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神の子 4

 居心地の悪い沈黙がGINの腰を浮かせたそのとき、部屋の扉が小さく二回ノックされた。自室に退散すべきか、それとも無言を貫く紀由へ何かしらの反応をするべきか、と内心考えあぐねていたGINにとって、それは渡りに船だった。ノックに気づいて顔を上げた紀由を無視する恰好で扉へ足を向ける。

「お」

 扉を開けた先で、意外な人物がヘネシーのボトルを軽く掲げてGINに微笑を向けていた。

「タオちゃ、じゃない、淘世(タオシィー)、さん」

 うっかり馴れ馴れしい呼び名を口にし掛け、慌てて言い直した。淘世はそんなGINを見て少しだけ寂しそうな笑みに表情を変えた。

「僕がいないときはそう呼んでくれているってこと、思安(スーアン)から聞いて知っていますよ。構いませんから」

 彼はそう言って、もう片方の手にぶら下げている脚付のグラスをかちりと鳴らした。

「こういう性格だからでしょうかね。同世代の友人には恵まれていないんです」

 そう言って小首を傾げ、元の柔らかい笑みに表情を戻す。そんな淘世の視線が指し示すのは、紀由の待つ部屋の奥だった。

「やっとGINのお好みの品が手に入ったので、僕もご相伴にあやかろうと思って。きっと本間さんと一緒にいるだろうと思ったから、こちらへ持って来ました。入ってもいいですか」

 そう言って軽く掲げられた餌に釣られ、GINは紀由に目を向けた。そんな媚びる視線を迎えたのは、いつもと変わらない兄貴分の苦笑と「お言葉に甘えて」という淘世への返答だった。


 YOUは数年ぶりに淘世と会えたというのに、この一週間をともに過ごしている中でのぼる話題のほどんとが、日本での出来事や仲間たちのことばかりだったようだ。

「それでヘネシーを調達してくれたんですか。ゆかり、じゃなかった。思安さん、そんなことまで話さなくてもいいのにな」

 GINの好みを知っていたのは、YOUが話していたのを思い出したからだと言われ、GINは妙に縮こまった。注がれたグラスへ申し訳なさそうに口をつけるのは、YOUの名前まで呼び間違えてしまったからだ。繋がりらしき存在がなにもなかった中、唯一あったのが、名前。YOUがGINと同じように、名前を自分のアイデンティティとして大切に思っていたのは初めて会ったときから知っていた。

「和名のままで結構ですよ。あの子はあなた方にその名で呼ばれることを好んでいるようですから」

 淘世はそう言い、目を細めて上弦の緩い弧を描いた。彼がそう笑むと、ブルーグレーの瞳の放つ鋭さを上下の瞼がほんのわずかだけ隠す。こけた頬のやつれ具合とは不釣合いだと感じさせる強い光は、李淘世という人物の器の大きさを物語っていた。奇妙な力を持つ異端の孤児だった自分が、こういった人物に認識される存在になるどころか、関わるとさえ思ってもみなかった。

 GINはぼんやりとそんな不思議な縁を受けとめながら、ヘネシーを口の中で転がしてから飲み下した。

「うむ……やはり洋酒は、そう何杯も飲むものではないな。飲みやすい分宿酔しそうだ」

 紀由がそう言いつつも初めの一杯をしっかりと空にし、ベッドサイドに置いてあった『神の河』のボトルを手許へ引き寄せた。その横顔は、もういつもの平静さを取り戻している。

「淘世氏は、麦焼酎を嗜まれたことは?」

 紀由は二杯目を自分のグラスへ注ぎながら、淘世にも『神の河』を勧めた。

「麦焼酎、ですか。成人する前に日本を出たので、飲んだことがありませんね。僕もそちらをいただきます。こちらのコニャックは、GINへのささやかなお礼ですから。どうぞ」

