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誰がために 2

 アパートの階段を降りて敷地内の誘導路へ出れば、いつものごとく“恒例行事”が由有を待ち構えていた。

「由有さん、出掛けるのであれば、我々がお送りします」

 そう言って近づいて来たスーツ姿の男が、裏門の方向を軽く指した。一般人を装っているが、鷹野の派遣している警備部の若い職員だ。恐らくもうひとりは目視警備ならひとりで充分な状況と判断し、警護車で待機しているのだろう。

「いつもお疲れサマです。大変ですね。万が一のことばかり考えてる心配性に、こんな雑用をいつまでも押しつけられて」

 半分以上本気でそう思い、若い職員を同情でねぎらった。途端に彼が引き攣れた笑みを浮かべたので、ついこちらも苦笑を投げ返す。

「鷹野の娘を誘拐してもどうにもならないということ、ああいった手合いの人たちも思い知っただろうにね」

 もう警備なんて要らない。それは、目の前でぐうの音も出せないでいる彼の代弁をしたつもりだった。図星を表す不快の皺が彼の眉間に深く刻まれる。

「わずらわしさを感じるのは、個人的に理解しますし、共感も出来ます。申し訳ないとは思います」

 そんな彼の声をBGMに、由有は彼の前を通り過ぎてサンダルの音をカツンと響かせた。

「でも、これが自分の仕事ですし、由有さんも自分の身を守るのが公人の家族としての義務ではないかと」

「あたしの家族は母だけよ。鷹野が勝手に公表しただけじゃない。あたしはまだ認めてないもの」

 サンダルのヒールが、SPの説教を制する由有の声よりも大きな音で舗装を蹴った。

「表から出るのは目立ちますから、こちらへ」

 SPからの忠告さえ掻き消すヒールの音。カツカツカツと辺りに響かせる音は、GINへの助けを求める由有の心の声とシンクロした。GIN自身に禁じられてしまうと、素直に言葉に置き換えられない由有の悪あがきに近かった。

 あと数歩で敷地から出られる。そうすれば、駅へ向かう公道だから、SPが派手な動きで由有を引きとめることなど出来やしないだろう――逃げられる。ダッシュで公園へ向かい、急いでトイレで着替えをして、ウィッグを被って、それから――と段取りを巡らす由有の思考と歩みを、待ち受けた存在が強引にとめさせた。

「警備部が心許ないようであれば、私がお送りいたしますよ、由有さん」

 門扉の前には、見慣れた公用車のレクサスが停車していた。それをバックに佇んで迎えたのは、警備部以上にうっとうしい鷹野腹心の秘書だった。

「瀧田さん」

「お送り先は、残念ながら風間事務所ではありませんが」

 鷹野と同世代らしい彼が、まるでかしずくように恭しく頭を下げた。そしていつもなら、後部座席へ乗れと促すように身をずらすのに、今日はその扉に手を掛けなかった。怪訝に思って小首をかした由有は、なんとなしに後部座席へ視線を向けた。スモークの張られた窓が不意に開き、思い掛けない人物が車内から顔を覗かせた。

「初めまして、金子由有さん」

 真っ白なスーツに、清楚なベージュのシルクであつらえたカットソー。それがひときわ輝きを強調させているのは、年齢を感じさせないほど若々しい鎖骨の美しさ。そしてそれをさらに引き立てるパールのネックレスが目に焼きついた。意図的に旧姓を紡ぐその唇は、上品なローズルージュで彩られていた。

「鷹野が随分と悪者にされているようね」

 そう言って微笑むが、目が全然笑っていない。五十路を迎えようという熟年の女性とは思えない、精力的で攻撃的な視線が由有をまっすぐ捉えていた。

「鷹野も有香さんも、親心が先に立ってしまうのかしら。その様子を見ると、やっぱり肝心なことを話していないようね」

 思わせぶりな言葉のあと、唇をきゅっと結ぶ。意図的に語っているのだと殊更にアピールする女性に、由有の嫌悪感が刺激された。その女性のこちらを見定めるような鋭い視線が、由有の口を開かせた。

「首相夫人なんて偉い人が、ダンナの元愛人の娘になんの用?」

 由有を待ち受けていたのは、GINと会う口実としてだけでなく、実際に何を企んでいるのかが気になっていた対象。鷹野夫人にして、外相でもあった元衆議院議員、鷹野真帆だった。

