Last Mission 2
時刻一二三〇。RIOとリザは、ミッションスタートタイムから三十分後にようやくポイント地点A付近まで辿り着いた。
ふたりは計画どおり、旧警視庁本庁に近い首相公邸庭に作った入り口から地下へと潜った。だが、潜入というよりも強行突入に近い形になってしまった。何も知らされていない公邸の警備員に目撃されてしまったのだ。さすがに表立って鷹野夫人へ支援を頼むわけにはいかない。鷹野夫人やその周辺を守る上司のSPが騒ぎに気づく前に処理したい、というこちら側と警備側の利害が一致した。互いに増援を呼ぶこともなく、そして軍配はRIOたちに上がった。
(俺、入り口で何人のSPを傷つけたのかな)
RIOは初めて、相手が自分の蹴りや拳で倒れていく姿を見て後ろ暗い気分を味わった。麻酔弾がこめられた拳銃を慣れない手つきで撃ち放ったときは、反動以外のものでのけぞった。始めのうちは、くずおれてゆく姿を見た途端、次の発砲に怯んだ。死んだわけではないと頭で解っていても、気持ちがついていかず、焦る気持ちを煽られた。どうにか気丈な対応が出来たのは、独りではなかったからかも知れない。
「まだそんな顔してるの?」
あらかじめ《熱》で焼いて固めておいた土の壁を伝いながら隣を進むリザに、頬を軽く叩かれた。叱られたような気になり、余計に顔が下を向く。そんなRIOの隣から小さな苦笑いが聞こえた。
「大丈夫よ。《滅》を使ったわけじゃないんだから、SPたちも普通に目が覚める。仕事が仕事なんだから、鍛えられてるに決まってるわ。それに、あたしもヤツらの急所は外したし。首相の奥さんも連絡をくれたでしょ。あいつらにはお咎めがないように巧くやるって」
交戦が始まったときから今この瞬間まで、ずっとリザがこんな風に声を掛け続けてくれていた。RIOは歩みをとめないまま、リザの《熱》のともす薄明かりが照らす長いトンネルの向こうへ視線を向けた。
「でも、重症じゃないにしても、怪我させたのは事実だし」
と呟くRIOの声に覇気はない。守るつもりが守られている自分に情けなさを覚えたから、ということだけが理由ではなかった。
個々の人間の後ろに控える存在――家族や友人、それらの存在を意識したのは初めてだった。
「あいつらは、自分の仕事をしているだけ、なんだよな。あいつらにもやっぱり家族や友達とか、心配したり腹を立てたり、こんな仕事辞めちまえ、とか思っているかも知れない仲間がいたりしてさ。いろいろ、トラブルは呼んじまうんだろうなあ、とか考えると、なんかなあ」
「う……うーん。それは、そうだけど」
リザは返す言葉が思い浮かばなかったのだろう。言葉を濁したきり、そのあとは沈黙を守った。
勾配を考慮し、何度も曲がりくねっては少しずつ下ってゆくトンネルは、迷路のようでいて確かな螺旋を描く、先の見えない道筋だった。間もなく初めて突入する既存地下通路へと突入する。キースからの連絡待機場所としてアンテナを設置したAポイントで足をとめた。携帯電話で時刻を確認すると、一二三〇を回ったところだ。
(GINのヤツ、まだ説得してるのかな)
由良、とかいう、《風》の片割れを。自分ではどうしようもない宿世を背負わされ、GINと引き剥がされては何度も組織に利用されてしまった、本間の妹。今回のミッションで、初めてその存在をGINから知らされた。GINにとってもきっと、大切な存在だったであろう存在。
(ホントにいいのかよ、これで)
本間の考案をGINがアレンジしたこのミッションを、本当に受け容れてよかったのか。未だにRIOは迷っていた。ニュークに属していたサレンダーの裏切り者は、自分の組織を乗っ取るのではなく解体を選んだ。そうしてまで《風》を手に入れたい理由は、本当に“世界の支配”なのだろうか。
(金とか敵に回す奴らの数とか、どう考えてもリスクが高過ぎて、世界がどうこう以前に自分がイかされる可能性の方が高いじゃん)
考えれば考えるほど、余計に混乱するだけだ。
「なあ、リザ」
