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火炎の艶女~サラマンダのリザ~ 4

 紀由は夢うつつな意識の中で、自分が何をしていて、どうしたのかを振り返る。今、かすかにRIOの声が聞こえた。

(そうだ、確か、任務中だった……どの任務だ?)

 自分がどういう状況におかれていたのかをよく思い出せず、まずは固く瞼を閉じようと、目に意識を向けた。そこで初めて、すでに瞼を閉じていたことを思い出した。

(そうだ……確か)

 今度は痛みに近い熱を帯びていた体が、不意に冷気を感じ始めた。ひんやりとした心地よい刺激が、ようやく紀由を覚醒させた。

 ゆっくりと、瞼を開ける。ただれていたはずのそれは、なんの痛みも感じず自由にまばたきをすることが出来た。

(違う。元々焼けただれてなどいなかった)

 自分がリザの心理攻撃にはまって幻覚の中で苦しんでいたことを、ようやく完全に思い出した。

 ずきりと強い痛みが走る。右大腿に走ったそれは、自らの手で撃ち抜いた銃創のせいだと自覚しているが。

“綺麗ごとを絵に描いたようなタイプ”

 昔から紀由の周りには、そう言っては鼻で笑う奴が必ずいた。紀由はそんな奴らを哀れだと見下していた――神祐と会うまでは。

 理由など、特にない。ただ神祐のことは気になった。ひどくアンバランスで不安定な精神を持つ二歳年下の小学生が、紀由の予想に反して斜め上を行く無鉄砲な数々の問題を引き起こす。その行動原理が理解出来なくて、妙に新鮮で興味が湧いた。神祐が少しずつ紀由に懐き、素直に思うことを吐き出すようになってから、初めて気づいたことがある。

“自分がなんでもすぐ簡単に出来るからって、俺までそうだって決めつけるなよ!”

 神祐と喧嘩をすると、昔はよくそう言われた。言わない代わりに壁を作られ、「神祐」から「GIN」と呼び名が変わった辺りから、思い知らされた。

(俺は、神祐の……いや、あいつだけじゃない。他人の気持ちが、解らない)

 自分の弾き出したその分析結果に、激しく自己嫌悪した。志保という弱音を吐ける存在がなかったら、未だに解ろうとさえしていなかっただろうと思う。それほど当時の紀由は、相手の不出来はすべて本人の怠慢だと思っていた。

 努力は必ず実るもので、理想や希望は、棄てさえしなければきっと叶う、現実の延長線上にあるものと信じて疑わなかった。

 人の心に巣食う闇は、本人の弱さが起因している。意思次第でどうにか出来るものを、足掻くこともせず諦める。それは悪であり怠慢であると決めつけていた。

 綺麗ごと――リザの紀由を評した言葉は、きっと真実なのだろう。変われたつもりで、まだ変われていない。解っていない自分を痛感させられる。それが、足以上に紀由の胸を痛ませた。


「痛……っ」

 目に何かが入った軽い衝撃を感じ、思わず目をしばたたかせた。手を翳して落下物の方向を見上げれば、放射状に線を描く水の筋が紀由に降り注いでいた。その段になって初めて、自分が誰かの膝を枕にして仰向けで寝転がっていると気がついた。

「本間さん、気がつきましたか」

 その声にすぐ答えることが出来なかった。天から降り注ぐ透き通った糸の束にすっかり魅入っていた。

 例えるならそれは、豊穣の、雨。熱された身体に心地よい涼と穏やかな湿り気を染み渡らせてゆく。それだけでなく、つい今しがたまで紀由の心の大半を占めていた、ネガティブな何かをぼんやりと曖昧なものにさせていった。

(まあ、それが俺なんだから、しょうがない、か)

 思考から分析へ移る自分を感じて、小さく笑う。綺麗ごとの理想論、今回はそれが一命を取り留めたと思っていいだろう。志保の願いを叶えてやりたい。彼女のすべてを幸せな思いで彩りたい。それが自分の願いであり、生きる指標でもあるから。その最終目的へ辿りつく過程として、高木から託されたもの、GINたち《能力》者の平穏な暮らしの確保、闇組織の根絶がある。確かに、綺麗ごとだ。

「だが、それの何が悪い」

 いつの間にか、声に出していた。視界の片隅で、紀由を覗き込むYOUの顔が驚きに変わった。

「本間さん? 私です、YOUです。わかりますか?」

 青ざめた不安げな顔で声を荒げたYOUは、視線を紀由から逸らさないまま右手を軽く掲げた。水の糸が澄んだブルーを帯びて、糸巻きのように立てられた二本の指に絡まっていく。

「まだリザに掻き回された不浄が残ってるのかしら」

 彼女のその独り言から、水のクリアな青が《淨》の彩ったものだと初めて知った。YOUの右手をそっと包んで、彼女の発動を制する。その手を支えに、ゆっくりと身を起こした。

