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サレンダー 1

 ふたりを載せたFDが警視庁の敷地内へ入ると、紀由はGINの知らない方向へとステアリングを切り返した。

「こっち方面は警視長以上の階級でないと入れない場所じゃあなかったっけか? ひょっとしてこの五年でもうそこまで昇進してた?」

 GINは頭から大半が抜け落ちている規則の欠片を拾い出し、半ば冗談めいた口調で紀由にそう尋ねた。いくら彼がキャリア組でも、そこまでのステップアップは経験年数からしてあり得ない。

「まだ警視正の場所で足踏みをしている」

「でも、入れるってことは」

「俺の特例措置が上に認識されているということだ。警視長以上のクラスになれば、組織の存在を暗黙の了解として認識させられる、ということでもある」

「ってことは、本間総監も組織の存在を知っていた、ということか」

「……そういうことになる、だろうな」

「ふたりだけになった時でも、その話題には触れられなかった、ということ?」

「どこに組織の目と耳があるか解らんからな」

 都市伝説が聞いて呆れる。そう吐き捨てた紀由の言葉には、組織に対する嫌悪が滲んでいた。


 地下駐車場最地階の奥に、隠された扉と車輌進入可能なスペースが存在していることも初めて知った。表から入る地下駐車場から見れば、その壁はコンクリートの、文字通り“壁”にしか見えなかったからだ。

「いずれにしても、いつ緊急出動するか解らんのがこの仕事だ。組織に属すればお前にも足が支給されることになるだろう。この壁は、上層部だけに知らされている可動式パーテーションになっている。システムとマップを頭に入れておけ。表のこの区画に繋がっている」

 紀由の言葉が終わったかと思うと、FDのバックミラー裏に設置されたセンサーが赤く点灯した。それがグリーンの点滅に変わり、目の前の壁が左右に開かれる。目の前には、見覚えのある本来の地下駐車場が広がっていた。

「はぁ……ここに繋がってたのか。っていうか、俺、復職する気ゼロなんだけど」

 GINのおどけた口調の反論は、紀由に無視という形で却下された。FDがバックすると、パーテーションが元の壁に戻る。FDはその手前の下り坂を更に降りていった。最地階の最も奥まった区画まで下ると、FDが華麗な弧を描いてターンした。タイヤをスピンさせた耳障りな吼える音が、GINの鼓膜を刺激した。

「おあっ。……何怒って」

 GINの苦情が、急ブレーキと同時に途中で途切れた。

「おまっ、舌噛ん、んがっ!」

 急なバックでGINの意思に構わず、首がカクンと大きく前後に揺れる。ナビシートの窓ガラスが、GINとともに鈍い悲鳴を上げて嘆いた。

「おまえな」

「少しは先のことをシミュレートしたらどうだ」

 批難がましく細められた目が、GINに有無を言わせない。また紀由と肩を並べる時間が持てるとは思ってもみなかった。それが妙にGINを浮ついた気分にさせていたのは確かだ。それが知らず態度に出ていたとでも言いたげな、紀由の複雑な表情だった。

「《能力》者に対してさえ、平気で上からものを言う相手だぞ。何を隠し玉に持っているのかさえ解らない。まったくの正体不明な相手だということを肝に銘じろ」

 エンジンを切ったために訪れた静寂の中、紀由の警告が重く響いた。それが改めて自分の立場を、嫌な意味で認識させた。

「……わかったよ」

 答えると同時に、ぶる、と一度だけ肩が揺れた。


 FDを降りて以降は、紀由のあとに従った。ほんの数メートル歩いた先に、錆びついた鉄の扉が見えた。その扉には、『STAFF ONLY』と記された、古ぼけたプレートが固定されている。その下には、ポストを思わせる横長の空洞が黒く口を開けていた。一見して使われていないという印象を与えるそれの前に来ると、紀由がプレートを無造作に横へとスライドさせた。投函口だと思った穴から、小さなタッチパネルが飛び出して来た。

「これ、郵便受けじゃなかったのか」

「生体認証キーだ。まずここに立ち入る者などいないだろうが、念には念を、という擬態だ」

 紀由がそう解説しながら、現れた黒いタッチパネルが認証したのを確認し、画面に現れたテンキーを手早くインプットした。

「暗証番号はすべて脳内保存だ。間違えたらいろんな意味でアウトだと思っていい。お前がボスに認められれば、のちほど正式に専用ナンバーが支給されることになる」

 紀由の含みを交えたその説明が、扉の軋む音と絡み合った。開いた扉の向こうに、小さなフロアが姿を現した。比較的この扉よりも新しい時期に作られたと思われる。真正面に捉えたのは、不可思議なエレベーター。昇降ボタンがあるべき場所には、やはり黒光りするタッチパネルがあるのみだ。紀由の掌がそれに触れると、階数表示の電光板が二桁の数字を示し始めた。

