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赤犬の仔を飼い馴らす 4

 恩賜上野動物園。かつては、ジャイアントパンダ、オカピ、コビトカバの「三大珍獣」を揃え、日本一の入園者数を誇ると言われたこの動物園も、ジャイアントパンダの死亡以降、急激に来園者数が減っているらしい。

「その状況下でこの面子っていうのは、さすがにアレだな」

 GINは寒さに身を丸めながら、閑散とした辺りを見回した。

 坂口・桜井両家の追尾調査を始めてから、そろそろひと月が経とうとしている三月下旬。GINはRIOを伴って場違いな動物園で桜井一家を尾行していた。

「気温だけじゃなくて、いろんな意味でかなり寒ぃな」

 陽が随分高くなって来たとは言え、早朝の外気はまだ骨身に染みる冷たさだ。更に寒いのは、恋人でないのは言わずもがな、親子ですらないRIOを伴っていることだ。中年親父と成人男子(に見える未成年)という組み合わせと、いかにもつまらなそうな表情、そして基本的に、会話なし。その光景は、親子連れやカップルの中でどう見ても浮いていた。

 なぜこんな寒い状況に身を置いているのかと言えば、朝一番からターゲットの動向に合わせて張り込んでいるためだ。日ごろ休暇の少ない桜井伸二の素顔を偵察するのに持って来いのイベントだった。

「おっさんが由有の機嫌を損ねたのは失敗だったな。素直に頭下げてやれば?」

 GINは小ばかにした口調で出されたRIOの提案には、聞こえていない振りをした。

「あのチビっこ、ホントに嬉しそうだよな」

 ペンギンを眺める振りをしながら、隣のブースでホッキョクグマを指差し談笑している桜井親子を偵察し、そんな所見を口にする。

「リサーチを始めてから、初めてじゃねえの? ああいう顔したのって」

「お子さまの千里眼を侮るな、っていうことかな」

 RIOならそのひと言だけで、充分に意図を察するだろう。GINはなかなかそのブースから離れない桜井親子を注視したまま、棒になった足を折り曲げて我慢していた一本を燻らせた。

「普段接触が少ないのに、専業主婦ってる母ちゃんよりも親父の方が信頼されてるって感じだな」

 RIOの所見を裏付けるようなやり取りが目の前に展開される。近くにあるフードコートを指差しながら、困った笑みを浮かべて娘に語り掛けるオリエ。恐らく娘をそちらへ誘導しようと説得しているのだろう。くしゃりと顔をゆがめ始めた娘を抱き上げ、妻を説得し始める桜井。ありったけの思いを注ぐようにその首にしがみつく絵里の様子からは、パパっ子のように見受けられた。それがどうも腑に落ちなかった。

「俺が坂口に張りついているとき、遼ちゃんはオリエの尾行をしてただろう? チビっことのやり取りに、特に不自然なところはなかった、って言ってたよな?」

 頭上に視線を合わせないまま、RIOに一応確認してみる。

「と、思ったんだけどな。こうやって見比べてみると、あのガキんちょなりに、母親にはひと芝居打ってたのかも知れない、って気がして来た」

 吐き捨てるようなRIOの物言いは、見誤った自覚から来る、自分自身への口惜しさがそうさせているのだろう。

(負けず嫌いだな)

 今ひとつ紀由に及ばないと見せつけられるたびに悔しがっていた、遠い日の自分を思い出す。知らずにGINの口許が、懐かしむほころびを見せていた。

「うっし。方針、決まった。今日のところは撤退だ。オリエともう一回話してみた上で、遼の考えた方向で話を進めてみっか」

 GINは路面で消した吸殻を携帯灰皿へ押し込み、重い腰をだるそうに上げた。

「いちいち掛け声掛けてんじゃねーよ、おっさん」

「なあ、そろそろさ、フツーに名前で呼んでくれないか? おっさんはマジで勘弁してくれ。一気に老け込んで気が滅入る」

 目線の揃った若造を睨みつける。このところおっさんを連呼されているせいか、疲労感や倦怠感がいつも以上になかなか抜けない日々を送っているのが悩みのひとつになっていた。

