ダブル・スタンダード~交錯する不文律~ 2
零とRIOが住むマンションの前にZを横付けすると、深紅のNinjaがオーナーとともに待っていた。GINが李淘世ミッションでシガツェにいた春先に、零がRIOの新たな足として調達したものらしい。
「遅え」
というRIOの文句は、ふたり揃って聞き流した。零のアイコンタクトを受け、GINは軽く頷いて任務遂行に支障はないと彼女に念を押す。
「遼、首相の前でそんな言葉遣いは厳禁ですよ」
零の発した私情混じりの注意喚起に、RIOが訝る視線を向けて小首を傾げた。
「……なんか、あったのか?」
「なぜ?」
「いや、ミッションなのに“遼”って呼んだから」
GINはそんなやり取りを運転席で耳にしながら、煙草を口に咥えた。
GINに背中を向けている零の肩より少し上から刺すような強い視線を感じる。見えない敵に、要人を二名も抱えている上に、アドリブだらけの不透明なミッションに対する何倍増しもの緊張感。自分の焦燥をそう分析するGINから見ると、RIOの険しい眼差しの理由が、とても稚拙で苛ついた。
「遅いってほざくなら、無駄口叩いてないでさっさと乗れ」
GINが不機嫌を露骨に出したことで、RIOは小さな舌打ちをした。だが、それ以上GINや零に突っ掛かって来ることもなく、渋々Zのナビシートに腰を落ち着けた。公邸に着くまでの間、RIOの文句がしばらく続いた。慣れないフォーマルスーツが堅苦しいだの、しつこく何かあったのかという詰問など。それにおざなりな対応をしているうちに、GINの中で密かに首をもたげていた妙な緊張感が、少しだけ和らいでいった。その矢先にRIOが
「いや、興味本位とかじゃなくて。なーんか、ヤな予感すんだよな」
と気になるひと言を呟いた。
「ヤな予感? って?」
せっかく紛れた胸騒ぎが、再びGINの中で蘇る。
「ピンで動けるってことで、俺がテンパってるだけかも知れないけどよ」
キースの裏切り、鷹野・胡護衛の失敗、サラマンダという《能力》者のレベルなど、不安要素を挙げればキリがない。だがそれを当て嵌めてもしっくりと来ない何かが嫌な気分にさせるという。それはGINが任務に気持ちをシフトしてから燻っている感覚とよく似ていた。
「ネガティブな発想は、ネガな事態を呼ぶだけだぞ」
RIOに諭すその言葉は、GIN自身にも向けられたものだった。
「んー、まあな。あ、そうだ。本間サンから連絡があったときに言っておいたんだけど」
レインという《能力》者らしき少女。彼女の年齢が十三歳だというのはGINも知っていた。RIO曰く、自分の経験を踏まえた上で推測するに、未開発で不安定とはいえ、目覚めたあとの成長スピードは尋常なものではない。
「おっさんはどうだったんだ?」
「言われてみれば……そうだな。ガキのころは夏場に半袖でいられたと思う。中坊は薄手になっただけで、制服は夏でもブレザー必須だったから肌は隠れてる状態が普通だったな。意識してなかったけど、そのころから結構厳しいものがあったかも」
「だろ? ただ、零はガキのころからああだったみたいだし。個人差って可能性もある、とは本間サンに前置きしたけど、それはもう考慮に入れての人員配置だから問題ない、だとよ」
「それでキースの監視はYOUとふたり掛かりで、ってことなのかな」
それが不安要素の主軸と考えてみても、今ひとつしっくりと来ない。それはRIOも同じようで、ひとり「うーん」と唸っていた。先ほど零に問い詰めたのは、その件に関する意味合いだったらしい。
「まあ、フェイクが下手くそなおっさんがそれってことは、あんたと零の間だけで情報交換が済んでる、ってことでもなさそうだよな」
「どういう意味だ、それ」
「や、零もなーんか変な顔してたから、俺だけまたガキ扱いかよ、と思ったんだけど」
「本間は無駄な嘘だけはつかないよ。《熱》のコントロールへの報酬として主要任務に就かせる、って言っただろ。それはお前をその気にさせる餌じゃなくて、、コントロールさえ出来れば一人前として扱えると踏んでそう言ったはずだ。零が何考えてるのかは俺にも解らないけど、確かなモノだったら最初からお前にも話す。誰ももうお前のことをガキ扱いなんかしてないよ」
「ふーん。おっさんは?」
「お前がこっちをガキ扱いしてるだろうが」
「あ、そか」
「そこは形だけでも否定するのがオトナなんじゃないっすかね」
「ンなこた、今はどうでもいいだろ。零もわかんない中でグダってる、って感じなのかな」
「ま、出たとこ勝負しかないんだから、あとで支給される白バッジを落とさないよう注意しとくくらいしかないだろうな」
「本間サン頼み、か」
「そういうこと」
中途半端な結論と気分のまま、Zは第一目的地の首相公邸に近づいた。シートベルトを外し掛けたRIOの手をとめさせる。
「あ? 出迎えなくていいのか?」
「多分、停まらない」
鷹野は昨夜のことを警戒し、恐らくGINが公邸の前で姿を見せるような真似をさせないだろう。その推測どおり、徐行で公邸の前を通り過ぎると、装甲仕様のレクサスが門から滑り出て来た。それがGINたちの後ろにつき、そのあとからもう一台。それはSPが後方を守るためについて来たものと思われる。