 淘世がそう言ってグラスのヘネシーを一気にあおる。

「おー。飲む気満々。大学ンときの洗礼を思い出すな」

 と、淘世の上品な風貌に似合わない豪快な飲みっぷりに思わず野次を飛ばした。

「こら、神祐。口が過ぎる。お前と一緒にするな」

 と眉間に不快な縦皺を寄せた紀由に、淘世が笑って彼の説教を遮った。

「こういう席って、日本ではブレイコウって言うんですよね。好きですよ、そういうざっくばらんな雰囲気って」

 笑みを絶やさずにそんなフォローを入れながら、彼はGINの空いたグラスにヘネシーのボトルを傾けた。その言葉を受けた紀由が苦笑を零し、淘世のグラスへ『神の河』をなみなみと注ぐ。

「お礼って、ミッションの? 随分お手軽な報酬っすね」

 GINは皮肉りながらも、嬉々とした面持ちで遠慮なくグラスを傾けた。

「ミッションの報酬ではありませんよ。スーに女性として接してくれたお礼です」

 それでもやはりお手軽過ぎますね、とはにかむ彼の素顔は、極普通の青年と変わりなかった。

「私も彼女に無作法な接し方をした覚えはないつもりなのですがね」

 意地悪な突っ込みを入れる紀由の負けず嫌いな冗談が、どことなくぎこちなかった雰囲気を和らげた。

「本間さんはデータを見て、あらかじめすべてご存知だったでしょう」

 やんわりと、でも少しも動じず紀由の言葉を笑って受け流す。

「GINのような《能力》を持っていたら解りそうなものですけどね。今日まで気づかなかった、という事実が、何よりもスーは嬉しかったようです」

 誉められたのかけなされたのか解らない淘世の弁が、GINの愛想笑いを引き攣らせた。

「どうせ鈍感ですよ」

 どうも、分が悪い。頭脳派のふたりを前に、言葉では太刀打ち出来そうにない。子供じみた拗ねた口調は酔っているせいだから。そんな言い訳を自分の中にだけ巡らせ、GINは愚痴とともにお気に入りの酒をまた腹に流し込んだ。あっという間に貴重な一本を飲み干しそうな気がして、間を持たせるために一服を咥える。

「バカにしたわけではないんですよ。そう拗ねないでください」

 と、淘世がくぐもった笑いを零した。GINはついムッとした顔をそのまま彼に向けてしまった。

「あけすけに言わせてもらえば、僕自身も少し自分の中に何かといろいろ不安と言うか、ありましてね。スーが去り際に残した言葉で気持ちが乱れたときは、これまでのアイデンティティが崩れたような気分で。難なくありのままのスーを受け容れてくれたあなたには感謝しています」

 突然ののろけ話にどうリアクションをしていいのか、つい戸惑ってしまう。宙を泳いだGINの視線が、紀由のそれと重なった。この手の話に鈍い紀由でも気づいていたのだろう。暴走に近かった、淘世を救いたいというYOUの気持ちの源。紀由の方から先に視線を外され、GINもそれに釣られた形でまた目を伏せた。

 こちらの気持ちを読んだかと思うほど、淘世は本題と言いたげに言葉を繋げた。

「もう一点、僕がGINに礼を伝えたいと思ったのは、スーがやっと自分の《能力》に肯定の意識を持てた、という大きな変化を感じたからです」

「え? “やっと”って?」

 思わず敬語を忘れてそう発していた。GINの目には、彼女が最初から《能力》を肯定的に受けとめていると感じていたからだ。

「あの子はずっとそれをハンディと思っていましたから。それだけは、僕にもどうしてやることも出来なかった。僕がどうスーの理屈を否定しようと、《能力》を持たない僕に理解出来る訳がない、と一蹴されて来ましたから」


 ――なぜ《能力》を“神童(シェントォン)”として神から授けられた恩恵だと思えないのでしょう。


 いつも彼女に語って来た、という彼のそれは、GINがYOUと出会って間もないころに彼女が教えてくれた言葉、そのままだった。

「シェン、トォン……」

 不思議なほど、淘世の声音と響きがGINの中に沁み渡る。その単語が心の泉にひとしずくを落とし、波紋が胸いっぱいに広がっていく。

「そう。神童、神の子。本間さんから、ほかの方々の《能力》や生い立ちを聞き、そして先ほどキースの身の上も聞いたら、ひどく合致することが多くて。スーを慰めるだけの言葉だったのが、今、僕の中では確信に近いものに変わっている気がします」

