Slide Mission 2
年末年始休暇。そんなものは形ばかりで、実際のところは“暗黙の了解”と認識されている、強制休日出勤期間でしかない。零は多忙を極める交通課の面々からひんしゅくの眼差しを浴びせられる中、上司に指定休日どおりの休暇届を無理やり受け取らせた。来たる“1230”ミッションに備えての休暇獲得だ。退職勧告が来るのを覚悟した上でのごり押しだった。
「ん……」
目許に射した外からの光が、零の目覚めを促した。GINの寝室にある窓の配置だと、そんな角度で陽射しが入るのは太陽がかなり昇ってからのはずだ。時刻を意識した途端、まどろむ感覚が一瞬にして消えた。
「風間?」
日ごろなら、子供のような顔で寝息を立てている彼が隣にいない。不意に零は気づいた。GINと枕をともにして来た中で、今まで一度も独り寝の状態で朝を迎えたことがない。傍らにGINのぬくもりのあることが当たり前過ぎて、今この瞬間まで気づいていなかった。ふと湧いた寂しさが、昨夜のそれと重なった。
昨夜は呼ばれるままに、風間事務所へ赴いた。これがGINとまみえる最後になるかも知れないと、零自身が思ったからだ。
『約束、忘れんなよ』
零を包む彼が、心許ない細い声でそう命じた。彼の勘が、零の思い描く“最後”にシンクロしたのかと思った。
『本間にお願いしておきました。私にプロポーズしたときのあなたの顔を想像してしまった、と言って噴き出していました』
そのときの本間の顔を思い出して、零までくすりと思い出し笑いをした。
『あのヤロ……。由良のときも散々笑いやがったんだ。顔がサルとか抜かしてさ、喧嘩になった』
苦痛を伴わない照れくさそうな声で、由良の名を口にする。そんな彼の背へ回した腕に、力をこめた。
由良に対する後ろめたさを握り潰すつもりでGINにしがみつく。壊れてしまった彼女は、自分が罪悪感を抱く対象ではないと自分に言い聞かせた。
こんな状況になるまで、由良の真の目的が解らなかった。ただ、GINの記憶の中に留まることに固執した恋の狂気が、由良に命賭けのギャンブルに挑ませたのだとばかり思っていた。
“もういいわ。神祐を取り返す方法を見つけたから”
由良と最期に会ったとき、彼女の告げたその言葉に含まれたモノの意味が、今なら腹立たしいほどよく解る。
『誰一人欠けることなく帰りますから。約束は、守ります』
自分との契約を守り抜いてくれた彼に、今度は自分が約束をした。次は自分が約束を守る番だ。そう宣言すると、零を包む彼の腕がさらに強い力で零を縛った。
『意地を張るのはNGだからな。ムリだと思ったら、すぐ俺を呼べ。近くで待機しておく』
そう囁く彼のことを、異性として愛しているのかはわからない。ただ、彼が零の中で特別な存在になっているのは確かだった。本間に彼との将来を告げるとき、胸の痛みを感じなかったことに自分で驚いたほど。
長いつき合いなのに、半ば強引なほど彼のほうから求めて来たのは初めてだった。呆れてしまうほどに何度も求められ、すべて応じるころには、快楽を超えて疲労のほうが上回っていた。アメリカでの三ヶ月間に及ぶストイックな生活の反動が彼を突き動かしていると思うと、全部受け容れてあげたくなった。自分以外に求めることの出来ない、中途半端な《送》使いの彼を、とても不憫で可哀想だと思った。
見る夢は、どこまでも穏やかで平凡な、甘い夢だった。平穏が訪れた遠い未来で、皆が肩書きを意識せずに名を呼び合う。父でも母でも娘でも息子でもなく、ただ“家族”として互いに特別な存在と感じて笑い合う。零はそんな甘い夢に溺れたまま、いつの間にか深く眠っていた。
だるい身体を起こし、面倒くさげに毛布をすっぽりとかぶる。まずはバスタブに身を浸すのだから、着替えるのはそのあとでいい。零はそんな段取りを考えながら、リビングにいるであろうGINへ顔を出しがてら風呂を沸かすつもりで、ゆっくりとベッドから抜け出した。
「……いない」
部屋はエアコンで温められている。いつも乱雑に散らばっているGINのデスクがきれいに片付いていた。コンビニへ買い物にでも行ったのだろうかと思い、ふと入り口の横にあるポールハンガーへ視線を投げた。
「!」
すっかりボロボロになってしまった深緑のコートがなくなっていた。
GINがアメリカでストリートギャングたちに襲われたとき、原形を留めないほどに引き裂かれてしまったらしい、由良からの贈り物。それを持ち帰ったGINは、金に糸目をつけず、修理屋に相当な無理を言って直してもらった。
防寒の役目など果たさないと修理の担当に言われ、ポールハンガーの飾りと化していたものが、今は忽然と消えている。代わりに風間事務所の入り口を守っているのは、零が見繕って来た真新しいコート。ポールハンガーに吊り下げられたそれが、零へ訴えるように寂しく揺れていた。