慣れない考えごとばかりするこのごろのせいか、一度考え始めると本来すべき目の前のことに集中出来なくなって来る。そんな自分から雑念を取り払おうと、RIOは待機の暇潰しを装って隣に腰を落ちつけたリザに問い掛けた。
「ニュークのやっていることって、どっか矛盾してると思わないか」
そんな言い回しで彼女の私見を問うと、リザが不思議そうな顔をしてRIOの横顔に視線を向けた。
「矛盾? 例えば?」
「日本へ戻る予定だったなら、由有をアメリカへ拉致する必要なんかなかっただろ?」
「う……うーん、言われてみれば、そうね」
「お前たちは、確かに由有を日本からアメリカのニューク本部へ連行したっつったよな」
「うん」
自分の中で曖昧になっていた疑問が、リザに問いを投げては返されることで整理されていく。
自分たちにサレンダー本部を破壊させたくないのなら、システムに少し手を加えればいいだけのことだ。由有が拉致されてからしばらくして、RIOは検分を終えた本間に最下層へ案内された。そのとき目にしたのは、十数人の遺体。遺留品からその男をニュークの構成員と本間が断定した。デスクにあった名簿も見た。彼らは、医療従事者や科学者など、非戦闘員が大半だった。そう証言する本間とGINの言葉は一致している。事実だろう。
「白衣を着た戦闘員だった可能性もあるけどさ、そんなもん、遺体の服を引っぺがしてみれば」
「そうね。鍛え方が明らかに違うから判る。多分、こんな大仕掛けをしてまで往復するより、ここでニュークの計画を進めた方が効率的だったはず」
「そもそも、構成員たちを殺したのは誰だっつう話」
「あ……そう、よね」
RIOはそのとき本間の告げた自分のすべきことを聞いて絶句した。
『必要なものはすべて回収した。残ったものが表へ出る前に、《熱》で消せ』
そう言って案内されたのは、GINの話していた実験室のほうではなく、資料室。“証拠隠滅のアイテム”として、床には十数人の死体が並べられていた。どれも非戦闘員としか思えない、ひょろ長い背丈の博識そうな面差しの男たちだった。
「弁護とかひいきとかじゃなくってさ、時間的にGINがあいつらをやったとは思えねえんだ」
「そう? だってあいつが最初に潜り込んだんでしょ?」
「その日のうちにリザか由有を見つけるっつって、アメリカに飛びやがったんだよ、あのおっさん」
「マジ?」
「マジ。トサカに来ちゃって暴走状態だったから、そんな余裕は全然なかった」
「そう。じゃあ、本間って可能性はないの? 敵は一人でも減った方がやりやすい、とか考えそうじゃない、あのクール・ガイなら」
本間はRIOが《熱》で彼らを消す間、苦痛に満ちた顔で合掌していた。そんな彼が証拠隠滅のために手を下したとは考えにくい。その後知ったのは、遺体の中から個人が特定出来る品を本間の知り合いに託していたことだ。
『生死も解らず待つ家族のつらさは、この依頼を引き受けた相手もよく解っている。確実に届け、遺族の支援を続けていくそうだ』
リザに感化されて本間を糾弾したことで初めて知った、事後処理の内訳だった。何よりもその事実が本間の無実を証明していた。
「クール・ガイって、皮肉かよ。本間サンがそういう考え方のヤツだとすれば、俺もお前も、とっくにGINを使って消されてるよ」
苦笑いを浮かべてやんわりと反論すれば、リザが今日初めての素直な表情を浮かべて見せた。
「そう、か。うん、そうね」
リザにもRIOと似た戸惑いの表情が浮かび出す。さすがに解っていないふたりであれこれ考えても答えは出ないと諦め始めたとき。
「ジャークの父親がニュークの手足になってる、って言ったわよね、確か」
リザがぽつりと呟いた。小さな小さな呟きだが、彼女の持つネイルのように尖った声音だった。
「ああ。で?」
RIOの呟く声には、駄々をこねる子どものような響きが孕んでいた。
「ニュークは本間紀由のラスト・ミッションを知っている。あたしがそう報告したから。けど、そのニュークも裏切り者の誰かに消された。それが今回のターゲット。ここまでが、あたしたちの共有している情報」
「だな」
