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解けない愛のパズルを抱いて 2

 零の中からなかなか抜けない蓄積された疲労が、彼女をより深い眠りへ落としている。一両日は目覚めないだろう。それだけの時間があれば充分だった。

「まったく。あんたら全員、揃いも揃って何を考えてるんだか」

 ベッドサイドで零の寝顔を見守っていたGINの背後から、そんな批難の声がした。薄暗がりの中、ゆっくりと声の主を振り返る。そこには、GINを見据えるキースの渋い顔があった。

「言ってたとおり、あんたの分もパスポートを用意してあった。ほら」

 そう言って近づいて来るキースに後ろめたい気分を抱いたまま、GINはゆるりと手を伸ばした。

「さんきゅ。悪いな」

 なかなか具体的な行動へ移すことが出来ず、結果的にキースやレインの手を煩わせていた。きっと零ならあらかじめ、レインに「ラスト・ミッションが終わってから手渡すように」と指示するつもりでGINの帰国に必要なアイテムを持ち込んでいると踏んだ。差し出された偽造パスポートが、その予測を当たりだと告げていた。

「零が少しでも眠っていられるように、俺がさっき伝えておいた《送》を、朝まで頼めるかな」

 隣へ椅子を運んで腰を落ち着けたキースと視線を合わせないまま、GINはぽつりと口にした。

「面倒くさ。薬で眠ってるんだから、もういいんじゃねえの?」

 そんな溜息交じりの声に、ライターの石をする音が重なった。隣から漂う紫煙がGINの鼻を突く。差し出された新しい一本を拝借すると、GINもそれに火をともして思い切り深く吸い込んだ。

「休息、って意味では確かにな。でも、こいつには、いっぱい借りがあるから」

 日ごろはなかなか言えない弱音が、煙とともに吐き出された。同じ《能力》が湧かせる親近感なのか、それとも逆に、あまりにも異質過ぎて気負う必要を感じないからなのか。キースが相手だと思ったら、なぜか自然と思ったままが言の葉にのった。

「せめて眠っている間だけでも、ってか」

「そゆこと」

 目覚めた零の前にあるのがどんな現実になるのか、今は不確定だから。滅多に同情や哀れみなどを見せないキースにそんな愚痴を零すと、

「ジャパニーズって、ホントにメンタルが弱いのな」

 と、彼はGINの予想どおり呆れた口調で呟いた。どちらの顔を見てそう思ったのかは判らないが、

「お前が頑丈過ぎるだけだろ。なんだかんだ言っても、日本はこっちより環境がぬるい」

 と取り敢えず足掻いてみた。

「あんたにそう言われるのは心外だな」

「心外?」

 キースの反駁の意味がわからず、自然眉間に皺が寄る。

「てっきり卒倒するかと思ったのに、ぜんぜんヨユーじゃん」

 キースの抱いたその印象は、GINにとっては意外なものだった。

「余裕? ないよ」

「そうか? あんな話を聞いた直後に、よくミッションの軌道修正を考えられたもんだな、と感心してるんだけど」

「そういう自分に今、結構うろたえていたりする」

「なるほど。確かに日本でバトったときのあんたって、軟弱もいいトコだったもんな」

「スラムで鍛えられましたから」

「何、本当は堕ちるトコまで堕とされてたとか?」

「だったら今ごろハーレム全域吹っ飛ばしてるっつうの。ギリセーフ」

「は……ん、悪運の強いヤツ」

 ちゃかした物言いでもしていないと、自分まで崩れそうだった。バカバカしいやり取りを交わしつつ、互いに苦笑いさえ浮かべられずにいた。

「あんたから読んだことのほかにも、零や本間から内訳を聞いてたからさ。さっきのあんたを見て、正直、ちっとばかり予想外で驚いた」

「やっぱ、あらかじめ聞いてたんだ。お前も、それに、レインも」

「まあな、保護対象と証拠隠滅の対象の両方があんたのネックだってことは、俺らを納得させるために話さざるを得なかったんだろうさ。とは言え、そんなもん、いちいちあんたにまで知らせる必要なんかない、と俺は言ったんだけどな。本間は同意してたけど、零が本間にオフレコにしてまであんたに伝えたがるっていう意味が俺にはわからんし。やることは結局、同じゃん?」

