表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/88

神に愛でられし戦士~ノームのタイロン~ 3

 場にそぐわぬその光景を見る者は、誰ひとりとしていなかった。ふたつのシルエットが、立ち膝のまま瓦礫の中で口づける。影を浮かばせるのは、褐色と黄土の混じり合ったオーラの放つ光。黄色とも茶色ともつかぬ色合いは、どこまでも穏やかで温かい。

 重なった影がふたつに分かれる。タイロンの手が、零の右腕にそっと触れた。そこから溢れる黄味を帯びた赤褐色のオーラが、彼女の右腕に端を発し、次第に満身創痍の彼女をより濃い色で包む。解かれた零の唇は、彼によって施された新たな《能力》に導かれ、彼女自身がタイロンの肩に負わせた傷口へ寄せられた。そしてやはり、触れた箇所を中心に、赤み掛かった黄土のオーラが彼の傷口を塞いでいった。もう零の右腕に痛みはない。いきなり過剰な負担を強いられた全身の筋肉も、もう悲鳴を上げなくなっていた。零が自分の《癒》を試すようにタイロンの脇腹へ掌を当てると、じわりと流れ続けていた彼の血が徐々に固まり、ついには滲み続けていた血がとまった。互いの体内で新たな細胞が《育》ち、傷を急速に《癒》していた。

「((ぬし)の文化に於いては、不貞に当たるようだな。済まぬ)」

 互いのオーラを退かせた途端、タイロンは憂いだ表情でそう詫びた。

「(いえ……私のしでかしたことに比べたら)」

 それ以上は口にさえ出来ず、零はらしくもなく答えを曖昧なままに口ごもった。

 タイロンが零に求めたこと。それは、《能力》の共有。彼の守護神、癒しの大熊(ヒーリング・ベア)の告げる声が、零にも聞こえた。それは零を守る慈悲の兎(メースィ・ラビット)が仲介をして認識させているのだと、タイロンが教えてくれた。


 ――主に宿る神の力で、我の庇護する魂に新たな力を宿す助力を乞う。神の啓示に従い、受け容れよ。


 厳かで慈しみに満ちた大熊の声は、零を激情で揺さぶり、声を上げて泣かせた。そんなことは、少女時代にさえしたことがない。零にとって、こんなにも感情のままに涙を零したのは初めてだった。収集のつかない激情を零自身が持て余していた。

 兎が意味するもうひとつの意味――多産、豊かさの象徴。豊けき神の子。それは、恵み、育てる零の《育》と《生》を差す。そして同時に大地の子、と、タイロンとベアが口をそろえて零を諭した。兎と同じく、豊かさの象徴、そして同時に万物の還る場所。彼らの思念は零を大地と例え、そしてタイロンは、かつてGINが誇らしげに口にしたのと同じ称号を零に与えた。


 ――我と主は等しく、神に愛されし選ばれた子。神に託された使命を持つ、誉れ高き、神の子。


 自分は信仰心が足りないのかも知れない。零はなんとなく、そんな風に思った。自分には自分を守っている(ラビット)を目視出来なかった。だが、それでもその存在を信じることが出来る。そこに理屈は皆無だった。

「(怪我を負わせるつもりはなかったが、まだ我も修行が足りぬようだ。つらい思いをさせて済まなかった)」

 首を大きく横に二、三振って、彼の謝罪を強く拒む。恋情や思慕とは異なる、初めての感情が零の中で渦巻いていた。もし父や兄という存在を知っていれば、こんな想いに近いのだろうかとふと思う。

「(私があなたの放つ《気》を読もうともせず、先に浅慮な殺意を向けました。すみません)」

 インディオの慣習を詳しくは知らない。零はどう誠意を伝えるべきか迷いつつも、結局日本式で頭を垂れて謝罪を告げた。

 改めて組織との契約内容を尋ねると、タイロンは意外な内訳を返して来た。それが零を唖然とさせた。

「(ただの、時間稼ぎ……?)」

「(うむ。断るほどのものでもないと思ったので抵抗なく受け容れた。しかし、主らの属する組織の形態も主から読めたが、拒否権がないとは、我にはその鎖が到底信じられぬ)」