 彼はGINや紀由へ語ると同時に、自分自身へも諭すような口調でそう言った。

「キースの身の上、まさか、彼も出生不明、ということですか」

 紀由が興味深げに先を促す。

「え、でも俺、アイツの中を視たぞ。疎まれてはいたけれど、母親らしい黒人の女性の姿があったけど」

 GINのそれに、淘世は憐れむ瞳で「後々商売道具にするつもりで拾ったのにと、思い通りにならないキースを殴る養母だったそうです」と教えられた。

「ではキースも親の所在が不明の孤児、ということか。確かに符合が多いな」

「紀由、解るように話して。俺の頭、パンク寸前」

「神祐、お前は台風の夜、孤児院の前に捨てられていた。零は、朝一番に山を切り開いている造成地区で現場作業員に発見されて土方組の養子にされたことは話したな」

「うん。遼も施設育ちとは聞いていたけど、俺らと同じなのか?」

「ああ。火事の現場で騒ぎのどさくさに紛れて捨てられた。皆、捨てた親の所在がどうしても掴めないという意味で共通している」

 GINは初めて、自分も含め、《能力》の遺伝子を持つに違いないはずの“親”の消息に意識が向いた。だがそれは同時に、疑問が解決されることはないという即答を返されたに等しい言葉でもあった。

「スーも、森の奥深い滝付近の岩場で泣いていたところを、たまたま釣りに赴いた養父が見つけて孤児院へ預けたそうです。巡り巡って再びスーと会った養父は、運命(さだめ)と考えあの子を引き取ったそうです。《能力》のことを知らないままで」

 GINはおとぎ話を聞いているような、現実味のないふわりとした感覚でその話を聞いていた。

 偶然の一致が過ぎないだろうか。皆、親の存在が曖昧だ。それ故に、《能力》とのつき合い方を、苦しみながら自分自身で模索せざるを得なかった。見えない親を恨みの対象として捌け口にした時期もあった。

「スーが初めて《能力》を見せたのは、まだ小学生だったころ。日本で火事に遭ったときです。強盗に僕らの養父母を殺され、火をつけられましてね。僕は怖くて逃げたくて。でも、スーが逃げ遅れていた。見つけて助け出さないとという理性もあった。そのふたつが僕の中で戦っていたような状態で」

 口調が砕け、淘世の素顔が言葉の端々に見え始める。彼はグラスの琥珀色を見つめながら、言葉にはし難い複雑な表情を浮かべ、当時の思いをとつとつと語った。

「そのとき、雨が降って来たんです。消火にはまったく足りない量なのですが、僕の中から最も消し去りたいものを消し去ってくれた」

 終始穏やかな表情を保っていた淘世の面が、ついには苦しげにくしゃりとゆがむ。

「スーを見捨てても、誰にもばれやしないだろう、という疚しい気持ち。それをあとで思い出したんです」

 淘世は自分の吐き出した言葉に自分自身で傷ついたのだろう。既視感を覚える憂いを目に浮かべ、そこで言葉をとめてしまった。景気づけとばかりに『神の河』を豪快にあおる。彼に似合わない大雑把なその仕草は、まるで拭い切れない罪の意識を吐き出してはまた飲み込んで反すうする、自虐行為にさえ見えた。

「大概の人がそう思ってしまうものだから、自分もそうだったと覚え違いをしてるだけじゃないんですか? ゆかりさんの《清》や《淨》は永続的なものだ、って彼女から聞いてます。な、そうだろ? 本間」

 GINがそう尋ねたのは、淘世の自虐をとめるためだけではない。彼の言った言葉をにわかには信じられなかった。由有は今でも自分の誘拐事件を営利目的だったと信じている。あの事件後に記憶操作されたことを思い出して通報して来る目撃者もいない。それらが淘世の言葉を信じさせない根拠だった。