「まさか」
零の背筋に悪寒が走った。GINのデスクへ駆け寄り、引き出しの中を漁る。
「鎮痛剤が、ない」
ストックしておいた大量のボルタレンが消えていた。それにベレッタと携帯電話もなくなっている。零は事務所回線の受話器を取り、頭に入っている携帯電話の番号をプッシュした。
『本間だ。何があった』
こちらが名乗りもしないうちに、尖る声が零の通話に応答した。彼も今日は休暇を取っている。そんなときに零が電話をしたことなど一度もない。GINに至っては本間への発信を禁じられている。このコンタクトそのものが、重大な事態を告げているに等しかった。
「風間が――GINに、してやられました」
GINが執拗だった理由に、初めて合点がいった。自分の《育》を利用して、《風》の能力値を少しでも高めるためだったのだ。
『どういうことだ』
気色ばんだ声に怯んでいる場合ではなかった。
「至急メンバーに旧本庁への招集をお願いします。彼は“ミッション1230”の全貌を認識していると思われます。私も今から旧本庁へ向かいます」
零は受話器の向こうから聞こえて来る本間の声をすべて無視して電話を切った。一秒を惜しむかのように、たった数メートルしかない寝室までの距離を走っていた。
十二月二十九日、午前九時、目白。そこは鷹野首相夫人、真帆の実家がある地区だった。今は主のいない別荘の扱いとなっており、真帆の所有物件となっている。鷹野は裏世界で起きている異変に対応するため、胡国家主席と常に連絡が取れる体制にある首相官邸及び公邸から出ることが不可能だ。その上表の仕事も目白押しの状況にあるとのこと。また、皇室の新年一般参賀やニューイヤーイベントの数々など、官僚サイドに申し開きの出来ないプライベートな理由での外出が難しい鷹野の状況をGINたちは利用した。紀由と通じている鷹野首相に気取られることが厳禁だからだ。この裏ミッションの秘密厳守は徹底したものでなくてはならなかった。
「まさかここまで甘えられるとは思っていなかったわ」
そうごちる真帆は、口ほどにはGINの申し出を不快に思っているようではなさそうだった。
「由有の思念からあなたの気性はうかがってましたから。個人的な感情を一切入れずに冷静な判断が出来る知り合いが、あなた意外にいないんで。人徳ないんですよ、俺」
そう言っておどけてみせると、真帆は呆れた顔のあと苦笑いを浮かべた。
「よく言うわ。女子供に未成年の若造。それに不法滞在の外国人たち。これだけ集めておいて人徳がないなんてどの口が言うのやら」
女子供。結局リザとレインも、この場に集まっていた。
GINが真帆に願い出たこと。紀由や零の思いも寄らない場所を、このラスト・ミッションの司令室として使わせてもらいたい、ということ。お節介で私情を挟むふたりに邪魔をさせないためだった。
「じゃ、ここには管理人にも近づかないよう伝えておいたから。私は公邸で由有を待つことにするわ。無理をするな、なんて綺麗事を言うつもりは、ない。死んでも勝ちに行きなさい」
どうせ死なないだろうと信じている瞳が六人に向けられる。そこに《能力》者への畏怖や蔑視、差別感は微塵もない。
「報酬は、風間神祐、焔坂遼、土方零の戸籍復活と、ストーム兄妹、リザ・フレイムの永住権。それと、鷹野正義による、李淘世・思安の正式な亡命受け容れ声明。自分のために戦って来なさい。如いてはそれが、世界をパニックから救うことになる。健闘を祈ります」
そんなエールを残して立ち去る真帆を、六人はそれぞれの謝辞の姿勢で見送った。
決行は一二〇〇時。GINが旧本庁のパスワードを解除すると同時に、キースとYOUは霞ヶ関駅の隠し扉から、RIOとリザは公邸の庭から地下へ突入する。
そんな事前確認をひととおり終えると、各自でYOUに調達してもらった違法入手の得物を装備した。
「かー、やれんのかな、俺。モデルガンしか使ったことねえや」
RIOが麻酔弾のこめられた銃をホルスターに収めながら、自信なさげに愚痴零す。
「俺だって麻酔弾は初めてだよ。中国くらいだろ、対人で認可されてるのは。ザコに先手を打たれた場合の護身用だから、使わなくて済むならそれに越したことはない」
出来るだけターゲット以外の関係者を殺めなくて済むように。YOUの《淨》で消せる記憶のはずだ。そう説明するGINも、ベレッタと対を成すように同じ得物を懐へ押し込んだ。
「ねえ、あたしって、本当に遼のサブだけでいいの?」
今日になって突然現場に加わると言い出したリザが、もどがしそうに尋ねて来た。
