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誰がために 3

 世界の動きが、アメリカから中国へと流れを変え始めている。それをいち早く察知したのが、若かりしころの鷹野だった。まだ政界へ飛び込む前、証券会社に籍を置いていたころ得意としていた情報収集業務の中で知り得た情報を照合していくに従い、鷹野は財界に於ける水面下の動きに危機感を抱いたそうだ。

「鷹野の兄、正忠は弟の警告を嗤ったそうよ」

 と苦々しげに語った真帆の説明を補うように、瀧田が初めて口を開いた。

「当時、私はあなたの伯父に当たる鷹野正忠の秘書をしていました。その繋がりから鷹野首相とも知り合い、次第に友人としての交流が深まっていきました」

 エリートという単語を彷彿とさせる冷淡なほどの無表情が、一瞬遠くへ思いを馳せて柔和さを醸し出す。由有は奇妙な三人の関係に不快を伴う違和感を覚えつつも、「そう」とだけ相槌を打った。

「私が鷹野首相からその話を聞いた直後は、友人という私情が妄信させたのかと悩みました。ですが情報を整理して考えてみた結果、最終的にはやはり私も鷹野首相と同じ危機感を覚えました。そこで私は、当時首相だった鷹野正人氏へ直接情報を届け、執政の軌道修正を強く求めました」

 鷹野正人が自分の祖父に当たると前置きされた真帆の注釈は、あまり意味がなかった。

「大丈夫です。お話いただいていることに偏見の向けようがないほど他人にしか思えないから」

「そう、それならばこちらも話しやすいわ」

 真帆は不敵な笑みを一瞬零し、淡々とその後の経緯を語った。

 日米のより強固な関係の確立に心血を注いでいた正人は、瀧田を正忠の秘書職から解任したそうだ。それは事実上の解雇に近い。そんな瀧田が日本の未来を憂いで駆け込んだ先が、当時若くして外務大臣の座を射止めた田辺真帆の事務所だった。

「まだ女性議員や初の女性首相がマスコット的に扱われていた時代だったわ。故人になった父の威光を借りたとしても、私では手に余る事態だった。私にとっても瀧田にとっても、頼れるのはお互いだけ。若かったこともあって、そうなるのは自然の成り行きだったのかも知れないわね」

 そう言った一瞬だけ、真帆が女丈夫のなりをひそめて苦笑した。同時に俯いた彼女だったが、次に由有へ視線を合わせたときには報道で見慣れている普段の彼女に戻っていた。

「でも、私情に溺れている時間も、そんな軽い事態ではないことも、私たちは充分に解っていた。父の死によって分裂した田辺派もろとも、曽根崎派の勢力が衰えていった時代でもあった。危機感が私に、そんな甘えた感情を許しはしなかったの」

 自分たちの恋心を“甘えた感情”と切り捨てる前に置いた一拍が、由有の顔を曇らせた。だが、異論を挟もうとも思えない自分がいた。目の前のふたりが、由有に負けないほどの憂いだ表情を見せたからだ。愛情という存在を軽んじているわけではない。ひと目で解る彼らの本音が、由有に溜飲を下げさせた。

「曽根崎派の衰退へ付け入るように鷹野派が勢力を増していって、益々米国よりの政治になっていった。巧くバランスを取って来たのに、中国との和平条約も破棄され兼ねないほどの摩擦が生じ始めて――だから、決断したの。鷹野を政界に引き込もう、と」

 その手段が真帆との政略結婚だった。だが鷹野は即答で真帆にノーを返した。その理由が金子有香、由有の母親の存在だったと語ったのは瀧田の方だった。瀧田が真帆とともに公人の立場として説得に当たったそうだ。だが、鷹野はあくまでも小さな守りに拘った。小さな守り、それは個人という小さな枠で金子有香一人を守ること。

「そんな小さな器ではないのにね。彼もあなた同様、彼自身を過小評価していたのよ」

「まさか、それでお母さんを」

「ええ。直接有香さんと交渉したの。あなたが彼女のお腹に宿っていたことを知らなくて」

 由有から父親を奪ったことに対してだけは申し訳なく思っている、と形ばかりの無機質な声で謝罪をされた。それを受けて一瞬だけ由有の頬が引き攣ったのを、目敏く察したのだろう。困った笑みを浮かべた瀧田が、真帆の言葉に私見混じりの言葉を添えた。