「地下が二桁台とか、どんだけ」

 その階数の深さや上昇する速度を見たGINの口から、そんな呆れ返る感想が零れ出た。

「お前といると、何を前にしても遠足気分が味わえるな」

 紀由がGINとは別の意味の呆れた溜息を漏らしてそうごちた。やがて扉が音もなく静かに開き、ふたりはそれに乗り込んだ。

 右から左へと階数が増えていく奇妙な点灯の流れを、ぼんやりと見上げて考える。急降下していくエレベーターの中で、GINは静かに“上”に対する自分の回答を練り込んだ。


 扉が開いた先には、通路どころか部屋を示すドアらしきものも見当たらなかった。

「エコ対策かよ」

 思わずそんなつまらないジョークが出るほどの漆黒がGINの視界を占めた。紀由の意識へダイブした時に見た映像とまるで同じその光景。その漆黒が、却ってGINにほどよい緊張感をもたらした。

(黒幕は姿を現さない、だと? アンフェアだっつうの)

 “ボス”と呼ばれる黒幕に対する敵がい心が、GINの闇に対する恐怖を凌いでいた。サレンダーの本部と思われる異質な空間が、そんな形でふたりを出迎えた。

 紀由が圏外になった携帯電話を取り出し、ディスプレイの時計で確認する。

「本間紀由、戻りました。現在時刻、二一三二分。《風》のGIN確保完了。彼に抵抗の意思はありません。報告、以上」

 紀由の報告がしめ括られると、スポットライトがふたりを照らした。GINは一瞬舞台袖からそのど真ん中へ引きずり出されたような感覚に陥った。うっとうしげに目を細め、近づく足音とかすかに漂う複数の息遣いに耳を澄ませた。

(二、三……人。思っていたよりも随分少ないな)

 GINは紀由の思念から“上”の存在を複数だと推測していた。《能力》者の同席も合わせて推測すると、若干肩透かしを食らった気がしないでもない。

(まあ、この程度なら楽勝か)

 もうひとつの《能力》を使えば、紀由と自分だけなら万が一のことがあったとしても、この程度の人数が相手であれば逃げ果せるだろうと踏んだ。

「なあ、暗いのは苦手なんだ。灯りをなんとかして欲しいんだけど」

(神祐っ)

 小声で制する紀由を無視し、わざと緩い口調でつまらない要望を口にした。後ろ手にした手から、そっとグローブを外す。隙を狙えば確実に捉えられるはずだ。

「人を呼びつけておいて、自分の姿は見せませんって、あんたら、何サマ?」

 紀由に掴まれた腕を振り払い、一歩前へと足を踏み込んだ。

「《能力》者を利用したいのは、あんたらにそれがないから、だろう? 人の弱味を握って首根っこを掴まえるような真似が、いつまでも通用するとか本気で思っているのか?」

 朗読のような淡々とした声で呟くGINの行く手が、再び後ろから阻まれた。

「GIN、いい加減にしろ」

 GINの腕を強く引き戻し、紀由が鋭くそう命じた。彼を振り返ると、額にじとりと汗が滲んでいる。真正面から見据える彼の瞳が、事務所で「今は堪えろ」と告げた彼の言葉を思い出させた。

「……ムリ」

 脳裏に蘇る哀しげな由良の微笑。元凶は自分にある。それは解っているけれど。

「こいつらが由良を拉致らなかったら、由良は」

 サレンダーが彼女を拉致しなければ、寒くて冷たい冬の海で、彼女があんな凄惨な逝き方をすることはなかったはずだ。

 真冬の水がどれだけ冷たいものか、幼い頃に受けた虐待の記憶が知っている。水に浸けられ、自分の意思で自由に呼吸出来ない苦しさ、そしてその恐怖を知っている。痛みと言ってもいいほどの火が強いる熱さも、由良の味わったそれには及ばなくても、未経験の者に比べれば少しは理解しているつもりだ。

 サレンダーが自分だけに関わっていれば、由良が船上で爆死などという末路を辿ることはなかったのだ。この五年間、その憤りが拭えなかった。誰を恨んだところで由良が還ることはない。自分にそう言い聞かせては、無理やり感情にふたをしてやり過ごして来た。だが目の前に由良を陥れたヤツがいると思うと、リバウンドのように膨れ上がるそれが、抑え切れなくなっていた。

「せめて、ちゃんと、人らしく逝けたかも、知れないのに」

 スポットライトを浴びる紀由の姿が、次第にグリーン掛かっていく。誰にもぶつけられずにいた五年分の感情が、GINの中で一気に溢れ返った。

《風間神祐。三十一歳。警視庁公安第三課所属、五年前に失踪、懲戒免職処分済。家族構成なし。資料にある写真とは随分風貌が異なりますが、本人に間違いありませんね?》

 GINの訴えも、紀由とのやり取りも、すべて無視した淡々とした擬似音声。それがGINの神経を逆撫でした。

「ひ、との……っ、話を聞いてんのかコラぁっ!」

 紀由の腕を振り解こうと、渾身の力で腕を払う。だが気づけばがっしりと腕を組まれていた。

「GIN、口を慎め。昔話をしている場合じゃない」

 そう諭す紀由が、GINの腕をまたねじ曲げる。GINの肩が、ミシリと小さな悲鳴を上げた。

(今は耐えろと言ったはずだ)