 同じ。選択を迫られること。由良か、由有か。GINが迷っていれば、最悪のシナリオが待っている。

「あとで知ったとき、自分で結論を出す権利も与えられないままやっちまったって、俺が後悔すると思ったんだろうな。人の口に戸は立てられない。いずれは俺の知るところとなるって踏んだんだろう」

「で、知らずにいた場合、きっとあんたは自分を責めて自棄っちまうんだろ。あんた、すっげえ甘い考え方してるし」

「痛いところを突くね」

「でもビンゴだろ?」

「イエス」

 笑えない問答のあとに続いたのは、どちらからともなく吐き出された溜息だった。

 知っていようがいまいが、やることは、同じ。そう言ったキースなら、問えば答えてくれるだろうか。聞くのが怖いくせに、答えを求める気持ちを振り捨てられない。零がもしまだ何かを隠していたら、その情報が彼女の見た悪夢に影響していたのなら、キースは何かを視て知ったはずだ。GINの喉が小さくコクリと波打った。

「キース……零の見てた夢って、多分最悪のシナリオ、だろう? それ、なんだった?」

 不意に戻って来る、沈黙。キースは煙で輪を描きながら、しばらくぼんやりと天井を眺めていた。

「零の憶測なんかで迷いの種を増やす必要はないんじゃねえの?」

 キースが答えをそう濁したのは、彼なりの配慮だろう。ややもすればすぐ逃げたがるGINの本質を見抜かれている。実際、出来ることなら、現状こそがすべて夢であって欲しいと願うことで逃げている自分がいた。

 由良がもし哀れな生かされ方をしていた場合、どうすべきなのか答えは解っている。だが、それを目の当たりにした自分が、果たして本当に実行出来るのだろうか。

 忽然と消えた由有の所在を、現場で《送》だけを頼りに見つけることが出来るのか。

 由有の身柄確保と由良の救済、どちらを優先するのか。

 彼女たちを巻き込んだ謎の人物とどう対峙するのか。

 そもそも、由良の救済や由有の救出と同時進行でそれが可能なのか――。

「で、どうするつもりだ?」

 と問われても、すでに選択肢はひとつしかない。

「その場の状況次第で、臨機応変に。もし俺の遣り残しがあるうちに由有を保護出来たら、彼女をお前に頼みたい」

 GINは苦し紛れにそう返しながら、背を丸めて頭を抱えた。

「ラジャー。ったく、結局レインも日本へ逆戻りする破目になったじゃんか。この貸しはデカいからな。下手を打ったら、俺があんたを殺るぞ」

 キースが遠回しに早く割り切れと言外に急かす。彼がGINへ釘を刺したその声に、扉の向こうから呼ぶ声が被さった。

「GIN、タクシーの用意が出来たって。フロントからコールがあったよ」

 GINだけでなく、キースも振り返る。レインはもうすっかり出立の準備を整えていた。

「レイン」

 ついさっきまで毒を吐いた声とはまるで違うか細い声。キースが椅子から立ち上がってレインに近づく。彼女の前でひざまずくと、縋るように彼女を包んだ。

「(やっぱ考え直そう。俺たちにとっては、今の日本よりここの方がマシだ。零はお前が足止めしててよ)」

 母国語で語るキースの懇願を聞きながら、一歩遅れてGINも席を立った。

「(あたしじゃ零に《送》ってあげられないもん。それに、もう待つのは、イヤ。いつ帰って来るんだろう、ちゃんと帰って来てくれるのかな、ってビクビクして過ごすのも、もうイヤ)」

