Last Mission 4
時刻一二二〇、一台のFDが無人と化した旧警視庁へ滑り込む。危険極まりない速度で迂回したかと思うと、場内徐行の標識を無視したハイスピードで、地下駐車場内に派手なブレーキ音を轟かせた。
紀由の操るFDが旧サレンダー本部に繋がる隠し扉の階まで降りることはなかった。目にとまったレクサスのボンネットにもたれた最上位の上司が、紀由にサイドブレーキを引かせたせいだ。一度はレクサスの前を通り過ぎたFDがリアをスライドさせて百八十度回転する。慣性が更に後部をスピンさせ、リアスポイラーがレクサスのフロントに迫ってゆく。あと数センチで当たる、というところでようやくFDが停車した。二台のボディが作る三角に挟まれた格好の上司に、動じた表情は見受けられない。バックミラーでそれを確認した紀由は、舌打ちしながらFDから降り立った。
「こちらの腕前は、まだ神祐に及ばないようだな」
乱れた前髪を掻き上げながら振り返った紀由に、そんな追い討ちの声が投げられた。
「やはりここに来ていましたか。あなたの椅子はもう台場にあるはずですが。お忘れですか」
慇懃無礼な敬語で、七年ぶりに実父と差しで話をした。父が三角の開いた一辺から自分の方へと歩み寄る歩調に合わせ、紀由もゆっくりと彼に近づいた。
「由良を組織へ売り渡しただけでは足りませんか。神祐に、何を吹き込んだ」
気づけば見下ろす身長差になっている父へ、ついには敬語さえ抜けた物言いで怒りをそのままぶつけていた。
「ありのままの、事実を」
と答える父は背中で手を組み、自分を誇示するように胸を張って身を反らす。あくまでも退かない父の態度に、言いようのない憤りを覚えた。
「事実とは? 神祐に何をどこまで話した。なぜあいつまでこのミッションに巻き込んだ」
まくし立てる紀由の手が、父の襟を掴んでいた。彼はその手を包むような柔らかい動きで制しながら、諭す色を帯びた瞳で紀由の視線を真っ向から受けとめた。
「知りたければ、ついて来るといい。これまでお前や私が思っていたほど、彼はいつまでも幼い子供ではなさそうだ。そう判断したから、話した」
父は含みのある返答を口にすると、力の抜けた紀由の手を掴まれた襟からそっと払った。
「時間稼ぎにつき合っている暇はない。短時間で済ませてもらおう」
腹立たしげな靴音が駐車場に響く。それが数歩ほどの間にふたつの足音となって建物内へ吸い込まれていった。
「……呆れるにもほどがある。それのどこが償いなんだ」
父がGINに語ったとする内容を聞き終えた直後に、紀由の発した第一声がそれだった。
「家族を騙し、部下たちの信頼を裏切って、世間を欺き続けた理由が、そんな個人的な感情からだった、というんですか」
感情を押し殺そうともがく理性が思いどおりに機能せず、糾弾の声がわずかに震える。
「その上、零の代わりに神祐が地下を処理したあとは、あいつだけを逃がして由良と心中するつもりだった、だと? 恥の上塗りをする気だったのか、あなたは」
そんな紀由の糾弾と蔑む視線を、父は肯定で受けとめた。
「神祐にも、まったく同じことを言われたよ」
そう呟く彼の瞳は、あくまでも冷静を保っている。紀由の器を計る無表情な瞳は、視線を逸らさず紀由に合わせたまま動かなかった。たった今告げられた父の心情は、恐らくGINとのやり取りの中で撤回されたのだろう。紀由の方も、彼の態度からそう推測する程度の理性は保てていた。だが現実にGINは、すでに最下層で行動に移っている。父の真意を測りかねる焦れったさが、不快げにゆがめられた顔に表れた。
「ならば、どうして俺にすぐ知らせなかった」
一歩詰め寄る紀由の足を制するように、父が口を開いた。
「紀由。お前にとっての“正義”も、やはり“犠牲者ゼロを目指す”ことか?」
疲れた表情で父が問う。彼の自嘲が紀由やGINの理想論を否定しているわけではないと伝えて来る。それがわずかばかりのものではあるが、紀由に溜飲の下がる気分を促した。
「あなたたちの世代が綺麗事だと決めつけて、俺たちの世代に諦めることを叩き込んだようなものだ。俺はそんなものに流されはしない」