 甘んじている主たちのことも、とつけ加えられ、反論が口を突きそうになった。だが、サレンダーに対するクーデターのことなど、迂闊に口にすべきではない。

「(違うのか?)」

 慌てて口を押さえた零の手が、訝る表情の彼に追及させた。

「(いえ、仰るとおりだと思います)」

 彼は零が懸念するほど、その点に執着しなかった。簡潔に考え自然の流れに従う彼ららしい。話題が元に戻ったことで、零はそっと胸を撫で下ろした。タイロンは、

「(我がこの契約を受けたのは、ただ我の守護神に従ったのみ。だが、解った気がする。主の守護神もまた、主を守りたいがゆえに、我の守護神を呼んだのだろう)」

 と私見を述べると、あぐらの姿勢のままで目を細め、地平線の向こうをまばゆげに見つめた。彼の目には、夜空の向こうからまもなく昇るであろう、輝く太陽――彼らの絶対神が見えているようだった。

「(アメリカン・インディアンらしい、答えです)」

 言葉にこめた想いは皮肉ではない。彼の穏やかな笑みが、言葉のままを素直に受け取ったと知らせていた。

「(アメリカン・インディアンと称してくれるか)」

 タイロンは顔をほころばせてそう言うと、懐から煙管(きせる)を取り出して紫煙を燻らせた。零はその傍らで正座をして、ぼんやりとそれを見つめた。次第に理性が現実を思い出させ、焦れる想いが湧いて来る。急速に膨らんだその思いが零を急き立てた。だが、インディオのゆるりとした大らかな民族性を重んじることが最優先だと割り切った。タイロンには、何か考えがあるのだろう。守護神の導きを聞けるのは、この時点で彼しかいない。

 唐突に、ずいと煙管が差し出された。

「え?」

 零はあまりのことに目を丸くした。

「(私に、ですか?)」

 問わずにはいられなかった。彼らのそれは、友好の印。同時に、互いの間で交わした契約を絶対に裏切らないという誓いの儀式という側面も持っている。

「(ほかの者は、知らん。だが我は主らを殺める目的で来たのではない)」

 妨げになる者を数時間この場に留めること。それが組織との契約内容。タイロンからの条件は、人を殺めることには加担しないということ。

「(組織の思惑は、解らぬ。隠しているというよりも、組織自体が把握しておらぬようだ。組織も“依頼を請けただけだ”と言っていた。ただ我は、我の神が夢でそれに従えと言ったから受け容れた)」

 彼は煙管を受け取る零の手を見つめながら、赤裸々な胸の内をとつとつと語る。

「(利用されるのではないか。神に背く行為になりはしないか。何より、母国を離れることが初めてでな)」

 彼はひと呼吸置いてから、苦笑いとともに「実はとても怖かった」と、屈強な風貌に似合わない言葉を呟いた。しかしすぐ明るい表情に戻り、

「(今回も、我の守護神は“決して怯むな”と勇気を与えてくれた。ベアは我を、常に正しき道へといざなってくれる。だから、どうにかここへ赴けた。そして主に分け与え、施される幸運を手にすることが出来た)」

 と誇らしげにつけ加えた。零は昔学んだ記憶をまたひとつ思い出して微笑を浮かべた。熊は勇気と強さの象徴。熊は、真実へ導く精霊の宿る象徴だ。彼の守護神がなぜ彼を守護しようと決めたのか、解ったような気がした。

「(あなたに相応しい守護神です)」

 その言葉に対し、タイロンから「我が精霊を選んだのではなく、精霊が我を選んだのだ」と優しく叱られ、思わず苦笑いが浮かんだ。

 大きく息を吸い、そして吐き出す。身の内から滲んでいるであろう、穢れた匂いに混じれば、余計に悪臭になると思って煙草を吸ったことがなかった。

「……ごほっ」

 思い切り吸い込み過ぎて、情けないくらい涙目になる。タイロンはそれを見て豪快に笑った。大地を揺るがすような、低くも穏やかな癒される声。彼の中に潜った零の《生》が《癒》を生んだのは、彼のその気質にある気がした。神に対して礼を失した咳き込みを赦されたのは、彼個人の懐の深さに根ざした異文化に対する寛容からだと思われる。

「(タイロン、癒しの大熊とあなたを信じます。我々が米国の組織と対峙するときが来ても、決してあなた方の部族に危害を加えることはいたしません)」

 仲間を代表して、誓う。そこに嘘偽りはない。零はそのときようやく、初めてサレンダー殲滅をタイロンに伝えた。光が強ければ強いほど、黒く濃い影が生まれる。そんな自然の摂理は、万物に適用するらしい。苦々しくそう返した彼の憂いが、長きに亘る部族や人種にまつわる差別問題も起因していると推察された。

