同類
それから数秒後。再びGINを鈍い頭痛が――今度は外傷的な意味合いで――襲っていた。
「コブ出来たっ。お前、今ガチで入れただろう」
またがっていた特注ラブドールの胸に頭を抱えて崩れたGINに、紀由の冷ややかな声が降って来た。
「金より別の心配をしろ。TPOを考えられる年だろうが」
小さく膨れたこぶをさすりながら、声の方を恨めしそうに睨み上げる。
「だって」
GINを見下ろす紀由の視線が、より剣呑に細められた。
「本間以外は《能力》者しかいないじゃん」
反論の言葉が言い訳がましい。紀由の有無を言わさぬ視線が、GINの反発心を萎えさせた。
「みんな、自分の身くらい守れるだろうし、おまえのことは零が」
GINが言い終わらない内に、再び容赦のないゲンコツがGINの頭にめり込んだ。小中学時代によく味わわされた、懐かしい痛みがGINを絶句させた。同時にまた頭を抱えて身を丸めた。
「零に守られるほどぬるくない。俺を舐めるな。さっさとテーブルにつけ」
紀由のその声を皮切りに、全員がコの字形に配置されたテーブルへ視線を向けた。
ノートパソコンや遺留品などがまとめられた中央席に、促されるまま紀由と並んで席に着く。零がGINから見て九十度角左の席に無言で腰を下ろした。そのひとつ向こうの席からは、ストーンウォッシュ加工のジーンズを履いた脚だけが覗いていた。そのふたりと向き合う位置に、黒のスーツが似合わない、妙齢の女性が腰掛ける。消去法の結果、彼女が《水》のYOUと思われた。ショートヘアも似合わない。柔らかで穏やかな面差しは、《能力》者とは思えないほど、普通でありふれた一般人にしか見えなかった。
(一般人っていうか、どっかのお嬢さま、みたいな?)
無意識に凝視していたらしい。ふと視線が合った瞬間、彼女にニコリと微笑まれた。GINは慌てて視線を外し、手許に置かれた資料を手に取った。
「互いに初見なので、簡単に紹介をしておく。GINについては先に渡した資料にあるデータのとおりだ。コントロールがある程度可能な《能力》は《送》。今回のミッションでは犯行グループの真の目的、裏で糸を引いているものなどの情報採取及び関係者の殲滅。YOUの後方支援を任務とする」
GINはそれぞれのコードネームがタイトルとなっているファイルをぱらぱらとめくりながら、紀由の話を聞いていた。
「左奥から紹介する。《焔》のRIO、元の名は焔阪遼。十七歳。GINと同じく、物理攻撃系の《能力》を有している。《熱》はコントロール不完全だが、本ミッションに限り加減の必要はない。事件の物証となるすべてを《熱》で消去するのがメインミッションとなる」
「俺は掃除屋かよ」
紀由の指令を受けて、テーブルの上に脚を乗せたまま零の影に隠れていたRIOが、脚を下ろした。崩れた半身を起こし、初めてまともに顔を見せたかと思うと、なぜかGINを睨みながら異論を唱えた。
「こんな飛び入りのおっさんを使わなくても、俺が《滅》でイかせちまえば問題ねえじゃん」
そう言ってGINを睨む視線は、殺意さえ感じられる。
(……俺、こいつと初めて会う、よな?)
