火炎の艶女~サラマンダのリザ~ 1
GINと零が合流したのを見とめた本間とRIOは、同時にそれぞれの持ち場へと駆け出した。本間はSPに指示を出して散水栓の解放、そして放水。YOUがその水を使って、胡主席の周辺に絶対防御の壁を作る。RIOは遠方からの狙撃弾を微弱な《熱》で溶かし除けながら、周辺の敵を確認した。サラマンダの気配はまるでない。そもそもデータが少な過ぎて、特定出来るのかという自信もあまりなかった。
(や、でも同属だから、気配で解るはず)
パニックでも起こしたのだろうか。RIOはあらぬ方向へと猛スピードで走って行く作業車を見つめながら、自信をどうにか奮い立たせた。
「本間サン、今ンとこ、異常ナシ」
そう告げる傍らで、RIOもYOUや本間のあとを追って空港の中へ護衛のために戻るつもりで駆け出す一歩を強く踏みしめた。
「(はぁい、初めまして。本間紀由)」
癖の強いアメリカン・イングリッシュが、先を行く本間を振り向かせた。言っていることは解らないが、RIOにも本間の名が呼ばれたことだけは解った。そして呼んだ相手が“敵”である、ということも。唐突に広がった紅のオーラが、サラマンダ――リザ・フレイムの登場をアピールしていた。要望に応えてRIOも振り返れば、いつの間に、そしてどこから現れたのかも見当がつかない位置――胡主席一団が乗って来たセスナの手前側から、等身大ほどの小さな紅の柱がRIOに近づいていた。
(あり得ねえだろ。どうやってその位置から出没出来るんだよ)
RIOのこめかみから嫌な汗が一筋伝い落ちた。
恐らく白バッジのチャンネルを切り替えた上で叫んでいるのだろう、「ボス、どういうことだ」と問い詰める本間の声が、RIOの方へ近づいて来る。
(どういうこと、って。本間サン、そいつは)
最初から、胡も鷹野も狙われてはいなかった、ということだ。狙われていたのは――。
「(そうねえ……こっちの坊やの方がタイプだわ)」
紅の柱は紅い糸へと変貌し、その中にいた女が妖しい微笑を浮かべた。蒼い瞳に、どこか自分と似たゆがみを感じさせる。自信家をあからさまにする根拠が、彼女自慢の美貌だとひと目で判る。戦闘の場へ赴くにはあまりにも不向きなカクテルドレス。大きく開いたスリットからは一歩進むたびに太腿が見え隠れする。むき出しにされた肩の肌色は、零の持つそれとは異なる白人ならではの純白で、たなびく豪奢なブロンドとオーラの紅とのコントラストは、RIOに色違いのトリコロールを連想させた。
「何言ってっかわかんねえんだよ」
RIOは攻撃の構えもなく近づいて来る女に、日本語のまま噛みついた。
「ソウ・ユー・ルック・ナーヴァスネス――アイ・ドゥ・ノット・ニード・ユー(あんたは神経質そうだから――要らない)」
リザはRIOを無視し、本間に向かってそう言った。その程度の英語であれば、RIOにも理解出来た。ざわりと身の内から《焔》の力すべてが暴れたがってざわめき出す。
『紀由!』
『遼!』
ラベルホールの白バッジから、GINと零の声がハウリングを起こして鼓膜をつんざいた。
「うっせえぞ、おっさん、零。あんたらはネタが漏れる前にシルフを捕まえろ」
憎まれ口を叩く対象ではない相手を睨みながら、RIOは自分を子供扱いする空中のふたりに説教を垂れた。うっとうしい白バッジを引き千切って叩き捨てる。
「本間サン、あとは任せた。司令塔にくたばられるとどうにもならねえからな」
GINに怒鳴りつけている本間には聞こえないほどの声で、RIOなりの覚悟を決めてそう呟いた。
リザが伊達で不遜な態度をしているわけではないのは、放たれるオーラで一目瞭然だ。
(来る……?)
彼女の両腕がゆるりと上がり、その先端を艶かしく彩っていた爪が、あり得ない速度で伸びた。
「(あら、上からの話ではノーコンの集団って聞いていたのに)」
リザが少しだけ目を見開いて、何かを呟いた。早口な訛りの強い英語の内訳は解らなかったが、ターゲットがこちらに向いたことだけは彼女の視線の行方で確信出来た。
「年増が俺について来れんのかよ」
不遜な笑みに、皮肉で挑発的な微笑を投げ返す。女だからと言って手加減する気は皆無だった。右手には、《滅》の華。サラマンダに《熱》を食らわせたところで、ダメージを与えられる確証などない。心理攻撃で自己崩壊させる作戦に勝算の可能性を賭けた。情動の赴くままに、最大でこれを叩きつけていい。そんな相手を得られたことに、RIOの中で燻ってるゆがみが喜んでいた。
「ワオ、イッツ・ア・ビューティフル」
リザはいちいちふざけたリアクションを採りながら、広げていた両手を豊満な胸の前でクロスさせた。と同時に彼女の身の丈ほどにまで伸びた爪がシャキンと音を立てて縮む。その手指は元の赤いネイルとダイヤストーンで華美に飾られた普通の爪に戻っていた。その瞳は本間でもRIOの視線でもなく、RIOの右手に集中した。
「?」
「(あたしが物理攻撃しか出来ないと思い込んでいるみたいね)」
また、意味不明の何かを呟かれた。それがよくも悪くも、RIOの苛立ちを飽和状態から解放した。
「て、めえは……黙って喧嘩に集中出来ねーのかよッ!」
「待てッ、RIO!」
と背後から本間の制する叫びが聞こえたころには、もうリザに向かって全速力で走り出していた。
「OK――カモン、キャンディ・ボーイ」
艶かしく蠢く五本のしなやかな指。厚みのある真っ赤な唇が、RIOを誘うように下弦の弧を描く。一瞬にして広がった真紅のオーラに溶け込んだドレスがふわりとはためき、長い真珠色の美脚を見せる。武器を隠し持っていることもないと判断すると、RIOは挑発する彼女に向かってまっしぐらに疾走した――はず、だった。
(あ?!)