「お。ホントだ」
RIOが後ろを振り返ってそう言った。GINは聞こえない振りをして、無言のままステアリングを操り続けた。RIOの携帯電話が鳴り、彼がその着信を受けた。それは紀由からの指示だった。
「このまま成田に向かってVIP専用ゲートから入れ、だとさ。向こうに公用車ナンバーの誘導車が待機しているから、それが見えたらあとに続けって。なあ、昨夜なんかあったのか?」
あらかじめ知らされていた予定が若干狂っていることを問い詰めるRIOに、GINはおどけた表情を浮かべ、「別に」とだけ答えてやり過ごした。
成田空港へ近づくと、臨時の検閲区域が新設されていた。そこで綿密なチェックを受ける時間がGINに苦痛を強要した。一台後ろのレクサスから紀由が降りて隣に立つ。
「ボディチェックは必要ない。土方零の通過を確認したら、ここを封鎖しておくように」
と、白バッジと警察手帳の身分証明欄を掲示するとともに、担当係官へそう告げたことで事なきを得た。
「SPの車に先導させる。お前は最後尾につけ」
紀由はGINにそんな指示を出しながら、細工された白バッチをふたつ手渡した。彼が昨夜の件について触れることはなかった。ただまっすぐGINの目を直視する。サングラス越しでも見抜かれそうで、思わずレンズの奥で瞳を逸らした。
「初めて志保に愚痴を零されないまま見送られた。帰ったら聞いてやらないとマズいんだろうな」
そう言って苦笑した紀由は、褐を入れるとばかりにGINの頬をぴしゃりと軽く叩いた。
「……」
返す言葉のないGINの横をするりと抜けていく。その後ろ姿は、これまでにもよく見せつけられて来た、不遜で傲慢なほどの自信に溢れていた。彼は今日も背中で“ついて来い”と変わらずGINに主張した。
触れた肌を介して伝わったのは、紀由の思念。
――GINがおじいさんになる前に、田辺真帆、鷹野正義以上の政治家になって迎えに行ってやるから、必ず帰って来い、と伝言を預かった。
意地汚い未練が、ときに人を何かに執着させ、そして足掻かせ、諦めの悪さを倍化させる。だが同時に諦めの悪さは、人を生に執着させ、わずかな期待と願望への明るい未来を抱かせてもくれる。
「……いきますか」
生きるという意味なのか、ただ単純に行くという意味なのか。GIN自身にもどちらなのかが解らないまま、考えるよりも先に呟きがこぼれ出た。
駐車したレクサスの真後ろに、自分たちの乗って来たZを停める。GINが運転席を降りると、待機していた空港警察と思しき警官が入れ替わるようにZへ乗り込んだ。
「専用の駐車場へ回しておきます」
担当らしき警察官の事務的な説明に軽く相槌を打ち、前の車へと足を運ぶ。歩を進めたGINの視界の隅で、深紅のNinjaが走り過ぎた。最前部で停車したそれから、黒尽くめの女が降り立つ。フルフェイスの紅いヘルメットが外され、濡れ羽色の髪が湿度の高い空気の中でふわりと舞った。
「はや」
と呟いたのは、GINに続いてZから降りて肩を並べたRIOの方だ。三人がそれぞれの位置から、中央で守られていたレクサスの後部座席、扉の両脇へ出迎えるように並ぶ。紀由が先に降り立ち、GINの隣についた。続いて降りて来た人物が、GINの真正面で立ち止まった。
「風間君、昨夜は娘が迷惑を掛けたようだね」
開口一番にそう告げた鷹野の柔らかな物言いは、初見の時と変わらない。だが、その眼がまるで違っていた。初めて彼とまみえた時は、温和な垂れ目と気弱そうな笑みを浮かべたその風貌が、GINにタカ派という説を疑わせた。だが今の彼は、一見温和な風貌の向こうで光る瞳に鋭さを宿し、まったく別の顔を見せつけていた。感情が一切含まれていない、観察するような射抜く双眸。そのひと言に集約された諸々の意味を、コンマ数秒の内に噛み砕かなくてはならない。GINは半ば無理やり片方の口角だけを上げた。
「……まったくです」
これ見よがしにサングラスを外し、内ポケットにしまい込む。癖のある長い前髪を面倒くさげに掻き上げ、コンプレックスの塊を敢えて相手にさらけ出した。GINは不躾なまでに不遜な態度で鷹野を真っ向から直視し、
「今後もボランティアで子守りをする気はありませんから。親御さんに娘さんをちゃんとしつけてもらうためにも、全力でお守り致します」
と宣誓し、鷹野から逸らされるまで、その視線を外さなかった。
「……政界というのは“獅子身中の虫”という輩が多いところでね。君が良識のある青年でよかったよ」
鷹野はようやく少しだけ表情をゆるませ、苦笑を交えて愚痴零した。彼は目で紀由を促すと、こつりと一歩を踏み出した。
「虫をあぶり出すのもひと苦労だ。どこから、何で蹴落とされるか解らない」
鷹野が隣へついた紀由へ冗談めいた口調でそうごちるのを聞きながら、GINもそのあとに従う。零がRIOを促し、鷹野の前を警護させた。彼女はGINと肩を並べ、小さな声で囁いた。
「顔つきが、朝とは違います。何かありましたか」
そう問い質す零の声や表情は、咎めるようなものではない。それでも、ついどこか疚しいモノが燻りサングラスを掛け直した。
「ダブルスタンダードの醍醐味が解っただけ」
GINの珍妙な回答に訝る零の声なき再質問を、苦笑でごまかした。