あまい果実 1
由有を病院で拾ったら、最寄駅のコインロッカーに荷物を預けているから寄って欲しいと頼まれた。駅から戻って来た彼女は、大きなバッグを担いでいた。それに変装グッズ一式を詰めていたらしい。
「こんなことなら持ち歩いておけばよかった」
彼女は茶髪のウィッグを外しながら、気恥ずかしそうにそう言った。
「そうしたらGINが来るまでに、いつものカッコに着替えられたのに」
勝手にバックミラーの向きを自分へ変えて、自前の黒髪を整えながらそうぼやく。GINはそんな由有の横顔を、しばらく無言で見つめていた。
紺のスーツに、黒い髪。淡いメイクで少しだけ大人びて見える横顔は、やはりどこか由良を思い出させた。
「GIN?」
不意に横顔が向きを変え、大きな瞳がまっすぐGINの瞳を射抜いた。こちらの胸の内を読もうとするかのような探る視線。由有のいぶかる表情が、なぜ車を出さないのかと尋ねているのか、それとも彼女の愚痴に返事がないと不審を表しているのか。GINはその判断さえつかなくなっている自分に気づかされ、慌てて適当な言葉を由有に返した。
「あ、ああ。ミラー、戻すぞ。ホントにファミレスなんかでいいのか? 桜井さんとこの前金をゲット出来たのはお前の働きなんだから、それなりのところでも全然構わないんだぞ?」
後ろめたい何かがあるわけでもないのに、つい視線を先に逸らしてしまう。ごまかすような饒舌さに、GIN自身が気持ち悪さを感じた。
「うーん……あ。じゃあ、ご飯の前に一緒に買い物へ行こうよ。GINってば、すごいカッコだよ」
由有に言われて、初めて自分の恰好に意識が向いた。ジーンズや靴などコートで防ぎ切れなかった部分が、RIOの《熱》が作った焼け焦げやすすのような黒ずみなどで残念な状態になっていた。
「うわ、ホントだ。ひどいな、コレ」
「何かトラブルがあったの? 手もケガしてるし」
眉尻を下げて不安げに問う由有の表情にどきりとした。
(なんでだろう。よく見れば、由良とは全然似ていないのに)
由良と由有に共通するのは、まっすぐな長い黒髪だけだ。なのに由有といると、どうしても由良を連想させられる。
「ごみ焼却場掃除の臨時要員。扉に手を挟んじまった」
「やだ、折れたの?」
由有の瞳が不安げに揺れる。危険な仕事など引き受けるな、そう言いたくても言えない歯痒さを滲ませる。
「いや、打撲ってより擦り傷だから大したことはない。自分でやったから、見た目が大袈裟になっただけ」
会話に集中していない脳が、適当な答えをGINに紡がせた。
「そっか。それなら、よかった」
憂う瞳に明るさが戻る。大きな瞳が少し細まり、安堵のゆるい弧を描き出した。溜息混じりの彼女の言葉は、ほんの一瞬前まで息を詰めていたことをGINに知らせた。
「興信所なのか雑用屋なのかわかんないね、GINの仕事って」
由有の明るい笑顔が、GINにも釣られた苦笑をかたどらせる。一年前に比べて随分と翳りのない笑い方をするようになった。そんな彼女と時間や空間をともにしている間は、GINも妙に体が内側から温まっていく感覚を持つようになって久しい。
特に拘りがないので、由有の勧めるままにジーンズを買って、すすけた分は店に処分を頼んだ。その合間に桜井一家に関する報告を由有から聞いた。そちらが丸く収まったことを確認し、今月分の由有のバイト代へ能力給を上乗せすると約束した。夕食の繁忙タイムが過ぎた八時を回ったころにファミレスに入れば、それほど待つこともなく食事にありつくことが出来た。
GINが大して美味くもない定食を食う傍らで、由有が安っぽいビーフシチューに舌鼓を打つ。
「ここのビーフシチューは、お肉が柔らかいから好きなんだっ」
「ぶっ」
総理大臣の娘とは思えない庶民的な感想と弾んだ声に、GINは思わず噴き出した。