「鷹野や有香さんがあなたに内緒にしていることを、教えてあげようと思って伺ったの」

 奥ゆかしい服装やメイクとはまるで真逆な不遜の言葉に、由有の顔が不快でゆがんだ。

「教えてなんて頼んだ覚えはないわ。知りたいことは自分で調べるのがあたしのセオリーなの。さよなら」

 吐き捨てるようにまくし立て、道を塞ぐ瀧田とは反対の方へと一歩を進める。

「風間神祐の本業を知りたくはない?」

「!」

 咄嗟に振り返った途端、行儀悪くも舌打ちをした。彼女の勝ち誇った微笑が由有にそんな下品な態度を取らせた。見下す瞳を睨みつけると、真帆は一瞬目を見開いた。かと思うと、ひどく困った表情をして微笑の種類を変える。

「素直でかわいい娘さんに育ったのね」

 不意を突かれて押し黙っている由有がいた。

 それはまるで、由有を昔から知っているような物言いだった。父親である鷹野でさえ、数年前に自分と有香の所在を見つけたばかりだというのに。

「じれったい物の言い方ね。政治家ってみんなそうなの?」

 悔しげに踵を返しながら、レクサスの傍へ渋々と戻った。真帆はそんな由有を見上げ、態度を改めることもなく勿体をつけた。

「そう、かも知れないわね。でも、そうでもしないとあなたは乗ってはくれないでしょう」

 鷹野夫人として会いに来たのではない、という。彼女は内側から後部座席のドアを開いて由有を中へと促した。

「私には子供がいないから、鷹野や有香さんの気持ちが解らない。冷たい人間なのでしょうね。私があなたの年齢のときには、既に政治家になる者としての自覚と覚悟があったから、あなたを見ているとじれったい」

「それはあなたが田辺一慶の娘、だからでしょ? でも、あたしは違う。金子有香だけの娘だもの。鷹野はいきなり一方的に父親面をしに来ただけの他人としか思わないし、思えない」

「鷹野と和解することが、風間神祐を守ることになるとしても?」

「……どういう、こと?」

 由有はそう問い掛けたと同時に、「しまった」と心の中で二度目の失敗を激しく悔やんだ。

「知りたければ、乗って」

 真帆の言葉に弾かれ、阿吽の呼吸で瀧田が背後のSPに指示を出す。

「首相公邸に向かいますので、警護は結構です。首相には内密によろしくお願いします」

 その言葉に弾かれ、後ろを振り返った。「勝手に決めるな」と反論するつもりでいた由有の声が喉につかえた。

「白バッジの指令ですから、問題はありません」

 警備部の若い職員が、瀧田の発した最後の言葉で顔色を悪くした。由有の瀧田を制する言葉が封じられたのは、そんな彼のただならない危機感と緊張で張り詰めた、彼の顔色のせいだった。

「白バッジって、何?」

「それも、人の耳がない落ち着いた場所についたら教えてあげるわ」

 瀧田に代わって真帆が答えた。人の柔和さを表すはずの目尻に浮かぶ横皺さえ、彼女の場合は威圧を放つオーラを持っていた。由有の脳裏に過ぎった彼女の経歴が、そんな偏見を抱かせるのだろうか。

“曽根崎派新鋭女性議員、田辺真帆外相”

“曽根崎派失脚を予見しての計略結婚か!? 鷹野正人首相次男・正義氏と婚約”

 由有の肩が、一度だけぶるりと震えた。そんな自分に唇を噛む。由有は自分の醜態を隠すように、慌てて下を向いた。

「母には、あなたと会ったこと、知られたくありません」

 母を裏切って真帆についたような後ろめたさがそう言わせた。奇妙な罪悪感が、真帆にそう告げた由有の言葉をか細くさせた。

「同感よ。だからあなたのご両親には内緒で訪ねたの。鷹野の方は瀧田が巧くやるから安心して」

 巧く興味を惹かされ、誘導されている。それが解っていながら、真帆の一計と自分の好奇心に抗うことが出来なかった。

 開けられた手前の席に腰を落とすと、瀧田が静かに後部座席の扉を閉めた。

 由有を乗せたレクサスが、静かに彼女のアパート前から走り去った。




 首相公邸へ連れて行かれるとばかり思ったのに、案内されたのは目白にある高級住宅街だった。由有たちを乗せたレクサスは、その中でひときわ目立つ豪邸に滑り込んでいった。

「ここは私の実家なの。今は管理会社に任せ切りで誰も住んではいないのだけれど。私にとっては、生まれ育った思い出の場所」

 と言われても、どう反応してよいのかわからなかった。田辺一慶という首相がいたのは、由有がまだ物心もつかないほど遠い昔のことだ。母の有香が政治関連の報道を食い入るように見ていた理由が今なら解る。だが、ほんの二年前まで父親は死んだと信じて生きて来たので、自分とは無関係な政治のことなど関心がなかった。だから真帆に砕けた口調でそう言われても、