「ああ。淘世氏、来日してからのYOUは、これまで一度もしくじっていません。以前あなたにお伝えした高木のファイルにも今のところ、過去の《能力》者と思われる人物について、能力の効果が解除されるといった類の記録は見当たりませんが」

 紀由はGINの問いに対し、やはり同意の声を淘世に返した。

「スーの《能力》が未熟だったからではないかと思います。あの子自身が、僕から多くの記憶が抜けていたことにしばらくパニックを起こして怯えていましたから」

 そう呟いた淘世の声は、重く、低く、そして消えそうなほどに力なく。そこにいたのは、胡主席の後継者というよりも、GINや紀由とそう年の変わらない、まだどこか迷いを抱く、ただの青年にしか見えなかった。

「胡主席の非嫡子だと知らされて、思安に対する償いになれば、なんて」

 淘世は、はにかむというよりも、自嘲に近い笑みを零して頬に垂れた長い髪を気だるそうに掻き上げた。

「随分と身勝手な動機から胡主席の遣いの者に色よい返事をしたのは確かです」

 多重のマイノリティで居場所のない彼女に居場所を作ってやれたら、という小さくて勝手な“個”としての願い。淘世は骨肉の争いに身を投じた理由を、そんな表現で口にした。

「きっかけはそんなちっぽけなことでも、それを原動力に自分の視野を広げることが出来て、結果それが広い世界への貢献にもなるなら、それはそれでいいのかな、と。最近ようやくそう開き直って来たところなんです」

 だから、と言葉を繋ぐ淘世の視線は、まっすぐ紀由に向けられていた。

「考えるのもほどほどに。ときには迷いながらも感じるままに、己の信じた道を進むほうがいい場合もある、と、僕は思いますよ」

 まだ迷いを残して澱んだ瞳が、それでも微笑をかたどる。ブルーグレーの瞳の先には、小さく口を開けて目を丸くした紀由が淘世と同じように無遠慮なほどまっすぐにその瞳を見返していた。やがて驚きを示した焦げ茶の瞳が、落ち着きを取り戻した色合いに戻って瞼に隠されてゆく。

「立ち聞きなんて、性質(たち)の悪い趣味ですね。胡主席の後継者ともあろう立場の人が」

 紀由はそんな減らず口と苦笑を零したが、次に『神の河』を口にしたとき、ここへ来てから初めてお気に入りの酒に美味そうな表情を見せた。

「慧大氏といいあなたといい、神だの神童だのと。非現実的過ぎて、心許ないことこの上ない」

 そう言ってくつくつと笑う紀由の動きに合わせ、グラスを満たす琥珀の中で、透きとおる氷が踊る。

「あなたは、そこに在るのが当たり前過ぎているので、逆にそう思うんですよ」

 淘世までが、意味の解らない言葉を返して含みのある笑いを零し始め、GINは妙な疎外感で胸がざわついた。

「あのさ。話が全然見えないんっすけど。俺に隠さなきゃいけないスラングとか使ってるのか?」

 GINがそう言って話に割り込むと、ふたり同時に笑うのをやめた。きょとんとした顔で淘世がGINを見つめ返し、呆れた顔をした紀由が深い溜息を漏らした。

「そんな面倒なことを、プライベートな時間に誰がするか。被害妄想のガキはさっさと寝ろ」

「ガ……ッ、自分が呼んだくせに!」

「さっきまで部屋に戻りたがっていただろうが。淘世氏と話しているほうが、よほど対等でまともな会話が出来る。邪魔だ。失せろ」

「犬っころじゃないっつの。何、その対等って偉そうな考え方。淘世さんって偉い人じゃん」

「その偉い人のことをYOUの前で“タオちゃん”などと気やすく呼んでいたバカは誰だ」

「バ、バカだと……ッ、おま、酔ってるだろ! そうだろ」

「お前がな」

「ぶふッ」

「タオちゃん、笑うなっ」

「あ、呼んだ」

「神祐、お前、いい加減にしないと本当にのすぞ」

「?!」

 そんなふたりのやり取りの中、淘世が声を上げて笑う。三人のその声は、空が白み始めるまで静まることがなかった。

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