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嵐の夜に 3

 零の声を聴いた途端、由有もGINから跳び退いてソファの反対端へ逃げた。GINの目の端がそれを捉える一方で、零の脇を通り過ぎて無遠慮に事務所の中まで踏み込んで来た見覚えのあるふたりの男が誰だったのかを思い出していた。

(そうだ、こいつら、現役時代に警備部で見たツラだ。大臣の家族を担当をするくらい出世したのか)

 黒ずくめの男たちの正体を思い出すと同時に、入口の扉を振り返った由有が目を見張った。彼女は気色ばんだ表情を更に強張らせ、ソファから飛び降りてデスクの向こうまで逃げた。

「どうして? 真帆さんからあたしが外出する予定はないって連絡が行ってたはずよ」

 由有が声をが尖らせてそうがなり、批難がましい目で警備部の男たちを睨みつけた。

「少し彼女と話をする時間をください。数分で結構ですから」

 尚も由有に近づこうとする彼らを制したのは、意外なことに零だった。

「その真帆夫人や鷹野首相の信頼を裏切って、自分の立場をわきまえない軽率な行動に出た人の言える台詞ではないと思いますが」

 零は冷ややかな目で由有にそう言い放つと、SPのふたりに小さな声で、二、三の軽い指示をした。彼らは黙って頷くと扉の向こうへ消えた。恐らく外のすぐ脇で待機しているのだろう。

「無理やり連れ帰ったところで、また逃げ出してしまうのでしょうから。由有、あなたとプライベートの話をするのは、初めて、ですね」

 GINは部屋の中央へと歩を進めて来る零に背を向けた。あっという間に激情を掻き消され、自分に口を挟む権利も余地もないことを痛感させられた。長いつき合いで知る零の気性を考えれば、由有をどこへ導こうとしているのかが嫌というほど解る。当然の権利とでも言いたげに隣へ腰を落とす零に何も言えなかった。部屋の隅から投げつけられる強い視線が、GINを俯かせたまま顔を上げる気力さえ奪っていく。別々の理由から糾弾の思念を叩きつけるふたりから逃げるように、身を丸めて頭を抱え込んだ。

「鷹野首相が、なぜあなたにこの極秘ミッションを話す危険を冒したのか、あなたは解っていますか」

 淡々と告げる零は、GINの存在を言外に拒否し、由有だけにそう問い掛けた。肘掛け代わりにされたGINの丸まった背に、零の重みがずしりと圧し掛かる。腕で覆い隠した隙間から、零の組んだ脚を窺った。かすかに揺れる、ローファーの浮いたつま先。GINの髪を撫でるたびに漏れて来る思念が、揺れる靴先以上に零の思惑を伝えていた。

「親心、ですよ。そこまでの覚悟がないのであれば、平凡な社会人として働きながら、結婚をして子を産み育て……自分と有香さんの二の舞を踏ませたくないという、よくも悪くも、娘を思う心からです」

 無言を貫く由有に構わず、零は鷹野の思いを伝えた。壁のカレンダーが動じた由有に揺らされ、カサリと小さな悲鳴を上げた。

「近ごろはあなたの選んだ道が真帆夫人と鷹野首相との口論の種になっているらしいですね。あなたは真帆夫人に共感したのでしょうけれど、彼女ほどの覚悟が本当にありますか」

 ローファーの靴先が、腹立たしげに、揺れる。GINの髪を撫でる指先が、一瞬だけGINの頭に爪を立てた。

「真帆夫人の仰った“きっかけはたった独りを守るためでいい”というのは、対象を束縛する権利を得られた場合のみ、という条件付でしたか。自分の胸に尋ねてみなさい――由有“ちゃん”」

 挑発としか思えない冷笑が語尾につく。零の思惑にまんまと掛かった由有が、震える声で反論を吐き出した。

「あなたみたいな、気持ちのない人とでも……本間さんが好きなくせに……そんな汚い人から偉そうなお説教なんかされたくないわ」

「そうですね。でも、その汚い人間の中にGINも入るのだということを忘れてはいませんか」

「!」

 由有の息を呑む音が、やたら大きく感じられた。言外に伝わって来た零のシナリオに従えと己に命じ、両手を固く握りしめる。

「あなたが変わったように、GINも二年前とは違うんですよ――いろんな意味で」

 促すその言葉に導かれ、ゆっくりと身を起こした。シナリオは伝え終わったと言わんばかりに、零の重みがGINの背から退いてゆく。

「由有」

 噛みしめるように、たった一度しか唱えられない言葉のような丁寧さで、その名を口にした。多分これが、彼女の前で呼ぶことの出来る最後の機会だから。

「さっきお前が視た俺の思念、アレ、全部、嘘」

「え……?」

 しくじることの赦されない追い詰められ感が、GINに偽りの笑みを浮かばせた。だまし果せるほどの余裕をかもし出す微笑が、GINの頬に痛みを走らせた。

「本音を読まれないように上っ面の思念を強く思い描いてた、ってこと。そしたら相手をだませるから。零や俺の言うことが信じられないなら、本間に確認してみな。あいつなら信用出来るだろう?」