自身の言葉を焼きつけるとともに、己が目的を思い出す。感情的な思考が次第になりを潜め、本来の紀由へと戻してゆく。
「神祐には神祐の、俺には俺の果たすべき役目がある。そして神祐の役目は、こんなところで犬死にすることではない。そんなこともわからないほど、あなたの判断力は鈍ってしまったのか」
そしてようやく父への本題を口にした。地下層のシステムに関わるパスワードを教えろと命令形で父に迫った。
「お前は昔から我が強かった。それが原因で、よく由良や神祐とも喧嘩になったな。そのくせ、いつも影で志保に叱られては反省していた。兄貴風を吹かせるのもいいが、そして私をそしるのも結構だが、お前がしようとしていることは、私と同じなのではないか?」
紀由の揚げ足を取るような、父のその反論も冷静に聞きとめることが出来た。父の言葉が、却って紀由に再確認を促した。なぜ《風》のGINではなく、無能の自分が前に出ようと決めたのか。
「神祐やあなたの御期待に沿えず申し訳ないが」
その結論が揺るぎなく自分の中に息づいていることを認めると、紀由は父が鼻につくであろう物言いで、不甲斐ない父と同類ではない意向であることを示した。
「神祐を外したのは、あなたやあいつのような、感情論からではない」
淡々と冷静に、諭すように語る。かつては見上げる存在のひとりだった父親に、噛み砕くように語り紡ぐ。思えばGINと出会ってからの二十一年間で、父と《能力》について語り合うのは初めてだった。
「あなたもご存知のはずでしょう。神祐の《能力》を。由良は受信一辺倒な《送》だったらしいですね。それに対し、神祐の《送》は送受信の両方を兼ね備えている。由良にはわずかしかなかった《流》についても、あいつはコントロール可能なほどの能力値を持っている」
語る傍らで、紀由はふたりの弟妹に思いを馳せた。幼いころに気づいてやれていたら、ふたりをここまで苦しませずに済んだかも知れないのに、という後悔。一瞬囚われたその私情にすぐ気づき、紀由は余計な雑念を払うように一度だけ瞼を閉じ、固く瞑った。
「俺の得意分野がプロファイリングなのは、あなた譲りだと思っていたんですがね」
まだ父に及ばないと心のどこかで思っていたからこそ、こんなにも衝撃を受けているのだ。紀由は自分自身に対する分析結果をそう弾き出した。喪失感と達成感の混じるその判断が、再び目を開いた紀由に苦笑を浮かばせた。
「神祐があんな性格をしているからこそ、《能力》の配分がああなったのだろうと俺は推測しています」
世代交代のときなのだ。それを肌で感じる。父に告げたその言葉が、自然と柔らかくなった。
「あんな性格とは? デリケートで、他者からの些細な言動でも過剰反応してしまうことを指しているのか」
「いえ。まあ、それもあいつの性格のひとつですが、でも性質ではないでしょう」
性格は環境や経験で染み付いてしまう後天的な傾向であるのに対し、性質は個体が本来持っている本質の部分だ。それは説明せずとも、“性質”という言葉そのものだけで父も充分に理解するだろうと踏んだ。
「あいつは懲りることを知らない。踏まれても潰されても、ゆがまない」
幼いころからのGINを振り返る。負けず嫌いの幼い瞳が、挑むように紀由を睨みつける。
「神祐は、通過点でしかないこのミッションで失くすわけにはいかない存在だ」
傷ついた野生の獣を懐柔するような笑みが紀由に浮かんだ。その瞳に映っているのは、目の前にいる父ではなく、手負いの獣と同じ目をして挑んで来る“少年時代の神祐”だった。
「すっかり腐った今の時代に、《風》は必要不可欠な存在だと俺は考えます。後の世代へあいつの有り様を受け継がせるために、俺が代打で陣頭指揮を執るくらいのことを引き受けなくてどうします。及ばないからと諦めていたら、何も変わりやしない」
語りながら、背中に優しいぬくもりが宿る。いつものように背中を押してくれた、柔らかなふたつの手の感触が蘇る。
――いってらっしゃい。今度のお正月は賑やかに迎えられそうで楽しみだわ。待ってるね。
「死ににいくわけじゃない。勝ちに行くんです……由良の遺した“負”の残骸と」
