愛に飢えた精霊の子たち~シルフのキースとウンディーネのレイン~ 2
「ぐぉほっ!」
GINがダイブから戻ると、体が勝手に深く息を吸い込んだ。吸い込み過ぎて逆にむせ返る。涙目をこすりながら、ゆっくりと二度三度、改めて深く息を吸って、そして思い切り吐き出した。
「あ……っぶねえ」
呼気と一緒に独り言が零れ落ちる。頬や肩、脚など、身体のあちこちに軽い痛みが走った。物理的なダメージを受けてもいないのに、ダイブした先での痛みに体が反応していた。この分だと声も出していたのかも知れない。ダイブ前と変わらず人の気配がないことを確認し終えると、GINの口から安堵の溜息がまた漏れた。
「まさか逃げた理由が痴話喧嘩、とはねえ……どうすっかな」
もうキースの白バッジを素手で握る度胸はない。残留思念に巻き込まれて精神崩壊を起こしそうだ。今必要な情報が得られるとすれば、キースのアイテムよりもむしろレインの思念を宿しているアイテムの方なのかも知れない。
「ガキ同士の喧嘩にしちゃ、やることが派手だっつうの」
GINはグローブをはめ直しながら独り愚痴を零し、それからようやくキースの白バッジをコートの内ポケットに戻した。そのまま右手はコートの外についている大きめなポケットをまさぐる。そこに押し込んであったレインの落し物を取り出した。
「わかんないでも、ないけどな。俺も紀由と会うまではお前とおんなじだったし」
レインのハンカチから漏れる思念の欠片を感じると、誰にともなく呟いた。キースの強い思念で気圧されていた感があったものの、今こうして改めて手に取ると、レインのハンカチにもそれなりの強さと高い純度を感じさせる思念が宿っている。キースの追体験をしたことによる偏見、という可能性も否めないが。
初めて子供の《能力》者と出会った。子供の放つ《能力》がどれだけ強いのか、そして感情のセルフコントロール欠如に対する危機感を思い知らされた。コントロール出来ない《能力》の怖さを、RIOのとき以上に痛感させられた。
「でも」
レインの恐怖や孤独感は解るつもりだった。だが、彼女を見たときにGINの抱いた印象が、別の視点を自覚させた。
「俺たち以上に、《能力》って存在さえ知らない人から見たら、そりゃ怖いんだろうよ」
初めて抱いた感覚を忘れないために、敢えて音にする。むしろ怯えずに接してくれ、というのが無理だろう、と初めて思った。ともすれば、初めて味わったGINでさえ、今すぐにでもその感覚を忘れてしまいそうなほど、《能力》者が経験しづらいこと。
“未知なるモノへの本能的な恐怖”
GINの脳裏に浮かんでいたのは、GINを育てた施設の職員たちが自分を暴力でねじ伏せるイメージだった。ミッション開始前までは、タイロンやレインの《能力》がまるで未知なる存在だった。漠然とした恐怖や不安は、その《能力》の内訳や規模を見てより一層煽られた。なのに、自分が対処出来るものかどうかはわからない。中途半端に掴んだ情報ほど混乱と恐怖を招く存在はない。
「俺だって、あいつらのしたことが許されることだとは思っちゃいない。それでも」
グローブを外し、レインのハンカチを両の素手で包むように触れる。
「最初から敵だと決めつけることも、許されることじゃない、と思う」
今のGINの思いが届くことを祈るように、レインのハンカチを額に押し当てた。GINは悲しみと怯えで染まったレインの世界を感じながら、静かに瞼を閉じてアイテムへ意識を集中させた。
――嫌い! 嫌い嫌い嫌い嫌い、みんなみんな、大ッ嫌い!!
(うゎ……ッ)
それが、レインの残した思念のほとんどだった。状況などの情報はひとつもなく、アイテムはただひたすらにレインの想いを代弁する。
(あたしなんか嫌いッ! カザマなんか、大ッ嫌い! もっとずっと、消したいくらい嫌いッ!! あたしのキースだったのに……キースも大ッ嫌い! うそつき! うそつきッ! ずっとそばにいるって言ったくせに! みんな……みんな、大ッ嫌い!!)
次第にGINの喉が痛み覚え始めて顔にこわばりを感じ出す。嗚咽を堪えようと力をこめ続けるせいで、喉の筋肉がひくついた。
(完全に感情だけで動いてる思念だな。これじゃ手掛かりになりそうな視覚情報は見つけらんないか)
GINがそう見切りをつけて、レインとのシンクロを諦めたとき。
(え?)