真っ赤に染めた髪と、デスメタル系のバンドを連想させる派手なファッション。皆が正装と思われるスーツの中、敢えてそれに逆らう、思春期独特とも思える反抗の姿勢。以前目にしたことがあれば、間違いなくGINの記憶に残るタイプの若者だ。それに何より、会ったことがあるなら、敵意丸出しの細く吊り上がったその目つきを忘れるはずがない。なぜ彼からそんな目を向けられるのか、まったく見当がつかなかった。
「イかされると困るんだ。黒幕の存在と相手の目的を確認するには、GINの《送》で相手の思念を読むしかない。くれぐれも指示以外のことをしないように。お前の言動次第で、お前をハントしたRAYの立ち位置が変わる。そのことを忘れるなよ」
紀由にしては少し砕けた口調が、RIOの強い視線を幾分か緩ませた。彼はGINからようやく視線を外し、
「わぁったよ。お利巧さんにしてりゃいいんだろ。そっち用に着替えて来る」
と言って席を立った。零の耳に顔を近づけ、短く何かを耳打ちする。零が小さな声で何かを答えると、彼はGINにちらりと視線を向けて挑発的に微笑んだ。
彼が薄暗い室内から出てエレベーターの扉の向こうへ消えたのを確認すると、GINは誰にともなく
「なあ。なんであいつは、あんなに俺を目の仇にしてるんっすか」
と尋ねた。
「六年前に発生した、中高生少年グループによる連続集団暴行強盗傷害事件を覚えていますか」
GINの問いに、答えとは異なる逆質問が零から投げ掛けられた。その唐突さに戸惑いながら、記憶の引き出しを幾つか漁る。あの頃は新任したばかりで、いくつもの事件に関わった。手伝いに近い下働きが多くて、いちいち詳細を覚えていない。だが、その事件だけは特異過ぎて記憶に残っていた。
「容疑者と目星をつけた少年たちが、片っ端から精神科へ強制入院されていったっていう、アレか?」
結局主犯がわからないまま事件そのものが発生しなくなり、GINも零も中途半端なままに捜査の一線から外された事件だった。
「RIOが、その主犯だ」
「え?」
隣からの簡潔明瞭な声に、疑問符が勝手に口を突いた。
「あの捜査中に、RIOは別件で一度補導されている。当時あの事件の担当職員が、連続強盗傷害の自白を試みたらしい。だが、常識的に考えても、当時小学生だったRIOに中高生を従える体力もカリスマも金もない。その上、誰ひとり証言をしない、というか出来ない状況だった。結局彼の関与を立件出来ず、釈放された、という経緯がある」
紀由の説明に零が補足した。
「その時、私とあなたは所轄の中で彼と出くわしていました。あなたはまるで気づいていませんでしたけれど」
それ以来RIOは、こちらがどこまで情報を掴んでいるのかを探るために、GINと零の足取りを追っていたという。その後GINは行方をくらまし、零の方から自分を探すRIOと接触したとのことだった。
「なんで?」
「高木さんの情報から、彼の《滅》が証人や容疑者を発狂に追い込んだと思われたからです」
「危険人物は取り込むに限ると考えた。RIOはまだ子供だ。更生の余地があると信じたい」
ふたりの説明を受けても今ひとつ解らない。GINは小首を傾げながら、もう一度最初の質問に戻った。
「あいつがどうして組織にいるのかは、解った。けど、なんで俺だけ目の仇にされてんだ? 自分を追っていたデカだからってことなら、零や本間にも敵意を向けて当然だろう」
「彼は親を失くしている。それも、自分の持つ《能力》のせいで」
紀由が複雑な微笑を浮かべてそう答えた。
「“使い方が解らないなら教えてあげる”“自分の価値を自分で見い出せないなら、見つけ方を教えてあげる”。もしあなたがそう言われたら、どう感じ、どうしますか」
納得、出来た。つまり。
「もしかして俺、貧乏くじを引かされた、っていうこと?」
ふたつの「本店から逃げた自分の自業自得」という答えとともに、右のテーブル席から、くすりと小さな笑い声が漏れた。声に視線を向けたGINと目が合うと、YOUは笑んだ口許をそっと隠した。
「ごめんなさい。馬鹿にしたわけじゃあないんですよ。本間さんがどうして私の義兄とイメージが被るのか解った気がして、つい」
続く彼女の言葉を、紀由の咳払いが遮った。
「世間話はあとで好きなだけするといい。元の戸籍名は水越ゆかり、《能力》は《水》属性、防御タイプだ。水を媒体として対象者の記憶を消去する《清》と、同じく水を媒体にして、対象者が“不浄”と意識する記憶を対象者の望む記憶に差し替える《淨》の《能力》を有している。本ミッションでは、本件に関わる者たちの記憶及び、目撃者すべての記憶を差し替えることがメインの任務となる。その際GINは、現場で個々の思念を読んで対象者を洗い出し、YOUに伝達する後方支援をすること」