「おっさんおっさんおっさん」

 出口へ向かう歩を進めながら、RIOがバカのひとつ覚えのように繰り返す。

「遼ちゃんってカワイイよな。それって、ゆがんだベクトルで吐き出している“構ってちゃん”みたいだぞ」

 心底馬鹿にしたつもりはないのだが、思わず苦笑が漏れてしまう。同じ釜の飯を食うことのメリットを少しずつ感じ始めていた。

「んだとコラ。殺すぞ」

 そう言って睨むRIOのきつい吊り目は、確かに凄みを巧く孕ませていると認めるが、今のGINにはそれが彼の虚勢にしか見えなくなっていた。

「無理無理。遼ちゃん、本当はそんな野蛮人じゃないって知ってるもん」

 そう言ってからからと笑ってやり過ごすと、RIOの真っ赤になっていた顔が、ゆでだこレベルにまで達した。

「ぜってぇぶッ殺す!」

 そんな奇妙な会話を交わしながら、ふたりは不忍池方面の地下鉄乗り場に向かった。




 東園からならば、不忍池経由でなく直接上野駅へ向かう方が帰る最短距離になるのだが。

「どっか寄るのかよ。仏頂面の野郎ふたりでボート、とかは勘弁しろよ」

 案の定訝るRIOが、そんな文句を言い出した。

「俺も溜まってるんだよねー」

「何が」

 欲求不満、とふざけたジョークを言えば、露骨に不機嫌な顔をする。

「そのざんぎり頭、チリチリにするぞ」

「冗談だよ。蓄積した《能力》の無難な発散方法を教えてあげよっかな、と思ってさ」

 険しさをゆるめて首を傾げるRIOに、GINは複雑な微笑を返した。


 RIOと同じ屋根の下で暮らすようになってから、初めて知ったことがある。使われないまま身の内に燻る《能力》の蓄積は、RIOに無駄な苦痛を強いていた。初めてそれを目の当たりにしたのは、共同生活を始めてから三日目の夜中だった。

 焦げ臭さで目覚めたGINが寝室を覗くと、RIOの着ていたスウェットだけでなく、彼がもたれかかっていた壁や包まっていた布団まで、あちこちが焼け焦げていた。

『遼?!』

 思わずRIOに駆け寄り、それらすべてを引き剥がした。

『あぢっ』

 RIOの全身が、あり得ないほどの高温になっていた。苦しげに唸っているが、それは寝言ではなかった。

『さわ、んな……ッ』

 何も知らないGINにもひと目でわかった。抵抗すら出来ないほどの痛みが、RIOの体力を消耗させていた。

 一昼夜ほどで《熱》は引いたが、平常に戻るにはそれから更に二日ほど掛かった。そのときの心境を例えるなら、インフルエンザで臥せった子どもを看病する親の心境に近かった。

 起き上がれる状態になってから、これまでどうやって体内に蓄積してしまった《熱》を発散させていたのかと問い質した。

『知らねーよ』

『ンなはずないだろうが。毎回あんな風に唸ってたのか』

『うっせえな。てめえが苦しいわけじゃないんだから、余計な詮索するな、ジャリ中年』

 こういう手合いは、くどくど言うと余計に反発するだろうと考え、そのときはそれで話をしまいにした。

 それ以降、RIOが《熱》を放散させている場面に出くわしたことがない。GINの目を盗んでは、時折ふらっといなくなる。恐らくGINの手を借りたくなくて、手探りで《能力》のコントロール方法を模索しているのだろうと推測していた。

(遼のアレも、結局はコントロールなんだよな)

 GINを始めとしたほかの面子と違い、内へこもってしまう《熱》をという能力を持つのが、なぜ最年少のRIOでなくてはならなかったのか。このひと月の間、GINはそんな考えたところでどうしようもないことで、在りもしないと思っているはずの神とやらに文句を垂れていた。


「――って、誰も頼んじゃいねえし。って、おい。おっさん、聞いてんのか?」

「あ?」

 RIOがどう《熱》の余剰を処理しているのか、予測するのに没頭してしまい、会話中だったことを忘れていた。

「ああ、聞いてるよ。発散方法を教える、イコール、能力コントロールってこと。つまり、業務命令。遼ちゃんは俺に借りを作ったと思わなくていいってことだ。OK?」

 GINはRIOの反発を適当に受け流し、答えている間にも手ごろな“ターゲット”を物色した。人の集まる大型の公園は、能力コントロールの鍛錬に相応しい場所とも言える。必ず適した人間と出くわすことが出来るからだ。

「あ、いた。迷子」

 GINが指差したのは、肩を落とし、独りぼっちで池のほとりに設置されたベンチに腰掛けて俯いている少年だった。年のころは就学前くらい。ベンチの下から覗く足は、ぶらぶらと落ち着きなく揺れている。一度だけ、目元を拭うような所作をした。比較的静かだったその子が、再び嗚咽を漏らし始めた。