レインの瞳にGINが映った。それが悪意に満ちた表情を浮かべ、レインの視覚を通してGIN自身に蔑みの目を向けて来る。
《お前は邪魔なんだよ、レイン》
レインに向かって思いもしない言葉を口にしている自分を見て、GINは思わず記憶の糸を辿った。だがやはり、リアルでレインとこんなやり取りをしたどころか、会ったことさえ一度もない。
(これが、彼女の中でイメージされている俺、ってことか)
サラマンダと呼ばれていた女が仔細を知っているようだった。彼女がレインに、何か虚言を吹き込んだのだろう。最初にキースのアイテムにダイブして見た光景を、今度はレインの視点で追体験する。レインの残した思念が、彼女の内面世界から視覚の捉える情報映像に変わっていった。足首を捉えた大きな手の感触。水の膜を思わせる青いオーラに包まれ、キースが足許で身を縮こまらせている。弱々しく震える彼の手の感触に、《能力》の衰弱は見られない。かまいたちを発生させる《気》を使えないのではなく、使う意思がないのだ。
『(レイン……俺、を、信じろ……)』
レインの零す涙が普通のそれに変わる。激する彼女のオーラが鎮まっていく。それはまるで、初めて本間と本気で喧嘩をしたときにGINを満たした、あの感覚。
――失くすくらいなら、最初から関わらないで欲しかった。だから自分から切ってしまえ。そう思ってるのに……ずるい。
レインの残した思念の大半が、今のGINが微塵も持ち合わせていないその感覚で占められた。
『(……出来ない……やっぱムリだよ、サラマンダ……あたしにキースは……殺せない)』
GINの幼いころにも覚えのあったその感覚や思いが、GINに苦笑を浮かばせた。自分が何を言おうと、どれだけのことをしようと、決してGINから身を退かずに「意地を張るな」と怒りながら殴って来た奴を思い出していた。そいつのせいで、初めて他者に涙を見られる破目になった。負けを意味する無様を曝け出させられたのに、恥や屈辱とは違う感覚で満たされた。それは随分遠い昔のことだ。今のレインから伝わるそれが、似た年ごろのGINが抱いたものとあまりにもよく似ていて、その時間軸から離脱し損ねていた。
『(キース、ごめんね……やっぱり、嫌いになんかなれない……)』
キースを取り込んでいた青が急速に退いていく。むせ返って何度も咳き込む彼の動きと音を確認した。
(ま、取り敢えずキースの無事が確認出来ただけでもよしとするか)
レインの残留思念に触れたことが、彼女のオーラをより敏感に認識出来ることへとつながったのだろうか。それがとてはっきりとした感覚に変わり、GINの意識に存在をより強く主張した。それを追えば、見失ったふたりをまた追跡出来るだろう。
GINが頭上を仰ぐと、そこには水中から見上げた空をイメージさせる景色が見えた。《送》がGINとレインのアイテムを繋いでいる、その真っ白な輝きを放つ光に向かって急いで浮上した。
軽く頭を左右に振ると、目が青の残像から少しずつ自然な色に慣れて来た。
「ん?」
やや痛み始めて来たこめかみを押さえながら、そんな疑問符が口から漏れた。レインのハンカチにダイブする前との微妙な違いに気づいたせいだ。
レインのかもし出す青いオーラから、荒波のような激情が薄れている。それにも関わらず、非常に強く鮮明な形で存在を伝えて来る。そして何よりGINの背筋を凍らせたのは、殺意を孕んだ強い視線。それの放つ思念と《能力》者同士でしか感じ取れないオーラのイメージカラーがGINに伝えて来る色は、青ではなく――。
「ハニー、やっとお目覚めか?」
頭上から降った声の低さに、GINの両肩がぶるりと揺れた。もたれた大木から即座に身を剥がし、鳥居の上までジャンプした。
「お前、わざと俺にこいつを拾わせたな――キース」
まんまと彼らの策に嵌った。ふたりの落としたアイテムをポケットから取り出し、忌々しげに放り投げる。
「相変わらず鈍臭えな。気づくのが遅いっつうか、ダイブしても、まだなんにも解っちゃいないだろ」
どこか苦しげな笑みを浮かべたキースが、GINの放った白バッジをキャッチする。その傍らで、レインが挑発的な微笑を湛えてGINをまっすぐ見下ろしていた。
「人の大事なモノを横取りしようとしたわるーいおじさんは、罰を受けないといけないんだよ」
彼女はすでに日本語が理解出来ているようだった。
「もうソッチの言葉でキースをそそのかすなんて汚い真似はさせないんだから。あたしもキースからもらったもん。あんたの思念ごと、日本語の知識も」