 耳許に紀由の声がこだまする。

「ふ、ざけろ……っ、お前の妹でもあったんだぞっ。なんでそう簡単に割り切れるんだよっ」

 再びGINを襲い始めた頭痛が、彼のわずかな声にさえ苛立たせた。

《ミッションの前に副作用で動けなくなるのは困りますね――RAY》

 ボスと思われるその機械音がそう呟くと、床を叩く靴音がゆるりとGINの方へ近づいた。

「およしなさい。無駄な《能力》の浪費は、ミッションの失敗を招きます」

 聞き覚えのあるハスキーな女の声が、GINの鼓膜を刺激した。その声がGINの表情と感情を、憤りから異なるものへと一変させた。

「……」

 体中が、こわばる。その声ひとつで五年前へタイムスリップしてしまう。腹を括ったつもりなのに、声のひとつも出せなかった。

「お久しぶりです――GIN」

 靴音を響かせていたローファーが、スポットライトの照らす範囲内へ滑り込む。GINの身体が条件反射で、彼女を避けるように反り返った。

「きっとあなたのことですから、なんの策も講じないまま、頭痛と仲よくしていたのではありませんか」

 視界に入った黒のパンツスーツのラインを辿り、恐る恐る視線を上げる。五年前と変わらない鮮明に映える赤い爪が、GINに向かって伸びて来るのが見えた。

「わずらわしいと思っている癖に」

 スーツジャケットの黒と対を成すブラウスの白が、胸元のボタンを弾きそうな勢いでぴんと張り、彼女のインナーをわずかに透かして見せる。

「結局その《能力》を使って口を潤していたのでしょう?」

 毒舌を吐くワインレッドの唇が、皮肉の下弦をかたどった。まとわりつく百合の香りが、GINの眉間に不快の皺を刻ませる。

 かつてはともに紀由を追って、同じ道を歩んだ同期。ひょんなことから《能力》を知られ、GINを脅かす存在になった女。その存在は、自分の罪を思い起こさせる存在でしかない。彼女の冷ややかな瞳が、GINの中に溢れ返ったサレンダーへの怨念を、自罰の意識とすり替えていった。

「……零」

 五年前に由良を泣かせて死に至らしめた共犯の名を、GINがようやく口にした。頬に触れた彼女の手を、思い切り顔を背けることで拒絶する。

 彼女はGINの挑発めいた態度に動じる様子も見せず、笑みだけを引っ込めた。

「あいにくでしたね」

 涼しげな彼女の瞳が相変わらず何を考えているのか解らない鈍い光を放ち、GINを探るようにまっすぐ見据えた。

「お互い、ただ単に“肌が合う”だけだと思っていたのに」

「は?」

 唐突に過去の過ちを言葉にされて、かっと頬が熱くなる。意識が背後の紀由へ向いてしまう。だがそんな後ろめたさや羞恥心も、ふたつの手によってかき乱された。

「いえ、あなたにはこれでよかったのかも知れませんね。《能力》のせいだと立証されたのですから」

 零の手が再び伸びて来る。同時に紀由が突然GINの拘束を解き、零に向かって強く背中を押しやった。

「き、本間?!」

 押された反動でスポットライトの光から外れ、暗闇の中で零を抱え込む恰好になった。見えない懐から、細い指がGINの頬に触れた。

「ずっと頭痛を抱え続けて、それで罪滅ぼしになるとでも思っていたのですか」

 哀れむように囁く声が、GINの神経を逆撫でする。零と紀由が取った行動の理由に気づいた瞬間、GINの頭痛がいや増した。

「ちょ、待てっ。もう俺は」

 足掻く声と抵抗の腕が封じられる。「お前の手なんか借りない」と言い切れないまま、彼女がGINの奥深くまで忍び込んだ。

 サブリミナルのようにフラッシュバックする映像。零の黒くて暗い過去。GINと同じく身寄りのない零が、養父から命令されて来たことの数々。十歳という幼い頃から、薬、身体、銃、なんでも売って来た、彼女の黒い歴史。生き残るためになりふり構わなかった頃の零が見せる、年不相応に醒め切った虚空の瞳。苦しみを苦しみとさえ認識出来なかった頃の零の記憶が、GINの吐き気をいざなった。

 同時に溢れ出すのは、GIN自身の記憶と過去の残像。幼くて惨めな、捨ててしまいたい無様な感情。

『もう読まないから、ぶたないで』

 繰り返される映像と声が、四半世紀を過ぎた今になっても、GINの額に嫌な汗を滲ませた。

 それらの間に時折挟まれるモノトーンの映像。それはまるでシナプスが繋がっていくミクロの世界を、《能力》そのものがふたりに知らしめているようにさえ見える。何度味わっても慣れることのない、ざらついた不快感。それにも関わらず、身体が細胞単位で零のそれを欲しがり、GINの意思に反して行儀の悪いほどに彼女の唇を貪った。

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