「子供のころ、新聞かニュースで見たことがあるような気がします」

 という、会話にもならない返答しか出せなかった。


 あらかじめ段取りを済ませていたのだろう。通された洋風の客間には空調が利かせてあり、心地よい涼が由有の汗をすぐに引かせた。カーペット敷きにも関わらず土足で入ってもよいと促され、ホテルか何かのようなぎこちない違和感を覚えた。勧められたソファに腰を落ち着けると、年老いたヘルパーのような人が小声で挨拶をして部屋へ入って来た。彼女は由有と真帆とで挟んでいるロウテーブルに近づくと、紅茶をふたつ、そっと置いた。かすかに漂う芳香が、アイスで淹れたアールグレイだと由有の鼻に教えた。

 客間の入口付近に控えていた瀧田が、老女に二、三の指示を伝えて扉を閉めると、彼もその脇に置かれた椅子へ静かに腰掛けた。

「何から話せばいいかしら。ねえ、瀧田」

 真帆はそんな物言いで、彼の同席を遠回しに促した。

「それでは、失礼します」

 そう言って部屋の中央へ近づいて来る瀧田が真帆を見つめる視線は、公人としてのものとは異なる色合いを帯びていた。真帆の隣に腰掛けた瀧田との距離が、とても近い。ふたりの間に漂う特異な雰囲気に、どこか既視感を覚える。それも、あまり好ましくない印象。自分の不快を言葉に置き換えた瞬間、不意にGINと零の関係が脳裏をよぎった。

「……そういうご関係、なんですね。鷹野を失脚させる手助けでもしろ、ってことですか」

 茶葉の香りに一瞬でも誘われた自分が情けない。由有の眉間に自己嫌悪の皺が寄る。やっぱり騙されたのだと思った。要は鷹野の隠し子である自分を利用して、鷹野との離婚を自分の有利に運びたい、それに関して相続の放棄や愛人の瀧田にも有利になる協力を強要する気だろうと踏んだ。

「さすが、恋する乙女というところね。話す手間が省けて助かるわ」

 真帆は由有の糾弾をこめた視線を受けても、悪びれる態度さえ見せず、逆にからかう台詞を吐きながら苦笑した。

「でも、微妙にハズレ。あなたが想像しているような後ろめたい関係ではないわよ。そんなことをしたら鷹野に顔向けが出来ないもの。そして後半の予測は、完全に的違い。あなたは随分と自分の父親を過小評価しているようね。若い世代だからこそ、もっと政治に関心を持つべきよ」

 真帆は余裕の笑みを浮かべたまま、立ち上がり掛けた由有に座るよう強く促した。ほとんど命令することもなく、口に出すこともせずに、相手を自分の意のままに操る。そんな圧迫感が見えない糸のように、由有の体を支配した。そんな錯覚に陥るほど、政治家としての本質をむき出しにする真帆。彼女の態度は、由有の負けず嫌いを削ぎ落とすほどの切迫と危機感を漂わせていた。

「要点だけ、お願いします。親と同じ世代の人たちの恋愛話を聞くなんて、こっちは恥ずかしいだけだもの」

 そんな憎まれ口を叩きながらも、敗北感に満ちた心境でソファへ座り直す。そうは言ったものの、由有の内心は真帆がそんな無駄話をするとは思っていなかった。頭痛を感じさせる警鐘が由有の呼吸を浅くした。

「多少無駄話が混じるのは許してね。あなたに理解してもらうことが最優先だから」

 真帆は気恥ずかしそうに顔をゆがめると、一旦アイスティーで喉を潤した。

「鷹野も私も、あなたや有香さんの敵ではないのよ。鷹野との結婚は、お互いの地盤を拡張するため。反目している曽根崎派と鷹野派を協和へ導くための存在であろうとしてのことなの。だから有香さんには申し訳ないけれど、離婚は当面あり得ないと思うわ」

「政略的な結婚だった、ってこと? だから母から幸せを奪ったことを帳消しにしろ、ってこと?」

「いいえ。鷹野は私の同志であり戦友であり、政治家として最良のパートナー。それは、有香さんの協力があったからこそ、実現出来たのよ。彼女には恩を返しても返し切れないほど感謝しているわ」


 ――交代の時期なのよ。


 真帆はそう呟くと、予想外の関係に目を見開いた由有の瞳をまっすぐ見つめ、自分たちの過去と、現在の日本が抱える問題をゆっくりと語り始めた。

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