「なによ」
「いや、本当に幸せそうな顔して食うなあ、と思って」
「もう。すぐそうやって子供扱いするよね、GINって」
由有は口を尖らせてそう返して来たかと思うと、今度は懇々と説教をし始めた。
「サークルの奉仕活動でしみじみ思ったことだけどね。年配の方へ話し掛けるとき、やたら子供扱いみたいな口調で話す職員さんがいるんだけど」
老人施設の年寄りたちは、世話になっている介護施設の職員には零せない愚痴を由有にそっと漏らすらしい。
「確かに出来ないことが増えてしまったけれど、でも子供じゃないのにね、って寂しそうに笑うのよ」
その気持ちが、GINと話していると少しだけ解る気がする。彼女は上目遣いでねめつけるようにGINの瞳を捉え、ぼそりと小さな声で文句を言った。
「今回、あたしだって少しは役に立てたでしょう? もうちょっと対等に見てくれてもいいと思うの」
「へいへい。わかりました。由有も大人オトナ」
GINはあしらうような口調で答えると同時に、自分の口許を指さした。
「んじゃ、取り敢えずココについてるシチューのソースを取ってから、もう一度大人宣言をし直してみよっか」
そんな追い討ちを掛けた口角までが、意図せずにやりと上がっていった。
「え、ウソやだ!」
途端に由有が、頬を真っ赤に染めた。慌てて携帯電話のミラー機能で確認をする様を見れば、見間違えることなく“由良”ではなく“由有”だと思う。
「あーん、もう。ファンデまで落ちちゃうっ。ちょっとトイレに行って来る!」
由有はそう言ったかと思うと、呆れるほどの勢いでシチューを全部掻き込んだ。
「何慌ててんだ?」
「またGINに突っ込まれるのはイヤだから、食べちゃうのっ」
「あ、そ」
由有は「ゴチソウサマ」と手を合わせ、ペーパーナプキンで口許を隠したまま、バッグを手にしてトイレへと小走りして行った。
「……どこが女子大生風味な変装だよ。ガキ」
そう毒づいたあと、自然と苦笑が零れ出た。
デザートメニューに目をとおしながら、煙草に火をつけぼんやりと思う。
このごろ、あまり由良が夢に出て来なくなった。その名を思い浮かべる機会も随分と減ったように思う。
(いいんだか、悪いんだか)
知らずに小さな溜息が漏れた。由良を思い出そうとしても、巧く思い出すことが出来ない。上書きされたように、由有の曇りのない笑顔や、いきり立って怒る顔ばかりが浮かんで来る。――忘れないと誓ったのに。
GINは脇に置いた深緑のコートへ視線を遣った。そっと片手のグローブを外してコートに手を伸ばす。六年も経つ今となっては、そうでもしないと由良の遺した思念が感じられなくなるほど、彼女が淡い存在になっていた。
(ごめん。今年は会いに行き損ねた)
RIOの子守に精一杯で、気づけば由良の命日にあの海へ訪れるのを忘れていた。
――零さんなら抱けるのに。神ちゃんの、いくじなし。
それは、由良がGINに触れた最期のときに、強く念じたモノ。店内に流れていたはずのアップテンポなBGMが、次第に遠のいていった。
――あまい果実みたいに 時がたつと 黒ずんでいくんだ――
瞼を閉じたGINの中で、由良の一番気に入っていた曲の歌詞が、男性ヴォーカルの声で切なげに流れてゆく。
――もうそばに いれないくらいに そのニオイは 鼻をつくんだ――
苦しげに眉根を寄せて、精一杯の努力で笑おうとする。そんな由良の哀しげな儚い微笑が、GINの眉間にも苦悶の皺を浮かばせた。
GINの《送》に対し、最も感度の高い存在が零だとすれば、由良はその対極とも言えた。最期まで、彼女の思念だけは表層しか覗くことが出来なかった。