「問題ない。戻って来れたようだ」

 気づけば搭乗口付近の滑走路から、整備用具の倉庫と思しき場所の前まで移されていた。身体的には男性とは言え、完全に脱力していた紀由をここまで避難させるのにかなりの労を強いただろう。情けない今の自分にばつの悪さを覚え、つい苦笑いが浮かぶ。紀由は礼を述べる代わりに、自分の立て直し完了をYOUに伝えた。

「まずは現状を把握したい。鷹野たちと華僑は」

「無事空港から退避しました。追尾する不審人物の確認もありません。鷹野首相が本庁へ警護の増員を要請、隠密を保持したまま胡主席とともに首相官邸へ移動中です」

 YOUがある意味についてのみ、安堵の表情を浮かべて報告を返して来た。

「こっちの状況は」

 乱れたスーツを整えながら立ち上がり、ゆるんでいた気を引き締めるようにYOUを見下ろして訊ねると、彼女もまた立ち上がって気を引き締めた表情に戻った。

「GIN、RAY、ともに連絡が取れません。ただ、RAYの回線自体は繋がっています。交戦中の模様。相手はマッド・タイロン、ノーム――土属性の《能力》者と思われます」

「根拠は」

「RAYがGINに“地盤が硬い内に跳べ”と指示を出していました。ここからは見えませんが、近距離で地盤の異変がある模様です」

 そう言ってYOUは、GINと零が向かった方向を指差した。その先には、一直線だったはずの地平線が、わずかに乱れた乱雑な線を描いていた。

「GINはキースの追尾を継続している、ということだな」

 眉間に深い皺を寄せ、思考を続けながらそちらの件についても確認する。

「恐らく。ウンディーネとキースは同行しているものと思われます。キースに渡してあった通信機から少女の声が聞こえました。会話までははっきりと聞き取れませんでしたが」

 YOUの発したその声には、明らかな焦れた思いが滲んでいた。GIN、零がそれぞれ苦戦している可能性がある。だがその一方で、目の前にある光景を無視も出来ない彼女がいる。体は足りず、気持ちは大き過ぎ、どこへ向かえばいいのか自分では決断出来ない。そんな葛藤がYOUの声に棘を持たせていた。

 九月の残暑の厳しさにも関わらず、紀由もYOUも、汗ひとつ零せないままだった。それはYOUの集めた水が一時の涼を施したからではない。この地点から肉眼でどうにか見とめられるほどの距離で繰り広げられている《焔》同士の戦う熱が、すべての湿度を気化させてしまうせいだった。

「RIOも幻術から抜け出せたのか」

「はい。リザの大きな不浄を介して、RIOの思念も辿れました。失礼ながら、本間さんの方も」

 幻術を打破する鍵、と彼女は称した。

「それは、現実に残したまま断ち切れないこだわり、ではないかと思います」

「こだわり」

「本間さんの場合は、奥さまに対するこだわりが光のようなイメージをかたどっていました。それがリザの不浄を切り裂く、といった形であなたの意識を現実へと近づけていました。RIOは……その」

 と、なぜか突然口ごもる。YOUが突然浮かべた困惑の表情が何を意味しているのか解らず、わずかな時間を惜しんでたたみ掛けるように問い質した。

「RIOは、なんだ」

「裏切り、ではないと思うのですが……彼女、そのものが」

「彼女?」

「RIOは、リザ・フレイム自身に関心を抱いた、と言うか。その、妙な意味ではなく。巧く言えませんが」

 YOUはリザと直接接触していない。彼女の内面を知るのは、今現在仲間の中ではRIOと紀由のみだ。彼女にとっては戸惑うRIOの考えを、紀由は少なくても彼女よりは予測出来た。RIOに対する呆れが半分、賭けてみようと思わせる彼の成長を寿ぐ気持ちが半分。それが一瞬だけ、紀由に笑みを浮かばせた。

「わかった」

 とだけ答え、一度目を閉じミッションを再構築する。リザの言葉、表情を反すうする。過度なセックスアピール、否定的な言葉に過剰反応する激情。命取りになり兼ねない、妙な虚勢と虚栄心。精神的に幼稚な彼女との戦いに適した相手は――。

「YOU、RIOはどの程度持ち堪えられると推測する?」

「リザとRIOは、戦闘当初の段階では互角でしたが、持続力と体力差を考慮して……長く見積もって、三十分内外ではないかと」

 赤く染まるフィールド内では、RIOの劣勢が伺える。リザの一方的な攻撃に反撃しない。出来ないのではなく、何か思惑があって、敢えて回避に徹しているようだ。遠目であることと、彼らが非能力者の紀由にさえ視えてしまうほどのオーラを放っていることが、詳細を観察する紀由の視界を阻んでいた。だが、RIOの考えを粗方予測することは出来た。

「YOU、十五分だ」

 決断は、下された。

「GINにキースとレインの強制連行を伝えろ。同時にRAYをこちらに呼び戻せ。ふたりでノームをこちらへ誘導させ、一気に連携でかたをつける。急げ」

「了解です」

 YOUがこくりと頷いたのを合図に、ふたりは同時に左右へ分かれて駆け出した。

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