「サブじゃないさ。まだRIOの《熱》は微調整が利かない。同属でコントロール出来るあんたがサポートしてくれてると、こっちが安心して自分の任務に専念出来る」
GINが苦笑交じりにリザへそう答えると、ただでさえパンツスタイルの彼女に違和感を覚えているのに、その表情までが見慣れないものに変わった。
「お、おだててもあんたなんか嫌いのまんまだからねッ」
この二週間、一事が万事この調子だった。緊張感の不足がちな彼女という存在が、どうしてもネガティブに考えてしまう皆の張り詰めた雰囲気を、ほどよく和らげてくれていた。
突然キースの携帯電話が着信を告げた。一斉に緊張が走る。面子はそろっている。コールして来るとすれば、ふたりしかいない。
「ちっ。早いな、バレるのが」
キースが忌々しげに舌打ちをした。
「本間のほうがマシだな。RAYだとしつこいし」
などと愚痴りながら、彼はのろのろと携帯電話を取り出した。
「おぉ?!」
と頓狂な声が上がると同時に、キースが通話に応じてしまう。全員が目を剥く中、彼は皆を制するように片手を翳し、通話相手の名を呼んだ。
「(ノームのおっさんじゃん。ダイレクトコールってことは、今ジャパンにいるのか)」
「!」
「ノーム?!」
協力しないと宣言していたタイロンからのコールは全員の意表を突いた。
「(ああ、いるよ。代わる)」
キースはそれだけの短い会話を済ませると、解放感に満ち溢れた顔でGINに携帯電話を差し出した。
「俺、このおっさんと話すの苦手なんだよ。代われって。あんたに用事なんだとよ」
「俺?」
GINは訝りながらも差し出された電話を受け取った。
「(もしもし)」
慣れない英語で通話に応じると、タイロンは流暢な日本語でGINの声に応じた。
『久方ぶりだな、高潔の隼よ。我の癒しの大熊が主に手を貸せと言うので、取り敢えず東京ステーションまで辿り着いた。だがそこから先がわからぬ。我はどこへ向かえばよい?』
「か、霞ヶ関駅! 東京から一本で行ける。旧警視庁の地下駐車場で待っててくれ。こっちもすぐ向かう!」
咄嗟にそう答えていた。彼が協力してくれるなら、YOUの《能力》枯渇のリスクを完全に回避出来る。彼女には《淨》に専念してもらい、タイロンの《溶》に地盤の保持を担ってもらえる。彼の《癒》で仲間の死傷というリスクも格段に軽減出来る。
『隼よ、主の守護精霊の声は聴けたか』
タイロンのその問いに、即答は出来なかった。“声を聴く”という表現の解釈に戸惑う、ということもある。言葉のままなのか、何かの比喩なのかさえ解らない。ただ、これが答えになるのかどうかはさておき、ひとつだけ答えられることがあった。それをGINは口にした。
「精霊の声かどうかは解らないけど、前のミッションのときみたいな、感情的な戦いにする気はない。俺の守護精霊とやらを辱めるミッションじゃないってことだけは、あんたに自信を持って言える」
――The fight of Justice(正義の戦い)――
未だに燻る迷いに、滅却の楔を打つようにそう告げた。
「誰かが犠牲になる戦いには、したくない。だから、タイロンにも協力して欲しい」
具体的なことがらを語ることなく、単刀直入に答えだけを求める。彼にはきっと解るのだろう。眉唾だとしか思えないのに、彼にだけはスピリチュアルな何かを言われると信じてしまう。GINはそんな彼に対して根拠のない信頼を寄せている自分に驚いた。
「承知。我のすべきことは現地で伺おう」
穏やかで落ち着いた声が、GINの決断を是と裁く。
「ありがとう。じゃあ、一時間後に、現場で」
GINは通話をオフにするとともに、一度だけ瞼を閉じて思い描いた。
――あたし、諦めないから。
どんな形であろうとも、例えともに在ることが叶わなくても、彼女が笑って過ごせるのなら、それに続く道を諦めたくはない。彼女の願いは、一人でも多くの人が笑顔でいられること。そんな世界を作ること。自分のような異端のために、自分がどこで生きていても笑えるようにと。
(とか思われたら、諦めるわけにいかないじゃん)
自然とGINの口角がゆるゆると上がっていく。彼女を救うことが、多くの人を平穏へ導くことにもなる。GINは改めて脳裏に言葉としてそう思い描き、自分の昂揚感を奮い立たせた。
「うしっ、タイロン、ゲット。現場で落ち合うことにした。俺らも出よう。各自ミッション・スタートと同時に配置につくこと」
狼煙のように声高に指令を下す。閉じた瞼を再び開く。今一度自分に問い質した結論を確認すると、GINは出立の一歩を踏み出した。
「ラジャ」
「了解」
「了解です」
「はーい。いってらっしゃい」
「あんたがさっさとしなさいよ」
その声を最後に、いつつの靴音が司令室から個々の戦場へと向かっていった。