 追い討ちのように、零がつけ加えた。

「この人から、由良を取り除くことは出来ませんよ。私から本間を取り除けないように」

 みるみる潤んでいく由有の瞳から目を逸らしたい衝動に駈られた。次第に赤く染まっていく由有の頬が、羞恥ではない感情からだと強く主張する。

「GIN……否定、しないの?」

「しない。独りで生きたことのないお前に、俺や零の価値観なんか解んなくて当然だし。理解しろとも思わない。いい加減こっち側の人間には見切りをつけて、真っ当な道に戻りな、才女さま」

 皮肉と嘘の中に、本物の願いを織り交ぜる。すべてが本音だと彼女に思わせるために。彼女の目尻から零れ落ちた涙を見てゆがんだ顔は、生乾きで張りついている前髪が巧く隠してくれた。

「きっかけが独りからでもいい、っていうなら、要はなんでもいいってことだろう? なら、それが勘違いからでもオッケーじゃね? お前の負けん気と頭のよさと諦めの悪さは鷹野譲りだし、お節介なほどの博愛精神は母親譲り。鷹が鷹以上のものを産んだから、鷹野夫人はお前を見込んだんだろう。請けたんなら、途中で投げ出すな。政治屋じゃなくて、政治家になれ」

 引導を渡す言葉が、自分でも驚くほど低く淡々と、そしてすべてを言い切るように長く零れた。告げ終わると同時に脱力感が襲う。GINの体は再び半分に折れ、疲れたように崩れていった。胸の内を覚られないよう、テーブルの上で持ち主を待ち詫びている煙草に手を伸ばしてごまかした。

「……ひとつだけ、訊いてもいい?」

 そう尋ねる声が次第に近づいて来る。GINは煙草のケースから一本を取り出しながら、向かいのソファからバッグを手にする由有を目の端で追った。

「何?」

「それなら、どうして……誕生日プレゼント、くれたの」

 咥えた煙草が、フローリングの床に落ちた。火をともすつもりで起こしたライターの火が、消えた。

「……零が遅くて、苛ついてたから」

 言い繕うのに、時間が掛かり過ぎた。それを補うつもりが、泥沼の饒舌になってしまう。

「ちょうど捨て猫みたいなのが目についたし。むかついたんなら、いつもみたいに殴れば?」

 吐き出したGIN自身が、子供じみた弁解にしか聞こえない、と頭が痛くなった。

「そか……別に、もう、いいや。解ったから」

 由有はそれだけ言うと、GINの視界から消えた。コツコツと響く靴音が、GINの脇を通り過ぎる。背中の向こうで、靴音がとまった。

「GIN、零、お父さんをよろしくお願いします。ふたりも、必ず無事に帰って来てね」

 虚勢を張った明るい声が、風間事務所にこだました。そして小さく鈍く聞こえる、ドアノブが回された音。GINや零には聞こえないほどの小さなやり取りのあと、パタンと扉の閉まる音が無機質に響いた。みっつの靴音が遠のいていくのを、GINは固く目を閉じて聴いていた。

「……最後の最後で、下手を打ちましたね。動揺を隠し切れずに嘘を見抜かれるなんて」

 静かに咎める声が、隣から降って来た。

「あの子に初めて哀れみの目を向けられました。なかなか……屈辱を感じるもの、ですね」

 零はそう言いながら、拾い上げたまま中途半端に握られていた煙草をGINの手から取り上げた。その手がGINの肩を抱き、彼女の膝へといざなう。

「あー……悪ぃ。なんかまだ、そういう心境じゃないんっすけど」

 軽口のつもりだったのに、震えた声のせいで切実な響きになってしまう。

「解ってます。嵐がやむまでは、何もしませんから。心配しなくても大丈夫ですよ」

「それ、フツー男の言う台詞じゃないか?」

 そう返しながらも、大人しく彼女の膝にGINの頭が収まっていった。

「そうですね。でも、今はあなたの方が女々しいことですし、そう間違ってもいないでしょう」

 零の憎まれ口に言葉を返す気力も尽きていた。GINの目から溢れて止まないモノが、無遠慮なほど彼女の膝を濡らし続ける。

「ホント……悪い。零、ホントに、ごめん」

「お互いさまですよ。私のときも、あなたに慰めてもらいました」

「でも俺、そのときは、お前を散々責めた」

「それは私がだましたようなものでしたから。……風間、初恋って、実らないもの、だそうですよ」

「……ごめん……零、本当に……ごめん」

 彼女に謝罪を繰り返しながら、細い腰にしがみつく。彼女は自分よりも長い時間、今の自分よりも若いころから、こんな想いをたった独りで耐えていた。その苦しみを初めて実感し、それまで解っていなかった自分というものにも気づかされ。独りで抱えられない己の不甲斐なさが、何度も彼女に対する謝罪の言葉を口にさせた。

「あなたはそうやって、いつも面倒な人ばかりに心を寄せてしまう。本当に厄介な人ですね」

 由有がいたときとはまるで違う穏やかな声は、どこまでもGINの愚行を赦し、悪事を働いた子をなだめる母親のような声音だった。

「少し眠りなさい」

 彼女は母親を思わせるような優しい声で、何度もGINの耳元にそう囁いた。

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