、わざとらしいほど話題を逸らす。

「あ、そうだ。淘世(タオシィー)から資料を預かってたんだったわ。はい」

 レインはそう言いながらバックパックを開き、淘世から預かって来た封筒をいそいそと取り出した。GINはそれを受け取ると、零とともにざっと目を通した。

「そっか。胡主席の次男坊と、本当の意味で和解出来たんだな」

 そんな感想とともに、李淘世が来年の旧正月に行われる演説で、正式に胡淘世として国民に後継者の公表がされる旨を伝えられた。その首席秘書官としてYOUを傍らに置くことも正式に決まったらしい。

「またお忍びでここに立ち寄るって」

 そう伝えるレインは、まだYOUと一緒に過ごせていたころの少女時代を思い出させる嬉しそうな笑みを浮かべていた。

「日本とは連絡を取っているのか」

 主要な用件が済んだので、キースは個人的な気掛かりをいくつかGINに尋ねた。

「こっちは基本のんびりだしさー。オンラインでコンタクトを取ってはみるんだけど、遼の方が忙しいみたいで、ここ数ヶ月は振られっぱなし」

「忙しい、ねえ。どうせ無駄な負けん気を出して、リザより稼いでやるってがっついて仕事してんだろ」

「セーカイ。リザが零にはよく愚痴を零して来るらしいんだけど、遼はこっちにさっぱり。可愛くないよなあ」

 そうごちるくせに笑っている。GINのその様子から、彼らもそれなりに幸せな日々を過ごしているのだと窺えた。

「本間は?」

「あ~……なんか、警視長に異例の昇進、再び」

「出世か。めでたい話じゃん。なんでそんなヤな顔してるんだよ」

 キースがそう尋ねると、GINは心底うんざりとした顔をしてコーヒーに手を伸ばし、零は今にも噴き出しそうな顔を手で隠して肩を震わせた。

「そっちより“パパ”って呼んだ娘の成長の方が、あいつにとっては一大事らしい」

 遅蒔きの子宝は、それも娘というのはクソ真面目な男を堕落させる、としみじみ言われても、どうリアクションしていいのか戸惑った。

「信じらんね。あのすました顔がトレードマークの本間がねえ……へえ……」

「このところ、志保さんがオンライン回線を繋いで来るんです」

 と、零がくつくつと笑いながら感情をのせた言の葉を紡ぐ。キースはそんな彼女の変化にも小さな驚きを感じながら話に耳を傾けた。

「“女って、例え娘でも、子供である前に女よね”というのが、志保さんのこのごろの口癖なんですよ。相変わらず仲よく平和に過ごしているようです」

 零は恐らく本間の妻が語った口調をそのまま模したのだろう。彼女らしくない拗ねた声音で語られたそれに、その場にいた全員が小さく笑った。

「それから」

 GINがそこで一度言葉を区切った。もうひとつの日本に関する近況が何についてなのか、ほぼ推測のつく間の取り方だった。

「鷹野由有が、ダンナの方じゃなく、本人が国政選挙に出馬して初当選を果たしたよ」

 まるで見知らぬ他人のことを告げるように、淡々とした声でそう告げられた。

「比例とは言え、すごいよな。二十九歳にして初当選。親の七光りじゃなく、自分の力で勝ち取った議席だ」

 由有は父・正義と同じ選挙区から出馬したそうだ。そう語るGINの表情は少しも翳ることなく、言葉のままに素直な寿ぎの表情を浮かべていた。

「由良としての記憶は?」

 最も懸念していたリスクを訊ねるのに少しばかりの勇気が要った。

「由有の生い立ちとしての記憶が上書きされて、ほとんど残っていないそうだ。由良としての矛盾した記憶が現れた場合は、拉致のショックで記憶障害が残っていると伝えるよう紀由が主治医に指示していたらしい。本人や鷹野夫妻、それに金子由香もそれを信じているようだ」

 GINはそこで一度言葉を区切り、煙草に手を伸ばした。だが、レインの状態を思い出したのか、その手を再び自分の方へ引き戻した。

「由良も由有も、元々正義感の強い部分はよく似ていたから。由良としての人間性が抑え込まれてるわけではないし、《淨》で欠けた記憶だけをお互いの思念で補い合った、ってところかな。その原動力が、今は漠然とした“誰か”って認識に変わってるらしいけど」