「(ちゃんと帰るよ。帰ってるじゃん)」

「(傍にいたいの。その方が、気持ちが楽。だから先に行って、安全な場所で待ってるね)」

 キースを見上げてそう諭すレインの方が、十も年上のキースよりはるかに落ち着きのある笑みを零していた。

「(けど、俺が行くのは明日以降だぞ)」

「その間はGINがいるよ。それに、あたしがいれば、キースも死んでる暇なんてないでしょ? GINたちのためだけじゃない、ってのはキースも解ってるくせに」

 突然日本語に変わったレインのそれはまるで、GINにも語っていると言わんばかりの仄めかしだった。

「俺に中年どもの暴走を止めろ、ってか」

 キースの絞り出したその声は、心底面倒くさがっていて、声というよりも呻きに近い。

「そ。だって本間さんはただの人、零は物理攻撃ゼロでゆかりさんは防御タイプでしょ。GINは半人前の《風》だもの。キースが最強なんだから、相手がどんなヤツだって力ずくででもとめられるわ。悪い種は、全部土へ還して清めてあげないとね。由有の保護とおじさんたちの内輪揉め仲裁をがんばってね」

 得意げに、そして誇らしげにそう語ったレインが、決して明るい未来を見失わない由有のそれを彷彿とさせる。GINはレインの笑みを見たら、消えそうだった希望の光が自分の中にひと筋射し込んだような明るさを覚えた。

(だな。まだ始まってない。まだ、なんにも決まっちゃいないんだよな)

 ようやくGINの面に、強張った笑みらしきものが浮かんだ。

「中年を連呼するなっつうの」

 そんな愚痴を零しながら、GINもレインたちの方へ近づいた。なおも足掻くキースの中に、自分と似た部分を垣間見る。GINはキースの肩に手を置き、レインに加勢する締めの言葉を口にした。

「キース。いくらよかれと思ってのことだとしても、待つ側にとって、何も知らない、解らないって状況は、待つ相手によっちゃキツいものだと思うぞ」

 その代わり、キースがレインの傍に戻れるときまで、自分が彼女に傷ひとつ誰にもつけさせやしない、と約束する。

 呟きに近い小さな誓いの声に、ようやくキースがレインを解放してGINを振り返った。

「あんたらのせいでこっちが肝を冷やしてるんだけど」

 尖った声と裏腹に、GINに向けられた彼の目は不安と懇願の入り混じった落ち着きのない憂いを帯びていた。

「やることは結局、同じじゃん」

 キースの言葉をそっくりそのまま、彼自身へ投げ返す。

「実験の痕跡がひとつでも残っていれば、世界中がパニックに陥る。由良は俺が……終わらせる」

 最優先は、そっちだから。言い添えたそれは、キースへ伝えるというよりも、GINが自身へ言い聞かせる言葉だった。

 安西から聞いた実験動物の悶絶を考えてみても、それが今現在の由良にとってベターな対応だ。自分の感情にふたをすれば、なんということはない。そう言い聞かせて笑うのに、キースもレインも複雑な表情を浮かべたまま固まっている。

「本当にやれんのかよ」

「GIN、由有を探すのが先じゃ、ないの?」

「奴さんの目的は、由有の身体だ。下手に手を出しはしないだろう。由良が消えることで向こうの目論見がパーになるんだ。そこで初めて向こうがアクションを起こす。由良と違って由有は容易に動かせる。ターゲットは必ず自分の傍に由有を置いているはずだ」

 自分でも驚くほど冷静に戦略を構築していた。敵の動向をそう見定めた途端に落ち着いた自分を認識したときは、由良に対する言いようのない罪悪感が首をもたげた。それは数時間経った今も変わらずGINの中で蠢いている。

「零が目を覚ましたらやかましいだろうけど、巧く時間稼ぎをして少しでも日本へ戻るのを遅らせてくれ」

 GINは気丈さを声でアピールしたものの、顔を上げては言えなかった。

「じゃ、次の打ち合わせは日本で」

 そのままふたりの横を通り過ぎ、まとめた荷物を肩に背負う。肩に掛けたバックパックは、単身で渡米したときよりも重たく感じられた。

「GIN、待って」

 レインの声と小走りの音が室内で小さく響く。GINはその声を背中で聞きながら部屋の扉をそっと開けた。隣へ追いついたレインの背を押して外へと促し、帰国への一歩を踏み出した。




 日本行きの最終便に運よく乗り込むことが出来た。年末の繁忙期なので空席など諦めていたが、奇跡的にキャンセルが生じた。まるでGINを急かすように、見えない何かの力が働いているかのように感じられた。