「男というのは、口では偉そうに大きなことを言いながら、いざというとき情けないものですね。鷹野首相よりも、あなたのお母さんの方が素早く、且つ冷静に事態を受けとめ、覚悟を決めてくださいました」


 ――日本という家ごと私を守ってください、と彼に伝えてください。


 それが、鷹野に向けて由有の母が瀧田と真帆に託した最後の言葉だったという。そして有香は真帆に協力を求め、行方を捜すであろう鷹野から自分の所在を隠して欲しいと申し出たそうだ。しかし情報化社会の急速な発展が、次第に隠蔽を困難にさせて来た。そしてついには鷹野に有香の所在が知られた。真帆は「それ以降の経緯は説明の必要がないでしょう」と話を締めくくった。

「年寄りの退屈な昔話はこれでオシマイ。無駄話につき合わせたのは、あなたの赦しを乞うなんて殊勝な動機からではない、と解ってもらえたかしら」

 唐突な話の切り替えは、由有の意表を突いた。話を頭の中で反すうしてみるが、やはり母から鷹野を奪ったことへの弁解にしか聞こえない気もする。

「たとえこんな小娘でも、のちの清き一票だから取り込んでおこう、ということですか」

 絞り出した推測を口にするものの、声がか細い。由有自身が、自分のその推測に的外れを感じていた。だが、ほかに思いつくものがない。そしてハズレと言わんばかりに、真帆が大袈裟な溜息をついた。

「悪いところまで父娘(おやこ)そっくりね。自分を過小評価し過ぎよ、あなた」

 自分が若いころの鷹野と同じ立場にあると自覚して欲しいからだ、と唐突に由有自身のことに話を振られ、ある意味で他人事のように聞いていた意識が由有の目を見開かせた。その先には、すべての感情を麻痺させるほどの強い視線が由有を見据えていた。

「同じ、って……別にあたしはそんな立場じゃないし、関係な」

「関係ない、とは言わせないわ。なんのために風間神祐の名前を出したと思っているの」

「!」

 真帆の話に乗せられたきっかけを忘れていたわけではなかった。ただ、彼女が仄めかした鷹野との和解がGINを守ることになるという誘い文句や、中途半端に知らされたGINの近況などの話は、遠回しの脅迫だと思い込んでいた。GINに触れたときに手に入れた情報の断片から、皮膚の下にマイクロチップを埋め込まれていることや、鷹野を始めとした国家関連の人々には《能力》を知られていることなどが、そう判断させていた。

「そっか……あなたは鷹野の奥さんである前に、国家の要人、でしたっけ」

 知らされていなかった母の思惑に動揺したり、真帆の語った過去が真実かどうかと疑っている場合ではないと思った。肩を揺らして大きく一度息を吸う。由有は雑念や負の感情とともに、思い切り吸った息を吐き出した。一度だけ固く目を閉じ、まるでおまじないのように毎日心の中に思い浮かべているフレーズを思い描く。


 ――全部、あたしが守ってみせる。


 ついさっきまでは、バカにした見下す笑みにしか見えなかったのに。由有が再び瞼を開けた先に見えたのは、由有と対等に接する意思を前面に押し出している真帆の微笑だった。

「GINは本間さんの知り合いで元刑事でもあった人だし、本間さんが《能力》のことを知っているから、警察の協力要請を受けてあたしを助けに来てくれただけだと思ってました。でもそれは違う、ということですか」

 短い時間の中で、限りなく少ない情報を整理した結果弾き出した、確認に近い問いだった。

 真帆は由有に鷹野との和解を望んでいる。その鷹野は本間を特別視しているようだ。彼との接触に関してのみ、鷹野は由有に寛大さを示す。その本間が信頼を置いているGINとの接触についても黙認されていた。だが、どうやらそれも自分の早合点だったらしい。由有にそう思わせたのは、本間の左襟で常に鈍い光を放っていたものと、数時間前に瀧田が口にした“白バッジ”の妙な符合。

「本間さんはいつも、それにスーツでどこかへ出るときのGINも、必ず旭日章をつけていました。金バッジではなくて、プラチナの。さっき瀧田さんが言っていた“白バッジ”って、それのことでしょう」