「で、ジャークの父親は、闇組織の画策に巻き込まれただけの下っ端でしょ。そんな人間に殺す度胸も理由もない、と思うのよね。表向きの立場が立場でもあるわけだし」
「うん」
「ってことは、こんな面倒なことを指示したのは当然ターゲット、ってことになるわよね」
「まあ、そうだな……って、え? なんで?」
リザの疑問の内訳をようやく把握し、同時にその疑問がRIOのものともなる。
「わざわざ装置……由良を持ち込んでまで、こっちですげ替えのオペをする理由は、なんだ?」
「元サレンダーへの、見せしめ?」
「っていうより、本間サンとか、GINとか……零?」
「そっか。由良ってのは、あんたや東洋のウンディーネには関係のない人間だものね。ってことは、ターゲットは中年連中。でも、ターゲットがあいつらにこだわる理由は、何?」
「っつうか、理由以前の話。誰がおっさんたちにこだわってるんだ?」
GIN、本間、零に共通する人物で、政治的な意味とは別の理由から由有の拉致を企んだ者。冷静に考えると、今の状況はどの国にもメリットがない。生きながらえる由良、という存在自体が、戦禍を呼ぶ存在であり、災いの元凶となる。それを操るのであれば、それ以上の存在でなくてはならない。
(おっさんや銀髪野郎より強いヤツ……なんて、由良以外に存在出来るのか?)
ぞくり。そんな寒気がRIOの背中に走った。嫌な汗がこめかみを伝い、ぶるりと身を震わせる。
見えないラスボスが、まるで裏社会という裏側から足音をしのばせて、少しずつ世界を恐慌に陥れていく不気味な存在に思えた。気づけば誰もが抜け出せなくなっている、底なし沼にはまったような絶望的な感覚に囚われた。
誰にも救いのない、こんな状況を作り出した者。この世界になんの未練も期待も希望も抱かない存在。ただすべての存在を無にすることのみを目的とし、それで自分も無に還ろうとでも思っているのか、ウィルスのような動きを見せる脅威的な存在。
(まさか……な)
RIOはふとよぎった可能性を笑い飛ばそうと、強引に口角を上げた。それがやたら引き攣り、頬が痛む。縋るように隣を見れば、同じ表情でこわばった笑みを零すリザがRIOを見つめ返していた。
「遼、あたし、まだ解ってない? あのさ」
笑いながら言うくせに、リザの頬がひくついた。
「力が欲しいなら、組織を潰すなんてもったいないこと、しないよね、フツー」
泣きたいと訴えるリザの想いが、彼女の眉間に深い皺を刻ませる。
「こだわりなんか持たないで、ボング! の一発で終わるよね。なのに、中年連中にはやたらこだわってる。ひょっとして、あたしたちのラスボスって」
「リザ」
と彼女を呼ぶRIOの声は震えていた。ただそれだけで、リザに伝わると思った。RIOは自分の中に浮かんだ最悪の可能性が、リザの言葉で確定されたように感じられた。時を惜しむように立ち上がる。
「遼、もしかして、あたしと同じ人間がターゲットだと考えてる?」
リザもそう言いながら腰を上げた。
「ああ、GINがヤバい。あいつは何も解ってねえ」
今、初めて思い至ったこと。RIOもリザも、GINの口から語られた由良しか知らない。実際の“本間由良”が、何を考え、どう感じ、どんな人間だったのかを知らなかった。
「ゴーサインを待ってる暇はねえ。現場に行けば、イヤでもいずれキースと合流出来る」
RIOはそういうが早いか、リザの手を取って駆け出した。
「手遅れになる前に、行くぞ」
「オーケイ」
GINが真のターゲットを正しく認識しているのかどうかは解らない。本間と零が過剰なほどGINを守ろうとした理由がもし“それ”ならば。ふたりがそれを知っていたなら合点がいく。
“由良の中に、GINの知っている由良はもういない”
“世界各国の裏組織を潰していたのは、由良の《送》”
由良に対して罪悪感の塊のように縮こまるGINが、そんな由良の願いを知ったら。
(敵には回したくねえっつの)
未踏の地に足を踏み入れるのになんのためらいもなかった。やっと手に入れた“身内”と、もう二度と闘いたくはない。はやる気持ちがRIOの疾走を後押しした。