「それを幸運と言っていいんだか……どうだかな」

 窓の向こうに広がる漆黒の空を見つめながら、ぽつりと零れ出る。毛布に包まって目を閉じていたレインが、その声に気づいてGINの方へ身体をよじった。

「GIN」

「ん? あ、ごめん。起こしたか?」

「ううん。飛行機って乗り慣れてないから、まだ眠ってなかった。ねえ、GIN、聞いてもいい?」

 遠慮がちに覗き込む瞳へ、つい苦笑を投げてイエスと答えてしまう。レインはほっとした表情を浮かべて身を起こすと、改まったように姿勢を正してGINのまるで予期しなかった問いを投げて来た。

「GINは、由良じゃなくて由有が好きなんだよね?」

 答える代わりに、窓のへりに置いていた肘が思い切りずり落ちた。

「あでッ」

 反動で窓に頭を打ちつけ、つい大きな声を上げる。就寝中の客が多い中での非常識な大声にGIN自身が動揺し、声を抑えようと咄嗟に口へ手を当てた。

(おま、何言ってんの)

 ばつの悪さを隠すようにひそひそ声で糾弾するが。

「当たり、って思っていいんだよね。それなら、お願い。覚えておいて」


 ――ツインソウルの話、別離はレイへ昇格するための試練、という話を忘れないで。


 真剣なまなざしが、強くそう訴える。興味深い時間つぶしのネタだと思って聞いていたその話が鮮明に蘇った。

“惹かれ合う魂”

“同じ目的を持つ、既視感を覚える特別な魂”

“ひとつの魂となるべく、互いの傍らに存在し合える、ソウルレイへ昇格するために巡り合う魂”

「別離が前提の、試練の魂」

 気づけばGINの口が勝手に、レインの語った数日前の言葉を復唱していた。

「そう。誰かがいいとか悪いとか、そういう話じゃないんだよ。だから、由良に対しても、由有に対しても、GINが精霊の声に導かれて“そうしよう”って思ったことなら、それがもしGINにとって苦しいことだとしても、絶対に迷わないで。自分を責めないで。ね?」

 声を聴いて、と、懇願に近い形で何度も繰り返す。タイロンに随分感化されたものだと笑って聞き流すには、レインの表情があまりにも必死だった。何が彼女をそこまで信じさせるのか、GINには今ひとつ理解出来なかったが。

「うん。わかった。ありがとさん」

 彼女が自分を心配し、いたわってくれている気持ちだけは、痛いほどによく伝わって来た。くしゃりと彼女の頭を撫でると、GINの手に導かれるようにレインの頭がシートの簡易枕にうずもれていった。


 乗客の寝息や、かすかに聞こえるジェットエンジンの音をBGMにしながら、まどろむ。

 ――由良。ほかのものには替えがたい存在。宝物のように大事に思っていた。

 たとえるなら、決して汚れた手で誰にも触れさせないよう、ガラスケースに収めていつまでも綺麗にとっておきたくなる。そんな穢れを知らない、“無垢”の象徴。

 ――由有。未だに彼女に対する自分の想いを、どんな言葉で表現したらしっくり来るのか解らない存在。

 彼女が笑えば、自分も笑えた。彼女が泣くと、自分まで泣きたくなった。“守りたい”と“壊したい”がせめぎ合う矛盾に悩まされ、全部投げ出したくなる衝動に駆られたのは、二度や三度のことではない。

 今はただ……同じ世界、同じ空の下のどこかで、それがたとえ自分の見えない場所であったとしても、自分の傍らでなかったとしても、笑っているなら、それでいい。彼女が笑って生きていけるなら、自分はそれで充分だ。ただそれだけを願っている。

(由有が好きなんだよね……か)

 よく、解らない。それは幼いころ、初めて千ピース以上のパズルを解いているときのじれったさとよく似ていた。

 嵐の前の静けさとも思える静寂の夜、GINはこれから火蓋を切って落とされる闘いとはかけ離れた、そんなことを考えていた。決して解けないその答えを探しているうちに、いつしか眠りの闇へと引き込まれていった。

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