 真帆が嬉しげに目を細め、その向こうで瀧田が小さくこくりと頷いた。

「はい。国家直属非公開組織・サレンダーの構成員だけが装着義務を課せられているものです。組織名すら口にするのは御法度、という暗黙の了解が存在しています。だから、通称“白バッジ”。政界・財界・そして警視庁を中心とした警察関係者の間でのみ認識されている存在です」

「風間神祐はその《能力》を買われて、すでに所属していた本間紀由の解放を条件に帰属することになったの」

「結果としてすでに組織の存在を認識する本間の自由は得られませんでしたが、由有さんの保護ミッションを下された当時、風間神祐は組織の実態を理解していなかった」

「使えないものであれば、その存在を知っただけで死に値する。つまり消去(イレイズ)。それが組織の鉄則だから。組織はあなたの保護ミッションを課題に、風間神祐の資質を計った、というのが事実」

 真帆と瀧田の語る裏組織の話や、執政者との位置関係、由有の知る人たちの立ち位置など、詳細すべてが架空の物語のような笑えてしまう内容だ。GINの寝ている隙を突いて彼に触れた実体験がなければ、自分が誘拐された本当の理由どころか、《能力》やサレンダーの存在を信じることなど出来なかったに違いない。GINが誘拐犯のことなどを隠したがっていたので思い出していない振りをして来たが、ようやくその理由(わけ)が判った。

(あたしを、巻き込まないため、だったんだ)

 彼らが全部自分たちだけでどうにかしようとしていたのだと知ると、政治の表舞台にいるすべての人間に対する歯痒さや苛立ちが湧き上がり、いつの間にか由有に唇を噛ませていた。こみ上げる感情をそれでなんとか凌ぎ、稚拙な感情論にならないよう努めて意見を述べる。

「GINは自分の意識がないうちにマイクロチップを勝手に埋め込まれたこと、ひどく不愉快に思っているみたいでした。本間さんが自分の意思でそんな人権侵害をするはずがないとは、あたしも思いました」

 次々と浮かんでは消えるGINと過ごした一年が、頭の中で反すうすればするほど理不尽な感覚をいや増させる。彼らがGINたちにして来た対応を思い返すに従い、抑えていた激情が限界を超えたのを由有自身が感じた。そして理不尽から沸き立つ義憤が、ついには爆発して由有を叫ばせた。

「全部あの人たちに任せ切りで……あなたたち政治家は、何をしてるんですか。あなたたちも鷹野も言うことは立派だけど、結局組織の存在を許しているじゃないですか」

 結局押さえ切れずに荒ぶった由有の声を、大人ふたりの瞳が真摯な面持ちで受けとめているのは解った。由有の言葉を幼稚な感情論と冷笑せず、対等な立場にある者の発言と認めて真剣な表情で耳を傾けていることも。それでも、糾弾の思いと声をとめられなかった。

「さっき言っていた交代の時期って、あなたたちや鷹野は逃げるということ? GINたちに厄介ごとを押しつけて、表の面倒ごとはあたしに押しつけて、自分の身が可愛くなって引退という形で逃げるつもりなの。そんなことが許されるとでも」

「押しつけるんじゃなく、繋ぐためだッ」

 と、由有を黙らせるように言葉を遮ったのは、瀧田の怒声に近い大きな声だった。思わず口に仕掛けていた言葉をぐっと喉の奥へ押し込んだ。

「怯えさせたわね。ごめんなさい」

 真帆は由有に謝罪しながら右手を軽く掲げ、無言で瀧田を叱責した。

「鷹野も私も、明日また息をしていられるのかなんて、誰にも保障なんか出来ないでしょう。そういう、状況なのよ」

 その言葉に息を呑む。感情を剥き出しにした口惜しげな真帆の表情が、由有の憤りを別の何かに塗り替えた。

「どういう、状況なんですか」

 大の大人にさえ感情をむき出しにさせるその“事態”が不安を煽り、一般人でありたいと思うくせに一歩を踏み込ませた。

「ここ数年の間に、組織の上層部に変化を感じるの。車の中であなたに問われたから、取り敢えず風間神祐の近況を話したわよね」

 それは、鷹野の指示を受けたGINや本間が行なった李淘世ミッションのことや、その際GINが脚に怪我を負い探偵稼業を休んでいたことを指しているのだと思われる。

「はい。今は次のミッションのために動いているから元気だ、って。それと今の話に何か関係があるんですか」

「ある、と言えば、あるわ。李ミッションのとき、本間や鷹野には知らされないままアメリカからアサシンが送られて来た、ということはさっき話したとおり。幸いそのアサシンはスタンドアローンだったから、懐柔に成功したけれど、次もそうだとは限らない。本間たちが泳がされているのか、それとも組織の上が気づいていないだけなのかは解らないけれど。もし前者だとすれば、李以上の存在が次のターゲットになるでしょうから、向こうもそれなりのアサシンを仕込んで来るはずだと予測しているわ」