「(互いに支援を要するときは)」

「(守護精霊の導きに従い、参じます)」

 お互いと煙管に誓いを宣言する。零は誓いの煙管をめくれた地面のぽっかりと空いた深い亀裂に投げ落とした。タイロンは地中の奥深くから小さく響く落下音さえ聞こえなくなると、《溶》で荒れた路面を溶かして誓いの証を封印した。

「(さぞ焦れたことであろう。充分に主の足止めをした。往くがいい)」

 膝の上を小さく叩く零の指先が、どうやら彼に本音を知らせていたようだ。言われた途端、その動きがぴたりと止まる。一度は俯いた面を上げる。一期一会という言葉が、切なげに浮かんでは消えた。ばらけた長い髪が風に煽られ、素顔の零を彼の前に晒す。

「(必要とあらば、神がまた我と主を巡り会わせよう。主の守護霊に従え。主とて、守りたい者のために往きたいのだろう)」

 守りたい者、と言われ脳裏を過ぎったのは、GINではなかった。それが更に零の瞳を潤ませる。

「(主の守護霊が導くままに、心に浮いた者の許へ往くがいい)」

 迷う瞳を読んだのか、それとも零の守護神が彼の守護神に零の本心を伝えたのか。タイロンは立ち上がった零を見上げ、もう一度同じ言葉を口にした。

『……っ。RAY、聴こえ……すか……です……RAY、応答してください、YOUです』

 ノイズに混じって、YOUの声が耳許で零の名を呼ぶ。タイロンに背を向ける格好でコードレスイヤホンへ手を当て、より確かな音声と情報を求めた。

「RAYです。YOU、近くにいるのですか? 本間は」

『よかった! 本間さんも無事です。RAYは至急搭乗口へ戻ってください。私がGINと合流してキースとレインを確保します。その任務を終え次第、こちらも搭乗口へ向かう手はずになっています。本間さんから十五分以内にと。すでに十分以上経過しています、急いで!』


 ――貴女でないと、と本間さんが。


「……本間が……私を」

 必要だと第三者へ口にした。零は以前本間が言った「妹のようなものだ」という言葉を、彼の思いやりとGINへの執着が言わせた優しい嘘だと思っていた。

 追い風が零の髪を吹き上げ、髪に《思念》が絡みつく。


 ――かたがついたなら、早く本間の傍に戻れ。ぐずぐずしてんな、この愚図女!


 GINのミッションも、あらかた終わっているようだ。

「ひどい言い草ね……風間」

 そう毒づくくせに、微笑が浮かぶ。吹き抜けた風が指し示す方を見つめれば、最後にみた本間の姿が蘇る。見つめる先にいるのだ。本間とRIOが戦っているであろう、搭乗口に。顔を覆う髪を掻き上げ、風に向かって振り返ると、タイロンもまた屈強な身を立てながらにこりと頷き、今一度零の往くべき道を促していた。

「(主は風の守護も賜っているのか。羨ましい限りだ)」

 そう言って背を向けて立ち去るタイロンの背に、微笑を返した。零は彼の反応を待たずに、風の往く先を見据えてYOUに応答した。

「YOU、得物がありません。それと、足も」

 コツ、と整えられたアスファルトを蹴る靴音が、零の耳に心地よく響く。

『了解です。今そちらへ車を走らせていますから合流しましょう。武器も車に積んでいます』

 YOUがそう告げている間にも、零は駈ける足を更に急がせた。追い風が「急げ」とうっとうしいくらいに、零を前へと押しやってくれる。かすかな深緑のオーラをその中から感じ取る。そう遠くない、傍にいる。キースとウンディーネのレインを誘導して、すぐそこまで来ているに違いない。欲張りな男だ。キース、レイン、本間、そして――自分などのことまでも。

(何ひとつ失う気がないなんて、いかにも風間らしいわね)

 思わず、くすりと笑った。それにYOUが反応した。

『え、何か私、おかしなこと言ったかしら』

「ああ、すみません。YOUを笑ったわけでは」

 と言い掛けて言葉が止まる。空港ロゴの入った作業車が あるまじきスピードで迫っていた。大胆にリアをスピンさせたかと思うと、助手席を零の前にする格好でぴたりと停車した。

「お待たせ、RAY。その顔だと、《ノーム》は敵ではなかったみたいですね」

 そう確認するYOUは、笑っていた。その表情が、本間たちが無事であることと、まだ自分たちに勝機があることを告げていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