それは由良がGINの思念を感知出来ないという意味でもあったように思う。万が一のことを考えて、直接自分の肌が由良に触れることを避けてはいたが、それでも不慮の接触――例えば、雑踏などの人ごみで、グローブとシャツの隙間から覗くGINの素肌が由良の頬に一瞬だけ触れてしまう、といったようなハプニングがあったときでも、彼女からは何かに気づいたような変化を見い出すことなど一度もなかった。
由良が何を感じ、考えているのか解らなかった。それがGINに彼女を特別な存在に思わせた。それが彼女との将来を夢見させた。そのはず、だった。
零に頼らず《能力》をコントロールすること、それが出来ないうちは、決して《能力》を使わないこと。それを自分に課していたそのころのGINは、次第に由良の表情に翳りが見え始めた理由を、ふたりの間になんの進展もない不安や焦りから来るものだとばかり思っていた。
『あーまーい、かじつーみたいにー、ぼくのなーかで、くさってしまうよ~』
デートのあと、由良を家に送る車の中で、彼女がいつものように口ずさむ。そのとき初めてGINは気づいた。そのアーティストのアルバムの中で、その曲のときだけ由良が口ずさむということに。
『由良って、いつもその曲のときだけは一緒に歌ってるよな。一番好きなのか?』
彼女の歌がぴたりととまる。窓の向こうを眺めて半分しか見えなかった儚い微笑が、ゆっくりGINの方へと角度を変えた。
『うん。歌詞が切なくて、共感しちゃうくらい、好き』
『ふぅん。今まで歌詞まで意識して聴いてなかったな。男が歌ってるから、由良が共感するってのは意外』
今にも消えてしまいそうな表情が、なんとなくGINの視線を前へ戻させた。丁度よいタイミングで信号が青に変わる。由良に不自然さを感じさせることなく、話はそのまま流れていった。
『男の人なんだけどね、彼女の浮気に気づいて、少しずつ彼女への気持ちが愛情から違うモノへと変わっていっちゃう、って苦しがっているような歌詞に聴こえるの』
私にはね、と小さな声で言い添える。由良はオーディオの音量を少しだけ上げ、また窓の向こうを眺めながら、ヴォーカルの声に合わせてネガティブな歌詞をくちずさんだ。
――こころを開いてくれないと もう全部 ダメになってしまう――
そのフレーズに、GINはなぜかぎくりとした。ステアリングを握る手が強張り、グローブがぎちりと鈍い音を立てる。歌詞、という他人の生んだ言葉が、なぜか由良自身の絞り出した、か細い悲鳴に聴こえていた。
――君への こんなにも深い この想いは かわってしまうんだ――
ようやくその曲が終わり、次の曲へ切り替わった。
『ねえ、神ちゃん』
いつもならば、声に明るさが戻るのに、そのときだけは、由良の声がそのまま泡のように消えてしまいそうな、か細い呟きのままだった。
『ん?』
本間一家の住まう社宅を囲んだ塀が見え始め、GINは由良の呼び掛けに答える一方で、ブレーキを甘く踏み込んでZの速度を落とした。
『私は、神ちゃんの中で、腐ってしまっては、いない?』
『は?』
GINは由良の突飛な質問に驚き、結局急停車させてしまった。
『うゎ、ごめ』
がくんと揺れた大きな衝撃は、由良も驚かせただろうと思い、咄嗟に謝罪が口から出た。だが、その言葉も由良を見た瞬間途切れてしまった。
『……何、ほかに男がいるんじゃないかって、俺が由良を疑ってるか、って意味?』
歌詞になぞらえてそう聞き返した。馬鹿馬鹿しいと言いたげな苦笑を由良に投げ掛ける。そうせざるを得ない気分にさせられた。
『……そんなこと、あるわけないだろ。何年付き合ってると思ってんだ。ばーか』
そう言って笑い飛ばし、間が開いてしまったのをごまかすように由良の頭を掻き混ぜる。GINはそんな形で自然な流れを装い、自分の手で由良の目を自分の前から遮った。