リザの頭蓋を掴んだはずの右手が虚しく空を切り、不本意な握り拳に変わって空振りした。彼女が、消えた。周囲に隠れる場所などどこにもないのに。
「(ばかね。こんなチャチなフェイクに引っ掛かるなんて)」
その声にはっとして振り返れば、RIOを無視して本間へ近づく彼女がいた。
「ふ……ざけろ、てめえ。無視ってんじゃねえぞコラっ!」
チリ、と首筋が熱くなる。両手を支配するのは、《滅》ではなく《熱》の塊。焼けそうなほどの高温がRIOの眉根に深い皺を浮き立たせた。ちょこまかと動きだけは速いこの女に二度逃げられるのは癪に障る。どうせなら一か八かの賭けで《熱》をお見舞いし、ダメージを与えられなくても、一瞬だけ動きを封じられればと考え直した。《滅》の力でしとめるのは、そのあとでいい。決めたと同時にRIOの視界が、染まる色を真紅から臙脂と茜に変わっていった。
「(リザ・フレイム、貴様……RIOと同じか)」
本間が彼女に向かって拳銃を構えたまま、鋭い視線で何かを問い質した。見えない会話と邪魔な位置関係にあるふたりを見て、RIOはぎり、と奥歯を噛んだ。RIOの真紅の髪が、武者震いを具現化するかのように、文字通り総毛立った。
「本間サン、脇へずれろっ。俺がやる!」
右手を振りかざして叫ぶ声が、ムキになった。リザが本間と自分の間にいる状態では、《熱》を飛ばすことが出来ない。リザを仕留めることが出来ても、それに本間まで巻き込んでしまう。その事態だけは、なんとしても避けなくてはならない。本間の正義を信じ、それに追随して生きて来た零が、きっと泣くだろうから。
自分が仕留める。それがRIOにとっては、本間の無傷と同じレベルの優先順位だった。それは自己顕示欲からだけでなく。RIOの《熱》がMAX寸前まで高まっている焦りからも、気が急いた。《熱》はすでにRIO自身を焼き始めている。プツプツと立ち始める繊維の焦げる音、匂い。こめかみに浮いた汗が、球をかたどる間もなく消えていく。苦痛で顔がゆがみ、脚は次第に震え出す。もう限界が近づいていた。
「RIO、リザは物理攻撃」
「ドント・コール・ミー・バイ・ザット・ネーム!(その名前で呼ばないでよッ)」
リザが叫ぶと同時に両腕を上げる。本間への攻撃態勢を取った彼女の身体が、本間の位置をRIOに確認させた。
(っしゃあ、もらった!)
本間を道筋から外した立ち位置へ素早く身をスライドさせる。
「痛……ッ」
着慣れないシャツに癒着した皮膚が引き攣れ、呻きが漏れた。だが泣き言を言っている暇はない。自分だけの力で、この場をどうにかしたい。
「RIO、どけッ」
「うっせ黙れ」
と答えるよりも早く、コンマ数秒、火傷寸前程度の接触時間だけ触れる格好で本間を思い切り突き飛ばした。彼を守り、且つ《熱》で負傷させない距離まで近づいて、リザと出来る限りの距離を取る。変わらず微笑を湛えたままの彼女を真正面から睨み、攻撃の姿勢に身構えた。
(あいつに――GINにばっか、いいカッコされて堪るかってんだよ)
これまで考えたこともなかった。自分と零が第三者にどう映るのか。初めてそういう視点で自分を見た。風間神祐が現れたせいで、初めて自分が零に守られるだけの、ガキでしかないと思い知らされた。もう一度対等な立場で零と向き合えるだけの自分になりたい。初めて強くそう願った。
――本当の意味で、強くなりたい。
ビッ、と皮膚の剥がれる耳障りな音がした。それが余計に痛みを意識させる。だが顔にそれを出すのが癪に障る、という負けん気の方が強過ぎた。RIOの腕がそれに逆らう勢いで思い切り振り翳される。
「くたばりやがれ! ビッチが!」
振るう右腕が半円を描く。フォークボールを投げるピッチャーの描くような、ゆがみのない臙脂のラインが宙を走る。あと九十度角を通過させれば、リザへ一直線に向かう《熱》。投げ放つその刹那、背後からRIOの腕を取る者が攻撃の道筋を狂わせた。
「うゎヤベ! おっさん、何し……?!」
取られた腕の先を振り返り、RIOは意外な人物に言葉を呑んだ。RIOの《能力》を意にも介さず手を出してくる大馬鹿野郎は、RIOの既知では独りしかいない。てっきりGINだと思ったのに。
「本間はGINが助けるわ。今の内に、あなたも早く」
そう言って縋る目つきで見上げて来たのは、つい今しがたまでRIOの思考の大半を占めていたモチベーションの源だった。
「なんで戻って来たんだよ……零」
急速に《熱》が退いてゆく。逆立っていた赤髪が、RIOの首筋を舐めるように落ちていった。
「なんで」
うわ言のように呟くRIOの腕が、零の腕に絡め取られた。
「とにかく、サラマンダから離れましょう」
RIOは混乱する頭で「なんで」を繰り返しながら、零に促されるまま空港の屋内へと走っていった。