「次のミッションって、まさか」

「中国の胡主席が隠密で鷹野と会談をする予定なの。あくまでも水面下で動くのが組織の徹底したスタンスだったのに、ここ数年、組織の上層部が直接動く派手なアクションが多いのは確かよ。組織が鷹野排除の動きを示している、というのが私や瀧田、それに鷹野自身の見解だわ。今回は、胡主席と鷹野の護衛というのが表向きの任務。だけどそれが果たして本当に“護衛”なのか、それともこちらの計画を察知して《能力》者もろともアメリカにイレイズさせようという思惑なのか。もしも悪い予測が当たっていた場合――それが、私たちの不安要素」

 不安。それは何についての不安なのか。散らばった話の点と点を繋げば、次第に由有の顔が暗く澱んでいく。それに気づいたのだろうか。思案に耽っていた真帆が不意に顔を上げ、再び由有と向き合った。

「私があなたの年齢のころとは違う。今の子たちが呆れるくらい温室育ちで考え方が甘いということも理解しているつもりよ。だけどあなたは、その辺の子とは違うでしょう。否定はさせないわ」

 そう言って射抜く瞳は、真剣な眼差しで由有を捉えていた。ひとりの大人が同列の者としてみる対等な視線で由有を見据えている。大人たちに対し、これまで由有が最も求めて来たモノを、こんな雲上の人が与えてくれたというのに。

「……あたしが、鷹野の娘だから、ですか」

 追い詰められたか細い声で、拒む内心を孕んだ問い掛けが零れ落ちた。

「血だの派閥だのと悠長なことを言っている余裕がない、と言ったはずよ。今鷹野が倒れたら、次を担う者がいない。遅過ぎるくらいだわ。親心が心眼を阻んだ結果だと私はあなたの両親に憤りさえ感じている」

 なぜ自分が同世代と巧く関われなかったのか。真帆は由有の抱えていた小さな悩みに、複雑な心境に陥る答えを、求めてもいないのに投げて来た。

「先を見る力があるからよ。それが同世代の子が言うことをバカバカしい考えと感じさせる。このところ感情のコントロールが出来るようになって巧く渡れるようになったわよね。そういう適応力や順応力の潜在能力値は、能動的に鍛錬しないと磨くことは出来ないわ。でも、私はあなたの潜在能力を信じている。充分に後継者として適合していると確信しているわ。今のあなたに足りないのは、経験と知識。そして――覚悟」


 ――独りでも守りたい者がいるのなら、利用出来るものすべてを使って、本気で守り抜きなさい。


「きっかけが風間神祐でも構わない。それが万人を救うことに通じるのだから。傍にいることだけが、想いを通じ合わせることだけが、守ることではないわ。そう思わない?」

 蛇に睨まれた蛙さながらに、微動だにも出来なかった。頭の中を廻るのは、由有の好きなアーティストの紡ぐ歌詞。


“もしも被害者に 加害者になったとき かろうじて出来ることは”


 GINは哀しいくらい、被害者であり、加害者だった。自分が望んだわけでもないのに、いつもその立場に置かされて来た。それでも諦めずに、足掻いて、もがいて。挙句、彼の最も愛していた人に裏切られ、捨てられた。

 そんなGINを救いたかった。自分にその資格があるなら、そうしたいと強く願った。


“相変わらず 性懲りもなく 愛すこと以外にない”


 紡がれるその歌は、いつも由有に勇気をくれた。GINが一度は手離してしまったものをもう一度取り戻してもよいのだ、と思う由有の背中を押してくれた。

 GINの心の奥底に、自分が大切にしまわれている。それを知ったとき、なんとしてもそれを彼に認めさせたいと思って来た。


 誰のために、と問われれば、それは自分のエゴだけでなく。


「……少し、時間をください」

 自分の人生を大きく変える選択にそう答えるのが、由有に出来る今の精一杯だった。

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