優越感に満ちた微笑の理由が幼い恋心だと判ると、この非常時にも関わらずGINの呆れた心境が説教となって口を突いて出た。
「お前ら、国際問題になりかねない状況だっつうのに、一体何してたんっすか」
そんな苦言に、レインよりもキースの方が素直な反応を示した。彼の表情が屈辱に満ちたものへと一転し、攻撃の構えを取る。レインもゆがんだ笑みから険しい表情に変わった。
「キース。信じられるのはあたしだけだって証拠を早く見せて。証明してくれるんでしょう?」
と、レインはキースではなくGINを見据えたまま、宣戦布告の狼煙を上げた。
「カザマを、消して」
「!」
レインのその言葉を合図に、キースの右掌から真空の塊が投げ放たれた。
「おぁッ?!」
キースの一撃を躱わそうと身を翻す。同時に、キィンという音とともに何かがGINの耳をかすった。途端、ごぽりとこもった音が内側に響き、ぬめる感触が外耳を伝う。地面に降り立つと、鮮血の小さな華が足許にふたつ、みっつと零れ落ちた。
「い……ってぇな、本気で」
左へ一度頭を傾けて耳に入った血を振り落としながら言い掛けた言葉さえ、次の一撃で封じられる。間一髪で右耳の切断を免れた。だが、GINが構えの態勢を取るよりも早く、キースの攻撃に砕かれた枝が息つく間もなくGINを襲う。そのまま左へ横転してそれらを避ける。その間にも、数メートル頭上にいるキースに向かってあらん限りの声で叫んだ。
「このバカ! 闇雲に《気》をぶっ放すなっ。レインに当たったらどうするつもりだ!」
一瞬攻撃の気配が消えた。青いオーラが激しく強弱を繰り返す。傷口から溢れて来る血が、ごぽごぽと耳の中で鳴り続ける。その音がGINを苛立たせた。
(このままじゃ神社が壊される。痕跡を残すのはマズいな)
今はとにかく逃げるのが先だと割り切り、意識をアキレス腱に集中させた。頭上から風圧を感じる。
(キースが――来る!)
風が頭上から落ちて来るほんの一瞬前に、勢いをつけてジャンプした。
「がっ!」
「あ、悪ぃ」
GINをしとめ損ねたキースの顎を、左足の踵が蹴り上げた。神社を囲う高い塀でもう一度踏み込み、次の跳躍はMAXで。その一跳躍で空港の敷地内へ戻れる。彼とレインを巧く誘導出来るように、と祈る思いで跳躍を繰り返した。
(キース、自分で気づけ。そんなことでなんか、解決しない。お前にしか、レインの間違いを正せない)
GINは殺意を向けられた今も尚、それでもレインを敵と見做すことが出来なかった。ただの誤解だ。彼女は自分で気づいていないが、GINを敵と見做したのではない。憎しみの影に見えるのは、孤独に対する過剰な恐怖。それはGINにも覚えのあるものだ。それさえ癒されれば、正しい目でモノを理解することが出来る。
「こ、んの……ッ、相変わらず逃げ足だけはすばしっこいな、ベビーフェイス!」
背後から怒声がすると同時に、また一陣の旋風が、麻痺している左耳をかすめていった。それらからキースとの距離を縮められているのが判った。
「あぶねっ」
GINの分け与えた《流》が、以前よりキースの中で急成長していた。
(あいつ、シガツェでどんだけ鍛錬を積んだんだ?)
いくら若さと順応力がGINより優れているとは言え、たった半年でここまで《流》を操れるというのは、にわかには信じがたかった。
(あの土地に流れる、《気》の力か……)
シガツェの白い荒地に漂っていた、濃い自然の《気》を思い出す。包まれるような感覚が蘇ると、GINが邪魔に思って追いやった頭痛が、少しだけ軽くなった気がした。幾分か冷静さを取り戻した頭で、一か八かの賭けに出る。
(ヤツに聞く耳があるといいけど)
GINはそんな淡い期待を抱きながら、宙でくるりと身を反転させた。予想以上に早く追いつきそうなキースの動きを封じる目的だ。追い迫った彼を、向き合う形で出迎えた。
「やっとこやる気になったかよ」
「いんにゃ。お前さ、またレインを独りにする気か」
迷わす言葉とともに、GINにしては上出来なひと玉をひねり出す。
「時間稼ぎなんかさせるかよ。こっちは信用問題が掛かってるんだ」
「あ、やっぱ聞く耳はありません、ってか」
予想通りの答えを受け取ると、GINはソフトボール大の真空の中に《流》を注ぎ加え、渾身の力で投げつけた。遠心力でもがく《流》が、真空球の中で暴れ出す。玉がゆがみ、勢いよく弾ける。同時に空気が《流》に抱き込まれ、それが一気にキースの前で炸裂した。
「ぐぁ!」