紀由は父との決定的な違いを口にした。その口許には、知らず不遜な笑みさえ宿っていた。
「あなた一人に生き恥を晒させやしませんよ。こんなに身近にいたのに、あいつらの《能力》や葛藤に気づいてやれなかった俺も、父さんと同罪だ」
久しぶりに面と向かって父と呼んだ。まるでGINのお人好しが伝染したかのようだ。
ふとそう思って父のリアクションから逃げようと俯いた途端、視界が大きく上下左右に揺れた。
「!?」
腰痛の持病があるというのに、まともに腰を打ち付けて倒れる父の姿が視界の隅に映った。
「父さんッ」
紀由はバランスを崩し掛けた身をどうにか持ち堪え、膝をついた態勢のままで微かに唸る父の脇へ近づいた。
「む……ぅ」
「身体を起こしても大丈夫ですか」
「ああ。すまん」
「だから母さんがあれほど“杖を使え”と言っていたのに」
「面目ない」
下手に動かすと却って担架が必要な事態になるのは、これまでの経験で認識済みだ。大きな揺れが収まった今のうちに父を外へ避難させるのがベストではあるが。
(くそ、忌々しい)
体がひとつしかないという当たり前のことにさえ苛立って来る。紀由は片腕で父をそっと抱き起こしながら、もう一方の手でジャケットの内ポケットをまさぐった。携帯電話に短縮登録させている鷹野の私用番号をコールする。
『本間警視正ですね』
声の主は鷹野の秘書、瀧田だ。事態をすでに掴んでいると知らせる声音が紀由の焦りを少しだけ軽くした。
「首相に繋いでください。旧本庁周辺五キロの緊急封鎖を本庁に指令して欲しい。一二三〇ミッションがスライド・スタートされている」
『了解しています。すでに配備を整えました』
「なに?」
と問う声のトーンが自然と下がった。事態へのものとは別の意味で悔しさが奥歯をきつく噛ませる。
「今、自分は旧本庁に父といます。ミッションのスライド・スタートは、鷹野真帆夫人の入れ知恵、ですか」
瀧田と真帆夫人、鷹野の関係はとうに気づいていた。そもそも過去にマスコミで面白半分に騒がれていた半信半疑の記事だったが、彼らと接する時間が増すにつれ、それが事実だと紀由でも察せられるほど、個人的には眉を顰める理解不能な関係だと思っていた。
『奥様からは“解釈はご自由に”との伝言を預かっています。風間神祐は“ほぼ百パーセント自分たちだけで遣り果せる”と、奥様の打診を断ったそうですが、“ほぼ”では心許ない。奥様と私の判断で首相には数時間前に日程の繰上げをお伝え致しました。国民を預かる執政者として万全を期するのは、首相に課せられた当然の義務です』
一枚も二枚も上手を行く弟分にも腹が立つ。だが今は私情で苛立っている場合ではない。
「救急隊の派遣は」
『いえ、まだです。あなたには機動隊の陣頭指揮を執っていただきます。救急隊が必要であればそちらへ向かうよう指示を出してください。次の報告をお待ちしています』
抑え切れない激情を巧くコントロールする前に、瀧田からの通話が途切れてしまった。
「くそッ」
腹立たしげな声が、閑散とした総監室にこだました。
「紀由」
小さな揺れが続く中、父が腰をさすりながらのろのろと立ち上がる。
「腰に重心を掛けて大丈夫なんですか」
「ああ。今はパニックに陥っている市民を誘導する者が一人でも多い方がいい。こちらに人を派遣させる無駄は省くべきだ」
父がそう答えながら、ゆっくりと右腕を紀由に差し出した。
「外まで肩を貸してくれないか。さすがに独りでこの高さから一階まで階段を降り切る自信はない」
という声に弾かれ、父の腕の下へ滑り込む。少しだけ腰を屈めれば、父とまた同じ背丈になった。
「紀由」
連れ立って歩きながら、父の声に耳を傾けた。
「はい」
「由良は神祐の妹でもあり、お前の妹だ。能天気ではあっても正義感だけは人一倍強い、あの母さんの育てた娘でもある。……負の残骸などと言ってくれるな。あの子の胸の内は、きっと神祐が拾い上げてくれる」
「……」
父の呟きに近いその懇願にこめられた万感の想いが、紀由を黙らせた。父がなぜGINにすべて話したのか、その上でなぜ行かせたのか、どうして自分の足どめをしたのか、ようやく理解出来た気がした。