GINが即答出来なかったのは、由良の瞳がGINの瞳を探るような色に変わり、隠し事を暴こうとしているように見えたからだった。
いつか《能力》のことを打ち明けなくてはと思いながら、まだ由良に話せていなかった。自信――零の支援なしで《能力》をコントロールする自信。それがつくまでは、由良に対する後ろめたさを消せなかった。
Zを降りて、由良たちの住む部屋がある棟の入口まで歩いて送る。
『んじゃ、おばさんによろしく』
『寄って行かないの?』
寂しげにそう訴える瞳から逃げ、GINは小さく首を横に振った。
『おばさんに掴まると、また話が長くなるから』
それ以上寂しがる瞳と一緒にいたら、いくつかの隠し事が由良にバレる気がした。
『そ、う……そうね。久しぶりの非番だったものね』
そう言って無理やり作る微笑を見ると、胸がツキリとした痛みを訴える。
『うん。帰ったら掃除と洗濯が待ってるし』
笑顔を見てから別れたくて、そんな愚痴を零してみた。
『映画に行くんじゃなくて、神ちゃんちに行けばよかったわね。一緒に部屋の片づけをすればよかった』
ある意味で大胆なことをためらいもせずに言う由良の反応に、GINの方が一瞬言葉を失くしてしまった。
『神ちゃん?』
きょとんとした顔で見上げて来る、“男”を疑うということを知らない瞳が、GINを一歩分だけ由良との距離を広げさせた。
『あ、えっと。それじゃ、また。次の非番が決まったらまた電話する』
まくしたてるように言葉を返し、別れの挨拶もそこそこに踵を返した。
『……じなし』
背後から小さな呟きが聞こえたかと思うと、細い腕がGINの前に伸び、細くて白い指先がGINの腹の辺りで絡まった。
『……どうした?』
自分を引き止める華奢な腕にそっと触れながら、背中に頭をぴたりとつけている由良に跳ね上がった心臓の音が聞こえやしないかとひどく怯えた。平常心を保てないことで、《送》が勝手に暴れないかと肝を冷やした。
『解ってるくせに。神ちゃんのいくじなし』
そんな由良の言葉以上に、グローブ越しでも解る彼女の心に浮かんだ言葉が、GINの体を強張らせた。
(どうしてキスもしてくれないの?)
(これ以上気持ちが変わっちゃう前に、早くお嫁さんにしてよ)
ストレート過ぎる表現に、GINの頬がかっと熱くなる。動揺から《送》が暴走しないようにと、必死で捜査のことを考え、自分を落ち着けようと無駄に足掻いた。
由良のゆるい拘束をそっと解き、彼女の方へ向き直った。自分が出来るギリギリの範囲で、彼女の願いを叶えてやりたかった。泣きそうな顔で見上げる彼女が、ゆっくりと瞳を閉じた。
(……ごめん)
心の中で、そっと詫びる。応えられるものなら応えたいほどなのに。どうしてもそれが出来なかった。GINは繊細なガラス細工を包むように、由良をそっと抱きしめた。そのときのGINには、それが出来ることの精一杯だった。
『……どうして?』
懐の中から、切なげな不審の問いが口にされた。それはGINの胸の内に直接問い質すとばかりに、GINの胸に顔を押しつけたまま、くぐもった声で発せられた。
『俺は、お前が思ってるほど綺麗な人間じゃないから……綺麗なもんを汚すのは、なんていうか……怖い』
その言葉に嘘はない。由良を欲しくないと言えば、嘘になる。だがそれ以上に、自分が大切にしている者を自分自身で穢すことに対する抵抗や恐怖の方が大きかった。そして最も恐れるのは、自分が持つ異質な《能力》の存在に気づいた彼女の心が、それを恐れて自分から離れてしまうこと。
『まだ、自分に自信が、持てない。本間に追いつけているとは思えないし、それに』
『ん、解った』