どさりと鈍い音がする。だが足止めには至らなかった。GINも距離を置いて着地する。もう身を起こし始めているキースの瞳を見て、確信した。彼は、まだ迷っている。だからわざと考えることをやめた。ならば、もう一度考えさせてやればいい。
「おいコラ、イノシシ」
そう語り掛けるGINの口許が、ゆがんだ。
「何もレインの言いなりになるだけが信用を取り戻す方法じゃないだろう」
と講釈を垂れながら、ようやく内ポケットからグローブを取り出す。手には嵌めず、左耳の穴に出来た傷口を押さえて止血しながら、尚もキースの説得を試みる。
「とにかく彼女にダイブさせろ。俺の中を《送》で見せたら彼女も気が済むだろう。レインに気色悪い誤解をされたまんまじゃあ、俺たちもお互い、死ぬに死に切れないしさ」
長い説得の言葉を、最後まで告げることが出来た。キースが攻撃をやめたからこそ出来た長口上とも言える。八割方の成功を確信した。
「説得出来なきゃ、無理やりでも潜る。サポートしろ。あの水玉、お前を殺せるほどの《能力》じゃないだろう」
そう諭しながら、呆然と立ち尽くすキースに近づいてゆく。一歩退いたキースの腕を取り、彼の額に素手の右手をそっと当てた。《送》り込むのは、レインのアイテムから拾った最後の思念。
――キース、ごめんね……やっぱり、嫌いになんか、なれない……。
キースがずるずるとくずおれてゆく。呆然とした表情で、路面にがくりとひざをつく。
「あの子は、お前があの子と違う考えを持っていたとしても、絶対にお前を嫌うことだけはないから」
守ることに精一杯で、自分や相手の気持ちに気づいていない。それがキースの現状だ。まるでどこかの大馬鹿野郎にそっくりだ、と思うと胸が軋んで嗤えて来る。
「まだ《送》のコントロールは出来ない。だからお前自身がレインにダイブするのは出来なかったんだろう?」
知られたくない本心まで彼女に見られることを恐れたから。
「俺が信用出来ないなら、お前も彼女にダイブすればいい。もう怖くはないだろう?」
「GIN……俺を、信用するのか?」
戸惑いを隠せない顔で見上げて来るキースが、新たな飼い主を求める捨て犬のように見えた。
「ばーか。俺も紀由も、お前を信用してなきゃ最初からお前にシガツェを教えやしないっつうの。何いまさらなこと訊いてんだ?」
キースの浅黒い肌に、ほんのりと紅が差す。同時にGINの口許も少しだけほころんだ。
「レインも自由にしてやんなくんちゃな」
孤独という呪縛からの解放を口にすると、キースがゆっくりと立ち上がった。
「……だな。俺、信用ねーみてえだし」
ふたりはゆらめく淡い青の思念へどちらからともなく視線を移す。そして反対側から風に乗って流れて来る紅のオーラにも意識を向ける。
「リザがガチギレしてやがるな。そっちにアレをどうにか出来そうな駒はいるのか?」
とキースが目を細めて眉間に深い皺を寄せる。
「俺があっちから離脱する直前までは、《焔》のジャリんちょと一緒に紀由が直接対応してた。出来れば早くあっちと合流したい」
「人手不足かよ。本間には、李淘世の死亡物証と交換で取引だな」
キースがレインのいる方角へ視線を戻し、《流》をまとい始めた。
「取引?」
つられる格好でアキレス腱に《流》を集中させながら、GINが彼に問い掛けた。
「俺は胡の暗殺には関与してねーし。李の死亡確認を手土産に、アッチの思惑を引き出して来てやるよ。その代わり、その間レインを預かってもらう」
「なるほど。んでも、その前にサラマンダをどうにかしないと」
「五分以内にレインを連れてお前に追いつく。先に行け」
少しでも効率よく搭乗口へ近づくために。白バッジがGINたちに音声を届けることが可能な距離まで近づけば、臨機応変に対応出来る、ということだろう。
「らじゃ。落ち合った場所で、レインにダイブする」
「通信が可能になったら思安を呼んでくれ。出来れば俺もダイブしたい」
「了解。んじゃ、五分後」
簡単な打ち合わせを終えると、キースが先に路面を蹴った。GINは左耳の止血を確認すると、グローブをポケットにねじ込んだ。
「あと一回分、もちますように」
まだ動けなくなるほどではないが、時間が経つにつれ、頭痛がその存在を強く主張し始めていた。零の許へ戻ると告げた十分をとうに過ぎている。
軽く頭を振って、意識をレイン確保に向けさせる。その振動で響く痛みが、気の逸れた自分を軽く諌めた。
「うし。とっとと片付けて、次行くべ」
軽口で自分を奮い立たせ、GINも搭乗口のある方角に向かってジャンプした。