「なんだよ。拉致るのか?」

「バカかお前は。まあ見とけって」

 GINはサングラスを掛けながらRIOについて来るよう促すと、おもむろにグローブを外して少年へ近づいた。

「坊主、どうした。迷子か?」

 少年の前に屈んで視線の高さを合わせると、真っ赤に腫れ上がった目と、ぐしゃぐしゃに濡れた頬を真正面に捉えた。GINがその頬を素手でゆっくりと拭ってやる。

「パパ……ママ……、お姉ちゃんも……ひっく」

 少年が激した感情を嗚咽と一緒に零し出す。GINが頭の中を真っ白にするよう努めると、より鮮明なビジョンが閉じた瞼の裏に再生された。少年の今から前後二十分。少年が池の水鳥に見惚れている間に、少年の両親が駆け出してしまった姉娘を追い掛けて行ってしまった。それは少年が意識していなかったものの、聴覚が捕らえていたやり取りの再現から、GINに知らせた情報だ。少年の視点が、水鳥から唐突に両親の立っていた場所に移された。いるべき人がいないどころか、知った顔がひとつもない恐怖。GINはその思念に飲み込まれる前に、少年から手を離した。

「ど、しよ。僕、家までの、帰り方、知ら……ひっく……ッ」

 巧く言葉に出来ないでしゃくりあげる少年の頭を、GINは素手のままでそっと撫でた。

「坊主、安心しな。おじさんが、魔法の飴ちゃんをあげよう。それをみっつ舐め終わるまでに、パパやママや、お姉ちゃんも、坊主を探しに来てくれる。だから絶対ここから動くなよ。飴ちゃんは絶対噛んじゃダメだ。舐めとけよ」

 GINは十分後をそんな物語形式で伝え、ポケットからいちごみるくを三粒取り出した。

「いちごみるく、好きか?」

「……ガムの方が好き」

 最近のガキは生意気だ。ち、と舌打ちしながら、ポケットの中をまさぐる。不意に頭上から眠気覚ましのミントガムが少年の前に差し出された。

「おら。オトナ用の“まじない”ガムだ。ガキにはクソ辛えからな。こいつが辛くなくなるまでここに座って待っておけ。余計なことを考えそうになったら、親に一発ぶちかます文句でも考えてな」

 少年が、右掌にいちごみるく、左掌に激辛ガムを握り、大きな目を更に大きく見開いて、ふたりを食い入るように見つめた。

「ありがとう。GINのおじちゃん。ガムのおじちゃん」

 少年はそう言うと同時に、ようやく屈託のない笑みを零した。

「おじ……ッ、俺まで一緒にすんな!」

「はいはーい、じゃ、おじさんたちはアメ横に行っちゃうからねー。大人しく待っておくんだぞー」

 GINはがなるRIOの襟を掴むと、上機嫌でその場をあとにした。


 駅に向かう道すがら、RIOの質問攻めにあった。

「おい、あのガキ、なんでおっさんの名前を知ってたんだよ」

 RIOのその問いに、軽く落ち込む自分がいた。

「うーん、まだ、漏れるか。あれは想定外だったんだけどな」

「尿漏れか? おっさん通り越してじじいだな」

「お前、いっぺんホントに刻んでやろうか」

 溜息混じりに苦言を呈し、どうにか気持ちを切り替える。自分の《送》について、RIOへ軽く説明をした。

『俺の《送》って、基本垂れ流しなんだよ。相手のを受信するけど、同時に送信もしちゃうわけ。受信オンリーにしたかったら出来るだけ頭ん中を真っ白にするのがいい、って色々試して判ったんで、さっきみたいに小出しにしつつ鍛錬中、ってとこなんだけどね。これがなかなか、地道なトレーニングって感じかな』

 その時々の体調やメンタルによって、コントロールの程度が左右されるらしい。そんな説明をしながら、不甲斐ない半端な《能力》者である自分に自己嫌悪の自嘲が漏れた。

「そんなかったりぃこと、よくやるな。まあそっちは面倒くせえ《能力》だから、しょうがねえのか」

 こちらの真意をまるで掴めていないRIOが、思い切り他人ごとめいた合いの手を打った。

「いや、《能力》そのものが面倒なもんだろ。お前もさ、どうせならゴミだけを燃やすとか、建設的な方法で発散させてコントロールの鍛錬すれば、って思うんだけど」

 言い終わるや否や、RIOがGINを睨みつけ、おもむろに右掌と見比べた。

「建設的、ね」

 RIOが右手でパチンと指を鳴らせば、園内の一番手近なゴミ箱がいきなり発火する。

「のぁ?! おまっ」

「な? ちっとだけのつもりがこのザマだ。面倒が増えるだけだろ」

 慌てて園内の地図で消火栓の位置を確認しつつ、RIOへの説教は怠らなかった。

「誰が今すぐ公共の場所でやれっつった、クソガキっ」

「いちいちがなってんじゃねえよ、クソ親父。先に帰る」

 辺りが騒然とし出す中、RIOは悠々とひとりでその場を離れていった。

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