由良が不意にGINの弁解を遮った。腕の中でくすりと笑う。身を切るような切なさを感じさせる、とても渇いた声だった。GINの見えないところで悲しげに笑う由良が、拒むようにGINの胸を押し戻した。GINから数歩遠ざかった彼女は、思い掛けない言葉を口にした。
『零さんなら、抱けるのにね』
『!』
途端に襲って来る嘔吐感。腹の底から這い上がって来るむかつきや震えは、二月の寒風が感じさせるだけのものではなかった。歯がカチカチと耳障りな音を立てる。悲しいくらい穏やかな由良の微笑に、初めて恐怖というものを覚えた。
『由良……』
呼んだところで、返す言葉もない。嘘や方便という概念が、GINの中から消えていた。いつからか由良が沈みがちな表情を浮かべ始めた本当の理由を、嫌というほど痛感させられた。そのときのGINは、どういった経緯でそれを知ったのかという疑問と、それ以上に罪悪感と恐怖心に支配されていた。
傷つけた。一番大切で傷つけまいと誓っていた存在に、こんな顔をさせてしまった。そしてようやく部分否定をする、という弁解に思い至った。
『それは、終わってる話』
『ううん。終わってないから、神ちゃんはそんな顔をしているのよ』
由良は作り笑いを崩さないまま、自分の胸を指差した。
『実際はどうであれ、神ちゃんの、ココが』
ココ……心が。車の中で聞いた由良のフレーズが蘇る。
“少しずつ彼女への気持ちが愛情から違うモノへと変わっていっちゃう。そんな、苦しがっているような歌詞に聴こえるの”
“私は、神ちゃんの中で、腐ってしまっては、いない?”
心地よかった関係が、音を立てて崩れていく。それがGINに由良へ近づく一歩をためらわせた。彼女が階段を上って遠ざかる。それを追う勇気がなかった。足許がおぼつかないほど震えていて動けなかった。
階段を上るヒールの音が、ぴたりととまった。
『神ちゃん、自分を責めないでね?』
階段の踊り場から降った声に、GINはようやく顔を上げた。
『私はね、私じゃダメなんだ、ってことが悲しいだけ』
由良がエレベーターのボタンを押す。その横顔はやはり笑んだままだ。だが、不意にその頬が、ひと筋の涙で濡れた。
『零さんに助けを求めることが出来ても、私には秘密のまま。――《能力》のこと』
そのキーワードに息を呑む。当時のGIN自身にさえそういう概念のなかった《送》のことを、由良が《能力》と呼んだのは、それが最初で最後だった。
『おまえ、それって』
『どうして、どこで知ったのか? ナイショ。だけどね、これだけは忘れないで。私は、神ちゃんがどんな神ちゃんでも、ずっと子供のころから、そのまんま全部、大好きだった』
さりげなく過去形に置き換えられた言葉がGINの舌を凍らせた。質問を赦さない強い口調を、初めて由良の声で聞いた。
『今までしつこくまとわりついてて、ごめんなさい。私じゃあ力不足だってことがよく解ったから、神ちゃんを解放してあげる』
由良の言葉が途切れると同時に、エレベーターの到着を告げる「チン」という音が踊り場に小さく響いた。
『神ちゃん、大好き。だから、自由にしてあげる』
くしゃりと微笑が崩れ、眉間に深い皺が寄る。エレベーターの扉が由良を隠し始めると、ようやくGINの体に自由が戻って来た。
『由良! 待て、誤解だ! 話を』
言いながら、ようやく動かせるようになった足で一気に階段を駆け上る。だが、GINの全力疾走も虚しく、由良はあと一歩のところで扉の向こうへ独りで消えていった。
迷い悩みあぐねた、そのあとの数十分。意を決してGINが本間家の玄関まで赴いたのが、由良と別れてから三十分後だった。彼女の母親を通じて会いたくないと告げられれば、母親に中へ促されても入れなかった。
GINが由良との面会を諦めてアパートへ戻る道中――由良と不本意な別れ方をしてから一時間も経たない内に、彼女が姿を消したと紀由から知らされた。