「神祐には神祐の、お前にはお前の、すべきこと、出来ることがある。それはお前の言うとおりだ」
階段に差し掛かる。紀由は父に表情を窺われることに耐えられず、半ば強引に父を背負った。
「痛んだら言ってください」
吐き捨てるように言うと、足早に階段を駆け下りた。
「すまないな。紀由」
それが何に対する謝罪なのか、あまりにも多くを含み過ぎて問い質す気さえなくなっていた。
「人に任せることも覚えろ、と言いたいのであれば、父さんにそっくりそのままお返ししますよ」
そんな憎まれ口を叩くので精一杯だった。
途中で非常ロックの掛かったエレベーターが再稼動を知らせた。点灯をみとめた紀由は迷うことなく下降ボタンを押す。地下で変化があったのは確かだ。揺れが収まったからこその自動復旧だろう。
エレベーターの到着前に、紀由の胸ポケットで携帯電話が震えた。父に促されて彼を背から下ろし、携帯電話の通話をオンにする。
「本間だ。弁解はあとでいい。現状を簡潔に報告しろ」
ディスプレイでキースの名を確認すると、名乗る時間も惜しいとばかりに現状報告を促した。
『一二五〇の揺れはGINが《流》を暴走させたのが原因だ。自分の中に逃げやがったが、今は自分を取り戻して由良の《流》に応戦中。GINの《流》が地上を揺らすことはもうない。ノームとYOUが地盤を支えてる』
ほか、タイロンが“守護精霊の声”を理由にGINの指示に従い最下層に同伴していること、零が負傷していることやタイロンが《癒》で応急処置に向かったことなど、何から手をつけていいのか即答の難しい報告が連ねられた。
そして何よりも紀由を絶句させたのは。
「由有が……GINに、消された、だと?」
GINの暴走した理由に納得すると同時に、紀由にとっても救いに近かった存在の喪失に言葉が詰まった。
『あんたには意味不明な話かも知れないけど、完全に消えたわけじゃねえよ。あと、こっちはサラマンダが由良の攻撃でダメージを食らってる。RIOが動けるから、ヤツに彼女を運ばせる。どこへ避難させればいい』
訊きたいことは山ほどあった。零の容態、なぜリザがいるのか、GINの状態はどうなのか――だが。
「地下の処理は、GINとタイロン、YOU、そしてキース、お前たちに一任して大丈夫か」
紀由がキースに質したのは、その一点だけだった。
『当然だ』
思念を読む西の《風》使いが、最前線にいる者たちを視てそう断言する。
『俺もGINにダイブを弾かれている状態だ。あんたがこっちにしゃしゃり出て来たところで、やれることなんざ何もねえよ。表を歩いているヤツにしか出来ないことがあるだろうが。綺麗事を貫き通すつもりなら、ちったぁGINを信用しろ』
そう諭すキースの声に、虚言を窺わせる揺らぎはない。紀由のプロファイルしたキース・ストームという青年は、人の嘘を見抜き、同時に嘘の無意味さも知り尽くしているが故に、レイン以外の他者へ必要以上の感情移入をしない人間だ。
「ならば」
わずかに燻る私的な懸念が、紀由に続く言葉をつかえさせた。だが、たった今父親をなじったばかりだ。私情で判断を誤り自分だけでケリをつけようとするなど、愚か以外の何者でもない、と。
「キース、お前に任せる。東の《風》使いを何がなんでも生きたまま連れ戻せ」
ようやく紡げたゴーサインは、紀由が思っていたよりもはっきりと音にすることが出来た。
「RIOにはこちらから直接退路の指示を出す。タイロンとは零の携帯をコールすれば連絡が可能だな」
『イエス。何かあればこっちもまた連絡を入れる』
「了解だ。詳細はこの場を落ち着かせてから改めて報告の場を設ける」
紀由がそう返して通話を切ると同時に、エレベーターが到着のベルをホールいっぱいに響かせた。
「父さん、お待たせしました」
再び父の腕を首に回し、彼の腰を支えながらそう促した紀由の声に、もう焦りの色は見られなかった。
「手を煩わせてすまんな」
「そう思うのなら、今度からは見栄を張らずに杖を使ってください」
文句を言いながら窓の外を見下ろす紀由の意識は、すでに混乱に陥っている旧本庁周辺に向いていた。