 GINは彼女の中に空いてしまった部分を埋めてくれる配偶者の存在に対する感謝を口にした。今のGINは完全に《風》の持つすべての《能力》をコントロール出来ているので、キースにはそれが本心か虚勢なのか視ることは出来なかったが。

「由有の中から自分が消えても、笑っているからそれでいい、ってか」

 多分GINももう気づいているだろうとは思っている。それでも一応確認を兼ねて尋ねてみると、彼は予想通り即答でノーを返して来た。

「あれは、新しく生まれ直した魂が入った器だ。あの器に溶けた魂の欠片も、今は」

「わぁってるよ。あのいちごみるくは、時々こっちにも風に乗って様子を見に来ていた」

 キースはGINが皆まで言う前に、手を翳して言葉を遮った。

「そっか」

「そうだ」

 そんな会話を交わした後、しばしの沈黙が四人を包んだ。キースやレインの前に座る二人は、しばらく遠い目をして何かに思いを馳せていた。

「キース、俺さ」

 不意に視線をキースへ戻し、GINが改まった表情で言葉を続けた。

「近いうちに、シガツェに行こうと思う」

 ――由有へ報告しに行って来るつもりだ。

 そう告げたときだけ、GINは少しだけ寂しげに笑った。それまでGINが呼んでいたのが“由良の魂が宿った由有”であるのに対し、最後に呼んだ由有だけは、いちごみるく色をした、あの魂のことだ。

「……そか。踏ん切りがついたのか」

「ま、そんなトコロかな」

 軽い口調に無理がある。そんなGINを見つめる零が、キースにそっと苦笑を返して来た。

 キースが内戦の続く地へ戻るまでの数日間の中で、GINと零がいちごみるく色をした魂について触れたのはたった一度、このときだけだった。


 出立の日、キースは空港まで三人に見送られた。

「なあ、キース。俺、ホントに」

「邪魔だ来るな俺はお前の右目じゃねえ」

「冷た……差別だ……」

 しつこいお節介親父の申し出を、一気にひと息で封じ込む。そんな二人を女性陣が苦笑しながら見守っていた。

「キースにばかり危ない地域を任せてしまってすみません」

 一緒に暮らしていると、お節介が伝染るのだろうか。キースにそう思わせ苦虫を潰した顔をさせる言葉が零の口から飛び出した。

「年寄りは隠居して孫の世話をしとけっての」

 憎まれ口で応酬すると、零がそれまで見たこともない表情で目を大きく見開いた。

「孫……まだ四十路過ぎたばかりなのに」

 それを聞いて笑うGIN、GINも零と同い年だと突っ込みを入れるレインを見て、キースも声を出して笑った。当面笑えない世界へ行く前に、たくさん笑顔の蓄えを心の中に詰め込んだ。

 搭乗案内のアナウンスが、四人に別れのときを告げた。

「キース」

 踵を返したキースの背に、GINの呼びとめる声がぶつかった。

「あ?」

 反射的に振り返ると、吹っ切れたようなGINの笑みがあった。

「俺らの代で終われるような簡単な仕事じゃないしさ。ぼちぼち行こうぜ」


 ――人はみんな“神の子”。諦めない魂がある限り、無垢の魂に還ることが出来る存在。


「きっと今は、物質的に恵まれ過ぎてるからこそ、それに気づきにくくなってるだけなんだ。いつかきっと、本当に大切なモノがなんなのかってことを、みんなが解ってくれるときが来る」

 そう言って笑うGINは、彼自身に言い含めているかのようにさえ見えた。

「よくわかってんじゃん。ジャリ親父の割にはな」

 やはり毒舌でしか返せなく、ごまかすように皮肉な笑みを添える。GINはそれに憤慨することもなく、少年のように屈託のない笑みに表情を変えた。

「グッドラック。先にガキんちょを抱っこしとくからな」

「ぜってぇその前に帰ってやる!」

 湿った雰囲気をまったく感じさせることなく、遠回しな形でレインへの約束を宣言させられる。キースがそれに気づいたのは、離陸してから随分と時間が経ってからだった。再び戻った戦地でキースを支え続けたのは、GINへ返した言葉を聞いた瞬間にレインが浮かべた満面の笑みだった。

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