防御タイプ。そんな分類があることも、そんな類の《能力》があることさえ知らなかった。そしてその性質は、とても彼女らしい。
「初めまして、GIN。単独行動がお好きだそうですけれど、私の《清》は、水さえあればあなたの《送》も防御します。何もお手伝いが出来ない代わりに、ほぼすべての物理攻撃を無効化することも出来ます。あなたの楯くらいにはなれますから。安心してタッグを組んでくださいね?」
自分に関するファイルにはまだ目を通していないが、彼女の言葉から自分に関する情報がどう書かれているのかを、なんとなく察した。
「……了解です」
浮かべた苦笑がいびつになる。GINに近づき、素直に差し出して来た彼女の手を、ためらいながらも握り返す。勿論グローブをつけたままだが、なくても彼女の手なら触れても構わない気さえした。
「オフの時にはコードネームではなく、名前で呼んでくださいね。私、自分のアイデンティティを捨てる気はありませんから」
紀由が彼女とタッグを組ませた理由も、なんとなく解った気がした。
「了解っす」
話に区切りがついたところで、紀由が本題に話を戻した。
「最後にRAYについてだが。《能力》に関しては、お前の事務所で話したことにもう一点つけ加えておく。《育》の能力のほかに、《生》と名づけられた《能力》がある。特性は、対象者の中に内在するものを発芽させること。対象者は《能力》者に限るらしい。種を芽吹かせる、という言い方であればイメージが湧きやすいかと思うが。RIOの《熱》は、それによってごく最近生まれた《能力》だ。コントロールが未熟なのは扱い慣れていないせいもある。暴走時はRAYとGINで彼を食い止める任務を。RAYのメインミッションは、鷹野由有の保護とGINの突入時に後方支援に回ること。RAYもまた物理攻撃タイプの《能力》は持っていない。自前の射撃による支援しか出来ない。あくまでも突入時には、GIN主体で動くこと。任務内容については以上だ」
紀由がそこまで伝え終えると、資料から視線を上げた。
「RAY、GINの足を確保して欲しい。その間、GINには判明していることを説明した上で、遺留品から鷹野由有の足取りを追わせる」
「了解しました」
零が素早く立ち上がり、エレベーターに向かって歩き出す。
「YOUは端末操作を」
紀由は視線を零からYOUに移し、同時に椅子から立ち上がった。
「お?」
なぜかGINも腕を引かれて立たされる。そのまま空いた左のテーブルに移動させられた。
「オンラインを特殊回線に繋ぎます」
YOUが紀由の空けた席に身を滑らせ、ノートパソコンのキーボードをせわしなく弾きはじめる。時計はもうすぐ日付が変わろうとしている時を刻んでいた。
遺留品の制服は都内で発見されたらしい。複数の男性に囲まれているのが最後の目撃情報とのことだった。
「ひとりは二十歳前後と見られる短髪男性。身長は一七五から一九〇。目撃者が厚底ブーツを履いていたため、誤差が大きいと思われる。もうひとりが黒のスーツを着用した中年男性、サングラスをしており顔は判らないとのことだ。中肉中背、特に際立った特徴はない。最後の一名はセミロングのライトブラウン、パープルのカジュアルスーツを着用の二十代後半から三十代前半と見られる男性。目撃者からホストらしいとの話もあり洗い出してみたが、都内に該当する人物はいなかった」
ツモとしか言いようのない報告が紀由からなされたと同時に、ビニール袋に納められたパールピンクの携帯電話がGINの目の前に差し出された。
「由有の携帯電話だ。発見場所は栃木県。拾得物として届けられ、担当した巡査が携帯のデータを確認し、彼女のものと判明した。その時点で本店にすぐ届けさせた。これから情報を吸い上げろ」
栃木。移動所要時間はマージンを含んで、車であれば二時間弱。GINは改めて時間のなさを認識させられた。
「ラジャー」
グローブを外し、携帯電話をビニール袋から取り出す。固く目を閉じ、自分の思念を出来る限り抹消する。思念をそのまま紀由へ《送》るために、彼の左手に自分の右手を絡めた。閉じた視界にいく筋ものノイズが乱れ入る。
「……つっ……」
一瞬走った痛みが、GINの頭を机に伏せさせた。そして視界がブラックアウトした。